第五十二話 標的
屋敷に着くと、マリーは世話を焼こうとする侍女たちを制し、すぐさま地下の金剛精鋼の扉の部屋へ俺たちを連れて来た。
中に入ると示し合わせたようにユミスが魔力を展開し、金剛精鋼の扉へと放出する。
「じじ様の許可が出た。曰く『この部屋の使用は大量の魔力を必要とするが、使いこなせるものなら使えば良い』とのことだ」
「え?もう連絡ついたの?」
「珍しくじじ様がラヴェンナに滞在していたんだ」
普段はすぐにピラトゥス山脈へ篭ってしまうのに、ずっとラヴェンナに居てマリーたちの兄に稽古を付けていたという。
「魔力についてはユミスに多大な負担を押し付ける形になって申し訳ないが、出来るだけこの部屋を使っていきたい」
「ん、半分以上魔力を持っていかれるけど、それをするだけの価値がある。気兼ねなく魔法を使えるようになるから」
確かにここならば金剛精鋼に内包された魔力で気配すら漏れないだろう。だからと言って、金剛精鋼が誰の魔力で生み出されたのか考えると、どこぞの爺さんの影がチラついてしまうんだけどね。
しかし、ユミスの言う“価値”ってのはなんだろうな。
……なんとなく嫌な感じがするのは気のせい?
「いろいろ話したいところだが、まずは礼をさせてくれ。ありがとう、カトル。助かった」
「何とか間に合って良かったよ」
改めてマリーに深々と頭を下げられ、かえってちょっと照れくさくなる。
「ったく、あんたは無茶し過ぎなのよ。本当に心配したんだからね」
「ん、ナーサはカトルにもっと感謝すべき」
「なっ……?! 感謝してるに決まってるでしょ! ただ私は、カトルが前と同じように無茶をするからそれを心配して――」
「あはは」
「あんたはっ! 笑ってる場合じゃないでしょう!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向きながらも、こちらをチラチラ伺うナーサがおかしくて、思わず笑みがこぼれる。
「じゃあ俺からも。ユミス、回復魔法ありがとう。助かったよ」
「ん、私も助けられたからおあいこ。本当は私の方からありがと、って言うべきかもだけど、一番無茶しちゃダメなのに無茶したのはカトルだから、怒っておく」
「それは厳しくない?」
「厳しくない」
ユミスはそう言って可愛くほっぺを膨らませる。
結果から考えれば、確かにマリーやナーサに任せたほうが軽い怪我で済んでいたと思う。でも咄嗟の状況じゃ身体が勝手に反応してしまうんだよな。まあユミスが怪我をしなかったわけだし、無茶したことに意味があったと思いたい。
「改めて護衛については考え直すつもりだ。だから、カトル。助けてもらって言うのは心苦しいが、あのような場面では自分の身の安全を優先して欲しい」
「……ユミスが最優先ってのは変わらないけど」
「私とナーサを後回しにしてくれればそれでいい」
苦渋の表情を浮かべるマリーに、俺は神妙な面持ちで頷く。
それでスッキリしたのかマリーはそれまでの苦悩を取り払うようにニコッと笑うと、話題を変えて来る。
「よし、では本題だ。あの爆発音がした時、何が起こったのか詳しく話してくれないか、カトル」
「何がって……屋根瓦が落ちてきたから無我夢中で助けたんだけど」
「いや、そういうことではない」
マリーはゆっくりと首を横に振る。
どうやら俺の返答は望んだものではなかったらしい。
「ルフの手前、あのように言いはしたが、私は警戒を怠っていなかった。だが、気付いた時にはカトルに背中を押し出されていたんだ」
「私も、姉さんみたいに気配を察知できるわけじゃないけれど、さすがに頭の上から瓦が落ちてくれば気付くわ。でも本当に直前まで全く何も感じなかったし、凄い音がしたと思った時にはもうカトルに背中を押されてたの。ユミスもでしょ?」
「……ん」
ナーサの言葉にユミスもコクリと頷く。
「だから、カトルは何かに気付いたんじゃないかって」
「うーん、そう言われてもなあ……。俺も頭上で小さな力が動いたような気がしただけだから」
「小さな力……? となると魔法か?!」
「ん、それはない。誰かが魔法を使ったのなら感知魔法で必ず気付く。でも魔力を感じたのは屋根瓦が下に落ちた後だった。だから……小さな力なら、たぶん魔具か魔石の類だと思う」
「ちっ、魔石か。ならば衛兵からの情報は期待出来んな。瓦に紛れて粉々になった残骸から痕跡を見つけるのは至難の業だろう」
