第六十二話 学区の混乱
翌朝、エドゥアルトは物々しい数の兵を引きつれ寮までやって来る。だが、その中にルフの姿は無かった。
「本日のユミスネリア殿の護衛は我々が務める。そして講義が終わり次第、スティーアの屋敷まで直接お送りしよう」
「兄上、ルフの奴は……」
「ルフ=ベーオウァのユミスネリア殿に対する護衛の任は既に昨日付で解かれている」
「なっ!?」
「そも、あの者が属するのはハンマブルク家の竜騎将だ。本国からの危急の命があれば、メロヴィクス殿下とてそれを尊重しよう」
「ならばルフは既に帰郷したと?」
「アグリッピナの地を離れたのは確かだが、なぜ離れたのか、どこに向かったのか不明だ。ベリサリウスも知らぬ存ぜぬしか言わん。あの狸め。我らどころかメロヴィクス殿下にさえ選帝侯の名を借りて詳細を報告していなかった。もっとも武闘大会には出場するというので殿下もそれ以上詮索する気はないようだがな」
「……牢獄宮で起きた事件とは一切関係ないと?」
「ルフは事件が起こった日の昼過ぎにアグリッピナを出発していた。貴族門の検問官が証人だ。である以上、事件とは無関係と判断するほかあるまい」
どうやらルフは何らかの事情で急遽アグリッピナを離れたらしい。だが、ユミスの護衛の任務を請け負いながら俺たちに何も言わず去っていったというのは、なんかもやっとしたものが残る。マリーもそれで気になったのだろう。事件と関係が無いと知ってホッとした半面、あまり納得してなさそうだ。
「なお、ルフ=ベーオウァの任が解かれた事で、残念ながらユミスネリア殿の安全確保が難しくなった。それ故しばらくの間、ユミスネリア殿とその従者カトル、そしてマッダレーナ、ナータリアーナ両名は外出を見合わせるよう、殿下は強くご要望されている」
……なるほど。つまりは体のいい軟禁ということか。
まあ、俺としてはスティーアの屋敷に戻れるというなら問題ない。武闘大会も近いし、優先すべきは食べ歩きではなく特訓だ。
マリーは不満気に眉をひそめているけど、敵の目的が分からない以上、屋敷で大人しくしていた方がいい。
まあ本人は食べ歩きも重要とか思ってそうだけど。
「ん……それで魔石については?」
「現時点で話せることは何もない。ただ、事件の被害は甚大であったと伝えておこう。本日の講義も軍からの参加者は少なくなる」
「……ナルルースは?」
「残念だが、本日の講義には参加できない。他の妖精族もまた同様だ。もっとも、妖精族の助力が必要なほどの人数が参加するとも思えんがな。……そろそろいいか? 私は出発までに少しでも書類仕事を片付けねばならん」
エディはこちらの都合を伺うような言葉遣いとは裏腹に有無を言わせぬ態度でそのまま部屋から出て行ってしまう。どうやら事件のせいで仕事が立て込んでいるようだ。そのせいってわけじゃないだろうけど、たいした情報は無かった気がする。
ルフがアグリッピナから離れてどっか行ったってことと、今日のユミスの講義はサポート役が居ないから大変ってことくらいか。
そんな風に考えていたら、なぜかユミスがジトッとした視線を向けてくる。
「……何?」
「いい。今は時間が無いから後で話す」
……あれ?
もしかして呆れてる?
