第五十四話 ユミスの魔法特訓は厳しすぎる
「いてててて」
昨日寝る前もバキバキだったけど、十分な睡眠を取ったはずなのに朝起きてもまだ身体中が痛かった。
『能力の上昇には魔法が邪魔になる』
俺がベッドへ横になるのを見計らって、ユミスは解除魔法を掛けてきた。その途端、今まで感じなかった疲労が一気に出て、身動きが取れなくなる。
疲労軽減魔法に疲労回復魔法、身体強化に回復魔法と、これでもかというほどユミスの魔法で能力の底上げをしながらの基礎特訓だったので、やってる最中は気付かなかったがとんでもない負荷が掛かっていたらしい。
『じゃあ、最後は魔法の練習ね』
『……』
もはや恒例行事となった精神力枯渇で意識を失っての爆睡だが、頭も重いし体も怠いしで朝から気分は最悪である。
「歩くのもキツイ……」
「それツィオ爺に会ってからずっと言ってるわね」
昨日の疲労が抜けず、朝からヘロヘロ。そんな最悪の状態で金剛精鋼の部屋に入る。やっぱり昨日の特訓にプラスしての精神力枯渇はどう考えてもやり過ぎじゃないだろうか。
「何言ってるのよ。あんた、筋肉の柔軟性や関節の可動域を広げるトレーニングしかやってないでしょう? 休むならせめて歩行訓練とか、筋力系の負荷をかけてからにしなさい」
「ん、前にも言ったけど、カトルはツィオお爺さんのスキルで能力が下がっただけだから、骨とか神経は傷ついてないの。だから、なるべく早く身体を馴染ませてあげた方が楽だよ」
「ほらっ! ユミスもこう言ってるんだし、さっさと行くわよ!」
「ナーサの特訓の後は魔法もやってね」
俺がどんよりしている横で、ユミスとナーサの二人は妙に嬉々としていた。
魔法の事になるとユミスの機嫌が良くなるのはいつもの事だけど、ナーサも俺に指導し始めて生き生きしている。道場で教えてたって言ってたし、根っからの教師気質なのかもしれない。
ちなみに、こういう時に一番熱くなりそうなマリーは、珍しく生気が抜けたような顔で呆けていた。昨日、散々ユミスに魔法指導された後、寝る間際も俺と同じく精神力枯渇になるまで徹底的にしごかれたらしい。
「精神回復魔法で回復した後に、また精神力枯渇まで追い込む特訓の繰り返しで、ヘトヘトになった所にあの試練だぞ。地稽古連続百回とかならともかく、ここまで精神的に追い込まれたのは生まれて初めてだ……」
いつもなら元気に模擬戦模擬戦言って来るマリーとは思えない発言に俺は思わず苦笑してしまう。
「魔力はギリギリまで追い込まないとなかなか上がらないからね。俺も最初は苦労したよ」
「カトルは本当にこんなキツイ修業をしていたのか? 私も乾燥魔法を覚えた時、血の滲むような努力をしたつもりだったのだが……」
「ん、どうだろ。私が孤島に居た頃は、俺には無理、とか言っておじい様の修業から逃げてばかりだったけど」
「うぐ……。ユミスが大陸に行った後はちゃんとしてたよ」
「ほんとかなあ。まだ信じられない。ん、でも、ちゃんとやらなきゃ詐称魔法なんて覚えられないもんね」
「うん、めちゃくちゃ頑張ったよ。でもじいちゃん、酷いんだ。最初は詐称と鑑定を覚えるまでの苦労だって言ってたのに、その後、もうそろそろ慣れてきたじゃろ? とか適当なこと言って、瞑想しながらの並行展開ずっとさせられてさ」
「「「……」」」
……あれ?
