第八十二話 白銀の姫君
「カトルはあの時と違うんだから!」
心配そうにこちらを見つめるユミスに思わず言葉が詰まる。
……確かにユミスの言う通りかもしれない。
カルミネの時は貴族たちの叛乱が起きた後、封印の間でフォルトゥナートとやり合い、なんとか撃退したかと思いきや王宮が崩落するという憂き目に遭った。そして現れたのが天魔である。
今、ここアグリッピナでもメロヴィクスの叛乱によって混乱が生じている。竜魔石を無力化してもう大丈夫かと思ったけど、地下にフォルトゥナートが居て、しかも虹の魔石まで出て来た以上、何かが起きる可能性は極めて高い。
……今の俺じゃただ逃げ出すだけでも難しいだろう。特攻するにしたって、せめて退路を確保してからにすべきだ。
「上はどんな状況なの?」
「ん、カトルが舞台に剣を突き刺したら、敵がバタバタ倒れて形勢逆転した。今は皇帝の周囲をヴィットーレとヴェルンが固めて、情報収集と武闘会場の制圧に尽力してる、と思う」
ユミスによれば、ゴートニアの者たちと合流したあたりで、いつの間にかメロヴィクスとその側近連中が武闘会場から居なくなった為、それまで様子を見ていた者たちも混乱の収拾に尽力するようになったという。
ただエドゥアルトたちが地下へ引いていった為、叛乱軍の主力はまだ地下に多数残っていると推測され、今後どう動くかで揉めているんだとか。
「明確に皇帝へ刃を向けたのは東部のハンマブルク、南部のメディオとパヴィーア、そしてスティーアの一部と傭兵ギルドだけだったけど、皇帝の命を救う為に動いたのもヴィットーレとヴェルン、それから宮宰パルテミウスと軍司令アスパル旗下の者たちだけだった。だから皆、疑心暗鬼になってて」
敵と味方を指折り数えるユミスの声を聞く皆の顔が一様に暗い。
まあスティーアではエドゥアルトがメロヴィクスに付き、イェーアト族ではベリサリウスやアントニーナが皇子直属の部下なのだから、当然と言えば当然かもしれない。
「ってか、ルフたちがこのまま上に行っちゃって大丈夫なの? 問答無用で敵ってみなされたりしない?」
「……っ」
俺の発した疑問にルフたちがビクッと身体を震わせる。どうやら三人ともその懸念は持ち合わせているらしい。
「私はカトル殿への協力を神名に誓った。二人も……同意してくれている」
ルフの目配せにオーロフとラグナルの二人が小さく頷く。
そういやさっき竜族の名前を出してたよな。ちょっとびっくりしたけど、竜を神と崇めている一族なんだから、竜族の名が伝わっていてもおかしくない。
でも、よく考えたら、それって“誓約”ってことになるんじゃね? 一応、俺も竜族の端くれだし。
「ん、“誓約”を口にした以上、信用はする。でも、もし約束を破ったら――」
「神名への誓いを破るなどありえない。が、疑うのであれば、我が命、好きにするがいい」
と思っていたら、二人の間で勝手に話が付いていた。
……何か釈然としないけど、まあいっか。ユミスが上手くやってくれたと思おう。
それよりもだ。
「メロヴィクスは今どこに?」
「皇子は地下に向かったらしい。宮廷にある国璽を手に入れようとしているのではないかとは、宮宰殿の言葉だ」
「そういや学区と宮廷は地下で繋がってるんだっけ」
中央棟と宮廷は地下で行き来が可能で、ユミスもそこを通って秘密裏に皇帝と会合の場を設けている。
メロヴィクスが地下に下りたのも、混乱している地上を通るよりよほど早く宮廷に入ることができると判断したからだろう。
「でも……本当に宮廷へ向かったかは疑問よね。宮廷には皇帝陛下に絶対の忠誠を誓う近衛兵がたくさんいるわ。いくら混乱しているとはいえ、皇帝でない者をそう簡単に奥へ通すとは思えないんだけど」
「うむ、そうだな。近衛は武闘大会本戦メンバーと比べても遜色のない精鋭が揃っている。あのベリサリウスが居て、強行突破を選択するとは思えん」
なるほど。
そりゃあ、いくら皇子が武闘大会を推しているからって、強い奴らが全員出場するわけないか。そう考えると、メロヴィクスの過剰なまでの振る舞いは、少しでも会場に精鋭を集めたかったからなのかもしれない。
それで竜魔石の力による精神干渉系の魔法で味方を増やして……って、あれ?
