第八十八話 成れの果て
「待って! 牢獄宮の騒ぎの原因は大量の魔石が持ち込まれたことでしょう? だったら――」
「ううん、それは違う。パルテミウスは言葉を濁していたけど、アスパルは結局牢獄宮内で魔石を見つけられなかったと言っていた。でも、アグリッピナ中にある感知魔法の魔石が全く反応しなかったのに浄化の石が必要だったんだから、精神系の魔石が絶対どこかにあったはず」
ナーサの疑問にユミスが冷静に答える。
確かに状態異常をかき消す浄化の石が必要だったなら、解除魔法の魔石では対処出来なかったということに他ならない。感知魔法で反応しない以上、十中八九、状態異常となる魔石の影響だろう。
「……でも、どうやって? 宮廷もだけど、牢獄宮は入る事さえ困難な場所よ。その壁や床に魔石を仕込むなんて、そう簡単に出来るはずが――」
「ん、過程は考えない。それより、宮廷は状態異常の魔石が溢れていて、同じ惨状だった牢獄宮から数千の謎の軍勢が押し寄せてる事実を認識する方が大事」
「……!」
そのユミスの言葉にハッとさせられる。
この静寂に包まれた回廊の異常さが先行して意識の外に押しやられていたが、あのリーネとかいう妖精族の言葉が嘘じゃなければ、数千からなる大きな魔力を持った者たちが宮廷へ向かったんだ。いくら音がしないとはいえ、すでに大混乱に陥っていたとしても不思議じゃない。
思わず俺はゴクリと息を飲み、目の前の階段の上にある重厚な扉を見据える。
回廊の終わりであるその扉を抜ければ宮廷だ。あの奥で戦いが起こっているのなら、一瞬たりとも気を抜ける状況じゃない。
「そうね。異常続きで危うく抜け落ちるところだったけど……うん、あの扉の向こうで何が起こっていても大丈夫。何が何でも姉さんと父様を助けるわ!」
ナーサの言葉に俺も覚悟を決めヴァルハルティを構えた。相変わらず剣を通して魔力の反応は続いており、否が応でも緊張感が増してくる。
だが、そんな俺をよそにナーサは不意に笑みを浮かべながら、ちょっとおどけた声で話し掛けてきた。
「フフ、何だか地下水路を抜けたあとカルミネの城門に戻った時みたいね」
「え?」
「大したことじゃないわ。あの時も三人だけだったじゃない」
「ああ、そういう」
「あの時より私はユミスの事を理解しているし、成長もできた。……あんたは弱くなったけれど」
「うるせ。文句はツィオ爺に言ってよ」
「あはは。……でも、何でかな。あの時より安心している自分がいるし、より強くカトルを感じられるのよね。“誓願眷愛”の絆が強くなったのかな?」
「ナーサ……」
「ん、ほら、そんなどうでもいいこと言ってないで行くよ!」
「何よ?! 全然どうでもいいことじゃないでしょう?」
「……“誓願眷愛”の絆は二人だけじゃないもん。あの時と違って」
「え……?」
そういや、あの時はまだユミスとの繋がりはなかった。
……あれ?
今の俺がヴァルハルティを操れたり、膨大な魔力をなんとか処理出来たりするのって、もしかしなくてもユミスのお陰?
「……」
ユミスは少し照れたように顔を背け、先に階段を上っていってしまう。
そんなのを見ちゃったら否が応にも気合が入ってくる。これほど心強い絆はない。ナーサとも視線が合い、どちらからともなく笑みが零れる。
「そんじゃま、張り切って行きますか……って、ユミス?」
勢い勇んで階段を上っていくと、先に上へ辿り着いていたユミスが扉の側まで近寄って食い入るように見つめていた。
何の変哲もない扉にしか見えないけど、何かあるのだろうか。
「……ん、やっぱりこの扉だ。カトル、斬って」
「え、う、了解」
「ちょっ、待ちなさい! 人を感動させておいて、何でまた宮廷の物を破壊する流れになってるのよ! 扉なんだから普通に開ければいいだけでしょう?」
俺がヴァルハルティを構えたのを見て、慌ててナーサも階段を駆け上がってくる。連邦に仕える身としては回廊と宮廷を繋ぐ重要な扉を傷つけたくないのだろう。だが、ユミスの表情は険しいままだ。
「この扉が魔石を繋ぐ中枢になってる。破壊しないと宮廷の悪夢は終わらないよ」
「なっ?!」
「ううん、むしろ、これだけじゃないかもしれない。だってこの魔力構造は、こんなちっぽけな場所なんか想定してない。それこそ私の魔術統治魔法さえ超えた空間を牛耳れるくらい凄い魔力の流れを生み出している」
「そんな……」
ナーサはユミスの言葉に目を見開き絶句してしまう。
まあ、突然そんな事を言われても飲みこめるはずがないってのはわかる。でも――。
「なら、さっさと斬ろう」
「カトル?!」
