第七十話 予選決勝
『……ああ……! 私の可愛い子らよ……!』
何モノかの声が、頭の中を駆け巡る。
優しく包み込むような、委ねたら二度と抜け出せないような、誘いの声だ。
『そなたの罪、そなたの我執、そなたの夢……、私は全てを許します……』
地の底より響く、断罪のレクイエム。
『……さあ、我が元へ……。そして、私を――より解放するのです……!』
耳をつんざくような叫声が鳴り響き、反応したナニカが蠢き出す。
それは大地を覆い、やがて空をも制するだろう。
だが本能が拒絶する。
それを受け入れてはならない。
それを受け入れるということは、全てを失うに等しい――。
だから俺は
決して抗う事の出来ないソレへ
讃歌を送ったのだ。
―――
目覚めると周囲に人影がなくなっていた。
慌てて講義室を出れば、まだ幾人かの大会参加者が残っていることに安堵の息を吐く。
確か妖精族の事で色々考えを巡らせていて、そのうちに机に突っ伏してしまったのだろう。
誰かに寝首を掻られなくて良かった。そして試合に寝坊しないで本当に良かった。
「ミミゲルン傭兵ギルド所属、真鍮階級アルヴィ=ニュカネン、ならびにアグリッピナ傭兵ギルド所属、鉄階級カーリン=アールバリ。参るぞ」
階段を下りて来た審判から声が掛かり、近くで壁に寄りかかっていた男が大あくびをしながら歩いて行く。もう一人呼ばれた短髪の女性が審判の所までさっと駆け寄って行ったのとはなんとも対照的だ。
「ん……?」
って、よく考えると傭兵ギルド同士の対決ってことはもう終盤戦なのか。
対戦表を見ていくと……あった。下から4番目だ。
ということは試合までもう3試合しかない。
……。
いやー、さすがに寝すぎだろ、俺。どんなに寝たって1、2時間くらいだと思ってたのに……、ショックだ。
しかも机で突っ伏していたせいか身体がバキバキでちょっとだるささえ感じる。
でもそんな事を言ってる状況ではない。
もう次の試合の出場者を呼びに審判が階段を下りて来ている。さっさと準備に取り掛からないと、このままでは観客席で待ってくれているユミスたちに不様な戦いを見せることになりかねない。
ふと視線を感じて振り向くと、マテウスがこちらを見ていた。そしてその隣には見覚えのない男が不敵な笑みを浮かべている。
なぜかその笑みに拭いきれない不安を感じ、俺はその男が何者か調べるべく対戦表を見返して、はたと気が付く。
今、審判に呼ばれた二人以外にこの場に居るのは俺とマテウスを除けば四人だけのはずだ。
だが、傭兵と思しき二人はマテウスと違う場所に居て何か話し合っているし、その対戦相手である魔道師ギルドの二人は律儀に灰色のフードを付けている。
「……」
言い知れぬ不気味さを前に、いつかの記憶が唐突によみがえる。
――そうだ。
マリーが襲われたあの日、マテウスは傭兵ギルドの裏口から消失魔法の魔石を使って居なくなったんだ。
なぜ今まで思い出せなかったのだろう?
あの時も俺はなんとも言えない不安に苛まれていたはずなのに、傭兵ギルドを離れたらきれいさっぱり記憶が無くなっていた。
不意に予感がして再びマテウスの方を振り向けば、やはり男の姿は消えて去っていた。
男の不敵な笑みが脳裏を過る。
……既視感。
俺はもしかするとあの男が誰か知っているかもしれない。
なぜか今は記憶に靄がかかっているかのようにはっきりしないが、何かの魔法だと考えれば辻褄が合う。
「ミミゲルン傭兵ギルド所属、鉄階級マテウス=ツェーリンゲン、ならびにカルミネ王国従士カトル=チェスター。参るぞ」
いつの間にか、俺の出番になっていた。何だかここに居るとあっという間に時間が経過してしまう。
審判の側まで行くと隣にマテウスもやって来たので、ちょっと話しかけてみる。
「そういや、ヘルミーナとアライダはどうしてるんだ?」
「……」
さっきはマテウスの方から馴れ馴れしく話し掛けて来たのに、今はこちらから話を振っても全然反応すらしない。魔力が集まっているのでどうやら瞑想中のようだ。これは最初から全開で飛ばして来そうである。
「では試合開始までここで待て。貴様は向こうだ」
階段を上りすぐの控室にマテウスが案内される。俺の控室は向こう正面側だ。話す気の無いマテウスと同じ部屋では息が詰まりそうだったので少しホッとする。
「では、試合開始までしばし待て」
そう言い残し、審判の男が去っていく。
部屋の扉がギギッと音を立てて閉まり、控室が完全な密閉空間になった。
「……あれっ?」
そこで初めて魔石の存在に気付く。
どういう仕組みか分からないが、魔力に干渉し魔法をかき消していた。
