第四十七話 空裂のナルルース
9月18日大幅に改稿しました。
「よしっ。これで特訓は終わろう」
「……ありがとうございました」
結局、ナーサは普通の木剣に持ち替えて特訓を続け、マリーの猛攻の前に何度も倒される羽目になった。傍目には負けた憂さ晴らしに付き合わされてるようにしか見えなかったが、本人は汗だくの中、満足そうに笑みを浮かべているのでこれはこれで良かったんだろう。
刀を手にしたナーサの強さを見て、周囲でヤジを送る者たちも無くなったことだしね。
「ただ直剣と刀でここまで差が出るならば、今後は練習から改める必要があるな。よし、明後日、講義が終わり次第街に出て刀を見繕うとしよう」
「刀を見繕うって、連邦に刀なんてあるの?」
「それは侮り過ぎだぞ、カトル。アグリッピナは連邦でも特に素晴らしい技術を持った職人が集まっているんだ。練習用の模造刀くらい何の問題ない」
なるほど、たしかに練習用の模造刀なら造れるか。
「あ、でもユミスは皇子と話し合いがどうのって言ってなかったっけ?」
「ん、明日話す時間を作ってあるから平気。それより、カトルは自分の身体の事だけ考えて」
「いやいや、天魔の方が重要だろ?」
「それは……」
「カトル。こんなことを言うのは非常に心苦しいのだが、天魔の件はカルミネと連邦の外交問題となっている。もはや我らが軽々しく口を挟む事は出来ないぞ」
「なっ?! 口を出せないって、そんな……!」
「ん、その辺はだいたい予想通りだよ。まさか“冒険者ギルド”が一番大きな障害になるとは思わなかったけど」
どうやらカルミネに出来た新しいギルドの存在が、連邦の傭兵・魔道師両ギルド、とりわけ傭兵ギルドには受け入れ難いものだったらしい。
ただ、魔力の向上というニンジンは如何とも捨てがたい。そしてメロヴィクスの思惑もある。
それら清濁併せ吞んだ結果が今の状況であり、進展にはどうしても時間が掛かる、というのが共通認識のようであった。
……なんというか、今日学区に来た連中はギルドの意向に振り回されていただけってのが分かって微妙な気持ちになる。モンスターがその辺に溢れ出したら間違いなく世界の危機になるってのに、探り合いで話が進まないなんて。
「ん、そういうのも含めて交渉なの。それを吞み込めないカトルは交渉に不適合」
「ぐはっ……。だったらせめて今、どんな感じかだけでも」
「そんな迂闊な事、するわけない」
取り付く島も無くユミスにダメ出しされてしまう。だが、ほんの一瞬、俺にしか分からない角度でユミスが唇に人差し指を当てたのが見えた。
……え、喋るなってこと?
でも、それだったら静寂魔法を使えばいいのに、なぜ使わないんだろう。
モヤモヤしたまま俺は食堂へ向かうことになったのだが、夕食の席でも話の続きがされることはなく、明日の予定を確認し解散となった。特にナーサは足の痛みが再発したことで魔法のかけ直しとなり、自室でベッドに横になりながらユミスの説教を受ける羽目になっている。
「今日はもう寝るか……」
本来ならリハビリか魔法の練習に時間を費やすべきなのかもしれないが、どうしても気持ちが乗らなかった俺は、そのままベッドに体を投げ出す。だが、昼間リハビリでたくさん動いたはずなのに、こういう時に限ってあまり眠くならない。
悶々としながらベッドの上でゴロゴロしていると、不意に扉をノックする音が響き渡った。
「え……ユミス?」
扉の前に立って居たのはナーサの部屋に居るはずのユミスであった。
「ナーサはもう大丈夫なの?」
「ん、治療はこれから。そのナーサから言付けがあって」
そう言ってユミスは数枚の紙束をテーブルに置いていく。
「……何それ?」
「学区の規則。ほんとはここへ来る途中に説明するはずだったけど忘れてたって」
学区へ行く途中……?
