第五十話 中央街区へ行こう 前編
「ううむ。ユングヴィ公子があそこまで自領の面子に拘るとは思わなかった」
「ん、言い掛かりも甚だしい」
午後のアンジェロの講義も終わり、ユミスたちと合流した俺たちは早々に寮に戻り、この後の準備をする……はずが、壮絶な愚痴大会になっていた。
ユングヴィが再試験を促した挙句、試験に参加していたのは俺も見たが、どうやらそれだけでは済まなかったらしい。ユミスの出した氷壁に言い掛かりをつけたり、時間配分に注文を付けるなど、あの手この手で試験を引っ搔き回したという。
「ユングヴィ公子は選別という行為自体に不満を抱いていたからな。連邦の貴族は講義に参加する権利を有すると豪語していたが、それならば貴族の誇りにかけて訓練に耐えうる精神を培うべきであろう」
「ん……、皇子が実践形式を望んだから試験したけど、私はずっと座学でも良かったんだけどね」
午前中全部ユミスの魔法の話って、それ、どんな拷問?
ってなことを思ったとしても、絶対口には出さない。
「無理やり合格したって、後で地獄を見るだけなのにね」
「地獄って、そんなことないもん! 受講者の平均に合わせるんだから」
「それって全然先に進まないってことじゃん」
「……ん」
「はぁ。そんなんで戦力になるような人材が育つのか?」
「皇子とは見解のすり合わせが必要になってくるであろうな。ただ、どう転ぶにせよ、ペースダウンは免れまい。ユミスの修練のスピードに合わせられる者など、ほんの一握りに過ぎん」
まあ、それもそうか。
っていうか、そもそも瞑想の特訓はひと月ふた月でなんとかなるようなものじゃない。ここまでのさわりは簡単だけど、この後が大変、というかここからが本番だ。本来の魔力以上の力を体内で安定させるには、ユミス曰く、研ぎ澄まされた制御力と何物にも負けない鋼のような精神力が必要である。
何で又聞き風かと言えば、俺自身の瞑想が、魔力を上げるのではなく安定しない制御力や足りない精神力を余った魔力で無理やり補うものだからだ。若干毛色は違うけど、まあ、通常では使う事の出来ない魔法を幾重にも展開しうるという意味では間違ってないはず。
ってか、じいちゃんだって認めてくれてたんだから、誰が何と言おうとこれはこれで正しい使い方なのだ。いくらユミスがジト目で見てこようと知ったことではない。
「しっかし実際の所、人数たくさん増えたら実践形式の講義は無理だよね。ナーサやマリーでさえ、昨日突っ伏してたし」
「昨日の練習はこの二人だからしたの! あの公子の望みは均衡なんだから、あまり負荷が掛からない練習をする予定だよ」
「均衡……?」
「全ての貴族に平等な機会を、だそうだ。だが、鵜呑みにすることは出来ん。北部の産業は魔法を基に成り立っているからな。魔導師ギルドと強固に結びつき、魔石販売を手掛ける北部にとって、貴族の魔力が上がるのは好ましくないはずだ」
「でも姉さん。そこはさすがに北部の間で話が付いているのでは?」
「いや、皇子には戸惑いの色が見えた。何かしら裏で見解の相違があったのかもしれない」
現皇帝はホールファグレの前領主であり、ユングヴィのシルフィングと同じ北部貴族だが、どうやら昵懇の間柄というわけではないらしい。
「そんなの当たり前よ。ゴートニアとのいざこざを考えればわかるでしょう?」
「なるほど」
そういや、スティーアとゴートニアも同じ西部貴族だったっけ。ヴェルンの態度を鑑みれば、北部貴族も内心いろいろ抱え込んでいるに違いない。
うーむ。
やっぱり貴族って奴は一筋縄ではいかない連中ばかりだ。
なんにせよ俺なんかが考えたってどうなるわけでもない。それに愚痴を聞き始めてそろそろ一時間が経つ。自主練習の時間が終わる前に出かけないと、またぞろ誰かに見つかって難癖付けられるかもしれない。
「これから街に出てギルドに行くんでしょ? 他にも寄る所があるって言ってたし、急がないと美味しい食事にありつけなくなっちゃうよ」
「むむ。それは確かに極めて重要な命題だ」
「……姉さん」
「ん、やっぱりカトルも食いしん坊」
生粋の食いしん坊であるマリーと同じ扱いをされるのは不本意だが、皆の行く気を誘うことが出来たので良しとする。まだユミスは不満そうな顔をしてたけど、これで不毛な愚痴大会も終焉だ。