まるでシュテフェンでユミスの魔法を封じた魔道師ギルドの魔石のようだ。
「瞑想も無理だな。魔法の効果も弾くのか」
おそらく事前に魔法を掛けさせない為の措置だろう。試合前に解除魔法の魔石で身体強化の類は全て強制解除されるようだが、それだとまったく対策が取れないわけではない。たとえば解除魔法の魔石を超える魔力量の魔法を重ね掛けすれば最初に掛かっていた魔法は有効なままだし、反解除魔法を使えるなら相殺できてしまう。
もちろん多大な魔力を浪費するし、試合前に鑑定されれば一発で即バレだ。割に合わないから誰もやらなそうだけど、そういった不正を見越してまで控室に魔石を設置したのであればなんとも念の入った対応である。
ただ、これでセストの“試合前から瞑想作戦”は無に帰しただろう。さっきマテウスがしていた行為も無効だ。これだとユミスに教わった者たちはかえって厳しい戦いを強いられることになっていたかもしれない。
『そこまで。勝者アグリッピナ傭兵ギルド所属、鉄階級ランヒルド=アッテルバリ!』
しばらくその場でボーっと佇んでいると、老いた渋めの声が部屋まで響き渡る。どうやらさっき中央に居た白髪の老人が試合の責任審判であるらしい。あの老人なら依怙贔屓することなく厳格に試合を捌いてくれそうだ。
やがてピンっと何かが弾ける音がして、入って来た方と逆側の扉が開き始めた。一本の長い道が伸び、遠く向こうの方から眩い光が漏れ出てくる。
この先が武闘会場だ。
『それでは最後の試合となる。ミミゲルン傭兵ギルド所属、鉄階級マテウス=ツェーリンゲン、ならびにカルミネ王国従士カトル=チェスター、入場せよ』
その声に俺は支給された木剣を掴むと、道を真っすぐ歩き出した。
なぜか氷の魔石で涼しいはずの通路を生暖かい風が通り抜ける。ぬるっとした空気がなんとも気持ち悪い。俺は滴り落ちる汗を拭い、木剣を握り直す。
なんだろう……。なんとなく嫌な感じだ。
試合前で気が昂っているせいだろうか。
やがて通路を出ると、武闘会場の全貌が顔を出した。白一色だった壁は鳴りをひそめ、黒の造形を象った円形の観客席がぐるりと360度占めている。
一段高い所が試合を行うスペースのようで、既にマテウスが剣を構えこちらを伺っているのが見えた。
ユミスたちがどこにいるのか確認したかったが、どうやらその暇はなさそうだ。
『階段を上る前に解除魔法の魔石を纏え』
老主審より声がかかり、俺は言われた通り魔石を自らに使う。
身体に纏わりつく魔力が意外と強い。
連邦の強者に対応するのだから、それなりに質の良い魔石が用意されているのだろうが、反発する強い魔力にちょっと気分が悪くなる。これだと魔力の低い者は戦う前からきつそうだ。
だが、その考えは対戦相手を見て脆くも崩れ去った。
「なっ……!?」
目の前で剣を構えるマテウスの身体が巨大な魔力で覆われていたのである。およそ瞑想だけでは御し得るとは思えないとんでもない力だ。
『それでは予選決勝最終試合、始め!』
だが主審はその魔力に気付くことなく試合開始を宣言してしまう。
マテウスはその力のままに魔力を展開し己に身体強化を掛けていった。
――なぜ、誰もこの魔力の異常さに気付かない?
確かに闘技スペースには致命傷を軽減するため魔石が設置されており、結構な魔力で四方が囲まれている。遠目からだとマテウスの魔力なのか会場の魔石の力なのか判別し辛いかもしれない。
でも、鑑定魔法で身体強化の効果を調べればその異常さはすぐ分かるはずだし、それにこんな効果の高い魔法を試合開始直後から使えるわけがない。
ってか、そもそもなんでマテウスは控室があの状況で、こんなとんでもない魔力を展開出来たんだ?
まさか、あっちの控室には仕掛けがされていなかった、とか?
疑問が渦巻く俺にマテウスはニヤリと笑い、そのまま剣を抜いて突撃してくる。
「くらえっ!!」
「……っ!?」
速さだけならエーヴィに勝るとも劣らないスピードだ。俺はその剣戟を木剣で受けるのが精一杯であった。そのまま力で押され、闘技スペースの端まで弾き飛ばされてしまう。
「くっ……」
今の衝撃で木剣が欠けてしまった。いや、むしろ折れなかっただけマシかもしれない。
なんというパワーだ。
エーヴィ並みのスピードにこれだけのパワーが乗って来るなんて想定外もいいとこである。
「くっくっく。お前のご主人様はいいことを教えてくれたぜ。魔力分だけ身体強化の効果が跳ね上がるなんてな。これはとんでもない力だ」
「ちっ……」
「けど、お前もあの時に比べたらかなりマシになってんじゃねえか。今の一撃で終わりだと思っていたのによ!!」
ガッ……!!
