第八十五話 “闇を愛するもの”の遠謀
「本当に誰もいないのか?」
「少なくとも中央棟の講義室やその近辺に人影は見当たりません」
「……俄かには信じ難い話だな」
イルデブランドの言葉にヴェルンが嘆息を吐く。
講義室や演習室、メロヴィクスの部屋なども含め学区中央棟内は完全にもぬけの殻となっていた。少し前まで傭兵ギルドの一団が激しい抵抗を続けていたらしいのだが、激戦の痕跡さえ見当たらない。
誰かが大掛かりな洗浄魔法でも施したのか、あるいは情報自体がでっち上げだったのか。
「地下へ続く階段は皇家の応接室の隣の部屋にある」
「そこからさっき俺が落ちた部屋に辿り着けるわけね」
「そうだ」
俺の問い掛けにルフが簡潔に答える。ベリサリウスの逃げた先から大勢の足音が聞こえたのだ。姿の消えた傭兵たちも含め、敵が地下で待ち構えている可能性はかなり高い。
「ユミスの魔法で分からない?」
「ん、さっきからやってるけどダメ。魔力が安定しなくて探知魔法も感知魔法もうまくいかない。アレゼルは?」
「むむむ……。忌々しいが、其方と同じだ。魔力の流れが歪で制御が効かぬ」
ユミスのみならず、魔法制御について一日の長があるアレゼルまで探れないというのは尋常ではない。やっぱり魔力の流れが歪なのは、壊した竜魔石が影響しているのだろうか。
それにしては何も魔力を感じなさすぎというか、魔力自体下へ下へと流されていく感じがするんだけど。
「ん、たぶんそれ龍脈だよ。六日前、流れが変わっちゃったでしょ」
「げ……」
六日前と言ったら、俺が多重展開でやらかして金剛精鋼の部屋に繋がっていた龍脈の流れを断ち切ってしまった日だ。
まさか、その影響がこんな形で出てくるなんて……予想外過ぎる。
「てっきり、さっき壊した竜魔石の影響かと思ったんだけど……」
「魔石が残ってるならともかく、壊れたのに影響なんてするわけない。むしろ、歪な龍脈の流れのせいで魔石がすぐ壊れたのかも」
「……マジで?」
確かにいくらヴァルハルティの力が凄いとはいえ、あんなに大きい竜魔石をあっさり壊せたのは意外だった。だが龍脈の影響で力の大部分を失っていたのなら納得できる。
「でも、どうするの? 俺たちが宮廷へ向かっている間に地下の敵が打って出て来たら最悪挟撃されちゃうけど」
「ある程度信頼の出来る者をここへ残す他あるまい。あくまで私たちが目指すのは父上たちとの早期合流、そして撤退だ。その僅かの間だけなんとかこの場を死守してもらいたいが……」
「この少ない人数をさらに分けるの? それはさすがに厳しくね?」
「なぁに、大丈夫だ。宮廷へ繋がっているのはあの狭い通路だけなのであろう? であれば我の魔法とカトルの剣があれば問題なかろう。そんなことより我は其方――ユミスの持つ大地の力への造詣に興味が尽きないのであるが」
「……いきなり愛称呼び」
「気にするの、そこ?」
結局マリーの言葉通り、信頼出来る者としてゴートニア兵のうち半数をイルデブランドに任せ、さらにオーロフとラグナルの二人も補佐役で付けることになった。地下に居たベリサリウスやいったん引いたアンジェロ、それにエドゥアルトなど油断出来ない面子が敵に揃っていることを考えれば、宮廷へ乗り込む人数をある程度絞り込むのは致し方ない。
「お二人が残って頂けるのは心強い。……裏切らなければですが」
「無用の心配だ。イェーアト族の誇りにかけて借りは返す」
「ルフにも釘を刺されましたからねえ。ま、ほどほどに頑張りますよ」
どうやら二人ともイルデブランドとは浅からぬ因縁があるようで、憎まれ口を叩きながらも意外と信用してそうに感じられる。
「よし。この場は任せ、とにかく先を急ごう。ここから宮廷まで一本道、20分とかかるまい。一気に駆け抜けるぞ」
学区に残る者たちの目途が立つと、最終確認もそぞろにマリーは全身の気を昂らせた。よほど心配なのか、苛立ちを隠すことなく剣を抜き放ち、今にも駆け出さんばかりに通路へ向かって行く。もはや完全に臨戦態勢だ。
でも、さすがに敵影もないのに剣を抜くってのはちょっと殺気立ち過ぎている。冷静さを失っては元も子もない。そう思い少し釘を刺そうとマリーに近付いたのだが、なんと今度は周辺に居た者たち全員が彼女の気迫が乗り移ったかのように剣を高々と掲げ、雄々しく叫び始めたのである。その意気たるや天を衝く勢いであった。
「どうなってんの……?」
あまりの状況の変化に俺は思わず呆然と立ち尽くしてしまう。なんだか一人取り残されたような気がして、慌てて鞘からヴァルハルティを取り出した。その刹那――、ドンッという衝撃が身体中を駆け巡り、凄まじい魔力の奔流が一気に襲い掛かってくる。
「なっ……!?」
