第八十一話 フェレスの動向
「……端的に言えば、私はハンマブルク公爵の命で“神の石”をここへ運ぶための警護を任された挙句、ベリサリウスに切り捨てられたのだ」
ユミスの回復魔法が効いてきた頃合いで、ルフは約束通り状況を説明し始めた。
以前エドゥアルトの情報にあった通り、ルフとオーロフ、ラグナルの三人は本国からの危急の指令でユミスの護衛任務を切り上げ、ハンマブルク公爵領へ帰領していた。そこで言い渡されたのが、オブスノール砂漠の地下施設における“神の石”回収という危険極まりない任務であったという。
実はオブスノール砂漠の緑地化自体はそれこそ何千年も前から計画されていたのだが、荒れ狂う魔力を前に誰も手出し出来なかった。そこで南のトムリス山の採石場より数百年かけて地中深くを慎重に掘り進め、オブスノールの地下に研究施設を造ったというのだが、なんとも荒唐無稽な話である。
「千年ほど前、ラティウム全土から名のある魔道士たちが一堂に会し、魔力の制御を試みたのだが上手く行かなかった。そこで魔道師ギルドに見切りを付けた公爵一族は我らイェーアトの民を取り込み、またアルヴヘイムを出奔してきた上位妖精族を研究に関わらせることで一定の成果を上げるようになったのだ」
「なんと?! 上位妖精族など初耳だぞ」
「むぅ……。上位妖精族がそんな所に居たなんて」
ルフの言葉にマリーとユミスが揃って驚きの声を上げる。
上位妖精族と言えば、長命でいろんな魔法に精通しているけど、排他的でアルヴヘイムの森の奥に閉じこもったまま滅多に出てこない妖精族だってじいちゃんに習った記憶がある。言ってしまえば孤島で暮らす古竜たちとどっこいどっこいな感じだが、そんなのが人族の研究施設にいると考えれば、それがどれだけとんでもない事なのか容易に想像がつく。
「まさか、三年前のアルヴヘイムとの国交樹立は……」
「上位妖精族の研究者アレゼルの尽力があってこそだったのは疑う余地がない」
「くぅううう……」
それを聞いてマリーは頭を抱えて蹲るが、そんな彼女をよそにルフは本筋はそこではないとばかりに話を続ける。
「だが、私がオブスノールの研究施設へ赴く段になって、なぜか妖精族たちは全員領外へと退去させられたのだ。表向きは今回の武闘大会に参列する妖精族たちを歓待する為とされていたが、施設にいた怪しげな連中の姿を見れば、それが口実なのは一目瞭然だった」
施設に赴いたルフたちはその怪しげな連中に件の魔石を渡され、最大限の魔力を込めるよう指示されたという。そして一人の男が周囲に何事か命令を下すと、そのまま隣に控えていた女の魔道士とともに地中深くへと向かい、“神の石”こと竜魔石を手に入れてきたのだった。
「どういう理屈か分からないが、連中は魔石を駆使して“神の石”の力を抑え込んでいた。我らでは近付くことさえままならない魔力を事も無げに制御し、この地まで運んできたのだ。……こんなにも己が無力さを感じたことは今までなかった。屈辱と言ってもいい」
ルフは顔を歪ませ苦々しげに吐き捨てる。だが、聞かされた方はそれどころではない。ユミスとナーサが顔を見合わせ、そして意を決したようにルフを見据える。
「ちょっと待って。その女の魔道士って……」
「うん? ナータリアーナ嬢は知っているのか? あのマルガリーテ=フェレスという得体のしれない魔道士のことを」
その名前を聞いた瞬間、なぜかフラッシュバックするようにセイと一緒にいた灰色のフードの女の事が脳裏を過った。
……あの女がフェレスだったのだろうか?
それだとセイが竜魔石を取って来たって事になるが……、それはちょっと違和感が残る。
「ええ、知ってるわ。というか、そんな所に居たのね。南部一帯くまなく探らせたのに見つからないはずよ」
「ん……フェレスはシュテフェンに居た魔道師ギルド幹部の一人で、その魔石を生みだした張本人。彼女の動向を探るのも私が連邦に来た理由の一つだった」
「む、そうであったか。只者ではないと思っていたが……」
「フェレスの作った虹色の魔石から天魔が大量発生して、シュテフェンの貴族軍は壊滅したわ。彼女はどこ? 早く捕まえないと、アグリッピナもカルミネの二の舞になりかねない!」
「落ち着け、ナーサ。まだそうと決まったわけではない」
「でも!」
「少なくとも、フェレスは皇子の命で“神の石”をここまで運んできたんだ。ならば、そう簡単に皇子の意向に反してこの地に害を為すとは思えん。そこにどのような思惑が絡んでいたとしてもな」
――そう。
天魔を解き放てば敵味方など関係なしに死者で溢れかえるだろう。そうなれば首都は崩壊だ。
普通なら、そんな方法を取るわけがない。
だが、魔道師ギルドの幹部連中はカルミネで常軌を逸する行動に出た。虚を突き、シュテフェンの大軍勢を壊滅させ、それと同時にカルミネの王宮を地下から崩落させたんだ。
……今考えてもフェレスたちの行動原理が分からない。
王都を崩壊させ、いったい何をしたかったのか。
「……ん、その考え方はダメ。天魔に常識は通用しない」
だがユミスはマリーの言葉を真っ向から否定する。
「おいおい。相手は天魔ではなくフェレスとかいう魔道士であろう? カルミネに敵意を向ける彼女が、アグリッピナを襲撃して何の利点がある」
「メリット、デメリットの問題じゃない。フェレスは、天魔と繋がっている」
「っ?!」
その言葉に俺はハッとさせられる。
ユミスの言う通りだ。フェレスが天魔と繋がっているなら、奴らの行動原理なんて分かるはずがない。そんな無駄な事に時間を割くより、カルミネで何が起きたのかを思い返せば、自ずとフォルトゥナートがここに居た理由も見えて来る――!
