第六十六話 武闘大会前日
「ん……とりあえず金剛精鋼に少し魔力を込めたけど、カトルはもう魔法の練習しちゃダメだからね」
ついにダメ出しを喰らった俺は、しょんぼりしながらユミスを見送ると、用意してもらった昼食のサンドイッチを手にする。
今の能力のままではまだヴァルハルティは使えないけど、ツィオ爺の“守り”が無くなったんじゃどっちにしろ魔法の特訓は無理だ。
ユミスも居ないし、さっきみたいな危険な目に遭いたくないしね。体は大丈夫そうだし、大人しく素振りでもしていよう。
そう思っていたのだが。
「さて、どういうことか詳細を聞かせてもらおう」
「……えっと、誰?」
「ん、マリーとナーサのお父さん」
「娘はやらんぞ!!」
「なぜにそんな話?!」
練習開始から小一時間。
なぜか俺の目の前には、髪を後ろで結わえた偉丈夫が立って居た。たくましい肉体、精悍な顔つき、腰に据えられた長曲剣。まさにマリーとナーサの父その人という出で立ちである。
……あれ?
マリーとナーサのお父さんって、もしかしてスティーア公爵家の中で一番偉い人なんじゃ。
「ん、んん。失礼した。どうしても娘の事になるとな。……改めて名乗らせてもらおう。我が名はヴィットーレ。ヴィットーレ=スティーアだ」
「カトル=チェスターと申します」
ヴィットーレが右手を差し出して来たのでまずは友好的に握手する。パッと見た感じはランク上位にいそうな傭兵のおっさんだ。服装もそこまで華美なものではなく、むしろ街中で貴族と気付かれないようなダボッとしたラフな格好である。ただヴィットーレの服はスティーア家の黄土色を基調としているので、マリーやナーサと同じ藍がかった色合いの髪がより引き立って見えた。酒場とかなら注目の的だろう。なんとなく僻むフアンが思い浮かんできて口の端が緩みそうになる。
「敬語は不要だ、竜族の若き戦士よ。我らスティーアの一族は竜族への敬愛を決して忘れない。それより、ここで何が起こったのかが重要なのだ。ユミスネリア殿からも説明を受けたが、何より竜族たる其方の口から伺いたい」
「え……っと、俺もよく分かっていないんだけど」
そう言いながら俺はユミスの方を見る。俺から説明ってまたユミスは魔法の話で暴走したのかな。
「ん! 私はちゃんと説明したよ。でもスティーア公爵はカルミネの元女王の言葉より竜族であるカトルの言葉を聞きたいって」
「語弊が無いよう言っておくが、別にユミスネリア殿を信用していないわけではない。我らスティーアの一族は……いや、我に限った話だな。我は竜族こそ至上と考える」
ヴィットーレは俺の目を真っすぐに見てくる。その眼差しは真剣そのものだ。
ツィオ爺やエディの俺に接する態度があまりにもボロカスなのでそのギャップに違和感すら覚える。
「ツィオ爺はめちゃくちゃ怒ってたし、エディに至っては完全に俺を目の敵にしてるみたいだけど?」
「……初代様は怒ってはおられぬ。それどころか、其方がラヴェンナに来たら速やかにピラトゥス山脈へ通すよう指示された」
「え? そうなの?」
「それどころか自らの行いを嘆いておられた。曰く『ヤムの顔がチラついて感情的になった』そうだ」
……なんというか、めっちゃ意外だ。あの爺さんにそんな殊勝な気持ちがあったなんて。
だったらもうちょい建設的に話し合えば良かったのに、きっとよく分からんプライドが邪魔したんだろう。じいちゃんも結構無茶苦茶言う時あるけど、絶対曲げないもんな。結局似た者同士だ。
あ、でも、それなら絶対ツィオ爺は俺に会いには来ないから、不幸中の幸いではあるか。今この部屋の惨状を知ったら、ガチでキレそうだ。
「そう、その話だ。初代様が移動出来なくなったというのは本当なのか?」
どうやら安堵の呟きが口から漏れていたらしい。ヴィットーレが食いついて来る。
でもそう聞かれても正直さっぱりだ。石造りの輪の魔法に必要な龍脈との繋がりなんて、俺にはどうやって認識するのか見当もつかない。
