第六十四話 武闘大会へ向けて
それから俺とユミスは武闘大会直前までスティーアの屋敷から一歩も出ずに過ごすことになった。
その間に牢獄宮で起きた騒動もようやく落ち着きを見せてきたようで、何度かユミスの下に表敬と称した連邦の実力者たちが来訪し、非公式の会合を行っている。
皇帝の名代として宮宰パルテミウス、軍司令アスパル、アルテヴェルデ辺境伯の長子フィリップ、ハヴァール公爵の長子シグフレッド。
次々にやって来る連邦の重鎮を目にして、この調子ならメロヴィクスも来るかと思ったが、どうやら騒動の対処で忙しかった為、自重したらしい。ただ代わりにやって来たのがベリサリウスだったせいで、スティーアの屋敷全体に緊張が走ることになった。これも皇子流のおふざけの一環なのか、何か別の思惑があっての事なのか、とにかく常識では考えられないやり方である。
ちなみに俺はというと、当然護衛としてユミスの傍に……いられるわけも無く、地下の金剛精鋼の部屋で積み上げられた課題を必死にこなしていた。その為、会合で何が話し合われたのかほとんど聞けていない。
武闘大会へ向けた特訓が重要ってのは分かってるんだけどね。でも、もうちょい詳細を教えてくれてもなあ、と思う。
「ん、カトルは余計な事を考えない! すぐそうやって集中切らすんだから」
魔法の練習を片手間に悶々としてたら、ユミスの叱責が飛び、俺は思わず首を竦める。
これは孤島に居た時から、いつもユミスに言われてた小言だ。
あの頃の俺はじいちゃんの授業を最後まで気持ちを切らさず受けることが出来なかった。寝落ちするか、他の事に気をとらわれるか、反発してやめるかのいずれかで、最後までやり切った記憶はほとんどない。
でもそれは今考えるとじいちゃんの講義が難しすぎたせいだと思うんだ。実際、実践練習ではちゃんと集中して詐称や鑑定を覚えられたしね。……空間魔法とかはさっぱりだったけど。
それはともかく。
これだけ色々な事が起こると、脇目も振らず集中ってのはなかなか難しい。そりゃあ今の俺に出来るのは特訓しかないけど、どうしてもモヤモヤしてしまう。
「早く四属性全部の制御を上げて魔力の底上げをしないと、いつまでたってもヴァルハルティを使えないよ」
アンジェロとの戦いが終わってから、ユミスのヴァルハルティへのこだわりが増したのも気になる事の一つだ。確かに魔力強奪スキルがアンジェロ戦の勝利の鍵になったわけだけど、実際は魔力を奪ったせいで勝手に身体強化が上書きされてしまい、あのまま戦いが続いていれば確実に俺は負けていた。だから魔力強奪スキルやヴァルハルティよりも、何でアンジェロが突然苦しみだしたのか、そっちの分析の方がはるかに重要だと思うんだけど……。
あの時、何かがカチリと嵌った気がしたのに、メロヴィクスの声で全部吹っ飛んでしまったのがほんと悔やまれる。
ってゆーか、そもそも武闘大会で使うのは予め用意されている武器なんだし、ヴァルハルティにこだわる必要ないんじゃね?
