第四十九話 貴族に振り回されて
「私とユミスはこの後、皇子との会合だ。午後の講義には参加しない」
「俺は――」
「残念だが、カトルの参加は不可だ。未熟な私ではユミスとカトルの二人を同時に護衛することは出来ん」
「……了解。俺はおとなしく寮に引き籠っているよ」
講義の最後にマリーからそう通告された俺は、ユミスの傍に居ることが出来ない現実を受け入れるしかなかった。
とにかくリハビリを頑張ろう。
そう決意した俺はすぐに帰寮し、昼食もそこそこに能力供与を解除して歩行訓練を始める。“人化の技法”を受けた頃は身動き一つ取ることさえ困難だったが、だいぶ身体も動くようになってきた。まだ飛んだり跳ねたりは無理だけど、そろそろ次の段階に進んでもいいかもしれない。
汗だくになり、太腿の筋肉がプルプル震えながらも歩き続けていると、いつの間にか窓から西日が差して込んで来る。時計を見ればもう16時半だ。
「カトル、今大丈夫?」
軽めのノックと共に現れたのはナーサだった。一応お目付け役なのか、カッサンドラがニコニコと笑みを浮かべながら後ろに控えているが、ユミスに安静にするよう言われているはずのナーサは気にするそぶりもない。
まあ俺としては後でとばっちりを受けなきゃなんでもいいんだけどね。
「ナーサは体調、大丈夫なの?」
「午前中は大変だったけど、今はもうすっかり平気よ」
笑顔なのに目が笑っていない。どうやら暗に俺の事を責めているようだが、こればっかりは如何ともしがたい。批判は厳粛に受け止めて、魔力制御の練習に勤しみたいと思う。
「そういうカトルこそ、汗だくにまでなって頑張り過ぎじゃない?」
「無理はしてないよ。ユミスの魔法がないと効率悪いしね」
実際、自分のペースで動いていただけだから大したことはしていない。ただやってる時は分からなかったが徐々に疲労感が出て来ており、自分でも気付かずオーバーペースになっていたのかもしれない。もしそうならユミスの特訓の弊害と言えるだろう。いつも限界ギリギリのところまで追い込まれるから、自分一人の練習になるとどうしても達成感が希薄になってしまうんだ。
「ほどほどにしておきなさいよね。あんたはまだ怪我が治りきっていないんだから」
「ありがと」
「それと、明日からはまた私が付きっ切りで護衛してあげるから安心なさい」
「あ、もう足は大丈夫なんだ」
「完璧よ。どんな演習でもどんと来いね」
「ほう。ならば明日、屋敷に戻った後、ナーサは猛特訓だな」
「えっ……姉さん!?」
「ユミスお帰り」
「ん、ただいま」
ちょうどナーサが豪語するタイミングでカッサンドラの影からマリーとユミスが現れた。あたふたするナーサを横目にカッサンドラがくすくす笑っている。意外に彼女は強かなのかもしれない。
「明日、屋敷に戻るって?」
「今日の皇子との会合で、ナーサの護衛任務の受注に物言いがついてな。三人ともまだアグリッピナでギルド登録を済ませていないだろう? 端的に言えば、カルミネ所属の傭兵の仲介は認可出来ないということだ」
そういや、ギルドに顔を出してなかった。場所によって仕組みも異なるし、登録だけでも済ませるべきだったね。
「明日は午後の講義が終わり次第ギルドへ赴き、その後、ナーサの木刀を作りに馴染みの武具屋へ行く。ただ時間的に寮で夕食を取るのはかなり厳しいので、学区へは戻らず貴族街の屋敷へ向かうつもりだ」
「あれ、馬車で行くんじゃないの?」
「いや、歩いて行こう。ギルド周辺はかなり混雑しているから馬車だと先方に迷惑が掛かる。それに歩きならば仮に遅くなったとしても途中で気軽に店に入ることが出来るぞ」
マリーは笑みを浮かべながらそんな事をのたまう。
本人は冗談のつもりで言ったのだろうが、そのセリフに俺はピンときてしまった。
「なるほど。学区の帰りはいつもの店に寄り道したいもんな」
「そうなんだ。それが私の楽しみで……って、カトル?!」
「あ、なるほど。姉さんは“こだわりの銀の匙”に行きたいと」
「ち、違う!」
「なんて言ったっけ? “牛食い亭”?」
「“香草の牛追い亭”だ! ……あっ」
「ん、二人とも食いしん坊だから仕方ない」
「ええっ? マリーと一緒にされたくないなあ」
「……酷いぞ、カトル」
からかわれたマリーは口をすぼめて抗議の姿勢を示すも、どうやら“香草の牛追い亭”に行くのは決定事項だったらしい。それ以上は何も言わず、ふくれっ面のまま沈黙を貫いていた。
マリーの食事に対するこだわりは半端ないからなあ。でもその分、“香草の牛追い亭”の料理が楽しみになってきた。マリーがこれだけ心待ちにしてるって事は、味に関しては間違いない。明日の夕食はめっちゃ期待しておこう。
