第五十八話 ユミスの魔法特訓は厳しすぎた
「ああ、もう、なんなんだよ、あいつは!! 朝から晩までずっとまとわり付いてきて!」
週末、ようやくスティーアの屋敷に戻って来た俺は、この数日で溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように盛大にまくし立てた。
「ふぅ……ちょっと想定外だったわね。護衛の役目といえばそうなんでしょうけど」
ため息交じりにナーサが同調する。どうやら彼女も色々と溜め込んでいたらしい。疲労の色が濃く見える。
「ん……まさか寝る時までカトルの所に居るとは思わなかった」
「あれではユミスの護衛ではなくカトルの護衛と言われてもおかしくなかったな。ただまあ、気さくに稽古には応じていたし、そこまで他意はないと思うが」
「……マリーは模擬戦が出来て満足なだけだろ」
ルフによる護衛と称した監視の目は学区に居る間ずっと続き、講義中はもとより、寮内でもずっと一緒で、あまつさえ寝る時も同じ部屋という有様だった。ユミスたちと対策を取ろうにも「カトル殿の部屋はユミスネリア様の隣で護衛任務に都合が良い」と言われては断る理由もない。
結果、片時も心の休まる時はなく、心身共に疲れの拭えない日々が続いたのである。
そして、それに拍車をかけたのがルフ自身の存在であった。中央棟では各領地間で牽制し合っていたのか意外と問題は起こらなかったが、寮に戻るとセストやアルデュイナたち、そしてトリスターノを中心とした派閥の面々から事あるごとに模擬戦の誘いを受け、護衛対象であった俺は否応無しに付き合わされる羽目になった。
当然向かうはスティーア寮内の地下演習場。そこは中央棟で席を同じくする面々だけでなく、スティーア家に仕える貴族の子弟の多くが剣の修業に勤しんでいる場所だ。そんな所でまだ細身の剣すら上手く扱えない俺が模擬戦の終了までとどまるというのは針の筵以外の何ものでもない。
一応ナーサが付き添ってくれてはいたものの、彼女は彼女でトリスターノとの因縁もあってずっとピリピリしており、たまに来ては嬉々として模擬戦を行っていたマリーとはあまりにも対照的であった。
「だ、だが、ルフのおかげで寮内の者たちは盛り上がっていたぞ。模擬戦で敗れた者たちも皆、満足していた」
「満足に剣を振るえない俺はずっと白い目で見られていたけどな」
「そ、れはだな……」
俺のボヤキにマリーは目を泳がせる。
「そもそも何であいつは俺の傍にずっと居る? 今の俺じゃなーんも出来ないってのに」
「ずっとあんたと一緒だったわね。スティーアの状況を探りに来たわけでもなく、ユミスに何か遺恨がある気配もなかったし」
「だから、他意はないと言っているではないか。奴は根っからの武人だ。ハンマブルクの悪計にもベリサリウスの奸計にも早々簡単に手を貸すとは思えん」
「だったら俺の事も放っといてくれれば良かったのに」
「ん、ほんとそう。特訓の邪魔。魔力感知に長けているから安易に魔法を使えなくて、カトルのリハビリもマリーの魔法の習得も全然進まなかったんだもん。これじゃアンジェロとの模擬戦に間に合わないから、明日の二人の模擬戦は無しで週末はずっと特訓だね」
そんなユミスの言葉にマリーは目を剥いて異を唱える。
「なっ?! 待て待て! 今日明日で遅れを取り戻せば、日曜には出来るのではないか?」
「マリーの魔法はカトルよりぜんぜん遅れてるわけだけど、取り返せるの?」
「うぐっ……、も、問題ない。どのような試練であろうと必ず成し遂げて見せる!」
「ん、わかった。なら全員容赦しない」
「いや、あの、二人で勝手に話を進めないで」
だが、俺の言葉など無かったかのようにユミスはどんどん特訓の準備を進めてしまう。
ルフへの愚痴を言うだけだったはずが、どうしてこうなった?