ユミスの言葉にマリーは眉をひそめ舌打ちする。マリーがここまで負の感情を出すのも珍しい。よほど今回の件は腹に据えかねているのだろう。
そんなマリーを少し遠慮がちに見ていたら、今度はナーサが横から口を挟んで来た。
「ちょっと待ちなさい、ユミス。魔石があのタイミングでたまたま力を発して瓦を落としたってこと?!」
「ん……そうだと思う」
「そんなの、ありえないわ!!」
「ナーサ、声が大きい」
「ちょっ……、悪かったわね!」
ユミスに冷や水を浴びせられ、ナーサは憮然とした表情で口をへの字にする。
「ん……遠くから魔石を発動させるとか、時限装置みたいな魔具とか、可能性はいくらでもあるよ。そもそも、感知魔法のタイムラグだってあるし」
「タイムラグ?」
「あのー、ユミス? 魔法理論はほどほどにね」
「ん! カトルは話の腰を折らない!」
ユミスが途端に不機嫌そうな顔で睨んで来るけど、ここで注意しとかないといつまでたっても話が終わらないのは経験上よく知ってる。
俺の言葉に今度はユミスが憮然とした表情になり、少し拗ねたように話を続ける。
「……簡単に言えば、術者が近い場所にいる方が早く感知できるけど、遠い場所にいると時間がかかるってこと」
「それなら魔法が苦手な私でも分かるな」
少し身構えていたマリーがホッとしたように相槌を打ち、ナーサもそれに続くように頷いた。魔法に関する話で警戒していたのは俺だけではなかったようだ。
「なら、実際に感知魔法で認識するのは発動した魔法の魔力じゃなく、魔法を展開した者から生まれる魔力の残滓というのは知ってる?」
「う、む……?」
「知っているわ。でも、それって魔石から発する魔力は感知されないという話でしょう? 全然違う事じゃない」
えーと、待て待て。いきなり難しくなったな。
たとえば照明魔法だと、実際に照らされた場所じゃなくて、魔法を使った者の体内に残る魔力の滓が感知される。だけど魔石の場合、滓が残らないから感知されない。
……うん、確かにナーサの言う通り魔石の話っぽいけど。
「ん、ナーサは結論を急ぎすぎ。今は感知魔法の話をしてるの」
「う……、タイムラグだったわね」
「魔法の発動と展開場所は基本ほとんど変わらないからあまり気にされないけど、仮に凄く離れた場所から魔法を使えるとしたら――」
「なっ、そんな事が可能なのか?!」
「ん、不可能じゃない。けど、別の話だから後回し」
「後回しと言われても、それが可能なら根本から護衛の、いや国防の観念すら変えなければならんのだが……」
マリーは釈然としないのかブツブツ呟く。でも、離れた場所からの魔法くらいレヴィアとかなら問題なく出来ちゃいそうだ。ってか、そもそもレヴィアなら感知自体されないか。
「その場に居合わせないで魔石を発動させる。それを離れた場所から行えるなら、その距離分感知魔法の認識に時間差が生じるし、そもそも認識出来ない可能性だって出てくる」
「……なるほど、ね」
「もちろん今回のケースに当てはまるかどうかは、クリアしなきゃダメな前提がいくつもあるけど……」
「クリアしなきゃダメな前提って?」
「例えば、魔法を展開する場所。感知魔法によるタイムラグを考えるなら、ある程度離れた距離で、視界良好かつ私たちとは真逆の位置関係に居る必要がある」
「……他には?」
「離れた場所からでも正確に魔力をコントロールできる力は絶対。あと今日あそこを私たちが通るという情報も必要だし、誰にも気付かれず仕掛けを施す隠蔽スキルも必要ね」
「それは……」
列挙された前提条件に俺は言葉を失い、ナーサは疲れた様子で溜息を吐いた。それこそ、ユミス本人じゃないと無理だろって感じの条件ばかりだ。
ただそんな無理難題を聞いてもマリーだけは厳しい顔つきのまま何事か考え続けている。
「マリーは何か思い当たる事でもあるの?」
「いや、さすがに今ユミスが挙げた条件に全て当てはまる者など思い当たらないのでな。視点を変えていた」
「視点?」
何だか面白そうな話だなと期待して返答を待っていると、マリーは少々呆れ顔を向けてくる。
「カトルはなぜそんなに楽しそうなんだ? 大怪我をして、もしかしたら死んでいたかもしれないんだぞ」
「え……?」
「怪我で済むような罠だったかもしれないが、命を狙われたことには変わりない。私が殺気立っているだけかもしれないが、もう少し危機感を持っても良いのではないか?」
そのマリーの言葉に、俺の中から何かが欠落し、頭が真っ白になる。
命を狙われた……?