いつもならそんな俺の心の声に容赦なくツッコミを入れて来るのに、ユミスの口から出て来たのはお決まりのセリフであった。
「ん、次は魔力の並行展開」
「いいっ? そんなの無理に決まってんじゃん」
「今のカトルなら集中すればギリギリ出来るよ」
「ギリギリって、それ、ミスしたらすぐに精神力枯渇ってこと?」
くっそー。何が何でも特訓を続けるつもりだな。
逆に気になって集中できないっての。
むべなるかな、心乱されたままの俺は案の定、魔力の並行展開に失敗し、ぶっ倒れる羽目になる。
と言っても、すぐにユミスの精神回復魔法で回復して、マリーとの剣術特訓になったんだけどね。
もちろん嬉々として剣を振るうマリーの連続突きは考え事をしながら対応できる程甘くないので、俺は必死に鍛錬を続けるしかなかった。
―――
そんな感じで俺の武闘大会前の日々は魔法と剣術の特訓で過ぎ去っていった。
ユミスとマリーが会合でちょくちょく抜けるけど、その間はナーサとの模擬戦だ。いつの間にかナーサは身体強化が上手くなっており、木剣ならともかく木刀を持たれると一方的にのされてしまう。
「だいぶ普通に剣を振れるようになってきたじゃない」
「そうか? やられまくりで全然実感がわかないんだけど」
「あのね! あんたは“人化の技法”で能力ダダ下がりなのよ? それに加えて私は能力制限魔法を解いてもらったんだから、あんたを圧倒して当然なの! それなのに普通の木剣じゃ互角だなんて、全然納得いかないわよ!」
「わっ、ちょっ……! 納得いかないからって、木刀に持ち替えるな!」
武闘大会まで残す所あと三日。
今日は朝からホールファグレ公爵であるファラモンが来訪しており、ユミスとマリー、そしてエディがずっと対応に追われている。
この後、ラヴェンナからスティーア家当主でマリーとナーサの父でもあるヴィットーレが屋敷へ到着する予定になっており、ファラモンはわざわざ屋敷で出迎える為にやって来たらしい。ホールファグレ公爵家は現皇帝を輩出した選帝侯なので公爵であるファラモンはいろいろ裏で調整に回る役目を担っているからなんだとか。
「どこの領地も反目し合う部分を抱えているからね。一筋縄ではいかないのよ」
「スティーアだけ敵が多いってわけじゃないんだ」
「同じ連邦だから皆味方とも言えるし、違う領地だから全部敵とも言えるわ。だからいろいろな思惑が蠢いているし、その情報を整理するのは至難の業ね。少なくとも私じゃ無理」
ナーサはそう言って手をひらひらさせながら肩を竦める
敵でもあって味方でもある、ってわけがわからない。でもそれがこの連邦という国であり、貴族なんだろう。
そんな風に思っていたら、ナーサが呆れ顔になる。
「カルミネだって連邦と大差ないわよ。だから今、ユミスはいろんな人に会って、慎重に情報を精査しているでしょう?」
「……え」
「まったく、あんたはユミスが何でも知ってると思って話しているけれど、カルミネに居た時とは違うんだからね。分かってる?」
「あ……」
その言葉に俺はガツンと頭を殴られたような衝撃を受ける。
そうだった。孤島ではじいちゃんの授業についていける優等生で、カルミネでは女王だったから、ユミスはいろんなことを知っていたけど、連邦ではちょっと魔法が得意なだけの一人の女の子に過ぎないんだ。
「見ず知らずの場所で、ユミスはカルミネの元女王という立場を駆使して情報集めを頑張ってる。だからあんたはユミスが話してくれるまで待っていればいいの」
「……」
「だいたい気になっているのはあんただけじゃないんだからね! 私だってカルミネでは大変な目にあったし、連邦に着いたら着いたで悪意の塊みたいな嫌疑に掛けられるし、挙句の果てには命を狙われたのよ?! 巻き込まれただけかもしれないけれど。でも本当に姉さんが狙われているのなら、絶対に焦っちゃいけない。そう、自分に言い聞かせている。だから――」
「うん、ナーサの言う通りだ。了解だよ。……でも待ってるだけじゃない。俺も頑張る!」
俺は何をやってたんだ。
ナーサの言う通り、ユミスはずっと頑張っていた。俺は勝手に除け者にされたみたいな気になって、勝手にユミスの事やマリーの事を心配して、勝手に鬱屈していただけだ。
もっと頑張らないと。
ユミスが必要だって言うなら、魔力を研ぎ澄ませて、必ずヴァルハルティを使いこなせるようにしてみせる……!
その為には四属性をもっと使いこなせなきゃいけないんだけど、いっそのこと小石魔法みたいに他の四属性も一番簡単な魔法を使うってのはどうだろう?