なぜか皆そこで押し黙ってしまった。
俺としてはユミスから、それはおじい様が無茶させ過ぎ、とか軽いノリが返ってくると思っていたので、この沈黙は反応に困る。
「何か俺、おかしなこと言った?」
「あんたは……。平然と言ってるけど、それとんでもない事だからね。そもそも魔法の並行展開とか、そう簡単に出来たら誰も苦労しないわよ」
「ん……さすがに瞑想しながらの並行展開は私もムリ。カトルにしか出来ない」
「ええっ?! ユミスはいつもやってるじゃん」
「瞑想して魔力を高めた後に魔法を並行展開するなら出来るけど、魔力を高めながらの並行展開なんて絶対ムリだもん」
「あ、そうなの?」
ユミスによれば、使用できる魔力の絶対量を増やす瞑想と、使用する魔力領域を増やす並行展開は、同じ脳神経が携わっているので同時には行えないとのこと。
なら感覚的に出来ちゃってる俺はなんなんだって話だが、俺も完璧に使いこなせているわけじゃなく膨大な魔力量による力技で押し切ってる感じなので、そもそもユミスとは根本的にやり方が異なるのかもしれない。
「なるほど。まだまだ精進が足りなかったと言う事なのだな」
ただなぜかマリーは俺たちの話を聞いてものすごくやる気になっていた。
……よく分からないが、まあ良しとしよう。
少しして朝食の時間になると、金剛精鋼の扉が光り、侍女たちが入って来た。せっかくの貴重な休憩時間も、サブリナたちがいると全然落ち着くことが出来ない。これなら、よほどリハビリしている方がマシなくらいである。
ただ、ベリサリウスやアントニーナの話をしている時は侍女たちの圧が若干緩くなって助かった。やはり敵の敵は味方と言うべきか、心持ち穏やかな雰囲気になる。
そして一つ分かったのが、ルフに対する評判の高さだ。前回の武闘大会でしのぎを削ったマリーだけかと思いきや、侍女たちにも思いのほか受けがいい。ベリサリウスやアントニーナに比べたら天と地の差である。
最初はメロヴィクスだけが武闘大会をものすごくプッシュしているのかと思っていたけど、やっぱり連邦の人たちは皆、熱狂するイベントのようだ。
食事が終わると侍女たちは部屋から退去し、本格的に特訓の時間となった。俺にはナーサが、マリーにはユミスがそれぞれマンツーマンで指導につき、ユミスに各種強化魔法を掛けてもらったら、今日もまた基礎運動の繰り返しだ。地道であるがゆえに効果が期待されるこの特訓メニューをこなすのは何より精神的に辛いけど、それでもやらない、という選択肢はないわけで、俺は大きく深呼吸をして気合を入れ直す。
「……お?」
それは間断なく行う筋肉の曲げ伸ばしを終えた時だった。ふとした拍子に俺は昨日より動きがスムーズになっている事に気付く。疲労が完全には抜けておらず、ナーサの宣告通り軽い筋力系のメニューも追加されキツくなってる割には、身体の調子がすこぶる良い。隣でマリーが死相を漂わせながら必死で水属性の練習をしているのに比べると雲泥の差だ。
もしかして今日は結構楽出来るかも、と密かにほくそ笑む。だが、そんな淡い期待を抱いていられたのも束の間だった。
「ん……そろそろ身体強化は必要ないかも」
「いぃ?!」
「解除魔法」
ユミスの魔法が掛かるや否や全ての能力の効果が一瞬でなくなり、全身に重みがズドンと圧し掛かってくる。
どうやら俺の状態はユミスにあっさり見抜かれていたらしい。
そういえばユミスには誰にも知られず能力を調べられる魔法があるんだっけ。
でもさすがに、いきなり魔法無しでこのメニューはキツすぎる。
「この後、昨日の鍛冶屋に出かけるんでしょ? わざわざ魔法を解かなくても」
「何を言ってるんだ、カトル。昨日事件があったばかりで軽々しく出歩けるわけがないだろう?」
「え?」
「本当に私が狙われたとすれば、選帝侯同士の争いが表面化することになるからな。この時期、それは非常にまずい」
それは昨日特訓をしながら散々話し合った事だった。
狙いがユミスであればいろんな可能性を模索しなければならなかったが、選帝侯の一族であるマリーが狙いとなれば話が大幅に変わってくる。
マリーによれば、ここアグリッピナにおいて他の選帝侯に知られず実力者を用意するなら秘密裏に傭兵ギルドが動くしかないという。だが、メロヴィクス肝いりの武闘大会が一か月後に迫っている今、大会出場者を狙えば皇子の顔に泥を塗る事になる為、そんなリスクを背負って傭兵ギルドが動くことはありえない。
