第八十九話 魂の奪還
俺は床に突き刺さったままのヴァルハルティを引きずって走り出した。進めば進むほど凄まじい魔力が身体の中に入り込んで来るが、先ほどのように意識を持っていかれることはない。それも当然で、“誓願眷愛”により隣で並走するユミスへ魔力が流れていくからだ。
「大丈夫、ユミス?」
「ん、平気。というか、魔法が楽に使えて便利」
一度、自覚すれば意外と簡単に出来ることだった。互いに意識を共有することでよりコントロールしやすくなり、ユミスへ向かう魔力の流れが構築されていく。
負担を掛けてないか心配になるが、平気そうな顔を見ると、本当に魔法を楽に使えているようで思わず苦笑してしまう。
「ったく、そういうことは最初っからやっておきなさいよね。私も姉さんもどれだけ大変だったことか」
「なはは……その節はご迷惑をお掛けしました」
「ん、“誓願眷愛”の力に慣れてなかったんだから仕方ないよ」
膨大な魔力をまともに喰らって昏倒したナーサには返す言葉もない。ユミスのフォローが心に沁み入る。
そもそも、自分じゃ対処しきれない魔力が流れ込んで来るなんて、普通じゃあり得ないもんな……って、よく考えたら俺、何回か体験してるな。でも、カルミネの時はじいちゃんが居て、自分で何とかしようという気すら起こらなかった。
……今もユミスにおんぶに抱っこだけど。
「ヴァルハルティが扱えるだけでカトルは十分凄いの!」
「いや、それもどうなんだか」
「何言ってんのよ、あんたは。今はそれが何より大事でしょう?! ほら、見なさい! あんたのお陰で一気に形勢逆転したわ!」
ナーサの示した先では、今まで圧倒していた灰色の髪の集団が、アレゼルの魔法によって大混乱に陥っていた。さっきまであれほど威容を誇っていたのに、宮廷内に仕掛けられていた魔力を失えば脆いものだ。
今なら合流出来る――。
そう思って一気に走り抜けようとした瞬間、不意に視界がぐらりと傾いた。予想外の事態に、前のめりになっていた身体を支え切れず、床に膝を打ち付けてしまう。
「揺れて――?! いや、床が傾いてるのか?!」
最初はまた地震かと慌てふためくも、部屋の中心部からぐるりと床が渦のように下へ陥没しているのが分かり、ヴァルハルティの影響だったことを理解する。
「そんな、崩れる?!」
「ん、まだ平気。床が傾いただけでちゃんと硬化魔法で支えられてる」
「でも、急がないと!」
傾いた床に足を取られながらも、俺たちはアレゼルの下へと駆けだした。
いっそのことヴァルハルティを床から離そうかと思ったが、その瞬間急速に魔力が展開されていくのを感じて、慌ててもう一度床に突き刺し直す。
揺れは心配だけど、敵の力が戻ってしまっては元も子もない。
そう考えると、素の実力で今まで対抗出来ていたアレゼルはやはりとんでもない魔法の使い手である。
「ふふん、お褒めに預かり光栄、と言った所かのう」
「調子に乗るな! さっきもそれでやられそうになっていただろう?」
「フン、分かっておるわ。そちの尽力には感謝している。まさかスティーアの姫がその身を挺して我を助けるとは……甘々だのう」
「窮地に陥った我ら全員に魔法を掛け続けておきながら、どの口が言う?」
いつの間に軽口が言えるような間柄になったのか、アレゼルとマリーが互いに貶し合っていた。いや、あれは称え合っているというべきか。
「よくあの攻勢を凌げたね」
「フン、あ奴らの魔法は虚ろであるからな。密度を上げて守りに徹すればなんてことはなかったぞ」
「ほお? 強がりもそこまでいけばたいしたものだ。真に受けるな、カトル。死中に活を求めた結果、からくも命を繋いだにすぎん」
どうやら最大限の敏捷強化を掛けたマリーやルフによる特攻でかく乱しつつ、アレゼルの間隙を縫う絶妙な魔法でギリギリの所を耐えていたらしい。
まさに乾坤一擲。
当たればただでは済まなかったであろう敵の魔法を躱し、懐に入り込むなど、どれだけ無謀な作戦なのか考えただけで寒気がする。
「あ奴らの魔法に実が伴っていなかったのは本当だぞ。そうでなければ、とても我一人で凌ぎきれぬわ。その身に過ぎた魔力を宿した所で、制御に手一杯な魔法の威力などたかが知れておるからのう」
何だかどっかで聞いたような話だが、耳が痛いのは気のせいだと思っておこう。
「それで父様――いえ、皇帝陛下はどこに?」
「さあて、知らん。スティーア公なら、ほれ、その辺で部下と共に倒れておるぞ」
「父様!?」
アレゼルの示した先には、部下十数名とともに地面に突っ伏したままのヴィットーレの姿があった。それを見た途端、最初は皇帝を気遣う素振りを見せていたナーサもたまらず我を忘れて父親の元へ駆け寄っていく。
だが、娘が近寄ってもヴィットーレはピクリとも動かなかった。意識を失っているだけにしてはちょっと様子がおかしい。
「まさか、精神力枯渇?!」
「うん? そんなことはないぞ。気を失って倒れてはいるが、とくに問題あるとは――」
「それ、【カルマ】を調べた結果?」
ナーサの心配する声に肩を竦めながら飄々と答えていたアレゼルに対し、なぜかユミスがいきなり詰問口調で噛みついた。
いつもは立場を考えて仲間内以外では努めて冷静な態度を崩さないのに珍しい。父親の様子に狼狽えるナーサよりよほど取り乱している。
「当然であろう。我とて気を失っている者を碌に調べもせず無責任な事など言わぬわ。確かに全員に鑑定魔法を掛けたわけではないが、幾人かに展開して同じ結果であった以上、問題などありはしな――」