「ん……カトル、相当リハビリ頑張った?」
「え? どうだろ。それなりにはやれたと思うけど」
唐突にユミスが横から顔を覗き込んで来て、少し驚かされた。そんな俺の反応に笑みを浮かべつつ、ユミスは回復魔法を掛けてくれる。
「かなり疲労がたまってるよ。なかなか全快しないもん」
「あ、そうなの? 自分じゃ、よく分かんないけど」
「とにかく今日はこれ以上リハビリしちゃダメ。夕食の後は皆で魔法練習ね」
「なっ……?!」
「……なんでそこでマリーが悲鳴を上げるの?」
「そ、そんな、私は悲鳴など上げていないぞ」
マリーが白々しくなんか言ってるけど、ユミスの特訓をひよっているのがバレバレだ。でもその気持ちは痛いほど分かるので何も言わない。
ユミスが不満そうにマリーと俺を交互に見てくるけど、ここは知らないフリをしておこう。
ナーサは一人関係ないとでも思っているのか面白そうに笑っていたが、このままなら間違いなくユミスの関心が彼女に向くはずだ。ってか、俺の護衛である以上、巻き込まれるのは確定なのに呑気なものである。
夕食を取り終わりユミスの部屋に戻って来ると、俺は魔法制御、マリーは四属性の発現を、そして案の定ナーサはイェーアト族でさえ苦戦していた瞑想の特訓を精神力枯渇になるまでやらされる羽目になる。
「俺の護衛でユミスの講義に出席するんだし、瞑想は出来て当然だろ?」
「あんただって、出来るようになるまで苦労したって言ってたじゃない!」
「ほとんど魔力を制御出来なかった俺に比べれば、制御力に定評のあるナーサならもっと早く出来るようになるよ」
「あんたは!! これ絶対に一夜漬けでやる練習じゃないでしょう?! 無茶苦茶にもほどがあるわ!」
夜の寮内にナーサの悲痛の叫びが轟くこと二時間余り。結局、四属性発現の特訓までやらされたナーサは、マリーと揃って撃沈していた。
逆に俺は今日照明魔法を使った事で制御力が上がったのか、小石魔法をだいぶ楽に展開出来るようになった。今までは魔法を使って即精神力枯渇で意識を失っていたのが、あと何回で倒れるか分かるくらい精神力の減り具合を認識できている。
「じゃ、次で精神力枯渇すると思うからお休み」
「ん……お休み、カトル」
ユミスに断りを入れ、俺は精神力枯渇による眠りに落ちる。万が一があったとしてもユミスが傍にいるなら安心だ。
そして明朝。
俺はここ数日で一番快適な朝を迎えられたのである。
―――
「くぅう~、カトルは気分良さそうね」
「……ナーサ」
ジトッとしたナーサの視線が絡みつく。どうやら彼女の目覚めは最悪だったようだ。やつれた表情からは限界を超えて精神力をえぐられた疲労がありありと見える。
すでにマリーとユミスは中央棟に向かっており、晴れてナーサが護衛に復帰したわけだが、朝から既に疲弊していてかなり痛々しい。
まあユミスも余裕綽綽だったナーサにお灸をすえたってとこなんだろうけど、ちょっと心配になる。
「あんただけ手加減されて、ずるい」
「俺は昼間頑張ったから、免除されたんだっての。だいたい、ユミスの特訓がめちゃくちゃキツイのは分かってたでしょ」
「う……。まあ、そうね。おかげでたった一晩で瞑想の基礎を叩きこまれた気がするわ」
ナーサはいつも身体強化練習をしていただけあって、体内の魔力を認識して動かすまでは問題なかった。大変だったのは、魔力を集めた後の保持だ。
魔力を複数展開しようとするとどうしてもバランスが悪くなってしまう為、四属性の発現練習に切り替えることになったのだが、それこそ一朝一夕で出来るようなものではない。結局最後はマリーと揃って気持ち悪そうにベッドに突っ伏す羽目になっていた。
……ってか、ユミスは今日の講義でも四属性の発現練習を全員に課すのだろうか。阿鼻叫喚の地獄絵図再びという惨状しか思い浮かばないんだけど。
そんな事を考えながら中央棟へ向かうと、講義室に入った所でアルデュイナがこちらに近づいてくる。
「私たちは隣の演習室ですわ。ナータリアーナ様」
「そう。宜しくね、アルデュイナ」
「はい。……ほら、そこの貴方」
「え?」
「カトル=チェスター。貴方の魔法の力は理解したわ。仮初めとは言え、スティーアの貴族の末席に名を連ねた以上、励むことね」
「あ、ああ。ありがと」
「ふん」
なんか応援されたは良いけど、アルデュイナは鼻息を荒くして一人さっさと演習室に行ってしまった。
「なんだ、あれ?」
「彼女なりに認めたってことよ。分からない?」
「へ?」
分かるか、そんなの!