それにしても静寂魔法が使用禁止で盗み聞きされるのは覚悟の上なのかと思いきや、マリーもユミスもあまり気にすること無くメロヴィクスやユングヴィに対して愚痴っていたのは少し驚いた。思わず俺もつられて言いたいことを言おうか迷ったほどだ。
まあでも、微妙な言葉のニュアンスの違いとかあるかもしれないし、貴族の事は出来るだけ口に出さない方が無難だってのは変わりないけどね。どこで誰が聞いているか、分かったものじゃないし。
「では行くぞ」
着替えを終え準備万端整えた俺たちは、マリーの号令のもと街へと歩き出した。
そういえばギルドに行くのも久しぶりだ。シュテフェンで寄って以来全く顔を出していない。シュテフェンのギルドはカルミネと同じであまり開放的ではない感じだったけど、アグリッピナのギルドは大陸の傭兵ギルドの中心と言うし、どんな風になっているのかちょっと楽しみだ。
「なんかカトル楽しそう。そんなにご飯楽しみ?」
「なっ……?! ご、ご飯が楽しみなのは否定しないけど、こっちのギルドがどんな感じなのか気になるんだって」
「そうなの?」
「そうなの!」
まったくユミスも失礼な。俺は美味しい料理は好きだけど、そればっかってわけじゃないっての。
そんな感じでプンスカ怒っていたら、なぜかナーサが申し訳なさそうに謝ってくる。
「あー、カトル? 期待させて申し訳ないんだけど、カトルはギルドに行っちゃダメよ」
「へ……? なんで?」
「カトルの今の能力じゃ、強制依頼受けられないでしょう? 高ランクの傭兵には相応の待遇が与えられる以上、ギルドがほったらかしにしないわよ」
「うむ。カトルはカルミネで十分な成果を上げたのだろう? ならばわざわざ再登録する必要はあるまい。身分はスティーア家が保障済みであるし、皇子からの要望に沿って動いているからな。ギルドの待遇は特にないが、その変わりランクが下がることもないぞ」
む、確かに今、強制依頼を課されるのは肉体的にも状況的にもキツイ。てか、仮に身体が問題なかったとしても、学区に居てどうやって依頼をこなせばいいのかさっぱりだ。
ぐうの音も出なかった俺は、結局、二人の言葉に従ってギルドの入り口でナーサの手続きが終わるのを待つことになった。
ちなみにユミスも再登録をしないが、ナーサと一緒に受付に行って護衛依頼の仲介を行う必要がある為、ギルドの中に入るという。
「ギルドの入り口は開放されているので滅多な事は起こらないし、私も出来るだけ目を配るつもりだが、他の傭兵連中といざこざを起こさぬようにな」
「そんなことしないって」
「何言ってるの。カルミネで初めてあんたとギルドに行った時、散々揉めたでしょう?」
「あれは、向こうから喧嘩を吹っ掛けて来たからだろ」
「だから、それも含めて我慢しなさいって言ってるの」
「……」
学区を出てギルドへ向かう道すがら、マリーとナーサの二人からそんな事を言われれば、俺も憮然としてしまう。
確かにカルミネではギルドの一階にいた連中の売り言葉に買い言葉で応酬したけど、それはナーサが関わっていたからで、何でもかんでも猪みたいに特攻するように思われるのは甚だ心外だ。
だが、ナーサはそんな俺を見て呆れたようにため息を吐く。
「はぁ。あまり分かってないようだから、ちょっと耳貸しなさい」
「はい?」
「いいから貸すの!」
唐突に耳を引っ張られ、街角の壁際に押し込まれてしまう。往来の中、人目が突き刺さって恥ずかしくなるが、なんとか堪えてナーサの言葉に耳を傾ける。
「いい? アグリッピナでのあんたの立場はカルミネの頃と真逆なの。仮初めとはいえ貴族になったんだから、一般市民を相手に同じ目線で争うのはやめなさい。嫌味のひとつふたつくらいは笑顔で無視して」
「そんな無茶苦茶な」
「ここはカルミネでもラヴェンナでもないの。アグリッピナの長官は皇子の直属で、傭兵ギルドが懇意にしているのはケルッケリンク公爵よ。そんな場所でスティーアの貴族が問題を起こせばどうなるか、分かるでしょう?」
「うっ……」
貴族の身分を貰ったのに、かえって自由がきかなくなるとは。
