第七十八話 聖との戦い
ヴェルンは肩を押さえながらも双頭の鷲を象った杖を携えて気丈に振る舞っていた。その傍らにはイルデブランドが獅子奮迅の活躍で敵を寄せ付けないでいる。
「ヴェルン! 大丈夫なのか?」
「このくらい大した傷ではない。それよりもカトル=チェスター、ユミスネリア先生はどうした?! 一緒ではないのか!」
「えっ……」
まさかヴェルンの口からユミスを心配する言葉が第一声で出て来るとは思わず、俺は面食らってしまった。例のいざこざもあったし、スティーアの貴族が目の敵にしていたから自然と気に食わない連中みたいに思っていたけど、実は意外と情に厚い良い奴なのかもしれない。
今はマリーとナーサがユミスに付いていることを話すとヴェルンは少し安心した様子でほうっと息を吐き、すぐさま切り替えて状況を確認し始める。
「カトル=チェスター、貴様も気付いたか? 彼奴等が皆、奇妙な魔力を宿していることを」
「あ、ああ。突然死角から襲われて、たまたま避けられたけど、あんなのにどうやって立ち向かえば良いのか……」
俺の嘆き節にヴェルンが持っていた杖をこちらへ向ける。
「彼奴等の動きには我らも手を焼いていた。あれはおそらく精神系か五感を惑わせる系統の魔法だろう。が、いずれにしても、この“紫紺の錫杖”があれば彼奴等の魔法効果を減衰出来る」
「おお!」
なんと、この杖に魔力を込めると効力を発揮している魔法の威力を弱めることが出来るらしい。じいちゃんからも聞いたことがないような凄い効果を秘めているが、難点は魔力によって効果範囲が決まり、かつ、とんでもない精神力を必要とすることだという。
「私の力ではいつまで持つか分からん。出来得るならば、すぐにでもユミスネリア先生の力を借りたいところだが――」
「そのユミスがこの魔力の根源が舞台の下にあると言ってたんだ」
「む、根源だとっ?!」
「それをこの魔剣で斬る為に俺だけ先行して来た」
ヴェルンの言葉通り、“紫紺の錫杖”の力で、アンジェロやエドゥアルトの身体に纏わりついている魔力が薄っすら見えるようになった。靄のような魔力が時々グッと濃くなって姿を見えなくしていたらしい。なかなかにえげつない効果だ。
その魔力の元を辿れば、線状の霧となって舞台へ続いている。その先にユミスの言う元凶の魔石があるに違いない。
「カトル=チェスター。貴様がその根源とやらを斬れば、この惨状の全てが解決するのか?」
「それは……分からない。でもユミスが言うんだから、俺はその通りにするだけだよ」
「む……、そうか。ならば私もそこに希望を見出そう。舞台への道筋を我らがこじ開ければ良いのだな?」
「っ?!」
「この命、貴様にくれてやる。だから行け! カトル=チェスター。我らを失望させてくれるな」
言うが早いか、ヴェルンは持っていた杖を大きく上に掲げると、あらん限りの力で魔力を注ぎ始めた。それにより薄っすらとしか見えなかった敵の魔力がより鮮明に遠くの方まで顕現していく。
俺との試合で魔力を消耗して危険だったろうに、ヴェルンは身命を賭して道を照らしてくれたのだ。
もはや、迷う必要は無い。
何でヴェルンが俺をそこまで信頼してくれるのか分からないけど、その期待に応えるだけだ。
「うおおおぉおおお!!」
俺は脇目も振らず舞台を目指し走り始めた。
イルデブランドと対峙していたアンジェロや剣を構えこちらの様子を伺っていたエドゥアルトは完全に虚を突かれ追って来れない。
これなら行ける――。
だが、そう思ったのも束の間だった。急遽ゴートニアを包囲していた連中が反転し、俺の進路を無理矢理塞ぎに来たのである。
どの者も相対していた相手を無視した行動だったようで、隙を突かれて打ち倒される者が続出していた。明らかにそれまでとは異質な動きであり、まるで何者かがこの光景を俯瞰で見下ろし、俺を止めるべく操っているかのようである。
「……ちっ」
その元凶たるや舞台から流れ出る線状の魔力なのは間違いない。俺は足を緩めることなく弧を描くように回り込むと、束になって波打つ魔力をヴァルハルティで一閃していった。
剣身に集まった魔力がこれでもかと脈動し、体内に流れ込んでくる。
――身体が軽い。
スキルが熱く燃えあがる。
どれだけの魔力を奪えばこれほどの力になるというのか。
それでも尽きることなく飛び交う魔力を再度ヴァルハルティで刻みつつ、俺は一心に中央の舞台を目指し駆け抜けて行く。
「奴を通すな! 絶対に守り抜け!!」
後方よりエドゥアルトの怒号が轟く。
その声に応えるかのように南部貴族、傭兵ギルド、魔道師ギルドの面々が文字通り肉壁となって進路を塞いでくるが、避けることに注力している今の俺にその攻撃は全く届かない。同士討ちも厭わず繰り出される四方八方からの剣に惑わされることなく、俺は正確に魔力の束へとヴァルハルティを突き付けていった。
元凶たる魔力が強すぎて意思を介在しなくなった操り人形は、傀儡の糸が消え去れば地に伏すしかない。ヴァルハルティによって魔力を打ち払われた敵兵は意識を失い、バタバタと倒れていく。
「ちぃいいいっ! ふざけおって!!」
「よせ。行くな!」
不意に何モノかの争う声が聞こえたその刹那、俺は即座に左斜め下へヴァルハルティを一閃する。
――ずしりとした手ごたえ。
久しく感じていなかった肉を裂く感触と共に、俺の目の前に灰色のフードを被った女が崩れ落ちて行く。
……いや、ちょっと待て。
なんでヴァルハルティなのに手ごたえがある?
