第六十話 相変わらずのマリーとルフの異変
「再戦だ、カトル!」
「うっ……」
「ん、マリーはわがまま言わない。カトルにそんな暇はないの」
「だが、いくらなんでも昨日のあれで終わりというのは酷ではないか」
「敗者は黙ってる。そんなに戦いたければ武闘大会まで待てばいい」
「なぁっ……。酷いぞ、ユミス」
にべも無いユミスの言葉にマリーはガックリと項垂れる。だが、むしろこんな体調にもかかわらず毎回同じように絡んで来られる身としてはバッサリ言ってくれるぐらいがちょうどいい。リスドに居た頃と違って、ここでは模擬戦の相手には事欠かないだろうし。
「ってか、やっぱりマリーも武闘大会出るんだね」
「もちろんだとも。四年に一度の貴重な機会をみすみす逃すわけにはいかん」
武闘大会の話題を振った途端、鼻息が荒くなるマリーに俺は若干たじろぐ。このままの勢いで迫られては敵わない。そう思ってちょっと矛先を変えようとナーサに話を振ってみたのだが。
「ナーサも出るんだよな?」
「私は出ないわよ」
「えっ……、そうなんだ」
「……何よ、その顔は。一応まだ私は修行中の身だし、やっと灰タグに上がったばかりで武闘大会に出られるわけないでしょう?」
なんでも灰タグのまま出場したのでは選帝侯一族としての沽券にかかわるとか。なんというか、貴族って厄介なものだなと改めて思わされる。
「マリーやルフが前回大会の実力者ってんなら、ナーサだって結構良いところまで行けそうなのに」
「はいはい、高評価ありがと。あんたと姉さんが大会に出場している間、ユミスの護衛をしっかりやっておくから、存分に戦ってきなさい」
俺の言葉をはいはいと受け流すナーサの表情はその口調とは裏腹に結構暗い。それ以上藪蛇にならないよう俺はそっと口を噤む。
なんだかんだマリーとも話せるようになり吹っ切れたのかと思っていたけど、前回大会敗退の傷跡はそう簡単に割り切れるものではないようだ。
「ん、その為にもカトルは午後の講義から徐々に慣らしていかないとね」
「慣らすって?」
「うむ。これまではヴェルンのような暴挙を防ぐため、私かナーサ、もしくはルフが実習を代わっていたが、これからは無理のない範囲で剣技を披露していってもらう予定だ」
マリーはなぜかとてもいい顔で今後の予定を教えてくれる。どうやら今の俺の能力なら実技程度は問題ないと判断したらしい。
「もちろん無茶を言ってくる連中の相手はこれまで通り対処するから、カトルは安心していいわよ」
ナーサはそう言って少し笑顔を見せてくれた。ちょっとした気遣いになんとも嬉しい気持ちになる。能力も結構上がってきた事だし、心配されないように頑張らないとね。
「……むう。ユミスは今、なぜ一瞬私の方を見たのだ?」
「ん、ついさっき無茶を吹っ掛けた張本人が何言ってるの?」
「う……」
「あ、はは」
ユミスのツッコミに涙目になるマリーを見てナーサが苦笑していた。だが、ナーサの懸念は正しい。どう考えたって実践練習を解禁して一番危険なのはマリーに決まってる。
「うん、姉の暴走を止めるのは妹に任せた」
「なぁっ?! ……酷いぞ、カトル。お前の言葉が一番心に突き刺さる」
―――
週明けの実習は真夏の照り付ける暑さの中でも休むことなく行われた。先週までより一段と暑さが増してきており、外に居るだけで熱中症になりそうである。
じいちゃんは暑さが厳しい時は授業を休みにしてくれてたので、連邦でも夏休みという概念はないのかナーサに尋ねてみた所、週半ばにあるアンジェロとの模擬戦の日を最後に、武闘大会まで講義は休みになるらしい。一応、中央棟に教師陣が残り個別対応は続けられるのだが、大半の貴族は各々それぞれの領地に帰還したり、武闘大会に向けた準備に勤しんだり、英気を養う為に静養したりするという。
「休みは嬉しいよ。でも……」
俺は断固とした口調で糾弾する。