それでも、もしギルドが動いたのなら、それは蜜月関係にあるケルッケリンク公爵の後押し以外ありえないわけで、スティーア側からその疑念が表面化してしまえば、もう両者の対立は後戻り出来なくなる。
「武闘大会が無ければ、私が一時的にラヴェンナに帰還する等、他にやりようもあったのだがな。確証がない今、とても不本意ではあるが静観するしかあるまい」
「じゃあ今日は」
「今日だけでなく、カトルとユミスは当分外出禁止だ。学区へも明後日の朝、馬車で向かうことになる」
「……マジか」
さっきまでの余裕は瞬く間に消し飛ばされた。
鍛冶屋に行くから今日は限界まで鍛錬することはないと高を括っていた自分を本気で呪いたくなる。
「ん……そもそも昨日からの能力の上昇幅を考えると、カトルは出来るだけ早めに特訓すべきだから、ちょうど良い」
「え、そんなに能力上がってるの?」
「はい、これ」
ユミスは空間魔法でサッと精魔石を取り出し魔力を込める。
精魔石は鉄石より調べられる内容が多い分、扱う魔力量が多い。その為、毎回ユミスが魔力を込めないと効果を発揮しないのだ。
名前:【カトル=チェスター】
年齢:【19/48】
誕生:【6/18】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【大陸外孤島】
レベル:【3】
生命力:【88】
体力:【24】
魔力:【114】
精神力:【34】
魔法:【火属7】【水属7】【土属16】【風属8】【光3】【雷8】【精神2】【特殊19】
スキル:【剣術77】【槍術11】【特殊6】
カルマ:【なし】
おっ、やっと【体力】が20を超えたのか。【魔力】もまずまずの成長だ。
ってか、土属性が二つもレベルアップしていて笑ってしまう。あんな小粒の砂を少し出したくらいで何でレベルが上がるのか、訳が分からない。
「体力24だと、だいたい10歳くらいの数値ね」
「待て待て! 魔力114ということは、たった数日で20以上も能力が上がったのか?! 私より増えているではないか! いったいどうなっているんだ、カトルは!」
「マリー、声が大きい」
「う……しかしだな、今のカトルはほとんど魔法の特訓が出来ない状況ではないか。そんなカトルに負けるなど――」
「ん、カトルは今能力がとても上がりやすい状態だから、これくらい当然なの。それにマリーも、昨日の訓練でちょっとだけ上がってるよ」
「ほ、本当かっ!? 私も調べさせてくれ!」
「うぅ……、しょうがないなあ」
ユミスが精魔石の魔力を込め直すと、マリーは子供のように瞳を爛々と輝かせながら手に取って数値を覗き込む。
名前:【マッダレーナ=スティーア】
年齢:【21/236】
誕生:【12/12】
種族:【人族】
性別:【女】
出身:【ラヴェンナ】
レベル:【20】
生命力:【1207】
体力:【462】
魔力:【126】
精神力:【413】
魔法:【火属8】【土属1】【風属3】【精神25】
スキル:【剣術41】【槍術17】【弓術22】【特殊35】
カルマ:【なし】
おおっ、これが能力制限魔法無しのマリーの能力か。
高い【生命力】や【体力】もだけど、一番目を引くのは【魔法】の項目だ。精神魔法のレベルが25というのはかなり凄い。ユミスだって雷魔法は同じくらいだったことを考えれば、魔力の少ないマリーがここまでのレベルになるには相当研鑽を積んだのだろう。
「魔力126……!!」
「ん、昨日は121だったからとっても順調。このまま水属性も覚えればもっと魔力が上がりやすくなるよ」
「本当か!? それは、頑張り甲斐があるというものだ」
ユミスの励ましで分かりやすく元気になるマリーの姿を見せられては、俺も頑張らざるを得ない。
身体強化が無くなるってことは、いよいよリハビリも本番て感じだしね。回復系の魔法は掛けてもらえるんだし、もう割り切ってぶっ倒れるまで徹底的にやってやる。
「……やっと、真剣になった」
「え? 何?」
「ん、何でもない。頑張ってね、カトル」
「あ、ああ」
ユミスに励まされ、俺は再びナーサの指示に従ってゆっくりと間接回りの筋肉をほぐしていった。身体強化が無いと動かすだけでも大変だが、何度も繰り返しやっていくうちに違和感なく動くようになる。