誰の?
「感知魔法の虚をついている以上、やはり狙われたのはユミスだろう。だが、いったい誰がこのような凶事に走ったのか、そこに今回の事件の問題を解く鍵があるように思えてならない」
「今、ユミスを狙うってなると、やっぱり魔道師ギルド……?」
「件のマルガリーテ=フェレスか。南部に潜んでいる可能性が高いのだったな。うーむ……。確かにルドガーの店の周囲は南部諸侯と縁のある家が多いが、犬猿の仲であるケルッケリンク公の影響下にあるアグリッピナで動くとは思えん。それに武闘大会が差し迫ったこの時期に、皇子の意向に背いてまで事を為すのは南部にとって相当のリスクだ」
「ん……現場に居たルフは?」
「本人にも告げたが、ルフならば正々堂々正面から来る。もっとも、イェーアト族全体となるとハンマブルクの手駒に成り下がった奴もいるので何とも言えん。ハンマブルク公はカルミネ王国に対する急先鋒だからな」
俺だけ置いてけぼりで三人が今後の対応を話し始めていた。
ってゆーか、やっぱり俺の居ないところで魔道師ギルドについても話し合われていたみたいだ。まあ、ここに来てから気絶しまくりだから、俺が話に加われなかったのはしょうがないのかもしれないけど。
ぽっかりと心に穴が開いたような気がして、三人の話し合いを何とはなしに眺める。
ただ、なぜか脳裏の後ろでチリチリと違和感が疼くのを感じていた。
何かがおかしい。
それが何なのか、すぐそこまでぼんやりと浮かんで来ているのに、パッと出てこない状況にモヤモヤする。
「魔石の発動に、魔力が一切使われていない可能性は?」
「ん……、魔石が魔力を込めたものである以上、魔力無しに発動は出来ないはず。それこそツィオお爺さんなら何か別の方法を知っているかもしれないけど」
「竜族の賢者たる智慧に頼る時点で、可能性からは外すべきだ」
「でも、ユミスの感知魔法に気付かれず、遠くから一点集中で狙い目を付けるなんて本当に可能なの?」
「ん……それなりの魔力量を持った熟練の魔法使いなら、時間を掛ければ可能、だと思う」
……え?
今、何か頭によぎるものが。
「私たちは歩いて移動していたのに、時間を掛けるなんて無理よ。……単純に消失魔法で姿を消して、あの建物の上に居たとかは?」
「ん! 消失魔法なら絶対に魔力で気付くよ」
あ……!
「そうか!! やっとわかった!」
「「「……っ!?」」」
俺が突然大きな声を出したので、三人とも驚いて訝し気にこちらを見る。
でも気にしない。
やっと胸のつかえが取れてスッキリした気分なんだ。
「三人とも違うよ」
「は……?」
「何が違うんだ? カトル」
「だって俺が、ユミスの命を狙われて冷静でいられるわけない」
だってそれは俺のたった一つの誓約だから――。
「だから、前提が間違ってるんだ」
「あんたねえ……。いきなり何を――」
「ん、ナーサうるさい」
「なぁっ!?」
「カトル、続けて」
ナーサを跳ね除け、ユミスが俺に視線を向けてくる。
もう不可解そうな色はない。俺を信じてくれている真っすぐな瞳だ。
「命を狙われたのはユミスじゃない」
「……っ!?」
「魔力を持った熟練の魔法使いって言葉でピンと来た。狙われたのはマリーだ」
部分部分修正しての投稿です。
次回は11月中に更新予定です。