「だからって、今週のユミスの講義が全て座学になるなんて狂気の沙汰としか思えない」
「ん!! そんなの私のせいじゃないもん。それに私だって大変なんだよ。色々喋りたいのに、我慢しなきゃダメだって言われて」
先週、一部貴族のクレームによりテストと言う名の魔法実習にそのほとんどを費やす羽目になったユミスは、予定していた講義を終わらせることが出来なかった。その為、残り三日の講義である程度の形になるところまで知識を詰め込むことになったらしい。
だが、そもそも瞑想さえ難儀している連中にユミスの座学を受けさせたところで、理解が追い付くはずもない。ってか、俺が同じ立場なら100%不可能だ。
「身体強化を使える者は、魔力や精神力の向上がそのまま能力の強化に繋がることをいやが応でも理解したはずだ。その上でユミスから得た知識をどう活用するのか、それは各々の裁量に委ねるほかあるまい」
「そんなこと言って、マリーは今日の講義内容わかったの?」
「四属性の習得方法については実に興味深かったぞ」
「それ、昨日までやってたことじゃん」
週明け初日のユミスの講義は、瞑想についての総復習と考察、それから四属性の習得方法と魔法の連続展開についてであった。さすがにここは孤島での三年間でじいちゃんにみっちりしごかれた部分なので俺は理解出来たけど、他の者ははたして何人がちゃんと分かっただろうか。
俺のまわりでもセストは最初の瞑想の導入部で既に頭を抱えていたし、アルデュイナは四属性全ての習得が必要不可欠と聞いて顔を硬直させていた。あれだけカルミネで俺やユミスが魔法を使うのを見ていたナーサでさえ、魔法の連続展開はさっぱり分からなかったらしい。
そして、ここまで鬱陶しいほど絡んで来ていたルフは、ユミスの講義が終わると一言も発さず難しい顔で虚空を見つめたままだった。何かあれば呼びもしないのにすぐ尋ねてきたのに、こちらから声を掛けても上の空なのである。
今も寮の食堂の壁にもたれ掛かり微動だにせず考え込んでいる。そのお陰で静寂魔法の魔石を使いこうして四人で駄弁ることが出来ているわけだが、今までが今までだっただけになんとも落ち着かない。
「確かにユミスの講義は意味不明のオンパレードだけど」
「そんなことないもん!」
ユミスがぷうっと頬を膨らませるが、いつもより突っかかって来ないところを見ると、周りの反応に結構ショックを受けているっぽかった。孤島ではじいちゃんと俺だけだったし、カルミネではターニャぐらいしか居なかったから、これだけ大勢の前で魔法の知識を披露したのは初めてのはず。しかも集められたのは連邦中から選りすぐった精鋭なわけで、それでこの体たらくなのだから、ユミスの魔法に対する造詣の深さがいかに突出しているのか如実に理解させられたのだと思う。
ただ、それを踏まえたとしてもルフの態度の変わりようは異質であった。先週までが異常と言われればそれまでだが、あれだけ俺の剣術レベルについてあれこれ聞いてきたり、瞑想について興奮気味に考察を語っていたことを思えば、何かショックを受ける内容がユミスの講義に含まれていたのかもしれない。
「静かになって良かったって考えれば?」
「そういう問題か?」
「ん……、何を考えてるかなんて本人しか分からないし。そんなことより今のうちにカトルに補助魔法を掛けるよ」
いつの間に用意したのか、ユミスの手には精銀製の魔石が握られており、疲労軽減魔法を手早く展開してくれる。
昼食後は本格的に演習へ参加するので補助魔法は助かるけれど、俺が考えるほどには誰もルフの事は気にならないらしい。
考えすぎ、とも思ったが、やっぱりどこかで引っ掛かりを覚えてしまう。そして、そんな懸念を拭い去れないまま午後の講義を迎えたのだった。
―――
午後の講義は、武闘大会前ということでより実戦を意識したものになっていた。皆、刃の付いていないサーベルないしは槍を手にしており、木製の得物を扱う者はほとんどいない。
