第五十九話 模擬戦の裏で
翌朝。
太陽の光で目を覚ました俺は、時計を見てげんなりする。
「まだ5時か……」
窓から降り注ぐ強い日差しに思わず目を細める。どうやらカーテンを閉め忘れていたらしい。痛恨のミスだ。寮ではいつもルフが閉めていたので全く気が回らなかった。
それに昨日は眠すぎて気付かなかったが、部屋に氷の魔石が設置されておらず、もう一度寝るにはさすがに暑すぎる。ユミスが隣の部屋に居れば氷魔法による涼しさの恩恵を被っているはずだから、まだ金剛精鋼の部屋から戻ってないのだろう。
「まさか、まだ特訓をやってるなんてことはない……よな?」
誰に問いかけるでもなくそう呟き、その情景がありありと脳裏に浮かんでしまった俺は金剛精鋼の部屋へと急ぐ。
はたして扉を開けると、そこにはプールの中で懸命に洗浄魔法に取り組むマリーと、それに指示を与えるユミスの姿があった。
「はぁ?! まだやってたの!?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、ユミスから冷ややかな視線を浴びせられる。
「しぃーっ」
即座に口に人差し指を当てたユミスの視線の先には、地べたに突っ伏したままのナーサがいた。あまり魔力を感じないところを見ると、どうやら精神力枯渇で倒れ、そのまま寝ているらしい。
この睡眠中に魔力が一気に増えるので、起こすのはまずい。俺は足音を立てないようにそぉーっとユミスの傍まで行き、静寂魔法を掛けてもらう。
「これ、どうなってんの? ……まさか、二人とも全く寝てないとか?」
「ん、そんなわけない。マリーが精神力枯渇した時にちゃんと仮眠してる」
なんと、あれから既にマリーは二回も精神力枯渇でぶっ倒れたらしい。ユミスはある程度マリーの魔力が回復するまで仮眠を取り、目覚まし魔法で起きたら無理やりマリーを精神回復魔法で回復させてまた特訓、というのを繰り返していたそうだ。
……。
そりゃあ精神力枯渇して2時間くらいが一番魔力が伸びるけど、あまりにハードな内容に聞くだけで心が折れる。
「そんなことより、カトルも起きたんだったら朝食まで昨日の続きをしよう」
「いいっ?! でも、プールに入るのはちょっと危なそうなんだけど」
プールで洗浄魔法の練習に励むマリーの周囲は、魔力のこもった水飛沫が次々に飛び散っていた。あれ普通に水属性の攻撃魔法になってるよね? あんな所に行ったら確実に巻き添えをくってしまう。
俺がしり込みしていると、ユミスは少し苦笑しながら首を横に振る。
「カトルの能力もだいぶ上がったし、プールじゃなくてここで素振りね」
「あ、素振りでいいの?」
「当然、魔法で負荷は掛けるけど」
そう言うと、ユミスは水魔法と風魔法で俺の身体に薄い膜を覆っていく。
「何、これ?」
「強風魔法と水流魔法」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
これ、ちょっと動くだけでプールの中とは比べ物にならないくらいの圧を感じるんですけど……。こんな状態で素振りなんて、いくらなんでも無茶過ぎる。
「さすがに負荷掛けすぎじゃね? 全然動けないって」
「それはカトルが意識のどこかでセーブしてるからだよ。能力的には全く問題ないもん」
ほらっ、とユミスは魔力を満タンに込めた精魔石を出してくる。
名前:【カトル=チェスター】
年齢:【19/56】
誕生:【6/18】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【大陸外孤島】
レベル:【4】
生命力:【205】
体力:【71】
魔力:【118】
精神力:【64】
魔法:【火属7】【水属7】【土属17】【風属8】【光3】【雷8】【精神2】【特殊19】
スキル:【剣術77】【槍術11】【特殊6】
カルマ:【なし】
「うそっ!? こんなに上がってたの?」
だいぶ動けるようになってきたっていう実感はあったけど、まさかここまで体力が伸びているとは思わなかった。この一週間、ルフにまとわりつかれ思うようにリハビリ出来なかった割には凄い成長だ。
「カトルはツィオお爺さんに無理やり能力を下げられた歪な状態だって言ったでしょ? 土台になる骨格や神経の部分は前と同じで、まだ全然鍛える余地があるんだから、今のうちに徹底的にやらないと、ね」
……なんかユミスが恐ろしい事言ってるけど、確かにじいちゃんとの特訓みたいに三年かけてやっと詐称魔法を習得したとかに比べれば、断然やる気になる。むしろ、この一週間ルフに邪魔されていた時間がもったいなく感じるくらいだ。魔法に至ってはほとんど何も出来ていない。
「今日でマリーとナーサの特訓もひと段落するし、アンジェロとの模擬戦が終わったら魔法の特訓も増やすから安心して」
「うっ……」
どうやら俺はあえて魔法の特訓を控えさせられていたらしい。今の俺は精神力枯渇になる危険が高いので、効率の良い特訓には二人の“誓願眷愛”によるサポートが必須なんだそうだ。
……まあ精神回復魔法を掛けるにも気絶してたら意味ないしな。
しっかし、今も結構しんどいのに、これから先いったいどれだけ厳しくなるのだろうか。ちょっとは加減して欲しいけど、ユミスの事だから魔法こそ全力でしごくのだろう。
「何でそこで嫌そうな顔をするかな? ヴァルハルティが使えなくて困るのはカトルでしょ。このままじゃ剣を持っただけで精神力枯渇だよ」
「いや、でも武闘大会じゃヴァルハルティ使えないじゃん。あれ、魔力にしか反応しないから、相手の剣を捌けないし」
「ん……武闘大会の事じゃない。そっちは全然心配してないから。このまま頑張ればカトルなら絶対優勝できるし」
「はぁっ?! んなわけないって。この状態でどうやって勝つんだ?!」
俺が思わず大声を上げると、ユミスは呆れ顔でため息をつく。
「ハァ……。カトルは自分の事、全然分かってない。あと三週間もあるんだよ? 潜在値を考えたら、少なく見積もっても今の三倍くらいの能力にはなってるよ」
「へ?」
「それにこの前、無意識に魔力を使って身体を動かしてたでしょ? あれ身体強化だって気付いてる?」
「……っ?!」
なんと! 知らないうちに身体強化が使えるようになっていたとは!!