そもそも、こいつはどこから現れた?
「う、わぁあああーーー!! 貴様ぁあああっ!!!」
そんな疑念を抱くのも束の間、突如こちらに強烈な敵意が向けられ、身の毛もよだつほどおぞましい魔力が吹き上がる。今まで誰もいなかったはずなのに、いつの間にかそこには鈍く光る精霊鋼の鎧に身を包んだ少年の姿があった。
「くらえ!! 白色光線!!」
「なっ……、光魔法――!?」
目が眩むほどの光の束が一直線に飛んで来る。
こんなの、避けようがない。
ええい、ままよ!
俺は顔を背け、剣身を突き出した。使い手の魔力がもろに反映される光魔法とはいえ、魔法である以上ヴァルハルティなら何とかしてくれるはず――。
「ぐっ……」
「そ、んな?! ……何なんだよ、その剣は!!」
信じられないほどの魔力がヴァルハルティを通して俺の身体を覆っていく。
ただ、魔力を吸い取っているだけじゃない。この力が、俺の能力を高め、技術を昇華させているんだ。
「能力が倍増?! どうなってるんだよ、お前の身体ぁ!! たいした魔法も使えなそうなのに、なんでそんなに魔力を高められる? ありえない、ありえないんだよぉおおお!!」
「くぅっ――!」
信じられないスピードで奴が――セイが突っ込んで来る。その剣先をヴァルハルティで受け流すが、切り返してくる速さが尋常じゃない。
カッ、カッ、カッ!!
奴の剣が魔剣じゃなければ、今の一撃でやられていただろう。
もの凄い力でヴァルハルティごと押し込まれるが、何とか体勢を立て直すと、間合いを取るべく真後ろへ退避する。
――信じられないくらい身体が熱い。
剣から流れ込んで来る魔力量がさっきの光魔法の比じゃない。
まるで龍脈の奔流に翻弄されていた時のように、頭がクラクラする。
「お前こそ、何モノだ?」
俺は朦朧とする意識の中でセイに問いかけた。
この魔力量はまずい。
それこそ天魔を次々に倒していった時よりもはるかに大量の魔力が、たった一人の人族から流れ込んで来るのだ。
今はなんとか堪えているが、これ以上は身体が追い付かない。
「……」
「っ、だんまりかよ」
まさか魔力の多さに対処しきれなくなるなんて思いもよらなかった。
こんな化け物の相手をするのは、ちょっと分が悪い……。
呼吸が荒くなってくるのを感じ、いよいよ覚悟を決めなければならないと思い立ったその時――、なぜか目の前から忽然とセイの姿が消え去っていた。
「えっ……?!」
ともすれば気が抜けそうになるのをグッと堪え、俺は周囲を注意深く見渡す。だが、その姿を捉えることは出来ず、そればかりか、今の今までその場に崩れ落ちていたはずの女の姿までがなくなっていた。
どうなってんの? これ。訳が分からない。
……いや、落ち着け。
そもそもあれだけの魔力だ。能力が上がって研ぎ澄まされた今の状態で感じ取れないはずがない。
それより、奴らはヴェルンが“紫紺の錫杖”に魔力を注いでいたはずなのに、突如何もない空間から現れていた。むやみやたらに突っ込むのは危険すぎる。
……。
ただ、だからと言ってここで立ち止まっている時間はない。ヴェルンの力もすでに限界だ。
「……行こう」
これが仮に罠だったとしても俺には他に取れる手立てはないし、だいたい、奴だって倒れた魔道士の女を庇っているはずだ。
舞台までは目と鼻の先。もはや行く手を阻むものは何もない。
俺は気合を入れ直すと一直線に舞台まで走って行き、階段を駆け上がる。
「お……?」
何かが反応したと思いきや、舞台袖にあった解除魔法の魔石が粉々に砕け散っていた。特にヴァルハルティに触れたわけでもないのに、どういう仕組みなのか分からない。
ただこれで舞台上に何か仕掛けがされていたのは確実となった。そう考えれば予選の時の不自然な相手の動きも納得だし、他にもいろいろ細工が施されている可能性が高い。現に舞台は魔力の靄で覆われており、なんとも嫌な空気が漂っている。
「どこだ?」
俺はヴァルハルティを振りかざし、舞台を覆っていた大量の魔力を霧散させた。すると中央部に湧き水のように魔力が溢れ出ているポイントがあらわになる。
……ユミスが言っていたのはこれだな。
この真下に元凶となる魔石があるのだろう。そして、こんな状況を作り出すくらいだから、とんでもない魔力を秘めているに違いない。そんなものを斬ればまたさっきみたいに魔力に翻弄されて意識が朦朧としてしまうのは自明の理だ。
……。
それでも俺はユミスに言われた通り、その場所をヴァルハルティで貫いた。
予想通り、膨大な量の魔力が剣を通じて体内に流れ込んでくる。
ただ、完全に予想外だったセイとの戦いとは違って、今度はある程度の準備が出来ていた。多重瞑想で魔力の場を増やし、魔力強化と身体強化の効果も合わさって、そう簡単に押しつぶされることはない。
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。
舞台から魔力が失われると、唐突に浮遊感が襲い掛かってきたのである。
何が起こっているのか、すぐには理解出来なかった。
空がどんどん遠くなっていき、太陽の光がほぼ失われるに至って、俺はようやく状況を把握する。
闘技場が地下へ沈んだのだ。
そして、急降下によって叩き付けられた舞台はひび割れ、中から禍々しい魔力を放つ魔石――竜魔石が現れたのである。
次回は1月中に更新予定です。
本年もありがとうございました。
良いお年を。




