第八十四話 白銀の出陣
「――っ!? この声、どこから?!」
「おっと、我の伝聞石だ。牢獄宮で混乱があったと聞いて必ず何かあると思い張らせておったのだが、どうやら正解だったようだのう」
緊急事態を知らせる報告にのほほんとした感じでアレゼルが返す。
周囲が浮足立つ中、マイペース極まりない。
「伝聞石?! え、じゃあ本当に牢獄宮から数千の軍勢が?!」
「ふむ、確かにあやつもおっちょこちょいな所はあるが、さすがに1を数千と間違えるほど大袈裟ではないと思うぞ」
『あのー、私をなんだと思っているのですか?! 適当な事を言わないでください、アレゼル様。そんなだから、他の方々にも呆れられるんですよ!』
「おおっと、すまぬ、すまぬ」
伝聞石の向こうから響く不満げな声に、アレゼルが適当に謝る。
……なんだろう。凄くヤバ気な状況なのに、緊張感の欠片も無い会話だ。
本当に数千の軍勢がいるんだよね?
「しかしそちをして得体が知れぬとは、なんとも滾るのう! やはりあれか? カルミネに現れた天魔とかいう異形でも出おったか?!」
『いえ、カルミネに滞在していた者からの報告にあった異形とは姿かたちが異なります。人族のような容姿の割に、相反する大きな魔力を持っていました』
「ちっ、天魔ではないのか。……残念」
「ん! アレゼルは天魔を甘く見過ぎ! 天魔が数千も居たら、アグリッピナが崩壊しちゃうよ」
「むっ……確かに軽率な発言であったな。自重しよう」
『あ、アレゼル様が自重などという言葉を使うなんて、信じられない……』
「……リーネ。そちはしばらく会わないうちに口が軽くなったようだのう」
『いっ?! え、えっと……はは』
伝聞石の向こうから物凄く焦った声が聞こえて来る。てか、さっきの報告の時と別人のように聞こえるのは気のせいだろうか。
「ああ、もう! そんな言い合いをしている場合じゃないでしょう?! 大軍で攻められているなら早く宮廷に行かないと!」
ついに苛立ちを隠せなくなったナーサが声を荒げた。それにつられて隣に控えていたマリーもグッと前に出て来る。立場上、上位妖精族であるアレゼルに配慮して口を噤んでいるが、顔には焦りの色が濃い。やはりヴィットーレが宮廷に向かったせいだろう。数千もの軍勢に突入されたと聞いて冷静でいられるはずがない。
「ほうほう、確かにその通りよのう。だが、そち達は地下へ向かうつもりだったのであろう? 本当に宮廷へ向かってよいのか」
「当たり前よ!」
「我は行かぬぞ」
「なっ……」
「何を驚いておる。当然ではないか。得体の知れぬ相手が数千。対して、味方はいかほどだ? そのような死地へ同胞を向かわせるわけには行かぬ。もちろん我も行かぬぞ。宮廷など興味無いからのう。……牢獄宮であれば話は別だが」
「はいぃぃぃ?! あんたねえ! 死地へは行かないって言っておいて、同じくらい危険そうな牢獄宮には行くわけ!?」
「たわけが。死地に向かわせないというのは同胞のことだ。我は気が向けばどこへでも行くぞ。そして牢獄宮には魔力がこれでもかと渦巻いておる。世界を探求する者として、これほどまでに興味のそそられる場はないであろう? フフ」
「……っ」
アレゼルの目が怪しく輝く。
なんだろう、あまりにぶっ飛んだ考え過ぎてちょっと笑ってしまった。そんなに凄い魔力が渦巻いてるなら、確かに見てみたいかもしれない。
ナーサは絶句してるけど。
「ん、数千が宮廷に向かったのに、まだ牢獄宮にある魔力の方が大きいの?」
「うむ、比較にならん。それこそ、この下にあった魔石がそのまま牢獄宮に転移したかのような凄まじい圧を感じるでのう。かの地の奥底に数千など軽く超える大軍が控えていても不思議ではない」
「バカなっ! 牢獄宮のどこにそんな大軍を隠せる場所がある! ……あ」
思わずマリーが声を張り上げ、慌てて口を両手で押さえる。ただ苦渋に満ちた表情を浮かべているのを見ると、彼女の中で葛藤は続いているようだ。
「フン、我が許可せねば言葉も紡げぬか。連邦の軍人は名誉と虚栄をはき違えておるのう」
「……っ」
