第九十一話 闇の傀儡
「何が、どうなって?」
突如現れた底の見えない大地の割れ目を背に大勢の人々が右往左往して逃げ惑っていた。
いったいいつの間にこんなものが出来たのか。
まさか、俺がヴァルハルティで床をへこませたからなのか?!
「ううん、違うよ。アレゼルがルフとヴェルンをここへ向かわせたのは、伝聞石でリネイセルからのヘルプを聞いた後だから」
「じゃあ、あの灰色の髪の奴と戦ってたくらいの時か」
とりあえず俺のせいでないことが分かって少し冷静さを取り戻す。
だけど、なんでいきなりこんな事態になっているのだろうか。
地割れは真っすぐ宮廷へと伸びており、ちょうど城門付近で収まっていた。貴族街が真っ二つに割れ、その向こう側にある中央街区にまで被害が及んでいる。
いったいどこまで続いているのか、終わりが全く見えない。
「牢獄宮まで続いているって、リネイセルが言ってた」
「牢獄宮って、まさか……!!」
「ん、これは自然災害じゃなく仕組まれたもの。魔力の痕跡もあるし間違いない」
そのユミスの言葉に背筋がゾッとする。
牢獄宮と言えば、アレゼルが竜魔石に匹敵する魔力を感じていた場所だ。そこからこの宮廷区内へ一直線に地割れが伸びてきたってことは、さっきの部屋の魔力に反応したということになる。もし俺がヴァルハルティで魔力を削り取っていなければ、宮廷もまた地割れに飲み込まれていたかもしれない。
「それだけじゃないわ、カトル。もう一つ巨大な魔力があったでしょ、武闘会場に」
地割れを目の当たりにしてナーサが険しい表情で話しかけて来る。
「考えたくないけれど、カトルが魔石を砕いていなかったらあの地割れ、学区まで伸びていたんじゃない? 回廊側にも仕掛けがされていたし、メロヴィクス皇子の部屋に大量の魔石があったことを鑑みれば……」
「最悪、学区も地割れに飲み込まれてたってことか」
大量にあった精神系の魔石の真の目的がまさか呼び水にあったなんて想像できるはずもない。
てか、なんで宮廷や学区を地割れに飲み込ませようとする?
父親を弑逆しようとしてまで皇帝位を欲したのに、そのお膝元となる首都をめちゃくちゃにするなど正気の沙汰じゃない。
……いや、思い返せばいろんなことがおかしかった。
“核”によって取り込まれようとしていた身体。
学区に居た者の意識を蝕んだ竜魔石。
そして……主の側を離れ暗躍するベリサリウス。
そこにメロヴィクス本人の面影は全く浮かんでこない。それどころか、別の誰かの思惑が渦巻いて見える。
脳裏にちらつくのは、見慣れない鎧を纏った灰色の髪をした連中、突如現れたセイと灰色のフードを被った謎の女、そして――。
(フォルトゥナート……!)
奴の顔だけは忘れる事が出来ない。
武闘会場の地下でいったい何をやっていたのか。ベリサリウスが一緒だったことも気になる。
アグリッピナの地下には何もないと聞いているけど、フォルトゥナートが暗躍していると思うと心中穏やかではいられない。
どうする。やっぱり奴を追うべきか?