「ん、カトルは感知魔法を使えないから、龍脈の流れを把握する以前の問題」
「えっ? 龍脈って、感知魔法で分かるの?」
「……正確には分からないけど、今までこの部屋から地底に流れていた魔力がプッツリと切れて無くなったから、だいたい予測出来るよ。魔法を防ぐだけなら金剛精鋼にここまで膨大な魔力は必要としないから」
「……そんな膨大な魔力を俺が多重展開で全部使っちゃったってことか」
「ん、そう。それも四属性の初級魔法だけで。……ほんと、開いた口が塞がらない。いったいどれだけ無駄に魔力を費やせばそんな事が起こるのか。ほんと、ダメダメ過ぎ」
「うぐ……」
ユミスのダメ出しがどんどん辛辣になってくる。なんだかんだ、ヴィットーレがわざわざ俺に話を聞きに来たってのも機嫌の悪い原因なんだろう。
「魔法を幾重にも同時に展開したそうだが……、まさに竜族の御業であるな」
「そんな大層なもんじゃないって」
「ん。さっきまで娘が倒れたのは誰のせいだ! って怒っていたのに」
「そ、それは仕方なかろう? 突然娘が倒れれば動転もする」
それはほんとすみません……。
でも俺のせいかって言われると、どうなんだろう?
二人が倒れた直接の原因は魔力不足だけど、その一番の解決策は俺の能力が元通りになることだ。ただ“誓願眷愛”の件を抜きにしても“人化の技法”を解いてもらうのはユミスが隠蔽魔法を覚えてからになる。
そして“誓願眷愛”を解くには俺の魔法制御が安定しなければならず、そのためには魔法特訓が必須な為、今日みたいな事はまま起きるだろう。
……ってゆーか、ツィオ爺が“人化の技法”じゃなくて隠蔽魔法を使ってくれればこんなことにはならなかったわけで、ツィオ爺とマリー(とナーサ)の言い争いに巻き込まれた俺は完全にとばっちりだよな。
「ん、それは同意」
「ははははは……」
ヴィットーレは乾いた笑いを浮かべているが、まったく勘弁して欲しい。竜族が至上とか言ってた割に扱いが雑じゃないか?
「それはともかく、明後日から武闘大会が始まる。万が一の際、初代様を頼れない以上、警備体制を万全にするためにも懸念点を洗いざらい把握しておきたい」
……あからさまに話を逸らしたな。
俺が冷ややかな視線を向けると、ヴィットーレはきまりが悪そうに頭を掻く。
そりゃまあ、スティーア公爵家の当主としてはツィオ爺の悪口は都合が悪いのかもしれないけどね。
「ん、んんっ。現在、アグリッピナでは非常に不穏な空気が漂っている。牢獄宮では反乱が起き、パヴィーア公の懐刀であるアンジェロは後宮で自らの妹相手に突如暴れ出した。我が娘たちはユミスネリア殿と共に繁華街の外れで命を狙われ、情報開示を頑なに断る傭兵ギルドとの間はかつてないほど緊張が張り詰めている」
「えっ……」
唐突にヴィットーレの口から知らない情報が示され、俺は思わず驚きの声を上げた。ユミスもまた何も知らされていなかったようで、目を見開き驚いている。
アンジェロって、教官のアンジェロだよな? あいつが後宮で暴れた?
……確かに魔力強奪スキルで魔力を吸い取った時かなり挙動不審だったけど、そんな暴れるような奴じゃなかったはずだ。
それにマリーが狙われたあの事件。なんで傭兵ギルドが情報開示を渋る必要がある? それじゃまるで何かを知ってるって白状しているようなものだ。
「……其方らは何も知らされていないのか?」
「まったく」
「ん、私も初耳。たぶんマリーとナーサも知らないと思う」
「それは……済まない。完全に我らの落ち度だ。アグリッピナにおける情報は全てエドゥアルトに任せていたが……、あ奴め。竜族に対する畏敬の念が捻じ曲がっておるわ」
若干、忌々しそうにヴィットーレは吐き捨てる。マリーやナーサへの態度とは裏腹にエドゥアルトに対しては何かわだかまりを抱えているかのような物言いだ。
てか、なぜにエディはマリーやナーサにまで重要な情報を伝えていない?
