第五十五話 皇子の思惑
そんな感じで無心で水中歩行を続けていたら、いつの間にか金剛精鋼の部屋からマリーとナーサの二人がいなくなっていた。
「昨日の現場検証と事情聴取、そのついでに注文した物も取りに行くって」
なんでも昨日の事件の情報がメロヴィクスの下までたどり着いた途端、徹底的な調査が行われる事になり、その協力の為、二人が出向くことになったという。
ユミスも同行を要請されたのだが、それはマリーが理由を付けて丁重に断ったらしい。建前としては安全面を考慮してとのことだが、当然ケルッケリンクとの兼ね合いもある。スティーア家としては当面の間、誰が狙われたのか分からない体にしたかったようだ。
「結構長くなりそうだね」
「でも、夕食までには必ず帰るって言ってたよ」
「夕食までに……って、俺たちの昼飯は?」
「ん、そこに置いてある」
見れば金剛精鋼の扉のすぐ横に配下膳ワゴンが置いてあり、緑の長い葉のようなもので三角状にくるまれたものが複数並んでいた。何かは分からないが妙にそそられるものがある。
「……ユミス。先に昼飯にしない?」
「ん、いいよ」
どうやらユミスも同じように思っていたらしい。早めの昼食を二つ返事で了承してくれる。
早速二人でワゴンに向かうと、薄っすら湯気が立ち上っているのが見えた。
「うわぁ、焼きおにぎりだ」
三角状のものは焼きおにぎりであった。
一つ手にしたユミスが緑の葉を剥くと、中からチーズが蕩けて出す。
「焼き、っていうか、蒸してるんじゃない? これ」
「ちゃんと裏側は焼けているでしょ? 炭で炙った後、チーズをのせて笹の葉で包んでいるんだよ」
他にも魚が入ったものや肉、根菜、キノコ類などいろんな種類の具が混ぜ込まれており、おにぎりを包んだ葉を取るのが楽しくなる。
もちろん味も格別で、醤油ベースのものからトマトソース仕立てのもの、仄かなだし汁の素材のみのもの、辛さの引き立つものまでさまざまだ。何より火属性の魔石で熱が保たれており、焼き立てさながらの味わいに思わず笑みがこぼれてしまう。
「いやあ、うまいな」
「ん、魔石の使い方も手馴れてる」
まさか温度を保つのに魔石を使うとは思わなかった。でもよくよく考えてみれば納得である。たまにユミスが氷魔法を飲み物に使っているけど、あれは氷を入れて冷やしているだけであって、細かな温度調整なら一定の魔力を出し続ける魔石の方が確実だ。
「火属性は制御し続けるの大変だからなあ」
たとえばこの焼きおにぎりだって、俺の魔法でホカホカのままにするなら5分が限界で、それ以上は集中が続かない。かと言って、それなりに貴重な魔石を調理ではなく保温に使うという発想はなかなか出てこない。
「食に対するこだわりはリスドやカルミネより凄いな。そりゃあ、マリーが食いしん坊になるわけだ」
「ん……食事だけじゃないよ。都市全体で魔石を大量に消費してる分、使い方がカルミネより洗練されてる。室温が保たれてるのもそうだし、馬車の車軸が安定してるのもそう」
「え、そんなとこまで?!」
「他にもいろいろ使われてるみたいだし、ちょっと悔しいけど、とても参考になる」
悔しいと言いつつ、ユミスは嬉しそうだ。魔石の新しい使い方がいい刺激になっているのかもしれない。
「しっかし、連邦で魔石がここまで生活に溶け込んでいるなんて思わなかったな。カルミネの方が魔道王国とか言われてるのにこれじゃあ全然逆じゃん」
「ん、魔道師ギルドは魔石を宝石みたいに扱ってたもん。その点、連邦では冬の寒さ対策で魔石が絶対必要だったから民間レベルでのカルミネとの差は明確だよ。最初、私が魔術統治魔法対策で魔石を作ろうとした時だって凄い反対されたし」
「自分たちは虹色の魔石を研究してたのに勝手なもんだ」
まあ、それが原因で壊滅状態になったんだからまさしく因果応報だ。まだ一人、のうのうと逃げ延びている奴がいるのは気になるけど。
「……マルガリーテ=フェレスの足取りは掴めてないよ。けど連邦だと、ここみたいに都市全体を感知魔法で監視している場所が多いから、だいたいの予測はつく」
フェレスが魔石の開発を続けるのであれば魔力を継続的に使わなくてはならない。となれば、そんな事が出来る場所は自ずと限られてくる。