俺はナーサの制止の声を気にせずヴァルハルティを扉に突き立てた。
こと魔法に関してユミスへの信頼は揺るがないし、仮に間違いだったとしてもヴァルハルティで斬れるのは魔力だけだ。扉そのものが傷付いて壊れるなんてことは起こらないはず……。
そう思ってたんだけど。
「……あれ?」
なんとヴァルハルティの刃が扉に触れるや否や、扉は大きな音を立てて崩れ落ちてしまった。
ただ正面から突き刺しただけなのに、まるでガラス細工が割れたように粉々になり、もはや跡形もない。
そして扉があった先にがらんどうの部屋が姿をあらわす。
「何も、ない?」
そんな馬鹿な。
一か月前、会合に招かれた時は、散りばめられた魔石によって様々な色合いの灯りが照らし出され、快適な室温と澄んだ空気に包まれた心地よい空間が演出されていた。
そんな安らぎさえ覚えた場所だったのに、まさか何もかも無くなっているなんて。
――いや、そんなはずはない。
「姉さんは!? 父様も、誰もいないの?!」
「ナーサ! まだ入っちゃダメ!!」
中へ入ろうとするナーサをユミスが身体で押しとどめる。
やっぱりユミスも異変を感じているようだ。
目の前に見える部屋は確かに人っ子一人見当たらない。けれど、この身体に纏わりつく魔力は、まさにカルミネの地下、封印の間で味わったあの嫌な感覚なんだ。
俺は意を決しヴァルハルティを振り抜こうとして、何もない空間がゆらりと揺らいだのを感じた。――刹那、背筋が凍りつくような感覚に囚われ意識が吹っ飛びそうになる。
「させない! 覚醒魔法!」
「……っ?! ありがと、ユミス。助かった!」
何が起こったのか全く分からないうちに、思考が閉鎖され俺は地面に突っ伏していた。
ユミスの魔法で慌てて起き上がったが、彼女の咄嗟の機転が無ければ今頃、完全に意識を刈り取られていたかもしれない。
これは危険だ。
ヴァルハルティですら間に合わない勢いで魔力に苛まれ、意識を刈り取られるなど恐ろしすぎる。耐性の無い者ならなす術もなく倒れてしまうだろう。
早く何とかしなければ助けられる者も助けられなくなる。
俺はヴァルハルティを構えると、再び揺らぎを見せる前方の空間を横なぎに一閃した。その瞬間、パァンと何かが弾け、今まで何もなかった場所に突如として相争う大勢の者たちの姿が顕現したのである。その周囲には折り重なって倒れる兵士たちの姿と、取り囲む見慣れない鎧を身に纏った灰色の髪の者たち、そして必死に魔法を駆使して抵抗するアレゼルとマリーの姿があった。
「姉さん! と、アレゼル?!」
「だからナーサは勝手に行かない!」
ナーサが我を忘れて突っ込もうとするが、それをなんとかユミスが押し留める。マリーが無事で嬉しいのは分かるけど、今は冷静に現状把握に努めるべきだ。
何しろ、すぐそばに灰色の髪を振り乱し、尋常ではない魔力を展開する奴がいるのだから。
「うぬぬ、小癪な。人族風情が我が魔力に盾突こうなど、なんと烏滸がましい」
ソレは明らかに異質な存在であった。
パッと見、髪の毛の色を差し引けば人族と大差ない。だが、傍でビンビンに感じる魔力量は上位妖精族と比べても遜色ない凄みを感じる。
「感知魔法に反応してる……? まさか、常に魔力を放出して?!」
「あいつ、今、何か魔法を使ってるのか?!」
「使ってないの! 使ってないのに、魔力が溢れてる……。そんなのあり得ない。まるで呼吸するように魔力が放出され続けてるんだよ?!」
鑑定系の魔法を使ったのであろうユミスが驚愕の表情を浮かべ、怯えるように後ずさっていく。こんなユミスは初めてだ。魔法に関してなら、どんなものでも――じいちゃんの凶悪な魔法にでさえ興味津々で突っ込んで行ってたのに。
それだけ奴がヤバイ存在ってことか。
「じゃあ、ユミスが感知魔法で感じてた連続的な魔法って、ただ単にあいつらが生きて動いてただけってこと?」
「……ん。そうなる」
魔力を常に発しているなんて、まるで魔石みたいだ――。
そう考えた瞬間、何かピンと来るモノがあった。
「そういや魔道師ギルドの連中、魔石を体内に組み込んでいたよね?」
「ん」
「連中のフードと同じ灰色の髪ってのも気になるんだけど、もしかして奴は――」
「細氷魔法!」
「っ! あぶなっ――」
こっちの事などお構いなしに飛んで来る氷魔法に、俺はすぐさまユミスを庇いつつ横っ飛びで転がり避ける。
見れば、俺たちのいた場所に氷塊が出来上がっていた。
あまりの魔法の威力に冷や汗が止まらない。しかも特に目一杯魔力が放たれた感じがしないのにこの威力というのは恐ろしすぎる。
こんな奴らが数千も蠢いているってのか?