「まあよい。上位妖精族たるこの我が話を聞いてやる。これでそちの面目も保てるであろう?」
「……感謝する」
マリーはアレゼルに礼を言うと、途端に前のめりになる。どうやら体面を気にするのはやめたらしい。
うん。その方がマリーらしいと思う。
「アレゼル殿。貴殿は今起きていることをどこまで存じているのだ?」
「うん? 我はあくまで感知魔法で探った結果から推測しただけで、牢獄宮については何も知らぬ。なにしろ友好のためにこの地へ訪れた妖精族でさえ立ち入り出来ぬ場所であろう? であるからこそ、興味をそそられるわけだが」
「……牢獄宮は咎人を捕らえる為の場所だ。その中には重大な罪を犯した政治犯も幽閉されている。我が国の中でも相応の立場の者しか立ち入り出来ない以上、そこは甘んじて受け入れて欲しい」
「ほうほう、政治犯とな。ならば先だっての混乱は、その者たちの脱獄騒ぎであったか」
「それは――」
「ああ、言わずともよい。ただ、これで宮廷へ向かった軍勢は叛乱皇子の手の者の可能性が高まったかのう……。ならばこの状況下、何の策も無くのこのこと宮廷へ赴くは愚の骨頂よ」
「ぐっ……」
アレゼルの諭すような言葉にマリーが嗚咽を漏らした。彼女の言っていることは正論かもしれないが、マリーの気持ちを考えるとなんともやるせなくなる。
突如現れた数千の軍勢が皇子の手の者であれば、宮廷内にいるヴィットーレたちが窮地に陥っているのは確実だ。
だが、そんな絶望的な状況の中、ユミスはあっけらかんと答える。
「ん、それなら問題ない。予定通り地下へ行くから、アレゼルたち妖精族はここで退路の確保をお願い」
「ほうほう、そうくるか。……驚いたぞ」
「断る?」
「断りはせぬ。リーネの報が入る前はそういう約束だったしのう」
アレゼルは面白いものを見る目つきでユミスを見やる。どうやら彼女の探求心を大いに刺激したらしい。なんだかこのまま普通に付いてきそうな雰囲気である。
ただ、それで収まらないのはナーサたちだ。
「なんで今、地下に行くのよ?! ユミス!!」
「ん……私は最初から地下へ行くって言ってた」
「状況が変わったでしょう?! このままじゃ父様たちが危ないの! だから――」
切羽詰まった感じでナーサがまくし立てる。言葉こそ発しないが、隣にいるマリーも眉根を寄せ、厳しい目つきだ。切迫した感情が見ているだけで伝わって来る。
だが、ユミスはそんな二人を前にしても怯むことはなかった。
「私が地下へ行くのは皆を助ける為」
「……!!」
「敵が宮廷の入り口から押し寄せれば、ヴィットーレなら必ず学区への地下通路へ来る。だって、ここには私たちがいるんだから!」
力強く宣言するユミスに、皆の顔付きが一変する。
……そうだよな。あれだけたくさんの天魔に囲まれてもユミスは敢然と立ち向かっていったんだ。
どんな絶望的な状況だって簡単に諦めるはずがない。
『――私の夢は魔法使い。私の魔法でみんなを幸せにするの』
ユミスは何も変わらない。
その強烈な思いを俺は知ってる。
彼女なら全てを押しのけてでも助けに行くはずだ。
「……カトルはどうするの?」
俺の視線に気付いたユミスが少しだけ不安そうにこちらを見る。
……なんだろう。フォルトゥナートの事かな。
そんなの、どっちが大事かなんて比べるまでもない。
「俺は当然ユミスに付いて行くよ。俺がここに居るのは、ユミスを守る為だからね」
俺がそう答えた瞬間、ナーサとマリーが大きく頷いた。彼女たちだけではない。後ろに控えていたルフたちやヴェルンまでもが本腰を入れて動き始める。
「ほうほう、将が動きたるは少年の言の葉――中心はそちか」
「は? んなわけないじゃん。ユミスに決まってる」
「フッ、そうかそうか。……さて、我も行くとしよう」
「え、牢獄宮に?」
「そうではない、少年――いや、カトルだったな。我はそちの剣に興味深々だ。であるから当然カトルたちに付いて行く。よいな?」
「は、い?」
俺の困惑をよそに、アレゼルはやたらウキウキしながら他の妖精族たちに指示を送り始めた。
いや、さっきまで牢獄宮に興味深々だったよね?
