第八十三話 悪夢の顕現
「っ?! 上位妖精族!?」
「ぬ……、呼び捨てでは飽き足らず種族で煽るか。なってない。なってないのう」
艶やかな純白のワンピースに亜麻色のロングブーツ、そして髪色に似た白銀のマントを身に纏った妖精は、その端正な顔を歪ませ、首を左右に振りながら大袈裟に煽って来る。
だが、その姿は何となく孤島に居た若い竜族たちの振る舞いを思い起こさせた。もちろん若いと言ってもじいちゃんや白竜のじいちゃんに比べて若いというだけで千年以上生きた竜たちであったが。
とにかく彼らは気まぐれで、興味を持った時にしか寄ってこない。そして、絡んで来る時は尊大で鬱陶しい。ラドンみたいな感じだ。
だから皆が息を呑んで見つめる中でも俺は平然と言葉をつき返す。
「突然会話に割り込んで来た挙句、ユミスに人の子って言って来たの、そっちじゃん。そんなに呼び名にこだわるなら呼んで欲しい名前を名乗りなよ」
「こ、こらっ! カトル!! 失礼な事を言うんじゃない!」
「ほぉーう? 面白い事を抜かしよる、10を超えたばかりのヒヨッ子が」
アレゼルはマリーなど視界に入っていないように、すすすっと俺の傍までにじり寄り、顔を近づけて来る。
「ん! 近い!!」
「おおっと」
だが、それより早くユミスが俺とアレゼルの間に割って入った。
地味に敏捷強化を使っての割り込みだ。それに気付いたアレゼルも魔力を纏っていたから、下手すれば一触即発の状況である。
ただ、そんな安い挑発に対して、案の定というべきかアレゼルは興味を示してくる。
「ほうほう。なかなかに制御された魔法であるな。無論、我が領域まで近付くにはまだまだ長い年月の修行が必要であろうが」
「……と偉そうに言う彼女の魔法レベルは?」
「ん、風属性は77だから敏捷強化は私より上、だけど身体強化は下だよ」
「あ、やっぱり?」
妖精族は四属性の中でも特に風属性の親和性が高い。敏捷強化は風属性だから、アレゼルのレベルが高いのも頷ける。
まあ、今はそんなことなどどうでもいいんだけどね。
「……っ?! なっ、何をしたっ!」
「? 何って、能力判定魔法で見ただけ」
「ジャ……能力判定魔法だとぉっ?! 精神魔法の中でもかなり特異な高位魔法ではないか!!」
「ん、それ」
「莫迦を申せ! 里のオババでさえ一人では制御しきれん魔法なのだぞ」
「龍脈を使えば意外と簡単」
「なぁっ……!?」
事も無げに言うユミスにアレゼルが半ば唖然としたような顔を向けている。
うん、まあ普通そういう反応になるよな。
あんな恐ろしいもん、どうやって使いこなしてるのかさっぱりだ。
「龍脈――大地の力を使うなど、霊獣か、それこそ人の子のいう竜でもないと無理な話……ふむぅ。そういえば風の噂で神たる竜に育てられし者がいると聞いたが、それが其方か」
「「「――っ?!」」」
ヴェルンやルフたちの視線が一気にユミスへと注がれる。だが、当の本人は何の感慨もないのかアレゼルを平然と見据えたままだ。
「ほうほう、否定はせぬか。一応、古代妖精族にとって悪しき竜は天敵、というより一方的に虐殺された間柄なのだが」
「ん……、オブスノールの事?」
「フン、それ以外何があろうか。世の理より外れんとした人族を討つべくオブスノールの地に集まった古代妖精族とそれに味方せんとする者たち、それら全てが一柱の悪しき竜により灰塵に帰したのだ。その歪みは未だ東の地を荒れ果てた砂漠へと変えておる」
「……ん、じゃあアレゼルはその歪みを正すためにオブスノールに来たの?」
「クッ……アーッハッハッハッ。そんなわけなかろう! 神だか何だか知らぬが、怪しげなモノより与えられた力を好き放題振るった挙句、神代より守り続けた世界樹を一夜にして萎凋せしめ、今は亡き巨人族やなり損ねの魔族どもと共に朽ち果てた連中の業など、我の知った事ではない!」