それが連邦貴族の普通なのか。いや、スティーアの一族はツィオ爺を中心にまとまっているって聞いてたけど、……まさか派閥争いとか?
混乱する俺をよそに、ヴィットーレはそれが大したことではないかのようにさっさと話を進めて行く。
「我が家の醜態を晒したな。だが、今はそれよりも差し迫った問題がある。明後日からの其方らの護衛についてだ。我らスティーアの一族は武の象徴として武闘大会に出場する為、どうしても警護が手薄になる」
「出場って、マリーだけじゃないの?」
「当たり前だ。何のために我がアグリッピナまで来たと思っている。前回優勝者としての責務を果たす為だ」
「……はいっ!?」
―――
武闘大会前日。
俺は特に何もすることなく一日をスティーアの屋敷で過ごしていた。一応、金剛精鋼の部屋なら復活した魔力で感知魔法を防ぐ事は出来たが、魔法の特訓となると絶対ではない。魔力の制限がかかる状況と言うのはなんともストレスを感じるが、よくよく考えればユミスも魔術統治魔法を使っていたし、人族の都ではこれが普通なんだと思うことにする。
「皆の魔力がもっと増えれば、魔法が生活に密着して、都市を覆う感知魔法なんて無用の長物になるわよ」
ナーサは少しおどけたようにそう言うが、あまり軽口には聞こえない。それは実際に新しいカルミネの街が今そんな感じになっているからだ。一か月かそこらでえらい変わりようである。
天魔を倒せば魔力が上がると言っても、そんな簡単な相手じゃない。都市全体の魔力の底上げがうまくいっているのはターニャの努力、そして冒険者ギルドがちゃんと機能している証だ。
「連邦の貴族はまだのんびりとしたものだけど、傭兵ギルドは自分たちの影響範囲が狭まってピリピリしているようね」
カルミネやリスドの傭兵ギルドは天魔の脅威を前に魔道師ギルド、冒険者ギルドと協力体制を取っていたが、それに異を唱えるアグリッピナのギルド本部との繋がりを早々に断ち切ったという。
「ん、カルミネはもう人族同士で争ってる場合じゃないもん。当たり前だよ。むしろこの期に及んでまだ対岸の火事と思って動かない連邦の人たちに驚く」
「選帝侯の半分はユミスに会おうともしないものね。カルミネの情報はすでに各領地に行き渡っているはずなのに権力争いの道具としか見ていないのよ」
傭兵ギルドの後ろ盾であるケルッケリンク、スティーアとの対決姿勢を崩さないハンマブルク、ハンマブルクと繋がりを持つ南部派閥のメディオ、反カルミネの急先鋒パヴィーア、軍閥主義を掲げるゴートニア。
いずれも裏で何を画策しているのか分からない連中だが、ただでさえフェレスやマッフェーオが蠢動しているというのに注意を払うべき相手が多すぎる。
そんな状況下で行われる武闘大会へ公爵であるヴィットーレ以下、マリーとエディはスティーア家の代表として出場しなければならない。
一応ナーサは傭兵として修行中の為、参加しないで済んだが、俺も出場するし大会中は護衛がばらけることになる。
「ユミスには私が付いてるから安心しなさい」
「俺がダメージ負ったらナーサはもろに影響受けるけど、その辺は?」
「それは……カトルを信頼しているわ」
「全然安心出来ないじゃん、それ」
ナーサは自信有り気だが、正直どんな事態になるか全く予想がつかない。
まあ、極力ダメージを受けないように頑張るしかないんだけどね。
そんな、なんとも言えない不安を抱えたまま、ついに武闘大会当日を迎えることになる。
夏休みに入り時間が取れず申し訳ありません。
次回は8月末までの更新予定です。