「東部や北部は魔石の管理が厳しくて、生活に必要な魔石以外作るのは難しい土地柄なんだって。そして西部はツィオお爺さんが目を光らせていると」
「なるほど。だから南部の可能性が高いわけか」
「精神系の魔石は争いを生む道具だからね。ある程度予想はしていたけど、争いが続く五小国か連邦南部にフェレスは逃げ込んだんだと思う」
五小国はずっと戦い続きで領民は皆疲弊しているってじいちゃんが授業で言っていた。そんな小競り合いが続く場所に精神系の魔石なんかが出回ればより一層混乱は拡大するだろう。いや、もしかしたらそんな何十年も争いが続いて泥沼化している原因こそが、フェレスの魔石にあるのかもしれない。
そんな風に思考を巡らせていたら、突然ユミスは立ち上がり、パンパンと手を叩く。
「はい、おしゃべりはここまで」
「ええっ?! ここってめちゃくちゃ重要なんじゃないの?!」
「今の私にとって一番重要なのはカトルの体調だもん。ほらほら、もうお昼ごはんは食べ終わったでしょ? さっさとリハビリに戻って」
「うう……」
確かにその言葉は正論だ。
仕方なく俺はユミスに体力回復魔法と疲労回復魔法を掛けてもらい、またプールの中をグルグル歩き始める。
「フェレスの事はいろいろ気になるけど、今の私は彼女の生み出す魔石の危険性を伝えることしか出来ないし、何よりもまずアルヴヘイムへ行くのが先決でしょ?」
「そりゃあ、レヴィアに会うのは最優先だけど」
「じゃあさっきみたいに集中して頑張る! 今回の事件だってフェレスは絡んでいなさそうだし、今考えても仕方ないよ」
「……了解」
まあ、確かにユミスの言う通りか。それにフェレスの事もこうして話してもらって、俺だけ除け者扱いと感じたのは完全に早とちりだって分かったしね。
やるべきことに集中しよう。
俺は頭を空っぽにしてプールの水をかき分けていく。だが、さっきまでと違って、ユミスが魔法の練習をしながら波を作ったり砂を多くしたりといろいろやって来るので、ただ歩いているだけでも全く気を抜けない。無心で頑張っていると、いつしか時間も過ぎ去り、ユミスから休憩の合図が入った。
そして、ちょうどそのタイミングでナーサとマリーの二人が事情聴取から戻って来る。
「おかえり、二人とも」
「ああ、今帰った。いやしかし、本当に大変だったぞ」
難しい顔つきで部屋に戻って来たマリーは、挨拶もそこそこに事件の顛末を話し始める。
「今回の事件、皇子が珍しく感情をあらわにしてな。暴走を止めるのに苦労したぞ」
「最初は姉さんの事を気遣っていたんだけど、カトルの怪我を伝えたら、『このアグリッピナで大会出場者を狙うとは許せん』と言って、もの凄い剣幕で怒り出したの。その後いろいろ無茶な命令を出そうとして側近の人たちと揉めてね」
「うむ。あのベリサリウスが宥めるのに必死になっていたからな。……この分なら早晩傭兵ギルドに何らかの動きがあってもおかしくない」
「え、なんで傭兵ギルドが……って、狙われたのがマリーだったって主張したの?」
「馬鹿を言うな。こちらから事を荒立てるはずがないだろう? ベリサリウスの方から各ギルドへの詰問状をしたためると言明してきたんだ。『この首都で皇子がこれだけ熱を入れている武闘大会の参加者を直接狙う貴族などいない』と断言してな。……もっとも、そのおかげで皇子の暴走が止まったのも事実だが」
「最初皇子は武闘大会までの間、繁華街での通行を禁止しようとしたのよ? そんな事になれば街の人に恨まれるのは私たちなんだから、ほんと思いとどまってくれて良かったわ」
ナーサの言葉に俺は半ば唖然としながらため息を吐く。メロヴィクスの武闘大会への入れ込みようは一体どこから来てるのか、まったくもって謎過ぎる。一時の気の迷いにしても通行禁止なんてめちゃくちゃだ。
「ん、カトルは馬鹿正直に考えすぎ。通行禁止はマリーを納得させる為の方便だよ」
「え?」
「何か条件を出されたんでしょ?」
ユミスの問いにマリーは苦々しい顔つきで首を縦に振る。
「……うむ。武闘大会が終わるまで私たちは外出時の馬車の利用を義務付けられることになった。しかも軍からの護衛付きだ」