「【カルマ】じゃ進行中の状態は分からないの! 能力判定魔法、じゃなきゃ能力分析魔法でもいい。もう一度、調べてみれば分かる」
そのユミスの言葉にさっきの事を思い出したのか、アレゼルは苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「幾度も同じことを抜かすでないわ! そのような高位魔法、一朝一夕で使いこなせるわけがないと言っておるではないか! それとも何か? 大地の力を使えとでものたまうか? ふざけるでない! 我に神たる竜の加護など存在せんのだ!」
「じゃあ信じて! ここで倒れている人たちみんな【侵食】されて危険なの!」
「……待て、侵食だと?! 何だ、それは?! 聞いた事もないぞ!」
「状態異常は突然起こるものじゃないの。能力判定魔法も能力分析魔法も使えなければ知らなくて当然だけど」
「グッ……里には使える者は居たのだぞ! だが、そのような話はついぞ――」
「もういい。カトル、手伝って! 早くしないと取り返しがつかなくなる」
「お、おう」
なおも食い下がろうとするアレゼルを無視し、ユミスはさっさとヴィットーレの下へ歩みを進めた。だがその眼前にナーサが割って入って来る。
「待って! 父様に何をするつもり?」
「ヴィットーレの体内に侵食を続ける核みたいなものがあるはず。ヴァルハルティなら魔力を完全に絶ち切れるから……」
「なるほど、俺はそれを見つければいいんだな」
「ちょっと、ユミス! 無視しないで。侵食なんてそんないい加減なこと、言って良い時と悪い時が――」
「いい加減じゃない!!」
「っ……」
当惑した様子で迫るナーサに、ユミスは強い口調で言い返した。
そのあまりの剣幕に、いつもは強気なナーサも口を噤んでしまう。
「私は今から回復魔法を展開する。魔力枯渇は出来るだけ短い方がいいから、カトルがうまく合わせて」
「いいっ?! 俺が合わせるの?」
「魔法の展開に時間かかるんだからしょうがないじゃん! カトルは剣で断ち切るだけでしょ?」
「いや、そりゃそうだけど……マジですか」
魔力枯渇という言葉に剣を持つ手が震えてくる。魔力切れは精神力枯渇よりもはるかに深刻だ。命にも係わってくるだけに、責任が重くのしかかる。
「もし、上手く行かなかったら?」
「上手く行かせるの! カトルは私の回復魔法より遅れなければいいだけでしょ。それより急がないと間に合わなくなる」
「……っ」
悠長にしている場合じゃなかった。
俺はユミスの言う“核”のようなものを必至に探し始める。
ヴィットーレに手を当てれば魔力が蠢いている。意識も無いのに明らかにおかしい。異常と言ってもいい。
――どこだ? どこにある?
この違和感バリバリの魔力の揺らめきが収束する場所に“核”があるに違いない。
手足じゃなかった。心臓の近くかとも思ったがそこも違う。
もっと上、首の辺りにまで手を伸ばし――、ついに頸椎の辺りにどろりと濁った魔力の塊のようなものを見つけた。
「カトル……?」
「首の後ろだ。そこに気持ち悪くなるくらい揺らぎを感じる」
「……待って。あんた、まさか父様の首を斬るつもり?!」
「ヴァルハルティで切れるのは魔力だけだ。ナーサだってそれは知ってるだろ?」
「だけど!! ……っ、姉さん?!」
「やれ! カトル。私は信じる!」
マリーが後ろからナーサを抑え込み、そして一度大きく頷いた。彼女の瞳は吸い込まれそうになるほど美しく凛とした風格が漂っており、その覚悟の程が伺える。
それを見て、俺も心が決まる。
「ユミス!」
「ん、後は任せた」
魔力を開放したユミスが回復魔法の展開に入る。予想以上に使う魔力が大きい。
体力回復魔法なんかじゃない。賢人の治癒魔法か、それ以上に高位の魔法かもしれない。
魔力枯渇の事を考えるとタイミングは難しいが、今までずっとユミスの魔法を傍で感じ続けてきた自分の感性を信じるだけだ。
……ええい、ままよ!
俺は膨れ上がった魔力の高まりに気圧されながら、ヴィットーレの首を斬りつけた。
ぬちゃっとした気持ちの悪い感触が剣先から伝わり、背筋がゾワリとして思わず目をつぶってしまう。最悪の展開すら脳裏を過るが、直後に感じた絶大な魔力に俺の不安はかき消された。
「魔力回復魔法!!」
聞き間違いかと思った。
ユミスは精神回復魔法は使えても魔力を回復させる魔法は使えなかったはず。それをこの大事な場面で成功させるとは。
さすがユミスとしか言えないよ、ほんと。てか、いつ覚えたんだ?
そして体力回復魔法を掛けてない時点で、この手に残るおぞましい感触が全部魔力だったことを理解する。
これなら絶対にヴィットーレは大丈夫だ。
「ん、カトル、次!」
「了解!」
もう既にユミスは次の魔法の展開に入っていた。俺も急いで次の人の核を見つけなければならない。
「父様!!」
「父上!」
「う、う……お前たちか……」
二人の涙する声をバックに聞きながら自信を深めた俺は、次々にヴァルハルティを振るっていく。やがてユミスの魔法が収まる頃、昏倒していた全員の意識が戻ったのだった。
遅くなりました。
次回は7月中に更新予定です。
追記:またしても謎の高熱でダウン中。
6月から連続的に風邪引きまくりで更新スピード落ちててすみません……。
7/30、久しぶりに熱が9度台から下がりました。
全快にはもう少しかかりそうで7月中更新はごめんなさい。無理そうです。