ユミスの発言を一笑に付したアレゼルは高らかに宣言する。
「かの地は純粋な魔力の宝庫なのだ。我さえも寄せ付けぬ強靭な魔力は、周辺の鉱石を純度の高い魔石に変え、大地の脈流さえも動かしておる。神に最も近き竜の考えなど我には分からぬが、かの地で考究することで我は世界の真理たる龍脈の謎に迫ることが出来た。そのどれほど尊きことか……。里の者全てを敵に回そうとも、それだけで我はかの地に災厄をもたらした竜へ最大限の感謝を捧げられる」
「……」
「何を意外そうな顔をしておる? 龍脈は意思あるモノ全ての源泉。その深淵を覗かんとする心を失った者に探求者たる資格などありはせん」
「……その為だけにオブスノールに来たの?」
「だけとはなんだ、だけとは。失礼な。我を魔石に目が眩んだ愚か者どもと一緒にしないでもらおう。世界の真理を求めんとする飽くなき探求心、それ以上に崇高なモノなどあるものか。それをあの愚か者どもが、このような無味乾燥たる不毛の地へ我を追いやりおって……」
そんな風にブツブツと不満を口にしていたアレゼルだったが、不意に俺の方を見ると、ニヤ―ッと下卑た笑みを浮かべてくる。
正直、嫌な予感しかしない。
「もっとも、楽しそうな玩具は見つかったがな。なんとも禍々しい気を放つ剣ではないか、少年」
「うっ……」
「そこのうつけ者どもが運んだ魔石を屠った剣なのであろう? 我も迂闊に近づけなんだ魔力をものともせぬとは、どこぞの闇妖精族の手によるものか?」
「え、あ……」
光妖精族と闇妖精族は仲が悪い。
焚きつけておいてなんだが非常に神経を使いそうな質問に辟易していると、またしてもユミスが間に入ってくれる。
「ん、運ばれた魔石が危険と知ってて放置したの?」
「ぬかせ。あれを運んできたのはそこの戦士たちぞ。アルヴヘイムの同胞ならばいざ知らず、人族程度の魔力の持ち主に出来ることなどたかが知れておると思うではないか。……あれほど性質の悪い魔法を放つとは、青天の霹靂もいいところだ」
「あの魔法はルフ……イェーアト族が犯した罪じゃない。この虹の魔石を持ち込んだ別の誰かが引き起こしたことだよ」
そう言ってユミスが提示した虹の魔石に、アレゼルの瞳が怪しく煌めく。
「ほうほう、これが件の天魔とかいう厄災を呼び寄せたシロモノか。……なんとも薄気味悪い魔力を宿した魔石ではないか」
「この魔石は地下へ逃げたベリサリウスが持っていた」
「フン、叛乱皇子の側近か」
「ん、そう。そしてカルミネで起きた悲劇を考えれば、まだ他にも虹の魔石がある、と思う。だから地下に――」
「うむ、良いぞ」
「え……?」
淡々と頷くアレゼルにユミスはキョトンとした顔のまま言葉を詰まらせる。
「何を呆けておる。急ぐのであろう? 我も付き合うゆえ、さっさと案内せぬか」
「え……、え?」
「ふむう、切れると思うたが、まだまだ子供か。ほれ、シャキッとせい。先ほど我を探していたのは後顧の憂いをなくす為であろう? 我もその魔石に興味がわいた。なれば一蓮托生、其方が竜であろうと闇妖精族であろうと我は気にせぬ」
「ん、と……」
「ったく、皆まで話さねば分からぬか? 仕方がないのう。ほれ、あそこにおる上位妖精族は我が姪じゃ。里の者から研究狂いと忌避される我だが、エレンミアは不思議と慕ってくれておる。後ろからバッサリなどあり得ぬから安心せい」
アレゼルは後方にいた妖精族の集団の中心にいる一人の少女を指差して、そうのたまう。
ってか、上位妖精族って、森の奥から滅多に出てこない引きこもりじゃなかったっけ? それがなんで使節の一員として連邦に来てるんだ?
