第八十七話 暗躍する者
ゴートニア軍の数の表記に誤りがありました。
「え、分かるようになったの?! いつ?!」
「今に決まっておる。邪魔な魔力が無くなったからのう」
どうやらこの部屋の魔石から溢れた魔力が探索系の魔法を妨害していたらしい。
「ちょっと! 不穏って、どういうこと? 父様たちに何が起こってるのよ?!」
「取り乱すでない、スティーアの娘よ。まずは合流が先であろう?」
「くっ……」
「詳細は道すがら伝える。行くぞ」
急に態度を翻すアレゼルに唖然として懐疑的な視線を送るが、彼女は気にせず皆を率いて宮廷へ向かっていった。その後をマリーとヴェルンたちゴートニアの一行が続いていく。
「あれ、そのまま行かせていいの?」
「感知魔法で変な魔力を感じるのはほんとだから、早く行くこと自体は反対じゃない」
「そう言う割には不服そうね」
「ん! ここをほったらかしにして行くのは本末転倒!」
ユミスの視線の先には未だ状態異常から抜け出せていないゴートニアの兵士たちの姿があった。確かに彼らをこのまま放っておくのは不安だ。
「絶対分かってて押し付けてるからね、アレ。私だって向こう、凄く気になってるのに。感じる魔力は初級魔法程度だけど、秒単位で数千回も連発してるし」
「す、数せ――?!」
「不穏て、そういう事?!」
ユミスの言葉にナーサの表情からみるみるうちに血の気が引いて行った。ヴィットーレたちの率いる軍勢はそこまで多くないので、どうしても最悪のケースが頭を過ってしまう。
にわかに慌てふためくナーサだったが、当のユミス本人は文句を言いつつも淡々と解除魔法を展開し続けていた。
まあ当然と言えば当然なのだが、焦るナーサの目にはそれが悠長に映ったのだろう。不満げな表情を隠そうともせずユミスの周りをうろうろし始める。
「うー、鬱陶しい。そんなに気になるなら先行って」
「っ……、わ、私はあんたたちの護衛なんだから、あんたたちのそばに居る」
「だったら大人しくする。集中力が削がれると余計時間が掛かるの!」
そうまで言われてはナーサもジッとしているしかない。ムスッとしたまま、俺の隣でユミスの魔法が終わるのを待っていた。
まあ、俺としても今は後顧の憂いをなくす方が重要だと思うんだよね。
数千回の魔法って聞いて最初はびっくりしたけど、よく考えれば初級程度の魔法じゃ牽制くらいにしかならないし、ヴィットーレ率いる精鋭がむざむざやられるとは思えない。
なにより他に気になることが多すぎる。
メロヴィクスの部屋にあった大量の魔石もそうだし、さっきまで抵抗していたはずの傭兵の一団が消えたこともおかしい。そもそも宮廷までの通路を誰も守っていないってのも不自然極まりない。
……もし、俺が竜魔石を破壊していなかったらどうなっていたのだろう。
武闘会場で敵対したアンジェロやエドゥアルトに苦戦を強いられたまま、地下ではベリサリウスやフォルトゥナートが暗躍し続けていたはずだ。
特にベリサリウスは虹色の魔石を持っていた。カルミネの時のようにあの魔石から天魔が生まれでもしたら、アグリッピナは大混乱に陥っていたに違いない。
幸いにして今はそれらをかろうじて防いでいる。
まだカルミネの二の舞とはなっていない。
だから何が起きても対処できるよう慎重に行動すべきだ。
この頭の片隅でチリチリ蠢く違和感の正体がハッキリするまでは最善を尽くさなくてはならない。
―――
それから小一時間程して、この場に待機していた者への解除魔法の展開が終わり、俺たちも宮廷への道を駆け始めた。