だが、この地割れは危険極まりない。もし本当にメロヴィクスが首都を壊滅させようとしているのなら、地下へ向かうのはわざわざ自分から棺桶へ足を突っ込みに行くようなものだ。
「だから言っておるではないか! 陛下と軍司令はハヴァールとアルテヴェルデの兵を率いて謀反人メロヴィクスを追って最奥の間へ向かったのだ。その救出を第一に考えずしてなんとする!」
「ふん、スティーアの当主はいつの世も頭が固いのう。これだからウールヴダリルとの諍いが終わらんのだ。そも、この地割れの原因が究明されないまま闇雲に地下へ舞い戻るなど愚の骨頂よ。救出より先に大地に飲み込まれて死ぬが関の山……っと、そういえば灰髪相手に苦渋を飲まされたのであったな」
「くっ……! あれは我らと共にあの場の防衛を任されたレニャーノめが陣形を乱し地下へ逃げた為だ。最初から我らだけであればいくらでも戦う術などあったわ!」
「ほうほう、強がりもそこまで来ると呆れを通り越して感嘆に値するぞ」
後ろではヴィットーレとアレゼルの二人がエキサイトしていた。
……ってか、スティーアと妖精族は仲が悪いのね。まああの爺さんが妖精族相手に友好的に振る舞う姿なんて想像できないから妙に納得してしまうけど。
「双方、控えよ。この緊急時に争ってどうする」
もはや子供の言い争いと化していた二人の間に、ヴェルンが割って入る。
……こういう姿を見ると、意外にヴェルンが常識人で驚く。
ほんと、学区でいちゃもんつけて襲い掛かって来たのはなんだったのだろう。
「新たな敵が現れ、さらに地割れという災害を目の当たりにして、我らは成す術も無く留まる敗残兵に過ぎんのだ。救出? 原因の究明? 戯言も大概にされよ。事ここに至っては疾く引くべきだ。そうであろう? ユミスネリア殿」
「ん」
ヴェルンの言葉に苛立ちを募らせていたヴィットーレは、話を振られたユミスが同調すると思わなかったのだろう。彼女に驚きの視線を向けてくる。
「我らはまだ戦える。陛下の危機を前に逃げ出しては皇家に対して面目が立たん」
「それは大丈夫。奥に脱出通路があると聞いた。皇帝に危機が迫ればそこから難を逃れるはず」
「な……んと」
「ほうほう。ならば、牢獄宮へ向かうので問題はな――」
「ん! 大有り。この地割れは自然災害じゃなく魔力的なものなのに、それでもまだアレゼルが行こうとするのは、未だ牢獄宮に魔力が残っているからでしょ?! さっきの灰色の髪の連中だって宮廷の地下へ引いただけだし、このまま敵陣の真っ只中へ行けば今度こそ挟み撃ちになる」
「むむむ……。なるほど、確かに道理だが」
「優先すべきは地割れで大混乱を起こしている中央街区の人たちを導くこと。本来はその役目を担ってるアグリッピナ長官パウルスがすべきだけど、彼は皇子の傍に居た。そうでしょ? マリー」
「ああ、間違いなくこの目で確認した。おそらく蜜月にある傭兵ギルド長エブロインも従っているはずだ。となると、姿は見えなかったが――」
「マッダレーナ! 滅多な事を口にするでない!」
「……っ、失礼しました、父上」
ユミスの言葉を補足していたマリーがヴィットーレに嗜められる。
え、どういうこと? 状況が見えない。
俺が怪訝な表情を浮かべていると、隣にいたナーサが声を潜めながら教えてくれた。
「傭兵ギルドマスターが最も懇意にしている相手、それがケルッケリンク公爵よ。でも武闘会場では皇子の周りに公爵も黄色のマントの影も見えなかったでしょう? だから、安易な決めつけはダメってことね」
「え? でもギルマスは確定事項として扱ってるじゃん。なんで公爵だけ」
「敵に回すには影響が大き過ぎるからに決まってるでしょう! あんたもアグリッピナへ来る途中見たわよね? ここから一番近い町はミミゲルンなの。ケルッケリンク公爵領のね。この混乱で大勢の人が避難の為にミミゲルンへ向かうわ。けれど公爵にへそを曲げられ受け入れを拒否されれば、その多くが路頭に迷ってしまう」
「……だから公爵が好き放題動くのを黙って見過ごせと」
「嫌な言い方するわね、あんた」
「そりゃあ、ナーサとマリーにめっちゃ絡んできたからな、あいつ」
「う……」
「でもそうか。味方でもないけど、敵でもないと……」
そう言いかけて、何かピンと来るものがあった。
……そうだ。