「慣れると必要な時に最小限の魔力で能力を増やせるから、意識的に魔力を使って身体強化するより断然効率が良いの。カトルの場合、魔力制御がダメダメだからまだ精神力枯渇の危険が高いけど、もう少し鍛えれば負けるはずないもん」
今の能力が三倍になり、かつ身体強化が使えるなら、確かにマリー相手でも互角の戦いが出来るかもしれない。
なんだか一気に希望の光が見えて来た。ユミスは無茶ぶりするけど、出来ない事を無理強いしてくるわけじゃないからね。
ただそうなると気になるのはユミスがヴァルハルティにこだわる理由だ。竜魔石を核に持つヴァルハルティは常に魔力を欲する魔剣であり、今の身体で使うのは無謀に等しい。前だって倒した天魔の魔力を奪うことでやっと安定したくらいだ。ちょっとやそっとの訓練で使いこなせるようになるとも思えない。
それに、そもそもヴァルハルティでなければならない相手など、それこそ天魔くらいしか考えられないわけで。
「連邦のどこかで天魔がわいて出たの?」
「ん……今の所、天魔の話は聞かないよ。でも、フェレスの行方は掴めていないんだし警戒はしておくべきでしょ?」
「それはそうだけど……」
出来れば武闘大会へ向けた特訓に集中したいので、魔法の特訓はほどほどにしたいなぁ。そんな心の声がだだ漏れだったのか、ユミスは眉をひそめ不満をあらわにする。
「カトルは魔法の事になるとすぐ手を抜きたがるんだから! おじい様の授業の時だって最初の10分ですぐ上の空になって――」
ぐわっ!? 失敗した! もう既に熱血モードだった!
こうなるともはやユミスの独壇場だ。静寂魔法を掛けているから、マリーに救援を頼むことも出来ない。
昔から何度も聞いた小言が繰り返される中、俺は久々に起きながら意識が遠のいていく感覚を味わう。
そして気付けば、朝食の為マリーがプールから上がって髪の毛に乾燥魔法を掛けていた。先ほどまで土気色だったナーサの顔色にも生気が戻っており、もうそろそろ起き上がっても大丈夫そうである。
「――だいたい今、頑張って魔法の練習をしておかないと、制御が不安定になって四属性すらまともに使えないままなんだからね! 絶対、魔法の特訓はやるの! いい? わかった? カトル!」
「はい、頑張ります……」
こうして次回の特訓内容が決定してしまった。
結局、なし崩し的にこうなるんだよな。まあ、頑張りはするんだけどさ。
……でも最後の防衛ラインだけは死守するぞ。マリーたちみたいに竜泉花のポーションをがぶ飲みした挙句、日に何度も精神力枯渇させられるなんて、たまったもんじゃない。
まあ確かに、いつの間にやらマリーの魔法を掛ける姿が様になってるのには驚いたけどね。でも、こんなの絶対普通じゃない。
そんなわけで、今日もまた死に物狂いでユミスの特訓を頑張ったマリーは、なんとか夜までに洗浄魔法をマスターしたのであった。
「やった……。やったぞ、カトル。いざ尋常に、勝負だ!」
洗浄魔法が成功して嬉しいというより、俺と模擬戦が出来て喜んでいるっぽいのは正直どうなんだろう。
「てか、そんな今にもぶっ倒れそうな感じで、本当に大丈夫なの? マリー」
「もちろんだ」
「ん、明日の準備があるんだから、カトルはちゃっちゃとやって」
「さすがにそれはテキトー過ぎじゃね?」
困惑する俺の前に、もはや執念だけで動くマリーが木剣を持ってユラリと立ちふさがる。
そしてユミスの合図とともに身体ごと俺にぶつかって来て――。
「え……?」
俺が軽く木剣で合わせただけで、マリーはねじの取れた人形のように倒れてしまった。
……。
「はい、カトルの勝ち。それじゃ撤収」
「え? え?」
極限まで魔力を振り絞って複合魔法の練習を繰り返していたマリーは、もはや限界ギリギリであった。そこに俺の魔力強奪スキルが加わり、あっさり精神力枯渇してしまう。
「こんな決着の付き方じゃ、マリーは納得しなくない?」
「ん、模擬戦の希望は叶ったから大丈夫でしょ。……きっと」
「そんな安直な」
「でもこれでカトルの魔力が尽きても、そう簡単に“誓願眷愛”でマリーが倒れなくなったから、やっと本気で特訓出来るよ」
「なぁっ!? それが狙い!?」
ふふん、とほくそ笑むユミスに俺は唖然として二の句が継げなくなる。まさかマリーへの地獄の魔法特訓が、俺の特訓に対する前哨戦だったなんて……。
もう既に次の週末が怖いんですけど。
知らないうちに着々と外堀が埋められていた事実に、俺は思わず頭を抱えたくなった。
次回は4月中に更新予定です。