驚いた俺はそのままヴァルハルティを虚空へ振りかざした。何もない空間を切っただけなのに確かな手ごたえがある。さらには刀身から魔力が溢れ出し、逃げ場を求め俺の体内に怒涛の如く流れ込んでくる。
――間違いない。あの一瞬でとんでもない量の魔力を斬ったのだ。
「ユミス!!」
その瞬間、俺はユミスの元へ駆け出していた。
ヴァルハルティから魔力が溢れ出るなど、尋常な事ではない。
このままでは危険だ。
俺はあたふたする彼女の手をギュッと握りしめ、そのまま魔力を奪い取る。
「え、な、なに……あ」
俺の突飛な行動に対し見るからに動揺していたユミスは、すぐこちらの意図を察して周囲の状況を確認し始めた。
何も言わなくても分かってくれるってのは、凄くありがたい。そして、今はその一分一秒がとてつもなく大事だ。
「な、にこれ……。解除魔法! ――っ、効かない?!」
「効かない?! って、じゃあ、俺がやるしか――」
「待ってカトル! まだ手を離さないで! 魔力が蠢いている……!」
言うが早いかユミスは瞑想を開始し、全力で魔力を展開し始める。左右の手に異なる魔力を練るこの感覚は並行展開だ。
「魔力強化! 抗魔法!」
ユミスはありったけの魔力を注ぎ込んだ魔法を自身に掛けると同時に俺の手をついと離した。一瞬、彼女の身体に嫌な感じの魔力が纏わりつくも、淡い光の膜が白く輝き、それを跳ね返す。
「ふぅ、何とかなった」
「大丈夫なの? ユミス」
「ん、平気。でもこれでハッキリした。原因はシュテフェンで見たのと同じ魔石。それも大量の」
ユミスの言葉に俺はすぐさまシュテフェンで体感した混乱魔法の魔石を思い出す。そういえばポーロ商会の船には大量の魔石が積まれてたんだっけ。
マッフェーオは連邦に相応の船舶を伴って出航したのだから、ここアグリッピナに魔石が出回っていたとしても何ら不思議ではない。
……フェレスという名前が出た時点で、もっと早く気付くべきだった。
「もしかして、この叛乱も魔石の影響……?」
「考えるのは後。解除魔法が効かない以上、カトルだけが頼りなんだから!」
「う、わ、分かった」
ユミスに諭され、俺は急いで皆の所へ向かう。
まずはアレゼルだ。
まさか上位妖精族の彼女まで魔石の影響を受けているとは思わなかったが、それだけ親和性の高い魔法だったってことだろう。
「くううう。屈辱だ」
「んん! 私より耐性が高い」
アレゼルの解放は結構簡単だった。ユミスはむくれているけど、人族より長く生きている上位妖精族の魔法耐性が高いのは当然の事だ。むしろそんな上位妖精族にさえ効いてしまう魔石の影響にゾッとする。
「しかし、その剣――ヴァルハルティと言ったか。とんでもない能力であるな。まさか魔力を斬る剣だったとはのう。ごっそり精神力を持っていかれたわ。ただ、我でさえこのありさまだ。他の未熟な人族に同じことをすれば精神力枯渇は必至ぞ。早く原因を見つけた方が良い」
「ん……とりあえず、アレを先になんとかすべき」
ユミスの示した方を見れば、今まさにマリーが皆を鼓舞して突撃しようとしていた。
「ストップ、ストォーーーップ!」
「む? なんだ、カトル。これからという時に」
「いいから、手を出してマリー」
「な、なんだ? ちょっ、やめっ……?!?」
慌ててマリーの下に駆けつけた俺は、身構える彼女の左手を強引に引っ張った。始めはらしくないほど動揺し顔を真っ赤にして叫んでいたマリーだったが、だんだん口数が少なくなりどんどん表情から血の気がなくなっていく。
そんなマリーの様子に周囲はどよめいているけど、それを気にする余裕はない。
「落ち着いた? マリー」
「あ、ああ。なんだか、フラフラする。どうなっているんだ? 私は」
「ん、それ、ただの精神力枯渇」
「ああ、なるほどな。ただの精神力枯渇……。精神力枯渇?!」
驚いたマリーが食って掛かろうとして、フラフラと崩れ落ちて行く。そんなマリーにユミスは手早く能力供与で魔力と精神力を補充し、重ねて抗魔法を展開する。
「それと、これ。状態異常から守る指輪」
「なっ?! それはどういう――」
「これ二つしかないから、なくさないで。もう一つはナーサ用。……ほら、カトルは早くナーサの所に行くよ」
「了解」
「待て待て。もう少し詳しく説明を」
「はい、後よろしく」
「ぬあ!? 其方は我をなんだと思っておるのだ!」
突っかかって来るマリーにアレゼルを押し付け、ユミスはさっさとナーサの所へ駆けて行ってしまう。
アレゼルの下へはマリーのみならず、宮廷へ向かおうとしていた者たちが一斉に押し寄せるが、俺にはどうすることも出来ない。
「覚えておれ!」
アレゼルの恨み節が聞こえてくるけど、この犠牲は仕方のないことなのだ。
俺は心の中でそう言い訳をしながらナーサの下へ急ぐのだった。
長くなった為、いったん区切ります。
次回は5月中に更新予定です。