なんかそれ、おかしくないか?
本当に竜魔石の力を使う気だったなら、最初から宮廷で使えばいい。わざわざこんな部屋を用意して舞台下に設置するなんて、あまりにもまどろっこしすぎる。
じゃあ、いったい誰がこんなことをしたのか。
――真っ先に思い浮かぶのはフォルトゥナートの名前だ。
奴がフェレスを従え、虹の魔石を使って竜魔石を制御し、ここまで運びこむ。そしてカルミネの時と同じように魔法で精神に干渉し、混乱を引き起こした。そう考えれば、とてもしっくりくる。
でも、それだと気になるのがユミスの言葉だ。
ここには何もない――。
つまりカルミネの地下にあった封印の間のような場所はここには存在しないってことだ。フォルトゥナートがこの地で暗躍する理由が無い。
うーん。
何か、重要な情報が抜け落ちている気がするんだよな……。
もう少しで分かりそうなんだけど。
「そろそろ上だよ、カトル」
耳元で聞こえたユミスの声に思考の海から揺り戻される。いつの間にか天井の大穴がすぐそばまで迫っており、崩れ落ちた舞台の残骸が見え始めていた。浮遊魔法で浮き上がる速度を鑑みれば、結構な時間考え込んでいたらしい。
「じゃあ、すぐ地下に行ってフォルトゥナートを――」
「違う!! あんた、ボーっとして、やっぱり聞いてなかったんじゃない!」
「いいっ?! え……っと、ごめん。考え事してて」
「ったく、しょうがないんだから」
どうやら俺が考え事をしている間に今後の方針を三人で話し合っていたらしい。
若干呆れ気味のナーサに平謝りして、内容を説明してもらう。
「ひとまず父様と合流ね。きちんと情報を共有して、虹色の魔石の危険性を伝えないと。万が一、カルミネの王宮のような状況になったら、大勢の人の命が危険に晒されるわ」
「だったらなおさら早くフォルトゥナートを見つけないと……」
「だから協力をお願いするんでしょう?! アグリッピナの地下はとんでもなく広いの。闇雲に探したって見つかりっこないわ。ただでさえ皇子の叛乱で混乱しているんだから、一般市民の避難と、地下に突入した際の退路の確保。最低限この二つの見通しが立たないと、カルミネの二の舞どころの話じゃなくなるわよ!」
「ぐっ……」
ナーサの強い口調に俺は返答を窮してしまう。
だが、確かに彼女の言う通りだ。
フォルトゥナートをこれ以上野放しにするのは不安だけど、闇雲に動いて余計に時間を食ってしまうのでは意味がない。
「私としては叛乱の鎮圧を優先したかったのだがな」
「だから、それは私たちの役目ではないと伝えたでしょう? 姉さん」
「むう。だが私には陛下へ刃を向けたラヴェンティーナ師団に対する責任が――」
「ん、着くよ」
あまり納得いってなさそうなマリーの言葉を遮り、ユミスが浮遊魔法を解いた。身体を包み込んでいた魔力が消え、空中に放り出される感覚はちょっと怖かったが、特に問題なく地上に降り立つ。
太陽の光が眩しい。見ればもうだいぶ日が傾いている。夜になる前に、なんとか地下に乗り込みたいところだ。
「む、戻ったか、カトル=チェスター」
「ヴェルン! 無事だったか」
「ふ……、貴様の殊勲があってこそだ。命を預けた甲斐があったというものよ」
上機嫌で語るヴェルンだが、明らかにやつれた顔を見せられると大丈夫なのか心配になる。
「フン、何を偉そうに。精神力枯渇で途中から息も絶え絶えであったではないか」
「なに、戦いの最中、前触れも無く突然意識を失ったどこぞの誰かよりはマシだ」
「何だと!?」
顔を合わせた途端、マリーとヴェルンが喧嘩腰で言い争いを始める。ゴートニアとスティーアの因縁は結構根深いものがありそうだが、それでも今は争っている場合ではない。
だが止めようとした矢先、不意にヴェルンが押し黙ってしまった。視線の先を追うと、ルフたち三人が肩で息をしながら蹲っている姿がある。
「む……、なぜハンマブルクの奴らがここにいる」