「学区内でも護衛を付けるんだって。明後日からの事を考えると溜息しか出ないわね。ほんと」
「いいっ?! 学区で護衛って、さっきの話と矛盾してるじゃん」
「私も学区内での護衛は不要と伝えたのだが、取り合ってもらえなかった。結果として事件になってしまったからな。ユミスに怪我がなくて良かった、だけでは済まされない。そういう意味では過信した私の失態だ」
「失態って……」
「でも姉さんより強い人なんて連邦全土を見渡したって数えるくらいしかいないのに、いったい誰を付けるつもりなんだか」
「ん……誰であっても邪魔」
身もふたもないユミスの言葉に思わず苦笑してしまったが、明後日から見知らぬ顔が側に増えると思うと憂鬱なのは否めない。
俺が避けてれば何て事はない事故だったと思うとやるせない気持ちでいっぱいになる。
「過ぎてしまったことを悔やんでも仕方あるまい。二度とこのような失態がないよう私は己を鍛えることに邁進するつもりだ」
そう言ってマリーが促すと、それにこたえるかのようにナーサは早速購入した木刀を構え前に出る。どうやら今日は魔法の練習ではなく徹底的に剣術の稽古に勤しむようだ。話し合いがどんな感じで進んだのか分からないが、二人とも何か心に期するものがあるっぽい。
……うーむ、俺も頑張らないとね。
俺はもう一度ユミスに回復魔法を掛けてもらい、プールへと戻っていく。ユミスはマリーとナーサが稽古をしている為、そのまま俺の鍛錬を魔法の練習をしながら見てくれるようだ。
ただ、それさえすぐに気にならなくなった。
まるで一心不乱に剣を打ち合うマリーとナーサに感化されたかのように感覚がどんどん研ぎ澄まされていき、指先から頭のてっぺんまで全神経が一つに集約されていく。
こういう感じは久しぶりだ。頭が自然と空っぽになり、身体が自然と動く。
なにより程よい疲労感がとても気持ち良い。
今なら多少の無茶でも出来る気がする――。
そんな時だった。急に身体がガクンと崩れ、視界が暗転する。
何が起こったか分からないうちに俺の身体はプールの底にある砂地の上に崩れ落ち、そして次の瞬間、慣れ親しんだ魔力の塊に包まれていた。
「……あれ?」
そういや俺、水の中に居なかったっけ……。何で息が出来るんだ?
「やっと気付いた。カトルは無茶し過ぎ」
「え、ユミス?」
目を開けるとユミスが心配そうに俺を覗き込んでいた。
ああ、ってことはさっきの魔力の塊は何かの回復魔法だったのか。
ユミスの魔力にさえ気付かないって、俺どんだけ集中してたんだ?
「……もうそろそろ夕食だって」
「いぃ、もうそんな時間? 今、調子良いから、もう少しだけ続けたいんだけど」
「絶対ダメ! 休むのも大事なの!」
ユミスが口をすぼめて怒り始めた。あまりの剣幕に俺は慌てて宥めようとして、刹那とんでもない脱力感に襲われ身動きが取れなくなってしまう。
「あれ? 身体が動かない……」
「魔力まで使って無理やり身体を動かしていたんだから当然でしょ!」
「え?!
「……まさか無意識に使ってたの?」
「えーっと」
魔力を使って身体を動かすって、どういう事?
はっ……?! もしや知らないうちに身体強化が出来ていたとか?!
……って、そんなわけないか。
うーん……、よく分からない。
「カトルは精神力枯渇になっていたの。今日は早く夕食を済ませてゆっくり休まないとダメ」
半分呆れた顔になったユミスにダメ出しされ、俺は素直に頷くしかなかった。
「……了解」
「ん、よろしい」
「で、さ。全然身体が動かなくて……」
「はぁ……。能力供与」
ユミスに大きなため息を吐かれながらなんとか立ち上がった俺は、金剛精鋼の部屋のすぐ外で待っていたマリーやナーサと合流して、食堂へのそのそ歩いていく。
そして侍女たちの胡乱な視線に晒されながらもなんとか食事を済ませると、自室へ戻りユミスに洗浄魔法と乾燥魔法を掛けてもらう。
「明日は朝早いからね」
「ユミス、目覚まし魔法を……」
「んもう、しょうがないなあ、カトルは」
「あり、が、と……」
文句を言いつつちゃんと魔法を掛けてくれるユミスに感謝しながら、俺は深い眠りに落ちて行った。
遅くなりすみません。
体調不良で倒れてました。
次回は12月末までに更新予定です。