気付いたら目の前に前回より一回り大きなサイズのプールが鎮座しており、足を取られる厄介な砂も完備されていた。さらに今回は中の水が勢いよく流れており、どうやら俺はその流れに逆らって進まなければならないらしい。
……前回の時点で既に相当キツかったんだけど、これ真面目にヤバくね? ユミスの事だから休憩なんてないだろうし。
「今回は疲労軽減魔法も掛けないから、疲れたらすぐ教えてね」
「え?! 休憩して良いの?」
「限界まで体力回復魔法で対処するから」
「……」
それ、体力が回復しても疲労はどんどん蓄積していく一方ってことだよな。
……めっちゃしんどそうなんですけど。
「あ、前みたいに無意識でも魔力を使っちゃダメだよ。能力分析魔法の予測が乱れるから」
「無意識なのにどうやって止めればいいの?」
「意識して魔力を使わないようにして」
「……さいですか」
とにかく疲労困憊で倒れるまでやれってことね。
こんなの長時間続くわけがない。きっと夕食と食休みの時間さえ計算に入れてるんだろう。
「ははっ、休憩なしか。カトルは大変そうだな」
俺がガックリ来ている傍でマリーは暢気そうに笑う。でも、どう考えたってキツイのはマリーの方だ。疲労困憊でぶっ倒れるくらいならまだしも、精神力が尽きるまで魔法を展開し続けるなんて考えただけで身震いする。
まあ、人の事を気にしている余裕は全然ないんだけどね。
そしていち早く自分の置かれた状況に気付いたナーサは、これから身に降りかかる悪夢に恐れおののいていた。
―――
「ハァ、ハァ、ハァ、……うぐっ」
「昨日と違って疲労軽減魔法も疲労回復魔法も掛けているんだから、頑張ってカトル」
「……っ」
今日も今日とて朝からユミスの特訓が続く。昨日は結局ぶっ倒れるまでプールを歩き続け、気付いたら寝落ちしていた。さすがに今日は一日中特訓ということで補助魔法はありとのこと。おかげで意識が飛ぶことはなかったが、それでも昼下がりの時間帯には息も絶え絶えで、喋ることすらままならなくなる。
まあそれでもあの二人よりはマシかもしれない。
「それで、そこの二人はいつまで倒れてるの? 竜泉花のポーションを飲んだんだから、もう回復したでしょ」
「……頭の中がグルグル回って吐き気が止まらないんだが」
「なんなのよ、これ?! 口中痛くてずっとヒリヒリしているんだけど!」
「良薬、口に苦し」
「苦いにも程があるでしょう!?」
ナーサは姉の存在も忘れ、ユミスに食って掛かっている。まああれだけ叫ぶ元気があるならナーサは大丈夫だろう。対してマリーは本当に具合が悪そうだ。
竜泉花のポーションは慣れないうちは後味最悪だからなあ。
俺も何度か口にしたことがあるけど、毎回飲んだ後はしばらく突っ伏していた記憶しかない。
龍脈の通る場所にだけ咲く竜泉花は、花弁に大量の魔力を保有しており、煎じて飲むと一時的に魔力が増大して精神力もかなり回復する。効果てきめんなので今回のような特訓にはうってつけだが、実際に飲まされる方はたまったもんじゃない。脳天を突き抜けるような激マズさに加え、あっという間に体内で膨れ上がる魔力に、じいちゃん曰く「酒を浴びるほど飲んで酩酊する」ような気持ち悪さが加わり、まったく動けなくなる。
でもユミスは飲んでもケロッとしてるんだよな。飲んですぐ魔法を展開し出すし、味覚がおかしいんじゃないかって心配になるレベルだ。……作る料理は普通に美味しいんだけどね。
「ほら。どんな試練も乗り越えるんでしょ? 早く立ってプールに戻る」
「……ユミスは稽古中のじじ様より厳しいのだが」
「ん、能力的には精神力は少しでもあれば立てる。だからマリーの言っているのは甘え」
……あーあ、これだもんなあ。
鑑定魔法、というか能力分析魔法か。それで能力を見通せるから、疲れたって言っても全然聞いてくれないんだよね。