てか、俺の剣が目的って、そもそも行く場所全然関係ないじゃん。
『ちょぉーっと、待ってください、アレゼル様! 私はこのまま放置ですか?』
「うん? なんだ、まだ伝聞石を繋いでおったのか、リーネは」
『なんだ、じゃありませんよ! いつまで私はこんな危険な場所にいればいいんですか! 逃げてもいいですか? いえ、もう逃げます』
「フン。“不可視”などという大層な二つ名を抱くそちの力をもってすれば、たいして問題ではあるまい」
『なっ……それはあんまりです。酷すぎます、アレゼル様!!』
「不可視?! まさか“不可視”のリネイセル殿か?」
「ほうほう、人族の国にまで名が売れているとは、さすがリーネであるな」
「あれ? マリーは向こうの妖精族、知ってるの?」
「知っているも何も、ここ最近の我が国の歴史の中で最も有名な妖精族の名だ」
マリーによれば、リネイセルはここ百年の間に幾度も連邦内の混乱を引き起こしてきたという。その際、大胆不敵にも自らの署名を残し、アルヴヘイムへ敵対することへの警告を発していたんだとか。
どうやら伝聞石の向こうにいる妖精族は、悪魔的な力を持った指折りの実力者のようだ。
『……私をからかう暇が有りましたら、早くこの状況を何とかしてください! アレゼル様ほどの力があれば造作もないことでしょう?』
「我はカトルに付いて行かねばならん。であるから、牢獄宮の事はそちの方でなんとかせい」
『なんとか、ってなんですか?! 無茶言わないでください! と言いますか、カトルって誰なんです? 聞いた事ないですよ!』
「フフン。そちが知らぬとは愉快だのう。我はしばらく忙しいゆえ、これで伝聞石はしまいにするぞ。ではな」
『なっ、ちょっ、待ってくだ――』
アレゼルは強引に伝聞石から魔力を抜き取り、会話を終わらせる。
会った事はないけど、このきまぐれで何を考えてるか分からない上位妖精族に振り回されるリネイセルはちょっと不憫だ。
「さて、行くとしようかのう、カトル。急がねば、スティーア公爵の命が尽きてしまうやもしれん」
「ちょっと! あんた、縁起でもない事を言わないでよね。父様がそう簡単にやられるはずないんだから!」
「ん、でも魔法を集中されたら厳しい。だから――」
「我の出番というわけだな。リーネは得体の知れぬ者と言っておったが、上位妖精族に敵う魔法の使い手など早々おらぬからのう」
なぜかやる気満々のアレゼルが先頭切って進んでいく。
もはや彼女の行動原理がよく分からない。いろいろめちゃくちゃだ。
だが次の瞬間、彼女の行く手に一筋の光が差し込むと、透き通るような白銀の髪がより一層輝きを増していった。
その後ろ姿はまるで天の祝福を受けているかのようで、戦場へ赴く戦士たちの心を大いに奮い立たせる。
白銀の姫君――。
彼女に導かれ、俺たちは混沌へ続く階段を一歩ずつ駆け下りて行った。
次回はゴールデンウィークに更新予定です。