だが木剣でさえようやく素振りが出来るようになった程度の俺には、鉄製の武具を扱うのはまだちょっと厳しかった。せめて普段使いの直剣ならまだ形になったかもしれないが、鉄製の模造剣だと重さと空気抵抗の圧で満足に振りかぶることも難しい。
『打ち合い十合だ。まずは手近な者と始めよ!』
アンジェロの咆哮が響くと、皆すぐさま立ち合いを始める。ふと横を見れば、セストが木剣を手に俺を待っていた。
「事情はナータリアーナ様より聞いている。私も木剣で立ち合ってやろう」
「おお、サンキュ。セスト」
「フン。借りは返す。ただ、それだけだ」
ユミスの講義であまりにもセストが困惑していたので俺なりの見解を伝えたのだが、どうやらお役に立ったらしい。俺もお礼を言って木剣を構える。
「先に打ってこい。貴様の腕前がどんなものか、確かめてやる」
そう言ってセストは剣身を真横にする。俺の一撃を弾き返し反撃するつもりなのだろう。それを防ぐには、セストの力を上回る斬撃を浴びせるか、続けざま二の剣を繰り出さなければならない。でも、今の俺にはそうするだけの筋力も俊敏性もない。ならば――。
「たあぁあぁあああ!」
「フン。生ぬるいわっ!」
俺の攻撃をいともたやすく弾き返したセストは、そのまま上段の構えより木剣を打ち下ろしてくる。だがそれは想定通りの攻撃であった。事前に最初の一撃を逆手で持ち替えていた俺は、セストの剣戟の強さも利用し、相手の上段の剣を柄のガードの部分で受け流す。
「なぁっ?! まさか!?」
「――そこっ!!」
「ちっ……! 小癪な真似を!」
木剣と木剣がはじき合う音が鳴り響き、セストは半身の態勢のまま一歩後退する。それを逃さず俺はここぞとばかりに突っ込んで――。
「そこまで!! 双方剣を引け!」
木剣がセストの首筋に伸びる刹那、マリーの制止を求める声に俺は動きを止め力を抜いた。一方、セストは信じられないものを見たかのような顔つきで俺を一瞥し、舌打ちした後、口を真一文字に結び直す。
「打ち合いという指示が聞こえなかったのか? セスト。先を譲ったとしても反撃して良いわけではないぞ」
「も、申し訳ありません、マッダレーナ様」
「そもそもなんだ、あの打ち下ろしは!? 慢心したか! 武において上位の実力者相手に胸を借りる絶好の機会、それを己が不遜で敗れるなど、なんたる体たらく、見るに堪えん。これがスティーアであったなら数日剣に触れさせず走り込みさせているところだ!」
およそ見たことが無いほど怒り狂うマリーに、セストは色を失い、平身低頭になる。
これには様子を見ていたナーサも唖然として、どうしていいか分からず、あからさまに狼狽えていた。どうやら彼女もここまで激高する姉を見たことがないようだ。
「まあ、まあ。落ち着けって、マリー」
「これが落ち着いていられるか! あやつはカトルと剣を交える貴重な機会を棒に振ったのだぞ」
「いやいや。俺との手合わせなんか貴重でも何でもないだろ」
「御為ごかしを言うでない! 私でさえ二度の手合わせでスキルレベルが8も上がったんだ。これを貴重と言わずして何とするか」
「「「――っ!?」」」
その瞬間、何とはなしに見守っていた周囲の空気が一変し、品定めするような視線が一斉に向けられる。俺が思わずビクッとなってたじろぐ中、ナーサは額に手をやり呆れた様子でため息を吐いた。
どうやらマリーの一言が貴族たちの虚栄心に火をつけたらしい。講義の最中にもかかわらずスティーアの者たちの間でにわかに喧噪が巻き起こり、口々に言い争いを始める。
「ほう、セストには分不相応な相手なのだな。ならばこの私が次の相手となろう」
「待て待て。こやつの剣の鋭さを見ていなかったのか? 我の剣速でなければ相手になるまい」
「腕試しであれば、スキルレベル20を超える私こそが相応しい。其方らは控えておれ」