その刹那、間合いの無いところからの攻撃に危うく木剣を落としそうになるが、何とか剣筋を斜めに逸らして回避に成功する。普通であればこんな攻撃はしてこない。よほど能力に自信があるのだろう。
もしかするとすでに瞑想による身体強化を使った実戦を何度かこなしているのかもしれない。
だがそこに隙があった。
続けざま放たれる一撃をあえて片手で受け流すと、俺はギリギリの所で相手の手首を決めに掛かる。
もちろん、そんな攻撃が効くなんて思ってない。あっさり逃げられるだろう。
けれども、相手に触れさえすれば魔力に関連するスキルならなんとでもなるという確信があった。
「……!?」
俺の手が僅かに触れた瞬間、マテウスは驚愕の表情を浮かべすぐさま距離を取る。
「ちっくしょう。解除魔法の魔石でも使いやがったか!?」
マテウスは眉を吊り上げて怒鳴り散らした。
……なるほど。
魔力強奪された方はそんな風に感じるのか。
「解除魔法の魔石は使った後、ちゃんと元の場所に戻したよ。見れば分かるでしょ」
そう言って俺は主審の方を見る。
主審は白い髭を触りながら一点を見つめ、そして何かを確認したのか大きく頷いた。
『マテウス=ツェーリンゲンの発言に正当性はない。速やかに試合を続行せよ』
「ちっ……」
どうやら副審が解除魔法の魔石を確認したらしい。当然と言えば当然なのだが、俺への嫌疑が晴れた事にマテウスは舌打ちをする。
そして矢継ぎ早に攻勢に出て来た。
「ぬっ、ふっ、はっ、はぁっっ!!」
「……」
触れたのはほんの一瞬。奪った魔力はごく僅かだ。にもかかわらずマテウスの動きが明らかに鈍化したのは驚きであった。足運びも乱れ、剣の突きも鋭さを欠いている。
(なんでこんなに差が出るんだ……?)
俺は内心かなり動揺しながらも相手のデタラメな攻撃を全ていなしきった。
「くっそぉがぁあああ!!」
全ての攻撃を防がれたマテウスは咆哮を上げるが、それさえも大きな隙だ。俺は木剣を逆手に持ち替えると、そのまま横一閃マテウスの剣を弾き飛ばし、首へと得物を突き付ける。
『そこまで。勝者カトル=チェスター! 武闘大会本戦進出!』
「うるせえ! こんなの、認められっかよぉ!!」
主審の声に俺は剣を下げるもマテウスの叫びは止まらない。まるでタガの外れた獣のように暴れ始める。
だが、それを誅したのは老主審であった。
『予選とはいえ神聖な大会の決戦の場を汚すとは……許せん』
振り向きざまマテウスの首筋に手刀を繰り出し、あっさり気絶させてしまう。
とんでもない技のキレとスピードだ。もしかしたらこのじいさんが連邦で一番の体術の使い手かもしれない。
哀れマテウスは気絶したまま審判団にズルズルと引きずられ連行されていった。
「予選は終了だ。明日も早い。貴様も早くここから去れ」
マテウスが運ばれていくのを見てたら、老主審からさっさと帰るよう注意を受ける。本当は反対側の控室を覗きたかったのだが、有無を言わさぬ態度に言われるがまま外へ向かうしかなさそうだ。
「これが予選通過の証だ。明日、忘れず持ってくるように。通常は無くても大丈夫だが、何かあってからでは遅い」
外へ続く通路までわざわざ老主審が付き添い、手ずから証文を渡してくれる。その行いが少し気になり俺はさっきから気になっていた疑問を口にしてみる。
「あのさ、主審の爺ちゃん」
「ディアドだ」
「ん、そのディアドは試合前、マテウスの魔力が尋常じゃないくらい膨れ上がっているって気付いてたんじゃないか?」
「……それが魔道王国の外法の技なのだろう? お前は使わなかったようだが」
「外法って……。いや、それはともかく、控室に魔力を封じる魔石が設置されてて瞑想出来なくしてあったのに、なんであいつだけ――」
「そんな話は聞いていない」
「瞑想を――って、ええっ?」
「魔力を封じる魔石など知らぬ。お前と同じ控室から出て来た魔道師ギルドの者は、その瞑想とやらを使って試合を優位に進めていたが」
「なっ……?!」
「……」
ディアドは少し考える素振りをすると、素早く周りを確認し声を潜める。
「この場に居るのはお前と私だけだ。余計な詮索は自ら危険に足を踏み入れる行為となろう。それにあれはお前の迎えであろう?」
そう言ってディアドは俺の後ろを示すと、口を閉じ踵を返していく。
振り返ればユミスやナーサ、マリーの走って来る姿があった。
「カトル! おめでとう!!」
「やったわね、カトル」
「だから言っただろう。カトルなら予選は問題ないと」
皆の笑顔に俺も自然と表情が緩む。
そうしているうちにディアドの姿はいずこかへ居なくなっていた。
結局、ディアドには大事な事を聞きそびれてしまう。
だが、かの老人の眉間に寄った深い皺が、これから起こる由々しき事態を暗示しているように思えて仕方なかった。
次回は10月中に更新予定です。