たとえば火属性は前みたいに照明魔法を試していたんだけど、ただ単純に火を出すだけならもっと楽に出来るはず。
ちょっとの火なら小火魔法か。小石魔法のようには制御出来ないけど、どうせ上手くいかないなら火を駄々洩れにして、でも全体的な魔力の制御を頑張ってみる感じで小石魔法との並行展開を試してみよう。この金剛精鋼の部屋はちょっとやそっとの魔力じゃビクともしないし、安心して駄々洩れに出来るしね。
そうと決まれば善は急げだ。早速やってみることにする。
俺は小火魔法、水滴魔法、微風魔法と小石魔法を組み合わせて並行展開を次々に試していった。どれも小石魔法のように制御出来ないけど、他の三属性は魔法の展開にあまり意識を傾けず、精神力枯渇しないようにすることだけ集中する。それが功を奏したのか、三属性とも制御は出来てないものの意外と簡単に小石魔法との並行展開が出来るようになった。
後は並行展開の数を三つ、四つと増やしていければ、おのずと魔力も上がるし制御も上達するはず。
ってか使っていて気付いたんだけど、小火魔法にしても水滴魔法にしても駄々洩れにしていいなら制御する必要がほとんど無い。たとえば照明魔法はちゃんと制御しないと火の玉になるか霧散する為、失敗扱いとなるが、小火魔法ならどれだけ周囲にまき散らしても失敗とはならない。他の属性も似たようなものだ。
……まあ、金剛精鋼の部屋だからこそ出来る芸当だが。
なんでじいちゃんが探知魔法や清浄魔法、浄化魔法といったランクが上の魔法で並行展開の練習をするよう言ってたのかは謎だけど、今はとにかく制御力を上げなきゃならない以上、このやり方で行こう。
マリーとナーサに迷惑が掛かってはまずいので精神力枯渇だけはしないように注意しながら、俺は魔法の並行展開を続けるのだった。
―――
どのくらい時間が経っただろう。
ちょっと頭がフラフラしてきた気がして部屋を見渡してみると、いつの間にかナーサが居なくなっていた。
そういえば父親が屋敷に到着すると言ってから、会いに行ったのかもしれない。
金剛精鋼の部屋に居ると外の状況がさっぱり分からないのがネックだ。今何時なのかさえ分からない。
そういや夕食もまだだっけ。
いつも通りなら扉の外に用意してくれているはずだし、そろそろいったん切り上げるか。
そんな風に考え始めた時、突如展開していたはずの魔力がはじけ飛んだのである。
「……あ、れ?」
最初は集中力の乱れで魔力の練りが散漫になったのかと思ったが、こんなあっさり魔法が霧散するなんてありえない。それこそ精神力枯渇にでもなったみたいだ。
軽くパニックに陥ったのも束の間、今度は猛烈な疲労と空腹が全身に襲い掛かって来る。今まで味わった事のない脱力感を前に、俺は身動き一つ取れずそのまま床に突っ伏してしまった。
「は……腹減った……」
何の事はない。空腹にもかかわらず並行展開を続けた為、俺の身体が悲鳴を上げたのだ。
軽い昼食の後、俺はずっと並行展開を続けていた。そりゃあ何も食べずに魔力を展開していれば、いくら精神力を使わなかったとしても、スタミナが持つはずがない。
「カトル! 大丈夫?!」
俺が地べたに倒れていると、幾ばくもしないうちに寝間着姿のユミスが飛んでくる。なるほど、もう寝る時間だったわけね。いったいどんだけ集中してたんだ、俺は。
「マリーとナーサが急に苦しみ出して――」
「悪い……。腹減っちゃって」
「それで急いで来たんだけど……え?」
唖然とするユミスに俺は引きつった笑顔を浮かべるしか出来ない。
もはや叱責は甘んじて受けよう。
「ほんと何やってるの、もう!」
「すみません……」
ユミスの回復魔法の重ね掛けで何とか立ち上がった俺は、冷めきった夕食を平らげようやく人心地が付く。
どうやらナーサが呼び出された時、一緒に夕食も用意されており、わざわざ呼びかけてくれてたらしい。それなのに俺は全く気付かなかったと。
「何も食べないで魔力を使い続けて倒れるって、ダメ過ぎなんだからね!」
「俺の集中力も捨てたもんじゃないでしょ」
「何言ってるの! カトルのバカ、バカ、バカっ!!」
無理やり強がってみたものの、その何倍ものお説教が返って来る。まあそれも当然か。精も根も尽き果てて床に突っ伏してたんだから、何を言っても説得力は皆無だ。
「ん! もう! カトルは早く寝る!」
プンプン怒りながらもユミスは洗浄魔法と乾燥魔法を掛けてくれた。だが、有無を言わさず部屋に常備されたベッドに押し込まれると、まさかの睡眠魔法で無理やり眠らされてしまう。
どうやらめちゃくちゃ心配を掛けたっぽい。
反省。
明日はもう少し気を付けよう。
薄れゆく意識の中、俺はそう誓うのだった。
長くなったので区切りました。
次回は7月前半までに更新予定です。