これを全身の筋肉で行えば、後は地道な反復練習だ。
「……昨日より全然楽になってる」
もちろんユミスの疲労軽減魔法の効果はあるだろう。だが朝は歩くのも辛かったのに、今は軽い運動でも許容範囲だ。どんどん自分から重さが取り除かれているかのような感覚に、自然と嬉しくなってくる。
それでも無理せず地道に歩行練習を行っていると、ユミスがマリーへの特訓をいったん打ち切り、魔法で巨大な箱のようなものを作り始めた。
「何やってるの?」
「ん、この中に水を張ってカトルに歩いてもらおうと思って。マリーの水属性の特訓にも最適だから一石二鳥」
「なるほど」
波打ち際で歩くと凄く良い運動になるからね。その延長なんだろう。
硬質化で固まった箱の中に、大量の水が瞬く間に生み出されていく。50m四方はある大きさなのに、ちょうど首のあたりまでつかる水量にきちんと調整されているのが凄い。
中に入ると砂地まで再現してあった。これは、歩くだけでも地味にキツイ運動になりそうだ。
「私はこの中を泳ぎ続ければ良いのか?」
「ん、別に泳がなくていいよ。常に水を感じながら全身に魔力を張り巡らせるのが重要」
「それは……難しいな」
マリーは俺が周りをグルグル歩く中、手足を大きく広げ、目をつぶって体内の魔力を円滑に動かすことに集中していく。
水を全身に感じながら魔力を動かすのは慣れないうちはかなり大変だ。水と体内の魔力は全く違う感覚だしね。これが同じような感覚になっていって初めて水属性を使いこなせるようになるんだ。
俺も昔やったなあ、と思い返しながら、なるべくマリーの邪魔にならないようゆっくりと水をかき分けて行く。
「ん、そろそろカトルは休憩ね。マリーは周りの水が自分の魔力と同化するようなイメージで、上空に魔力を放出して」
「ほ、放出!? う、うむ。やってみよう」
……前言撤回。
さすがに水属性が使えない状態で魔力の放出なんかやってない。どれだけハードモードなんだ、ユミスは。
マリーが顔を真っ赤にして魔力を練り上げるも、あまり水は反応しない。ほんの少しだけ、マリーの周りの水位が盛り上がった程度だ。
これだと水属性というより魔力を増やす特訓になってるような……。まあ後々洗浄魔法を使いこなすって考えれば効率は良いんだろうけど、水の反応も薄いし精神的にキツすぎる。
だが、そんな些細な変化にも興奮した様子で眺めている奴が一人居た。
「……私もユミスにお願いして特訓してもらおうかな」
俺が呆れ半分で見ている傍で、ナーサがとんでもない事を呟く。
「いやいやいやいや……。やめといた方がいいと思うぞ、あんな無茶な特訓」
「なんでよ。どれだけ大変でも、水属性が使えるようになるなら頑張る価値はあるじゃない」
「使えるようになる前にぶっ倒れるのがオチだって。魔法こそ無理しないで地道にやるのが一番――」
って、言ってるそばから魔力の放出が消え、マリーが仰向けのまま水中に沈んでいく。
「え?」
「ちょっ……?! 姉さん!!」
急いでナーサが飛び込み、水中に沈んだマリーを助け出した。どうやら完全に意識を失っているみたいだけど、周囲の水と自身の魔力を同化するイメージを作っていたんだから無理もない。言ってしまえば、龍脈に飲み込まれた時の俺みたいなものだ。
「ユミス、あれ大丈夫なのか!?」
「ん、普通の人だとまずいけど、マリーは“誓願眷愛”でカトルと繋がってるから問題ない。それより疲労回復魔法を掛けたから、カトルも訓練に戻って」
ユミスはそう言いつつもすぐにマリーの所へ駆け寄って行き、精神回復魔法を展開していく。どうやらユミスの言う通り大したことはなかったようで、程なくマリーは意識を取り戻した。それを見て胸をなでおろしているとユミスに睨まれたので、俺は慌てて訓練を再開する。
でもなあ。
やっぱり、いくら“誓願眷愛”で繋がってるって言われても、前後不覚に陥る姿を見せられたら冷静じゃいられないよ。
あ、でも、よく考えたら、俺はそんな姿を何回も見せてるんだっけ。
……特訓、もっと頑張ろう。
焦ってもやれる事は変わらないけど、せめて集中することくらいはできるはず。
俺は心でそう決意すると、一心不乱に水中を歩き始めた。
次回は12月中に更新予定です。