もはやアレゼルやマリーたち一行の姿は見る影もない。凄い勢いで進んでいったから、全速力で走っても到底追い付くことは出来ないだろう。むしろ既に宮廷に辿り着いていて参戦しているかもしれない。
だが、その割には――。
「……静かすぎる」
「まだ魔力は感知してるの?」
「ん、それはずっと」
ユミスの感知魔法では反応があるのに、いくら近付いても戦いの喚声は全く聞こえてこなかった。少なくともヴェルン率いるゴートニアの兵たちが向かったのだから、ある程度戦端が開かれていてもおかしくないのに、自分たちの足音が響き渡るほど辺りはシーンと静まり返っている。
「……本当に、宮廷で戦いが起こっているのよね?」
「今も時計の針が刻むように等間隔で魔力を感じてるよ。探知魔法だと一杯すぎて把握しきれないくらいだし」
「なら、なんで何も聞こえてこないのよ?! 父様だって、姉さんだっているはずなのに……!」
ナーサの苛立つ声が壁をこだましていく。この先で何が起きているのか、考えれば考えるほど不安は増すばかりだ。
「ほら、ナーサは焦らない。本番は宮廷へ着いてからなのに、こんなところで無駄な体力を消費しちゃダメ。探知魔法は出来ているし、数が減ってるわけでもない。ただ感知魔法で感じる魔力がおかしいだけ」
「……でも」
ナーサもなんとか折り合いを付けようとしているが、なかなか納得しきれないようだ。まあ、これだけ静かだと落ち着けない気持ちも理解できる。ただ、こと魔法に関してユミスが判断を見誤るってのは考えにくい。
「うーん、何も聞こえない理由ねえ……。ってか、宮廷まであとどれくらい?」
「あと10分くらいよ。まだ見えてこないけど、この先の階段を一度降りて、また上った先が回廊の終わりね」
「じゃあ距離の問題じゃないな。なんで探知出来るのにこんなに静かなんだろ……って、静寂魔法?!」
「ん、それはない。カトルも式典で見たでしょ? 宮廷の広間はカルミネの謁見の間より広いんだから、静寂魔法で覆えば絶対に感知魔法で気付く」
「そういや広かったね。……なら、魔石を使ってるとか?」
「もっとあり得ない。あの広い部屋を覆うのにいったいどのくらい魔石を使う羽目になると思ってるの? そんな無駄な事に使うくらいなら、それこそ状態異常の魔石を大量に使って……」
そこまで言って、ハッとしたようにユミスは口を噤む。
何か思いついた? ってことは何か方法がある?
なんだろう。人がいるのに静かな理由。いや、静かにさせられている……?
……あ。
「まさか、睡眠魔法の魔石?!」
「カトル!」
「分かってる!!」
俺はヴァルハルティを解き放ち、空気を薙ぎ払うようにしながら一直線に回廊を駆け抜けて行った。
わずかだけどヴァルハルティに魔力の圧を感じることから、何らかの魔法が蔓延している可能性が高い。
見えない脅威を前にだんだん焦燥感が増して行く。
「見えた。階段だ!」
「気を付けて! 左右に衛兵の詰め所があるわ」
「詰め所、ってこのガラクタの山がか?」
「ええっ?! 誰もいないの?」
扉を蹴り飛ばし勢い勇んで中に入ると、そこには薄汚れた空の箱が所狭しと山積しているのみであった。人影は見当たらず、かといって箱の中に魔石が入っているわけでもない。
「……うん。誰もいないよ」
ユミスの探知魔法で見つからないなら、ほんとに誰もいないのだろう。念のためヴァルハルティを振りかざしてみるが、メロヴィクスの部屋みたいな罠もなさそうである。
「まさか争った跡も無いなんて」
「魔石も見つからない」
「そんな……」
気のせい、だった?