でも確かにナーサの言う通り、俺が問題を起こすとそれがナーサやマリー、ひいてはユミスの立場を悪くしてしまう。
「了解。何もせずボーっとしてる」
「よろしい」
まあ、しょうがないか。
こうなったらマリーの言っていた“香草の牛追い亭”の料理へ期待を膨らませることにしよう。……ユミスの言う通りになった気がしてちょっと複雑だが。
中央街区へ行くには学区から宮廷区内を抜け、いったん東部と北部の連中が住む貴族街へ出ることになる。カルミネと違ってアグリッピナの貴族街はその名の通り貴族しか住んでいないので歩いているのは使用人くらいかと思いきや、意外と徒歩の者の姿が多い。貴族は全員馬車で移動すると思っていただけにかなり驚きだ。
だが、それを伝えるとマリーは苦笑いを浮かべる。
「カトルのように考える者は多いが、実際のところ馬車に乗るのは儀礼的な意味合いが強いんだ。宮廷へ赴く前に徒歩で正装を汚すわけにはいかないからな。だが普段から馬車を使う者はあまり多くないぞ。正直、そこまで乗り心地が良いものでもないし、それに歩いた方が健康的だろう?」
「ガタゴト響くもんね」
「ん……でも一応、馬車には防犯上の意味合いがあるよ」
単純に姿が見えないことで余計なトラブルを防げるし、弓矢で狙われることもない。そして視認して初めて効果を発揮する魔法も多いので、未然に危険から身を守ることが出来る。
「実際、街中で相手に気付かれない距離から狙える魔法などたかが知れてる。よほど矢じりで狙われる方が危険だ。もっとも、そんな不埒者は警備隊によってすぐ捕まるがな」
マリーの言葉にユミスが小さく頷く。
……ラドンの使う幻覚魔法や恐怖魔法は例外なんだろうな。そもそも、あんなハチャメチャな奴がそこかしこに居たら、誰も気軽に外を出歩けなくなってしまうし。
「それより、シュテフェンで見た魔石よ」
「む、この前注意するよう言っていた魔石だな。混乱魔法だったか?」
「ん……精神系の魔石は狭い屋内しか効力を発揮しないから馬車に乗り込まれなければ大丈夫。魅了魔法も傀儡魔法も平気。問題は消失魔法を――」
いつの間にかシュテフェンにおける一件の情報がマリーと共有されていた。確かに海路ドルゥウェルペン経由で混乱魔法の魔石が入り込んでいる可能性を否定できないから早めに伝えたんだろうけど、……ちょっと疎外感だ。
俺が気絶してる時とかに話したのかな。
「なんだか騒がしいね」
貴族街と中央街区の境界門が見えてくると、向かう先からざわめきが響いてくる。
「明日は休みだからな。身分関係なく仕事が終われば繁華街に繰り出す者で溢れている。ただ中には羽目を外し過ぎる輩もいるから、見回り組は大変なんだ」
「なるほど」
「カトルも美味しいご飯を食べるからと言って羽目を外し過ぎたらダメだぞ」
なぜ俺に注意してくるのか分からなかったが、そう言うマリーの方がよほどそわそわしていた。きっと楽しみで仕方ないのだろう。だが、俺が苦笑しながら頷くとジト目で睨まれる。
「なんだ、カトル。私は食事で羽目を外したことなどないぞ」
「ええっ、そうか? モンジベロ火山に行くときも朝食時間をオーバーしてレヴィアに耳を引っ張――」
「うわわわわっ。あ、あれはレヴィが朝食も食べずに出発するなんて言うとは思わなくて、つい、たくさん食べようとしてだな」
「……姉さん、それはちょっと」
「ん、ダメダメ」
「……うう。酷いぞ、カトル」
ナーサとユミスに呆れられ、マリーは涙目で訴えて来るが、俺は事実を言っただけだ。レヴィアもこと食事の件だけは決して譲らなかったからな。甘んじてその評価を受け入れて欲しい。
「どうぞ、お通り下さい」
簡単な確認だけの検問が終わり中央街区へ出ると、大通りはカルミネにも負けない人の多さと活気で満ち溢れていた。たくさんの人のにぎやかな様子を見ると、こちらの気分も自然と高揚して来る。
リスドやカルミネと違い屋台は一つもなかったが、その代わりに年代物の建物が周囲を固め、鍛冶、防具、魔石から食料品、衣服、生活用品、はては骨董品や贅沢品の類までありとあらゆる店が立ち並んでいた。
そんな街中で一際目を引いたのが、大通りを優雅に歩く妖精族の姿だった。