俺にはユミスの意図がよく分からなかったが、すぐにカッサンドラが朝食の時間を知らせにやって来たので必然的にこの話はいったんお開きになった。
そして朝食後、エントランスで俺たちを出迎えたのは鎧兜に身を包んだ物々しい数の衛兵たちであった。まるで今し方まで戦場を駆け巡っていたかのような殺気立った雰囲気に、暢気に構えていた俺は気圧されてしまう。
「まさかラヴェンティーナ師団を呼び寄せたのか、兄上!」
「何、一個中隊程度だ。物の数ではない」
「しかし……」
「マリーよ、あれを見るがいい。どうやらお隣さんは西第二大隊のほとんどを連れて来たようだぞ」
剣呑な空気なのは、スティーア家に限った話では無かったらしい。エディの示す方向には兜こそ装着してないものの、甲冑に青緑のマントを纏った100近い武装兵が隊列を組んで中央棟へと突き進んでいる。
そういえば、あそこには次期領主のヴェルンが居るんだっけ。第二大隊所属とかって言ってたけど、こんな所に全員引き連れて来るとは、公私混同も甚だしい。
「なんということを……。まさかゴートニアがここまで無分別だったとは」
「あまりとやかく言ってやるな。我らも第一大隊の手の者を連れてきたわけだし、この情勢ではどこの領地も似たようなものであろう。まあ確かに、ゴートニアだけはその数、尋常ではないがな」
よく見ればどの領地も多かれ少なかれ鎧を身に纏った兵たちに囲まれた中、周りを警戒しながら動いていた。食べ歩きが出来なくてマリーも可哀想に、くらいにしか考えていなかったけど、どうやら俺の思っている以上に今の状況は深刻らしい。
そしてそれは中央棟へ着くとさらに如実に示されることになる。
「……えっと、あれは?」
「宮宰のパルテミウス殿と軍司令のアスパル殿、ね」
「えーと、なんでそんな偉い人たちがユミスと凄い剣幕で議論してるんだ?」
「それを私に聞かれてもねえ……。あ、でも、ユミスがノリノリで喋っているって事は、もしかして魔法の話とか」
「もしかしなくてもそれ以外ありえないだろ」
講義の準備の為、先に地下へ向かったはずのユミスが、なぜか階段を下りた所で二人の男と激論を交わしていた。
一人は緑を基調とするローブを身に纏い、特徴的な細長の眼鏡を掛けた神経質そうな細身の男――宮廷の最高権力者、宮宰パルテミウス。そしてもう一人が眩い光を放つ精銀の鎧に身を包み、黄緑のマントを纏った鋼の如き肉体を持つ男――連邦陸軍の頂点に位置する軍司令アスパル。
この二人と護衛の者がユミスを取り囲み、侃々諤々の論戦を繰り広げている。
ユミスとマリーの背の低さも相まって、ともすれば一方的にやり込められているようにも見えるが、実際は解除魔法の有効活用だったり、怪しい魔石の早期発見方法だったりと、聞き捨てならないワードが人目をはばかることなくポンポン飛び交っており、周囲の注目は集まるばかりであった。
「聞かなかったことにしたいわね……」
ナーサが頭を振ってため息を吐いたが、あれだけ大声でやり合っていればここを通る全員が耳にしていることだろう。いや、もしかすると、それが本当の目的なのかもしれない。
ここまでくれば俺にだって牢獄宮で何が起きたのかある程度予測できた。そりゃあユミスに呆れられるはずだよ。おそらくユミスの懸念通り、マッフェーオが持ち去った魔石が数多く使用され、連邦軍に深刻な打撃を与えたんだろう。
浄化の石なんて言葉も聞こえてきたが、やはり連邦でもそう容易く用意出来ないようで、当座は精神耐性のある者を集めて事に当たらせるらしい。
「……事件はまだ全然解決してないってわけね」
「しぃーっ! 声に出さない! 寮で兄様が説明してくれたでしょう?」
どうやら朝のエディの発言が匂わせだったらしい。魔石についての答えが事件の被害状況って所で察してとナーサに怒られてしまう。
いやでも、それ俺の理解力不足が原因じゃなくね?
あんな説明で分かる方がおかしいんだっての。
そしてユミスの講義が始まると、あれだけ居た各領地の武装兵たちは自分には関係ないとばかりに続々と講義室から退室していってしまった。部屋に残ったのはメロヴィクスとその側近たちを除けば、これまでの半分にも満たない数である。ギルドからの出向組に至っては誰一人残ってない。
「……ったく、これじゃあ何の為にあんなバカ騒ぎしたのか、アホらしくなるな」
「気持ちは分かるけど、そういう事を言わないの」
どこかの公子が文句を言ったせいで先週丸々講義が潰れたわけだが、結局この人数になるなら試験騒ぎなんて何の意味も無かったことになる。
ってか、そもそもユミスの講義はある程度魔法に精通していないとついて行くのが難しい。今講義室にいる連中を見れば、魔力が高いか魔法に精通している者がほとんどだ。なぜかさっきの二人――鎧を付けたままの筋肉もとい軍司令のアスパルと宮宰のパルテミウスもいたが、他はシルフィングのユングヴィしかり、ルフの部下っぽいオーロフしかり、各領地でも一番魔力の高そうな奴しか残っていない。
緊急事態が起こって最良の判断をした結果がこの環境なのであれば、あまりにバカバカしい。最初からやっとけっての。
広い講義室にユミスの声だけが響き、これまでとは比較にならないスピードで授業が進んでいく。物凄く密度の濃い内容だ。もしこんなのが毎日続いていたら、間違いなくどこかでぶっ倒れていただろう。
……あれ?