体力、――正確には生命力と耐久力か、そっちの場合は即、死に繋がるけど、魔力の場合はよほど特殊な状況にでもならない限り、精神力枯渇でぶっ倒れるだけだからなあ。……その特殊な状況に何度も陥った俺が言うと全く説得力はないが。
なんとか立ち上がったマリーは、頭をふらふらさせながらプールの中へ戻っていく。ちなみに先ほどまでマリーと共に特訓に励んでいたナーサは限界、といった感じで×マークを作ってへたり込んだままだ。どうやらユミスの無茶な特訓に付き合うのは諦めてくれたらしい。少しホッとする。
そんなことしなくても日々の積み重ねでいくらでも取り返せる。否、むしろ日々の積み重ねの方が重要だってじいちゃんも言ってたしな。
……そうでも言っとかないと、いくらでも無茶ぶりしてきそうだからな、ユミスは。
「……っ、やったぞ! やっと水属性の制御が出来た!!」
そんなこんなで夕食後も延々と特訓に励んでいたマリーが、ついに水属性を発現させた。精神力枯渇で何度も倒れ、竜泉花のポーションを飲んでは突っ伏し、プールの中で何度も溺れかけたんだ。感慨もひとしおだろう。
「やったな、マリー」
「おめでとう、姉さん!」
「ありがとう! みんな!!」
「ん、おめでと。これでやっと複合魔法の練習に移れる」
「……」
あ、マリーの顔が分かり易く歪んでいく。そりゃあ、死に物狂いで頑張ってようやく水属性が発現したところでやっとスタートラインに立ったと言われれば、ガックリくるよな。
ただ、複合魔法の練習はこれまでと比べればかなり楽なはずだ。もちろん洗浄魔法の習得が簡単じゃないのは百も承知だけど、マリーは複合魔法である乾燥魔法が使えるので、四属性を組み合わせてそれらしき魔法を展開するだけならすぐ出来るはず。ゼロから一を生み出す辛さに比べれば雲泥の差であろう。
「乾燥魔法と比べて洗浄魔法はそこまで細かく制御しなくてもいいから、意外と楽だよ」
「そうか、ありがとう、カトル。なんとか明日の夜、模擬戦が出来るよう頑張るからな」
「……そう考えると、俺は応援しない方がいいのか」
「ん、心配しなくても大丈夫。カトルもこの調子なら、明日の特訓だけでなんとかなるよ」
「ええ? ほんとに?」
「それに今のペースだと、マリーはフラフラで立つのも難しいはずだから十分勝負になると思う」
「それ、大丈夫って言わないと思うんだけど」
なんだか、全部ユミスの手の内で転がされているなあ。
まあ能力の管理をしているのがユミスなんだから、当たり前っちゃあ、当たり前なんだけどね。
ちょうどキリが良かったので俺は一足先にリハビリを終えることになった。マリーは当然の如くこの後も特訓だ。マリーへのお手本も兼ねて俺は洗浄魔法と乾燥魔法をユミスに掛けてもらう。マリーはこのまま精神力枯渇するまで徹底的に洗浄魔法を展開し続けるらしい。ご愁傷様としか言いようがない。
「……で、ナーサは何やってるの?」
「わ、私は私のペースで練習してるの!」
ちょっと恥ずかしそうにしながらナーサは水を張った盥に手を入れて、地道に魔力を展開している。
さっきまでマリーと一緒に全身の魔力を練り上げていたのを鑑みれば、負担も軽いしはるかに簡単だから一人でも無理なく継続できるだろう。
「だったら今日はもう遅いし、寝て明日またすればいいじゃん」
「……姉さんが頑張っている間は私も頑張る」
ナーサはそっとマリーの方を見ると、また魔力を展開し始めた。マリーの頑張りがナーサへの良い刺激になっているのだろう。
俺はほどほどに頑張るよう伝えて金剛精鋼の部屋を後にする。
一人でゆっくり寝れるのも久しぶりだ。寮ではルフがずっと一緒だったし、昨日は結局金剛精鋼の部屋の床で爆睡してしまった。
ユミスの魔法でスッキリした事だし、すぐに寝るとしよう。明日も間違いなくキツそうだしね。
自分用に割り当てられた部屋に戻った俺は、ベッドにダイブして数秒で意識が遠のいていった。
次回は3月中に更新予定です。