って、ああ、そういやアントニーナが無理やり馬車に乗って来たから話が出来なかったんだっけ。
「もう行くけど、カトルはこの後魔法の練習?」
「いや、今日は結構リハビリ頑張ったし、このまま寝ようかと」
「ん、じゃあ洗浄魔法と乾燥魔法を掛けるね。……おやすみ、カトル」
「ありがと。おやすみ、ユミス」
バイバイと手を振りながらユミスが外に出ていき、その足で隣の部屋へ入っていく音がする。わざわざこのために時間を作ってくれたとしたら、ほんと感謝しかない。
一応、地下に共同風呂はあるけど、今の俺じゃのんびりつかっていられないからなあ。これでさっぱりとして寝られるよ。
もう一度ベッドにダイブした俺は目を閉じようとして、なんとなく気になり横を向いた。テーブルの上には、ユミスが持ってきた紙束が置いてある。
……せっかく持ってきてもらったのに全く見ないで寝るってのも失礼か。
「寝るのは確認してからにするか」
俺は再び起き上がると、ゆっくりテーブルまで近寄り、ユミスの持ってきた紙束を覗き込むように見据える。
紙には同じ筆跡で記された箇条書きの文面が書かれていた。
よく見知った文字、ユミスの手書きだ。
一見したところ、ただの学区における注意事項の一覧のようであった。室内での私戦の禁止だとか、地下演習場では飲食は水のみにするだとか、当たり前の事が列記されているだけだ。
だが4枚目。
学区における魔法の使用制限を記したページに、俺の求める情報が記載されていた。
「なるほど、ね」
思わず独りごちてしまう。
そこにはっきり「鑑定魔法および静寂魔法の使用を禁ずる」と記されていたからだ。
さらに付随して「アルヴヘイムは感知魔法で覆われており、特に中枢区画は常に魔力を監視されている」という注釈文が添えられていた。
そんな状況下で静寂魔法を使えば、疑いの目を向けられてしまうだろう。それはユミスの望むところでは無いはずだ。
(ユミスに任せるしかない、か)
なんとなく疎外感を覚えて寂しかったが、これはもう致し方ない。ツィオ爺の許可が出て金剛精鋼の部屋が使えるようになったら、どうなったか教えてもらおう。
今度こそスッキリした俺はベッドの上で目を閉じる。心も体も落ち着いた今、あっという間に意識が遠のいていった。
―――
翌朝。
昨晩早めに寝入ったせいか、まだ空が薄明かりの時間にもかかわらず目が覚めてしまった。眠りが深かったせいかもしれない。
何にせよ、すこぶる体調が良い。
まだユミスの能力供与の効果が持続しているというのもあったが、ここ何日かと比べても格段に身体が軽い。
俺はすぐに起き上がると、さっさと着替えを済ませ、外の景色を眺める。見れば、庭先で散歩、というよりは競歩に近い動きで歩き回るマリーの姿があった。
相変わらず朝から元気そうだ。見ているだけでこちらも元気を貰える。……もらい過ぎて疲れそうなくらいだ。
そんな風にのんびり見ていたら、向こうもこちらに気付いたのか驚きの声を上げ、すぐさま寮に戻って来た。
「無事か? カトル!」
「ええっ!? いや大丈夫だけど……」
「そうか、良かった。こんな時間にネボスケのカトルが起きているなど何かあったのかと思ってな」
「どういう意味だよ!」
ったく失礼な。
俺だってたまには早起きぐらいするっての。
……いつぶりなのかはとりあえず置いておくとしてもだ。
「二人とも、うるさい」
「姉さんの声は身体の芯に響きます……」
不機嫌そうなユミスと、やつれ気味のナーサが文句を言いに部屋までやって来た。
どうやらマリーの叫び声で二人とも起きてしまったらしい。こんな朝早くに大声出せば当然だ。
「そんなに元気ならマリーは四属性の練習をすればいい」
「なっ?! 早朝の散歩は私の日課なんだが……」
「いつもと同じように過ごして、今まで習得出来なかった魔法が使えるようになるとでも?」
「うぐっ……」
「ついでにカトルもリハビリ」
「なんで俺まで?!」
「昨日は能力供与をしたままだったからね。何も無しでやらないと現状把握出来ないでしょ?」
言ってることは正論だが、どう考えてもとばっちりである。朝からリハビリなんてしてたら疲れてこの後のユミスの講義で寝落ちするかもしれない。
ただ俺に選択肢などあるわけがない。能力供与の魔力を戻されたら、否応なしに全ての行動がリハビリになってしまう。
(恨むぞ、マリー)
俺は隣でヒーヒー言いながら涙目で土属性の発現に勤しむマリーを恨みがましい目で見つめながら、鉛のように重くなった身体を必死に動かすのだった。
―――
「私たちは先に中央棟へ向かう。セストが護衛に付くとは言え、油断はするな」
「うん、わかってる」