もしかして今日だけで済んで良かったんじゃ……。
話が瞑想の連続活用から身体強化による魔力アップへと変わり、もはや俺では付いていけなくなった所で一息つきがてら周囲を見渡すと、既に講義室には死屍累々の地獄絵図が広がっていた。
あれだけ偉そうにしていたユングヴィは目を回しているし、ヴェルンに至っては豪快に寝入っており、講義を全く聞く気がない様子にちょっと笑ってしまう。
メロヴィクスはというと、何とか平静を保っていたが、さっきから手が動いていないのでもはや理解するのを諦めたのだろう。代わりに何人かの側近が必至でノートに書き記していたが、ユミスの話す内容全てを筆録しているようで、たまに横道にそれる雑談まで書いていては見返す際に混乱は必至だろう。
まあ俺はこの三年でじいちゃんにいろいろ習ったから、ユミスの講義がだいぶ分かるようになっていて感無量だったりする。それを言ったらじいちゃんの授業で何回同じことを習ったんだってどやされそうだけどね。
『ん……一応ここまでが予定していた内容。後は繰り返し実践して欲しい』
「ありがとう、ユミスネリア先生。最後は駆け足にさせてしまったが、きっと我が国の才ある者たちにとって授かった知識がかけがえのない宝となったであろう」
ユミスの講義終了の合図を皮切りに、メロヴィクスが登壇しユミスとがっちり握手を交わす。これでユミスのノルマは完了し、後は俺が武闘大会に出場すればいいだけとなった。
願わくば当初の目論見通り、この中から天魔の脅威に立ち向かってくれる人材が出て来て欲しい所だが、この講義室の惨状を見る限り道のりは険しそうだ。まあ、案外ユミス自身はそこまで期待してなくて、魔法の話が出来て良かったくらいに思ってるだけなのかも。
―――
「それでは午後の講義に入る」
今日は寮に戻ることなく軽いランチを取り、すぐに午後の講義となった。先ほどまでいた宮宰や軍司令も居なくなり、またさらにごっそり人が減っている。
今残っているのはスティーアの者と、ルフと同じイェーアト族のオーロフ、そしてゴートニアのヴェルンとその取り巻きくらいか。
アンジェロの講義はユミスと違っていつでも受講可能だからどの領地も現状を優先した結果なんだろうけど、それにしたって減り過ぎだ。
「昨夜から楽しみで仕方が無かったのだ」
そんな中、メロヴィクスだけは壇上で一人悦に入っていた。何でも俺とアンジェロの模擬戦が決まった時からずっとこの対決を待っていたらしい。ユミスの魔法の効果と俺のスキルレベルの両方を同時に見れる絶好の機会だとか。
……いや、いろいろ理由付けてるけど、前回のアンジェロとマリーの試合を見逃したのが悔しかっただけだろ。
だいたい側近連中だって適当に合いの手を入れてるだけで、俺には苛立たし気な視線しか向けてこないしね。
「今日の講義は、この人数ということもあり全員武闘大会に向けた模擬戦とする。ただし、儂の相手は決まっているゆえ、他の者には相手してやれぬことをあらかじめ詫びておこう」
アンジェロはそのように宣言すると、木剣を軽々肩に背負い大股でこちらへ向かって来る。
その姿はまさに狙いを定めた肉食獣のようだった。猛り狂う感情を圧し殺し、心底楽しそうに笑みを浮かべる表情には、じいちゃんと似た凄みさえ感じてしまう。
「皇子だけではない。儂もこの試合は楽しみにしていたのだ。さあ、早くユミスネリア殿に能力を上げてもらえ。儂は本気でやり合える喜びに満ちたこの瞬間が一番好きなのだ」
その言葉を聞いた途端、俺は背筋が凍り付き、思わずゴクリと息を呑む。
こいつはヤバイ――。
これまでもこの身体になって何度か危険に晒されたけど、そんな頓着ではない。
“深緑の死神”
模擬戦だからって悠長に構えていると、気付いた時には命が無くなっているかもしれない。
次回は6月中に更新予定です。