いや、そんなはずはない。今なおヴァルハルティの魔力は高まり続けている。
それにこの感じ、俺はどこかで味わったような気がするんだ。
……少し試してみるか。
俺はヴァルハルティを右手に持ったまま跪き、左手を床に付けてみる。
するとぼんやりとした白の光が床一面に広がり、その刹那、軽い眩暈に襲われる。だが即座に反応したヴァルハルティによって普段の感覚が戻って来ると、その後は何事も無かったかのように立ち上がることが出来た。
……この感じ、カルミネの螺旋階段で味わったあの感覚みたいだ。
まさかアグリッピナの宮廷の壁や床にも精神力を狂わせる狡猾な罠が仕掛けられているとは思わなかった。もっともあの時とは違って、竜族だけを狙い撃ちにするようなものではないし、威力もそこまでじゃないけど。
ただ、宮廷全体がこんな感じだったら、知らず知らずのうちに倒れていたとしても不思議ではない。
俺はすぐさま床にヴァルハルティを突き刺し、続けざま壁も一閃する。確かな手ごたえと共にヴァルハルティの魔力がずわっと膨れ上がるのを感じ、疑惑は確信へと変わっていった。
だがそんな俺の行動に驚いたのがナーサだ。
「カトル?! 何をやってるの!」
「魔石じゃなかった。壁や床に細工がしてあるんだ。このままだと、自分でも気付かないうちに倒れる羽目になる」
「はい? 壁面に細工?! あんた、冗談も休み休みにしなさいよね! 宮廷は地下で空間を維持する為に硬化魔法で徹底した魔力管理がされているのよ?! もし別の魔石か魔法が施されでもしたら、脆くなって簡単に崩れ落ちるかもしれないわ。そんなことしていったい誰に得があるって言うの!」
「そう言われても、実際に素手で触れたら眩暈がしたし、ヴァルハルティで斬ったら魔力を感じたんだ」
「硬化魔法が掛けられているって言っているでしょう!! あんたのスキルで魔力を失ったら、ここだってあっという間に崩れ落ちるわよ!」
「ん、二人とも落ち着く」
ユミスはヒートアップするナーサに歩み寄り気持ちを落ち着かせると、クルリとこちらを向き今度は大きなため息を吐く。
「カトルはおじい様の講義で何を習ったの?」
「うぐっ?!」
「硬化魔法は土や石に魔力を通して、密度を上げる魔法でしょ。魔力が粒子と粒子を繋ぐ役割をするから、魔法の効力が切れても魔力がある限り硬化したままの状態が続く。だから大地と相性が良いし、地下の壁や床に展開するのは理にかなっているの。そんなところでヴァルハルティを使えば、ナーサの言う通り脆くなって崩れ落ちちゃう」
「……はい、すみません」
「さっき武舞台にヴァルハルティを突き刺したら崩落したこと、もう忘れたの? 頑丈そうに見えて、支えがなくなったら崩れるのなんてあっという間なんだからね。カトルはもっと気を付ける」
「ごめんなさい」
俺はぐうの音も出ずひたすら謝りまくるしかなかった。
ってか、硬化魔法の事なんてすっかり忘れてたよ。そういや、じいちゃんの講義で習ったような気がする。土属性苦手だから適当に聞いてたんだよね。火に油を注ぐことになるから口が裂けても言えないけど。
ともかく、魔力の安定がカギなら安易に壁や床を斬りつけるのはまずいよな。
「でも、どうするの? このままじゃ俺たちはともかく他の人はまずくね?」
「ん、だからカトルはまだ斬らないで」
「「……え?」」
唐突に発せられたユミスの言葉に俺は思わず絶句してしまった。隣を見ればナーサもまたあんぐり口を開けて唖然としている。百八十度変化したユミスの発言に戸惑いを隠せない様子だ。
こういう時、自分以上にショックを受けている人がいるとかえって落ち着きを取り戻せるのは不思議である。
「まだって、えっと、斬っちゃダメなんだよね?」
「ダメなんて言ってない。もっと気を付けてって言った」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ちなさい、ユミス! 何で壁を斬る流れになってるのよ!?」
「ん、カトルの言ってることが正しいからに決まってる」
「崩落させることのどこが正しいのよ!!」
「そこじゃない。壁や床に睡眠魔法の魔石が仕掛けられてたってとこ」
「なあっ……?!」
「他にも状態異常系の魔石がたくさん。硬化魔法と絡ませて鑑定魔法じゃ分からないようにしてあるからたちが悪い」
「そんな、ことって」
「ん、そう。普通なら絶対に起こり得ない――!」
驚愕するナーサを前に、ユミスの表情が一層険しさを増す。
「皇帝は今日も宮廷から武闘会場に来ていて、特におかしい素振りはなかった。でも今ここには、魔石と呼んで差し支えないほど完璧に構築された一個の物質がある。こんな芸当、一朝一夕で終わるはずがない」
「……」
「だけどつい最近、宮廷とは別の場所で似たような事件があった」
「それって、まさか!」
「ん、牢獄宮。アスパルとパルテミウスから裏付けは取ってある。いろいろ誤魔化してたけど」
次回は6月中の更新予定です。