第七十六話 未来永劫の誓い
何かが起こる――。
その言葉に何も言えないでいると、ユミスは不意に眉をひそめ、さっきまで俺が戦っていた闘技スペースを指差した。
「見て、カトル。舞台の下から魔力を感じない?」
「舞台……? 解除魔法の魔石のことか?」
「ちがう。もっと下に意識を向けて」
「下、って言われても……って、あれ?」
何で俺に魔力の事を聞いてくるんだろうって不思議だったけど、ようやくその違和感に気付いた。この魔力はとても懐かしい、というかよく知っている感覚だ。
「これって、まさか?!」
「ん、たぶん魔石。それもとびっきりの」
ユミスが口に人差し指を当てながら囁く。
とびっきりの魔石って、え、まさか竜魔石?!
ってことは、ツィオ爺が皇帝に進呈したってこと?
……いやいや、冷静に考えて、そんな事はあり得ない。金剛精鋼ですら出し渋るツィオ爺が、とんでもなく貴重な竜魔石をそう易々と誰かに渡すはずがない。
そもそもスティーアの屋敷の金剛精鋼の扉から感じられる魔力とはちょっと違う感じがするし、竜魔石だからって気配が変わるというのも考えにくい。
ユミスの真意が分からず悩んでいると、ナーサを押しのけてトリスターノが曲剣を片手にこちらへ突っ込んで来た。慌てて対抗するも、あまりの剣圧に身体ごと押し込まれてしまう。
「そこを退け!!」
「くぅうううっ!」
剣の腕自体もさることながら、何より圧倒的な体格差を前面に出しての攻勢は脅威だ。ぼやぼやしてると腕の一本くらいあっさりへし折られてしまいそうである。
だが、ここで引くわけにはいかない。後ろにいるのはユミスだ。いくら最低限の心得があるといっても、こんな筋肉の塊を相対させたら冗談抜きで死んでしまう。
「そのまま耐えろっ、カトル!!」
「マリー?!」
俺が必死で耐えていると、復活したマリーがトリスターノの脇腹に強烈な突きを食らわせ、鎧に包まれた巨体をよろめかせた。その隙に利き手へ最大限の一撃を叩き込み、トリスターノの曲剣を弾き飛ばす。
「ぬぅっ……! おのれ、傭兵風情が! 我らラヴェンティーナ師団の前に立ち塞がるなど百年早いわ!」
「ラヴェンティーナ師団?! なぜ陛下に忠誠を誓いし部隊が叛乱に加担している!?」
マリーの怒号に気付いたトリスターノが、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「皇帝陛下はメロヴィクス様であらせられる! 栄光あるラティウムを凋落させ、退廃を生みし前皇帝は裁きを受けたのだ」
「抜かせ! 何が前皇帝だ!! 陛下はご健在ではないか!」
怒ったマリーが珍しく大上段に構えて攻撃を仕掛ける。だが、さすがに防備を固めた相手には分が悪い。トリスターノは大盾を前面に押し出してマリーの視界を遮ると、身体ごと曲剣を弾き返してしまう。
マリーの剣をあっさり弾き返すあたり、どうやら普通の素材ではないらしい。精銀か、もっと上の精霊鋼の装備なのかもしれない。
ただそれで終わるマリーではなかった。
すぐに相手の攻撃の挙動が大きい事を見抜き、軽やかなステップで盾攻撃を躱すと、左へ回り込んで愛剣を怒涛の如く突き出していく。
マリーお得意の乱れ突きだ。
素早く的確に鎧の継ぎ目を突く攻撃に、大盾だけではなすすべもない。防戦一方となったトリスターノは苦虫を嚙み潰したような顔で罵声を浴びせてくる。
「ぐっぬぬぬぅ! 何の武功も無い傭兵上がりが、悪運もここまで強いと虫酸が走るわ!」
「悪運とはどういう意味だ!? 私はこれまで真っ当に生きてきたつもりだし、日々積み重ねてきた努力を誇りに思っている。他人に貶されるいわれはない!」
「フン。前回大会で軟弱な妹との対戦をねじ込み、偽りの勝利をもぎ取っておいてよくもぬけぬけと言いよるわ! 異国の地で大人しく野垂れ死んでいれば面倒でなかったものを……」
なっ……!?
異国の地って、まさかモンジベロ火山での、あの襲撃の事を言っているのか?!
……思い返せば、確かにあれは的確にマリーの弱点を突いたものだった。どうやってマリーの秘密を知ったのか謎だったけど、裏にエドゥアルトが居るならしっくりくる。
でもあの頃から付け狙っていたなんて、よほどマリーの存在が疎ましかったのだろうか。
だとすると――。
「……ルドガーの店の帰りに起きたあの事故も、お前たちの仕業だったのだな」
何かを悟ったかのような苦渋に満ちた表情でマリーが言葉を絞り出す。どうやら彼女もまた真相に辿り着いたらしい。
「フッ、使えない連中だ。絶対の自信があるとのたまいながら、不様に失敗したのだからな。今頃、冥界の女神に懺悔でもしているのであろう」
「……っ、手にかけたのか?!」
「さて、平民の末路など知った事ではない」
トリスターノは素知らぬ様子で嘯いた。その人を人とも思わぬ態度に、神経が逆なでされる。
だがこれで一つハッキリとした。
メロヴィクスは最初からマリーの命を狙っていたし、融通とか言いながら、ユミスが巻き込まれてもお構いなしだったんだ。
もっと早く気付けたはずなのに、なぜ分からなかったのか。自分の不甲斐なさに怒りがふつふつと沸き上がってくる。
と、その時であった。
「……っ?! ダメ、カトル! もっと気持ちを強く持って!」
「え……? なっ!?」
ユミスの悲鳴のような声が耳を劈いたと思いきや、突如頭に割れんばかりの激痛が襲い掛かってきたのである。得体のしれない魔力が身体を覆い尽くし、あまりの気持ち悪さに立つこともままならず、その場に蹲ってしまう。
吐き気が止まらない。
こんな戦場のど真ん中でユミスを放って倒れている場合じゃないのに、のたうち回ることしか出来ないなんて、どうなってしまったんだ、俺は。
「どうした?! カトルっ!!」
「はっはっはっ。恐怖のあまり錯乱でもしたか、軟弱者め!」
マリーの絶叫とトリスターノの罵声が聞こえてくる。
早く立ち上がってマリーの援護に回らなきゃいけないのに、何も出来ない。
――悔しい。
これじゃ、ユミスを守り切れないじゃないか……!