「それに、先ほどからどうも魔力の巡りがおかしい」
「え?」
「気付かぬか? 大地が蠢動――」
それはあまりに唐突であった。
ドンッ、という突き上げられるような揺れを感じた次の瞬間、平衡感覚が麻痺し、身体の自由を奪われてしまう。
とんでもない魔力が大地を駆け巡り、満足に立つことさえ出来ない。
「また揺れ?! しかもさっきより大きい!」
「心配するな、カトル。アグリッピナには至る所に魔石が張り巡らされている。この程度の地震ではビクとも――」
「この揺れは地震ではないぞ、竜殺しの血を引く娘よ。魔力が大地で蠢いておる。この地が魔石で支えられているのであれば、むしろ崩落は時間の問題だ」
「なっ……?!」
そのアレゼルの言葉を証明するかのように武闘会場の東側からドォンという爆発音が鳴り響き、ブッブッブッブッという土が弾け飛ぶような異音が地中を走り抜ける。
「これっ、地下水路から逃げる際に聞いた音じゃ……!」
「ちょっと! まさか、ここが崩れるっていうの?!」
「ん、ここは平気。魔力が集まってるのは宮廷の方だから」
「なっ?! 宮廷には陛下と父上が向かっているのだぞ! こんな所でぼやぼやしていては――」
「狼狽えるな、竜殺しの血を引く娘よ。魔力が蠢いておるのは宮廷ではない。正確にはもう少し南の、地の底だ」
「宮廷の南……?!」
「待って。なんでアレゼルはそれが分かるの? 魔法? でも、感知魔法だと反応がぐちゃぐちゃで、気が滅入るくらいなのに」
「ほうほう、やはりまだ経験が足りておらんようだな。感知魔法を昇華せず全方位に使えば制御出来ずして当然ではないか」
「昇華……って、まさか『妖精族の夢』に載ってた?!」
「ムム?! なぜその本を知って――、そういえばこの地にはナルルースが住み着いているのであったな。あのお調子者め。まだあんなものを後生大事に抱えておったか。……そうだ。『妖精族の夢』は我が駆け出しの頃に書いた落書きみたいなものだ」
「ええっ?! あの写本は貴女が書いたの?! 凄い!」
ユミスが興奮した様子で歓喜の声を上げる。
てか、なんでいきなり魔法の話になってんの? 明らかにユミスのテンション爆上がりで話が横道に逸れまくってるんだけど。
そして態度が一変したユミスの賛辞に気を良くしたのか、アレゼルもまた冗長に語り始める。
「魔法は教わった通り使うだけなら二流、己が血肉となし使いこなしてこそ一流よ。己が能力をあてがうのではなく、己が手足となるよう魔法そのものを作り替えねばならん」
「魔法そのものを……」
「うむ。原初、魔法はただの魔力の塊であった。それを使い手が具現化し、調整を重ねることで現在の魔法へと体系化されていったのだが、いまだ道半ば、完成には至っておらん。そんな汎用性の高い欠陥魔法を駆使した所で、今ある危機に即応などできまい。たとえば先ほどの感知魔法だが、そちは魔力の波長を変えてみたか? さながら塗り絵の如く蒼、翠、紅と波長ごとに色でも付けてみよ。少なくとも、宮廷の有象無象による趣に欠けた魔法の応酬とは明らかに一線を画する、洗練された魔力の気配を感じ取ることが出来るであろう」
「ん、わかった。すぐやってみる!」
「ちょっ、ストップ、ストぉーーップ。今はそんなことやってる場合じゃないっての!」
あっさり流されたユミスを慌てて止めると、めちゃくちゃ不満そうに睨まれた。
でもここで止めないと、魔法で夢中になったユミスは絶対に戻ってこない。
「うううー!!」
「文句は後。まだ揺れは収まってないし、何か起きてるなら急がないと」
まったく、こんな大変な時でも全くブレないユミスにちょっと笑ってしまう。
「うう……分かった。昇華の練習は後で絶対するとして」
「するんだ。まあ別にいいけど」
「現状把握が最優先。崩落の危険がなければこの場を妖精族に任せて地下に突撃。問題あるなら――」
『た、大変です!! アレゼル様!!』
ようやく気持ちを切り替えたユミスがテキパキと指示を始めた、その時だった。どこからか聞き覚えのある声が、切羽詰まった様子で響き渡ったのである。
それは、今まで見えなかった何かが顕現した瞬間であった。
『牢獄宮より得体の知れない者たちが大挙して現れ、一路宮廷へ向かっております。その数、数千!!』
次回は4月中に投稿予定です。