……冗談じゃない。
俺はともかく、ユミスたちが危険すぎる。
「くは、避けたか。下等な人族が我ら神明に近き存在を前に無駄な足掻きをする。氷結魔法!」
「――氷壁魔法!」
ユミスの放った魔法が一瞬早く奴の魔法を打ち消した。
そうだ。氷魔法ならユミスも負けてない。むしろ、奴の放った氷魔法を押し返している。
「ちっ、貴様もか。あの堕落した妖精族といい、邪竜の臭いのする人族といい、なんと鬱陶しい」
「……っ!!」
「堕落した妖精族って、上位妖精族の事?」
俺が邪竜という言葉に過剰な反応を示す前に、ナーサが声を張り上げた。
……危ない危ない。おかげで、なんとか気持ちを落ち着けることが出来た。竜ならまだしも、邪竜とか言われるとさすがにムッとなる。
「くっくっく、あれは上位妖精族と名乗っているのか? 邪竜の魔力に恐れをなして里に閉じこもり、女神の神勅さえかなぐり捨てた愚かなゴミ虫だぞ」
「女神の神勅……?」
「ハッ、人族はこれだからな。……己の無知を呪って死ね」
「――床を斬って! カトル!!」
奴の右手が振り上げられるより早く、ユミスの声が耳を劈く。
その瞬間、膨れ上がった魔力がナーサへ襲い掛かるような気がして、俺は咄嗟に前へ躍り出てヴァルハルティを床に突き刺した。また何かナーサに言われるかもだけど、そんなの気にしてる場合じゃない。
「何だ? 何をやって――?!」
奴の訝しむ声が聞こえる。
だが、俺にそれを気にする余裕はなかった。突如ヴァルハルティから凄まじい魔力が身体に流れ込み、悲鳴さえ上げられないほどの強烈な痛みが全身に襲い掛かってきたのである。
のたうち回りたくなるほどの苦痛で世界が歪み、立つ事さえままならない。
気の遠くなるような時間が過ぎていく――。
だがその時、ユミスの声が脳裏に優しく響いた気がした。
(大丈夫だよ、カトル……。大丈夫)
次の瞬間、身体の中で蠢いていた魔力の渦が消えてなくなり、暖かく揺るぎない力が溢れて来た。閉ざされていた視界が一瞬で晴れ渡ると、グルグル回っていた頭の中が途端にスッキリする。
どうやら、永遠とも思われた時間は一瞬の出来事だったらしい。俺はヴァルハルティを床に突き刺したまま倒れることなく立っており、――その前方には、態度を豹変させた灰色の髪の男が驚愕に打ち震えていた。
「馬鹿な!! 魔力が、はぎ取られただと!? 何をした、貴様ぁああ!」
やはり何かしら仕掛けがあったらしい。先ほどまでの凄みの在った魔力の圧が、まるで空気の抜けた風船のように急激にしぼんでいく。もはや魔道具を使った人族と同程度の魔力しか感じない。
というか、そんな張りぼての魔力しか持ち合わせてなくて、こいつはあんなに居丈高だったのか。結局ユミスの魔法で対抗されてたし、強力すぎる力を有しても経験や努力を重ねなければ宝の持ち腐れなだけだ。
……人の事は言えないんだけどね。
「くっ……、くそっ」
「あ、逃げるな!」
「待って、カトル! 合流が先!」
急いで後を追おうとした俺は、ユミスの声にグッと堪えて辺りを見回した。灰色の髪を振り乱して逃げる男の行く先とは真逆の方向に、必死の抗戦を続けるマリーたちの姿がある。
「早く姉さんの所へ行くわよ! もう四の五の言わないから、存分にやっちゃって、カトル!」
「ああ! あんなの見たら、出し惜しみしてる場合じゃない」
「ん! そうやって適当な感じだとほんとに床が抜け落ちるから!」
「う……。その時は空中浮揚魔法で」
「……もう、しょうがないなあ、カトルは」
次回は7月中の更新予定です。
追記:6月から連続で感染症にかかりダウンしました。遅くなり申し訳ありません。