誰が次に俺の相手をするのかという、およそ今までは考えもしなかった内容で皆が優雅に罵り合っている。しかも余計な事を言い出した主犯が選帝侯一族のマリーであるため、いっこうに騒ぎが収まりそうに無い。
「はっはっは。武に貪欲なのは実に結構ではないか」
「お見苦しい所を申し訳ない、アンジェロ教官」
「何、気にするな、マッダレーナ。儂も同じ穴の狢だ。お主の話を聞いて、手合わせを願わぬ者など一人もおるまい」
騒ぎを聞きつけてやって来たはずのアンジェロが、なぜか嬉々としてさらに周囲を煽り始めた。上に立つ者がそれでいいのかと思いきや、この場で一番のトップであるメロヴィクスはいつの間にか壇上で目を輝かせてこちらを見ている。
……ったく、マリーは焚きつけ過ぎだろ。だいたい今の俺と戦ったってスキルレベルが上がるとは思えない。
「しかし、スキルレベルならば、ルフ。お主こそ一番手合わせしたいのではないか?」
狢というより猪たちの競演じゃね? とか思っていたら、突然の興味を引く内容に俺は聞き耳を立てる。
「いえ、私は……護衛任務を全うするのみです」
「ふうむ。任務であれば儂が皇子に掛け合ってもよいぞ」
「お戯れを。本日の私は学区の生徒ではないのですから、講義で課せられた打ち合いを行う必要はありますまい」
「なるほど。確かに十合程度ではな。楽しみは武闘大会まで取っておくわけか」
アンジェロは俺にはよく分からない理屈で納得して頷くと、ルフの肩を叩き、また壇上へと戻っていった。そしてルフもまた思考の渦に埋没していく。
……護衛任務とか言うなら手合わせ、変わって欲しかったんだけどね。
その後結局スキルレベルが高い貴族順に手合わせを行うことになり、俺は散々な目に遭った。
なにしろ初っ端からしてアルデュイナだ。トリスターノの取り巻きの狐顔とやり合っていたから結構強そうだと思っていたけど、まさかナーサクラスの強さとは思わなかった。普段の講義ではその実力の半分も出していなかったようだ。しかもマリーの手前、最初っから一気呵成、全力で迫って来るし。身体強化を掛けた上で必殺の一撃を繰り出されれば、こっちは避けることも出来ずダメージを和らげるだけで精一杯である。
さすがにそんな相手に十合も持つはずがなく、俺はリタイア。途中からナーサに代わってもらったけど、普通の模造剣では彼女も太刀打ち出来ず防戦一方になっていた。それでもなんとか凌げたのはだいぶ身体強化が安定してきたからだろう。マリーの魔法特訓に付き合っていたのが功を奏したようで何よりである。
ちなみにその後、講義終了まで何人かと手合わせしたが、アルデュイナの次に強かったのはなんとセストであった。マリーの温情でもう一度俺との立ち合いを許されたのだが、実は敏捷強化の使い手で、突き攻撃に特化した彼の本領は槍を持ってこそ発揮し、俺はあえなく吹っ飛ばされてしまう。
いや、別に一回勝ったからって油断したわけじゃない。さすが選りすぐりを集めた中央棟の精鋭の中にいるだけあって、まともにかち合えば今の俺じゃボロ負けもいいとこだったってだけだ。
そんなわけで講義が終わった後も他の者は鍛錬を続けていたが、俺は早々に中央棟を退散して寮の部屋で休息することになった。
そしてルフは――。
「所要でしばし離れる。寮内で休息するならば夕刻までのユミスネリア様の護衛はマッダレーナだけで事足りよう」
そう言って中央棟へ戻っていった。
事ここに至ってマリーもルフの変化に気付いたらしい。怪訝そうな表情を浮かべたまま腕組みをする。
「一応、エディ兄上には報告しておく。何かあればすぐ連絡が来よう」
「あれだけカトルの剣技に執着していたのに、不思議よね」
「ん……別に、いなくなるなら好都合」
ユミスだけは無関心のままだった。
次回は5月中に更新予定です。
時間が取れそうなら早めの更新、もしくは長文の更新が出来れば……。