「天魔と繋がる? どういうことだ。天魔は破壊衝動だけで動いているのではなかったのか? 人と同じように意思があるというのなら、ずいぶん話が変わって来るぞ」
「ん……人族と同じではないけど、破壊衝動だけじゃなかった。敵わなければ逃げ出す個体もあった」
「むむ、それが本当ならば、皇子の命で“神の石”をここまで運んだことも何かの布石だというのか?」
「それは分からない。でも叛乱で混乱してる今の状況はカルミネとよく似てる。これでもし地下に何か問題が起きたら……」
「アグリッピナの宮廷が崩壊するかもってことだよな」
「カトル!! 冗談でもそのようなことは口にするな! ここには何万もの人々が生活しているのだぞ! それをふざけ半分で――」
「いや、ふざけてないよ、マリー。だって、さっきここにベリサリウスと一緒に居たのって、フォルトゥナートだったんだ」
「……はぁっ?!」
「――ええぇええ?!」
ナーサとユミス二人の絶叫が耳を劈き、その勢いに驚いてしまう。
「え、あ、でも竜魔石の無力化を優先したから逃げられちゃったんだけど……って、あれ? 何で二人ともそんな睨んでるくるかな」
「あんたが、そんな重要な事を黙っていたからでしょうがっ!」
「なんで最初に言わないの? カトルのバカッ!」
「い、いや、その……俺もすぐ伝えようとは思ってたんだけど、ルフの話も気になって」
「フォルトゥナートがここに居るなんて予想外過ぎる。だって、ここには何もないんでしょ?」
「え、ええ。そのはずだけど……」
「だったら――!!」
「待て、何の話をしている。先ほどベリサリウスと一緒に居た金髪の男がそんな危険な奴だったのか?」
二人だけで話が進んでしまい、たまらずといった感じでルフが口を挟んできた。隣でマリーも怪訝な顔をしているのを見ると、フォルトゥナートの事はあまり詳しく聞いていないのかもしれない。
「今は説明してる時間が無い。それより――えっ?」
「うわっ、地震?!」
やや焦った様子でユミスが何か言おうとしたその時だった。突如として地面が揺れ始めたのである。
俺はすぐさましゃがみ込むと周りの様子を確認する。これだけ崩れた部屋の中だ。少しの揺れでも危険な状況に陥るかもしれない。
だが、そんな俺の心配とは裏腹にユミスは立ったまま両手を高々と掲げると、瞑想を開始していた。
幸い揺れはすぐに収まったものの、いったい何を考えているのか。
「危ないだろ、ユミス。揺れてるのに立ったままなんて」
「何言ってるの? 早くここから脱出しないとダメでしょ!」
「え? でも揺れは収まったし」
「違う!!」
珍しく凄い剣幕で声を荒げるユミスに俺は目を丸くして口を閉じる。俺に理解出来ない何かがユミスには分かっているのだろうか。
「待って下さい、ユミスネリア陛下。脱出の前にオーロフとラグナルの回復をお願いしたい」
「ん、元からそのつもり、だから瞑想してた。……回復魔法!」
ユミスが回復魔法を掛けると、倒れていたオーロフとラグナルの二人がようやく起き上がってくる。
意識を失っていたのか、この状況に戸惑っているようだが、それにかまけている暇は無いと言わんばかりにユミスはすぐに次の魔法を展開する。
「浮遊魔法!」
瞑想で増やした魔力のほとんどを開放してユミスは全員に浮遊魔法を掛けた。空中浮揚魔法と違って徐々に身体が空中に浮いて行くが、急いでいると言ってたわりにとても緩慢な動きでチグハグな気がする。
「何で浮遊魔法? 飛行移動の魔法は?」
「こんな狭い部屋の中で掛けられるわけないでしょ! 壁に激突したいの?」
「……おお」
そういや、ラドンの奴も偉そうなこと言って全然うまく着地出来なかったっけ。イメージとしては空に向かってぴゅーッと飛んでいくような感じだけど、確かによほどうまく制御しないと激突しそうだ。そう考えると、ゆっくりでも安全な方が全然良い。
「だけど、こんなゆっくりなペースで上に向かっていいの? 瓦礫をどかせば扉から出られたんじゃない?」
「……はぁ」
俺としては普通に聞いた感じだったが、なぜかユミスに大きなため息を吐かれてしまった。
めっちゃ呆れられてるみたいだけど、イマイチ理由がピンと来ない。フォルトゥナートが問題ならさっさと追いかけるべきだと思うのだが。
「さっきカトルも自分で言ってたでしょ。宮廷が崩壊するって」
「いや、さすがに竜魔石は無力化したんだし、いくらフォルトゥナートでもそこまですぐどうこう出来るわけ――」
「ほんとにそう思う? 地上は混乱、フォルトゥナートは地下で逃亡。それってあの時とほとんど変わらないよ」
「う……」
「地下に突撃なんて無謀過ぎ。カトルはあの時と違うんだから!」
次回は3月中の更新予定です。