「大丈夫だよ、カトル」
「ユミス……?」
不意にユミスの気遣わしげな声が耳に届く。
気付けば彼女の手が俺の手を包み込んでいた。
「……っ、これで!! 精神耐性魔法!」
満を持してユミスがとんでもない威力の魔法を解き放った。辺り一帯が魔力で満ちて行き、痛みがスゥッと引いて行く。
精神耐性魔法で改善、ってことは精神系の妨害魔法だったわけね。いったいいつの間に、って感じだ。
それにしたって、ここまで強い魔力はあまり感じたことがない。きっとユミスは何かが起こると懸念して長時間瞑想で魔力を溜め込んでいたんだろう。それを使わせてしまったのは痛恨かもしれない。
「ごめん、ユミス……」
「ん、平気。むしろこれでハッキリしたから」
そう言って、ユミスは再び舞台の方を見る。
「ハッキリしたって、何が?」
「ん、カトルはあの舞台を斬って」
「……は?」
「だから、とっておき。魔力強化!」
ユミスは瞑想で高めた魔力を俺に惜しみなく使ってくる。どんどん進んでいく展開に理解が追い付かない。
「魔力強化って……」
「魔力強化じゃないとスキルで上書きされるでしょ? 身体強化に比べれば効果は落ちるけど、どうしてもカトルの魔力を上げなきゃダメなんだから」
いや、俺が言いたかったのは、いつの間にそんな魔法使えるようになったんだって事なんだけどね。
それはさておき、魔力を上げなきゃダメって、つまり、そういうこと……?
「さっ、受け取って。今のカトルならギリギリ扱えるはず」
ユミスが空間魔法から慎重に取り出して来たのは、魔力を求めうねりを上げる、禍々しい形状の魔剣ヴァルハルティであった。
「いぃ?! なんかこれ、ヤバくなってない?」
「ん、しょうがないでしょ! 私の魔力じゃ原型を留めるので精一杯だもん」
「ユミスの魔力でダメって、もうどうしょうもないってことか」
「ん! カトルが空間魔法を覚えればこんな苦労しなくても済むの!! 親和性が桁違いなんだから!」
ユミスが珍しく強い剣幕でまくし立てて来る。もしかしてヴァルハルティの保管にけっこう苦労してたのか?
「それより、早く受け取る! 持ってるだけでどんどん魔力が削られていくんだから」
「ああ、ごめん」
ユミスからヴァルハルティを受け取ると、歪だった形状がいつもの鞘に包まれた状態に戻って行く。持ってるだけで魔力が削られるとか言うから、ちょっとおっかなびっくりだったけど、これならなんとかなりそうだ。これがユミスの言う親和性なんだろうか。
「それで、ヴァルハルティで舞台を斬ればいいの?」
「舞台、というより中央部真下にある魔石ね。……でも、ほんとに平気?」
「え……何が?」
「ん、ヴァルハルティに決まってるでしょ! まだ鞘から出してないけど、ちゃんと抜ける?」
「いや、大丈夫だと思うけど……。前も剣先に触れなきゃ問題なかったし――」
そう言って鞘から剣を取り出そうとした瞬間、俺の手元で問題なく収まっていたはずのヴァルハルティが再びうねりを上げ、魔力を求め襲い掛かってきたのである。
「なっ……!」
それはまさに一瞬の出来事だった。
ユミスの魔力強化で増えていた魔力が、あっという間にヴァルハルティへ吸い込まれ、膨大な魔力が身体から失われてしまう。そして、それだけでは足りないと直感が訴えかけた時には、ぐあっ、という悲鳴とともにマリーが倒れ、続けざまナーサが膝を付き立ち上がれなくなっていた。
何が起こったのか分からず困惑する味方を嘲笑うかのように戦線は崩壊し、好機と見た敵部隊が一斉に突撃を開始する。
アルデュイナが必死で庇っているけど、このままじゃどう考えてもまずい。
ナーサが、マリーが、死んでしまう……!!
「地盤沈下魔法!!」
「っ?! ぐぉおおおおお!!」
一気呵成に攻め込んできた敵の前衛が、ユミスの放った土属性で抉れた地面に転げ落ちていく。だがそこまで深くないのか、落ちた者を踏みつけにして後続が差し迫って来る。
「ユ、ミス……。このままじゃ――」
今の俺にヴァルハルティは無理だ。
息も絶え絶えになりながら、俺はユミスにヴァルハルティを託そうとする。だが、ユミスのとった行動は俺の意図とは真逆の、全く予想もしていないものだった。
「……ん」
「っ……?!」
唇に、柔らかな感触が押し付けられていた。
そして膨大な魔力が一気に身体に流れ込んで来る。
――“誓願眷愛”。
それは竜族への未来永劫に渡る誓いの証だ。
「な、んで……」
「私の、魔力も使って」
ユミスは恥ずかしそうに少し俯き加減になりながらも、しっかりと俺を見つめてくる。
「カトルなら絶対助けてくれる、よね?」
次回は12月中に更新予定です。