カルミネではそれこそエーヴィくらいしか居なかった妖精族がそこかしこに散見されるのだ。これこそまさにラティウム連邦とアルヴヘイムの繋がりを如実にあらわす光景と言えるのだろうが、と同時に疑問も感じてしまう。
妖精族は基本的に閉鎖的な種族だ。人族とは違った独自の思想観念を持ち、森を中心とした自然溢れる環境を好む為、自らが定めた領域から出ることは滅多にない。
だからこの大勢の妖精族たちの存在には必ずアルヴヘイムの意向が働いている。
交流の一環で人族の国に興味を持った者がやって来ている、というだけでは、これだけたくさんの妖精族がこのアグリッピナに居る理由にはならない。
「着いたぞ。そこの建物が傭兵ギルドだ」
マリーの言葉にハッとして指し示す方角を見やれば、二つの大通りが交差する十字路の一角に、一際大きな黒塗りの建物がその威容を顕示していた。
「やっぱり黒いんだね」
カルミネでもそうだったが、なんであんな周囲を威嚇するように壁を黒塗りにしているのか分からない。もっとも、カルミネとは違って正面入り口はかなり人の行き来があり、閉鎖的な様子は見られなかった。やっぱり、入り口が開放されているだけで感じる印象はかなり変わってくるものだ。
「では行こう。カトルは……」
「そこに椅子もあるし、座って待ってるよ」
「ん、すぐに戻ってくるね」
「いってらっしゃい」
三人を見送った俺は、敷地内にある憩いの場所の長椅子に腰かけて、どんな人がギルドに来ているのかボーっと眺めることにした。
「あれ、あのフードって……」
まずびっくりしたのが、魔道師ギルドの者が普通に傭兵ギルドに出入りしていたことだ。シュテフェンで見た奴らはほぼ全員フードを深く被り、なんともいけ好かない連中にしか見えなかったが、アグリッピナの魔道士はフードを被っておらず、傭兵ギルドのメンバーと和気あいあいと話している。
もっとも、依頼をこなすことを考えればこちらの方が理想的な組み合わせなのは間違いないだろう。前衛たる傭兵と後衛たる魔道士が揃ったパーティはバランスが良いし、ここに身軽な偵察スキル持ちがいればより万全になる。
他にも貫禄のある貴族や商人らしき者、それに普通の市民や妖精族の姿もあり、リスドのお祭り騒ぎとは違った賑わいがそこにはあった。
「……あれって」
ふと見れば、学区に居るはずのマテウスたちがギルドの建物から出て来るのが見えた。昼のアンジェロの講義には居たはずだから、俺たち同様、自主練習の時間をパスしてやって来たんだろう。
ただなぜか正面入り口ではなく建物の裏手へとまわって行った。……なんとなく、こそこそしているように見えるのは気のせいではなさそうだ。
その先、木々に隠れて見えにくい場所に裏口があるようで、そこにいた衛兵らしき者と何事か話している。そして扉がそっと開かれるとヘルミーナとアライダの二人はがフードを被り、その瞬間、三人の姿は忽然と視界から消え去ってしまった。
「消失魔法の魔石……?! でも何で」
俺はボケーッと虚空を見るフリをしながら三人の消えた場所を確認するも、おそらく裏口から出て行ってしまったのだろう、もはや三人の姿を見つけることは出来なかった。
この辺りの地理に疎いので裏口からどこに出るのか分からないが、なんともモヤモヤした気分になる。
なぜ彼らは、正面ではなく裏口から逃げるように出て行ったのだろう?
そもそも自主練習とは言え、貴重な訓練時間を削って何のためにギルドへ来ていたのか。
そして、姿を消した彼らはいったいどこへ向かったのか。
「待たせたな、カトル」
「……」
「どうしたの? 何、ボーっとしてるのよ」
「ああ、いや……。終わったの?」
「滞りなく、な。これで正式に護衛依頼としてナーサはユミスとカトルを護ることになった。瑕疵なく依頼をこなせばランクアップは間違いない」
「……はあっ?! 何でたった一つの依頼でランクアッ……フゴフゴ」
「あんたは声が大きいの!」
「詳しいことは屋敷に戻ったら話そう。それより次だ。急がないと食事にありつけなくなってしまう!」
まるで獲物を狩りに行く狩人のようにいきり立ったマリーにせかされ、俺たちはギルドを後にする。
ただ、どうしても俺の脳裏に消えた三人の姿がすきま風のように吹き荒び、不安を拭いきれないでいた。
次回は11月中に投稿予定です。