そのヴェルンの言葉で一気に緊張が走る。マリーとの応酬など、じゃれ合いに過ぎなかったようだ。
「待った、ヴェルン。彼らに敵意はないって」
「バカな。陛下に刃を向けた竜騎将を実質束ねているのはその男ではないか!」
どうやら主だったイェーアト族はメロヴィクス側に付いたらしい。やはり長の娘であるアントニーナがメロヴィクスの側近なのはかなり影響力があるようだ。
それにしても、ルフが竜騎将の実質トップなのか。
末席とか言ってたけど謙遜にも程がある。
「言うな、ヴェルン。その物言いならば私も同じだ。甚だ不本意ではあるが」
「チッ、ラヴェンティーナ師団か。エドゥアルト如きにしてやられおって」
「ぐっ……。確かに失態は認めなくてはならない。だが私は准将としての責務は全うするつもりだ。そしてルフもまた己が神名に誓ったぞ」
「なに?! それは本当なのか?」
「本当だよ、ヴェルン。なぜ俺なのかは分からないけど、協力してくれるって」
マリーの言葉に心底驚いたといった感じで、ヴェルンが目を大きく見開く。どうやらイェーアト族が神の名を口にすること自体、相当異質なことらしい。驚きの眼差しでルフたちを見やっている。
対して俺に協力って所はまったく気にも留めていない。
何でよ、って感じだが、俺が大袈裟に考えているだけで、皆あまり気にしてないのかもしれない。
「ん、そんなことよりヴィットーレはどこ?」
「ヴィットーレ殿は陛下と共に学区を抜け宮廷へ向かった。用向きなら私が聞こう」
「……ここの制圧は?」
「宮宰殿が長官の尻を叩いて兵を出させた。それに付随してようやく北部連中が動き始めたのだが、忌々しいことにケルッケリンクめが無駄に兵を――」
そんな俺の困惑をよそに二人は現状確認を続ける。
ヴェルンの話によれば、武闘会場の制圧が終わり、今は宮廷と学区に兵を分けているとのことだった。だが肝心の地下には手を回す余裕がないという。
皇帝が宮廷に向かったようだし、中央棟の周りは反旗を翻した領地の学区があるのでその判断自体は至極真っ当なんだけど、地下が手付かずというのは完全に予想外だ。
どうやら傭兵ギルドの一団が激しい抵抗を続けており、すぐ下にある講義室前の階段周りを固められ手が出せないらしい。
アンジェロやエドゥアルトたちも地下へ引いたと聞いていただけに、なんともやきもきする。
「……陛下に付いたのは軍司令殿を筆頭にアルテヴェルデ、スティーア、レニャーノ、ハヴァール。学区に向かったのがホールファグレ、シルフィング、ケルッケリンク。この場に残ったのが宮宰殿と我がゴートニア、それから――」
「上位妖精族に率いられたアルヴヘイムの妖精族たち……」
ヴェルンの説明を聞くユミスの表情がどんどん険しくなっていく。
今この場にいる妖精族を率いるのが、オブスノール砂漠の地下で研究に関わっていた上位妖精族だなんて正直頭が痛い。
そんな変わり者の上位妖精族が絡んでいる以上、いくら竜魔石を無力化したからといって、何を企んでいるのか知れたものではない。そもそもフェレスと繋がっている可能性だって十分にある。
「だが、妖精族どもの助力無しに地下へ向かうのは危険だ。あの人数で挟撃されたらひとたまりもない」
「ん……分かっている」
階段を下りている最中に後ろから攻められるなど想像もしたくない。そうならない為にも話し合いは必要だし、出来れば協力者が欲しいくらいだ。
でも、どうやって妖精族たちを説得するのか。
鍵になるのはベリサリウスから奪った虹色の魔石だ。あの魔石の異様さを見せつけた上で天魔の脅威とカルミネの惨状を辛抱強く伝え、協力を仰ぐしかない。
「それで、アレゼルはどこ?」
「それは――」
「ほうほう。不遜にも我が名を呼び捨てにするはそちか、人の子よ」
突如として一陣の風が吹き抜ける。
そこには、透き通るような白銀の髪をたなびかせ、挑発的な瞳を向ける妙齢の女性の姿があった。
間違いない。
彼女がアレゼルだ。
次回は3月中に更新予定です。