そう大声で叫びたくなる気持ちをグッと抑えて、俺はアルデュイナの後ろ姿を見据える。とりあえず昨日の事で、俺たちに対するこれまでの負の感情が少しでも取り払われたのなら良かったと思おう。
アルデュイナに続いて俺たちも演習室に向かうと、ユミスとマリー、そしてメロヴィクスたちの姿が見えた。だが、今日は少し様相が異なっている。
「何か、昨日にも増して人が多いんだけど」
「……どうやら原因はアレみたいね」
「っ?! ユミス!」
「はい、ストップ」
「うぐっ?!」
見れば何人かメロヴィクスの側近と貝紫の制服を纏った男女率いる一団が話し合っていた。
貴族らしく声を荒げることはなかったが、見ようによっては大勢で取り囲んでいるようにもうつる。側近のすぐ後ろにユミスとマリーが控えており、俺としてはすぐにでも駆けつけたかったのだが、ナーサに首根っこを掴まれ身動きが取れない。
「どうやら再試験を要求しているみたいだけれど……。昨日の試験、そんなに難しかったの?」
「ユミスの出す試験が簡単なはずないじゃん」
「それもそうか」
あえて淡々としゃべるナーサの声を聴いているうちに、少し落ち着きを取り戻せた。
どうやら文句を言っている連中は、ユミスの実践練習に参加する人数が少なすぎるのが不満らしい。連邦貴族の魔力向上が主目的である以上、人数は多ければ多いほど良く、試験で次々に落とされてはたまらないって事のようだ。
ユミス的にはちょうど良い人数なんだけどね。30人前後って。
「あの様子なら、今日の講義は無くなりそうね。メディオ家のプラキディア公女はともかく、シルフィング家の次期領主ユングヴィ公子が相手じゃ、メロヴィクス皇子も無下に扱うことは出来ないから」
「メディオ……シルフィング……」
「はぁ……。選帝侯の名前はゆっくり覚えて行けば良いけれど、ほら、朱色のマントがメディオ公爵家。南部諸侯の筆頭と目されることが多いわ」
「朱色……、ああ! あの道化師!」
「ピエトロ! ったく、本人の前では絶対に言わないでよ」
「はは、ごめん、ごめん」
「それで、水色のマントがシルフィング公爵家。ユングヴィ公子は連邦きっての魔法の使い手よ。魔道師ギルドにも所属している実戦経験豊富な実力者だわ。そんなユングヴィ公子がわざわざ学区まで出張って熱弁をふるっているのだから、よっぽどヘルヴォルが不合格にされたのがショックだったようね」
しばらくの間、ユングヴィとプラキディア、そして途中からメロヴィクスも加わって話し合いが続けられたが、結局ナーサの言った通り再試験が行われることになった。
「昨日の合格者は引き続き魔力の集積と保持、そして余力があれば複数箇所の魔力展開を試行するように」
再試験を行う傍らそれ以外の場所で瞑想の練習を行えという無茶ぶりに、俺は唖然としながらも、部屋の隅っこの方に移動する。
「カトルは瞑想出来るんだから、練習に参加しない方が無難ね。こんな狭い場所でもし誰かが魔力を暴走させたら、巻き添えになるわ」
「確かに」
昨日も何人かあやうく暴走し掛けた所をユミスが何とかしてたし、それに向こうでは氷壁魔法を砕くために全力の魔法をぶっ放している。無いとは思うけど、流れ弾が逸れて飛んできた日には、泣くに泣けない。
ナーサも昨日の疲れが残ってそうだし、ちょうど良いかも。
そんなわけで、俺たちは壁にもたれ掛かってボーっと試験の様子を見守っていたのだが、何と言うか、想像を絶する状況がそこには広がっていた。
ユミスの展開した氷壁魔法へ次々と受講者たちが群がり、連続して魔法を放つのだが、誰がどう破壊したのかなんてもはや関係ないとばかりに魔法が入り混じっている。そんなんで氷壁を壊せたからって、この後の実践練習で苦しむのは合格者だと思うんだけどね。
ちなみにユングヴィも参加していたが、さすがと言うべきか、一撃で氷壁を粉砕していた。ナーサの言う通り、魔法の腕前は図抜けているようだ。
それだけ実力があるなら文句言ってないで妖精族のナルルースみたいにユミスの指導に協力すればいいのに。……次期領主って立場だと難しいのかね。
ふとユミスを見たら、顔から表情が完全に消えていた。こんだけ状況が混沌では無理もないけど、後が無茶苦茶怖い。
なんだろう。
何もしなかったはずなのに、どっと疲れる午前中になった。
更新遅れすみません。
ワクチンの副作用厳しかったです。
次回は10月中に投稿予定です。