確かにあの公爵は皇子へ絶対服従って感じではなかった。どちらかと言えば腹の中で何を考えているのか分からなくて、でもマリーやナーサに強い執着を示していた。もしかしたら俺が知らないだけで、スティーア家すべてに拘泥しているのかもしれない。
もちろんこの場にいないのだから皇帝へ忠誠を貫いているわけでもなし。言ってしまえば第三の勢力だ。
――そう。第三の勢力。
メロヴィクスが叛乱を起こしたからどうしても繋げて考えていたけど、皇帝とも皇子とも異なる勢力がいると仮定すれば、いろいろ辻褄があってくる。
無論、ケルッケリンク公爵がそうなのかは分からないが、少なくともそいつらは首都をめちゃくちゃにしても構わないと思っているはずだ。
たとえば灰色の髪の連中――。
リネイセルによればやつらは突如牢獄宮から現れて、宮廷に侵入して来た。皇帝を追わず地下へ引いたのは謎だったが、地割れを起こそうとしていたならその行動は理解できる。そして、あの部屋の魔力を活用していたことからも最も疑わしい存在と言えよう。
次に上がるのが、武闘会場に居た同じ灰色のフードを被っていた女と、とんでもない力を秘めた謎の人族セイだ。
あの二人は俺が武闘会場の舞台の下にあった魔石を壊そうとした時に突如何もない空間から現れた。そして他の連中が皇帝に刃を向けていたのに対し、奴らは魔石を狙う俺だけを標的にした。
その目的について確証はない。
けれど断言できる。
あの二人、特にあのセイって奴の力はまさしく異常であり、もし奴が最初から皇子の思惑通りに動いていたなら、間違いなく俺たちは何も出来ず窮地に陥っていただろう。
むしろあの場の混乱が目的で、俺が舞台に突っ込まなければ傍観の立場を貫いていたかもしれない。
武闘会場の混乱が長引いている最中に地割れが起こっていたなら――。
その時は皇帝派も皇子派も関係ない。大勢の命が無為に散っていたはずだ。
首都は崩壊し、軍も壊滅……。
もしその時にベリサリウスの持っていた虹の魔石から天魔が生まれでもしていれば、まさにカルミネの時と同じ地獄がこの地に顕現していたことになる。
そのような地獄絵図を描ける者など一人しかいない。
それは――。
「……え?」
気付けば、シンと静まり返る中、周囲の視線が一身に俺へと向けられていた。
あまりの圧迫感に冷や汗を流していると、ユミスが近寄ってきてにっこりと微笑む。
「声、漏れてたよ」
「……っ!」
笑顔がめっちゃ怖い。
最近は気を付けていたのに、つい考えに没頭し過ぎて周りが見えなくなっていたようだ。
そんな俺にヴィットーレが近づいて来る。
「カトル殿、聞かせてくれ。誰なんだ? その地獄絵図を描ける者というのは」
「いや、あの……」
「その者の名はフォルトゥナート=タルデッリ。カルミネ王国タルデッリ侯爵の嫡男で貴族と傭兵ギルドの宥和の為、ギルドの幹部として抜擢された者だ」
「なっ……?!」
俺が言葉に詰まっていると、代わりにユミスが滔々と話し始める。
「もっともかの者はその地位に不満であった。剣はそれなりに使えたようだが、貴族としての自尊心が勝り視野を狭くしていた。幼く未熟な前女王を快く思わず、さらには新たなギルドマスターの暗殺を謀った為、爵位を剥奪され追放処分となる。だが、反旗を翻したシュテフェンの者に呼応すると、誰にも気付かれることなく王宮の最奥へと侵入。王宮崩落という厄災を齎した張本人となった」
「……勘違いでなければ、ユミスネリア殿の言葉は、貴族として相応しくない愚か者が突如才に見合わぬ大事を引き起こした、と聞こえるが」
「ん、人が変わったと言っても差し支えないくらい」
「なんと!?」
ヴィットーレの驚きの声が響き渡る。
「魔道具により魔力の成長を頓挫させたはずの者が、カルミネの地下で直面した際は信じられないような魔法の精度であらゆる者を惑わし、私もまた危うく操られかけた」
「それは、灰髪の連中に敗れた私への皮肉……というわけでもないようだな」
その言葉に俺はヴィットーレたちが“核”によって苦しむ姿を思い出し、連想してしまう。
変わり果てたアンジェロの姿を。そして強すぎる魔力に侵され傀儡と化した敵兵の姿を。
そこから導かれるのは――。
フォルトゥナートこそ、何者かによって“核”を植え付けられた悪夢の象徴、厄災そのものだということを。
遅くなりました。
次回は9月中に更新予定です。