「ん、じゃあ能力供与」
ユミスとマリーは先に朝食を取り、その足で中央棟へと向かって行った。最後の最後に能力供与を掛けてもらってようやくホッと一息付けたが、ほんとにユミスはやると決めたら徹底的すぎる。
束の間の休息の後、ナーサと一緒に朝食を取ったらセストと共に中央棟へ向かう。
今日は朝の集まりのようなものは無いらしく、精神力枯渇による能力の上昇の確認を係りの者が行っているだけであった。
そのまま中央棟の中へ入り、地下の講義室へ足を運ぶ。
「あれ? 人、増えてない?」
「そのようだな。能力の伸びた者が増えたか。少しは真面目にユミスネリア教官の話を実践したのであろう」
どうやら昨日のマリーとアンジェロの戦いの様子が伝播したらしい。精神力枯渇というリスクを取っても価値のある内容と分かって、ようやく実践したといったところか。
そういえばメロヴィクスも試練に打ち勝てって熱く語っていたしな。
部屋を見渡すと講義室の左後方にギルド組が鎮座している。
さすがメロヴィクスが見繕って来ただけあって、昨日見た顔ぶれは全員ユミスの課題をクリアしていた。魔道師ギルドの面々は元々魔力の素質があって加入しているだろうから予想通りではあったが、マテウスら傭兵ギルド組も能力ステータスを上げて来ている事に驚く。
「連邦だと六歳になっても魔道具を使わない人が多いのかな」
「フン、使用料を支払えないほど貧しい場合だってある」
「なっ……」
「他にもシェラン島出身者は利用しないと聞くが……、平民の事とはいえ、あまり詮索してやるな。それぞれに事情を抱えて居よう」
マリーは以前、平民こそ生きる為に魔道具が必要だって力説していた。
……なんだか世知辛い話だ。
でも、そのお陰でここにいる連中は能力ステータスを飛躍するチャンスを得たわけで、運命はどう転ぶか分からないってことか。
「考えるのはそこまでだ。教官が来たぞ」
「ああ」
思考の渦に囚われそうな所をセストの声で我に返る。
メロヴィクス一行に続いてユミスとマリーの姿が、そしてその後ろにはもう一人見慣れぬ女性が付き従っていた。特徴的な長い耳と切れ長の瞳は間違いない、妖精族だ。
メロヴィクスたちはそのまま壇上すぐ下の席に着き、ユミスとマリー、そして件の妖精族が教壇に立つ。
『ん……今日の講義は前回に続き“瞑想”の実践。だけど、人数が多くなった関係上、基本指針はナルルースさんに行ってもらい、実践可能な人だけ隣の部屋で私が直接指導する』
教壇に立つユミスの隣で紹介を受けたナルルースが仰々しく礼をすると、赤く染め上がった外套をまくり力強く拳を振り上げる。
『ただいま紹介に与ったナルルースだ。私はユミスネリア殿に比べ、そこまで上手く“瞑想”を使いこなせるわけではない。だが、その概念は光妖精族の魔法理論に則したものであり、体内で魔力を使いこなせない者に手ほどきすることは出来よう。生徒諸君には一日も早く私の指導を脱し、ユミスネリア殿の指南を仰げるよう研鑽を続けて欲しい。なればこそ私もユミスネリア殿の高度な理論に接する時間が増えるのだからな』
声高々にそう宣言したナルルースは胸に手を当てると満足げに後ろへと下がっていく。その振る舞いはイメージの妖精族とはまるでかけ離れており、俺は呆気にとられてしまった。これでは優雅な森の住人というより、地を駆ける勇壮な戦士だ。そもそも纏う服装からして燃えるような赤のシャツとパンツスタイルであり、エーヴィの着ていた深緑のワンピースとまさに対極の出で立ちである。
ただ、指輪や腕輪から尋常ではない魔力を感じる辺り、やはり妖精族が誇る職人の手で作り出された物を身につけているのだろう。彼女自身の魔力と合わせてかなり脅威に思える。
「妖精族との交流でやって来たアルヴヘイム国軍所属の参謀長だ。今はこの中央棟で教鞭を振るっている」
俺が警戒の色を見せていたらセストが小声で注釈を入れて来る。
「魔法の先生ってこと?」
「うむ。しかも弓の名手でもある。マッダレーナ様に匹敵する実力の持ち主だ」
「マジか」
エーヴィも、魔力もさることながらその俊敏性から“神速”なんて二つ名が付いていた。ナルルースも魔力だけに特化しているわけではなさそうだ。
もしかすると妖精族は皆、これくらい兼ね備えているのが普通なのかもしれない。
ナルルースはユミスの後ろで控えていたマリーと二言三言言葉を交わし何やら笑みを浮かべていた。マリーも屈託のない笑顔で返していることから、どうやら結構仲が良いようだ。
マリーと話が合うって事は、特訓とか好きだったりしてな。
……なんだかあの組み合わせはヤバイ気がしてきた。徒党を組んで模擬戦を強要してきそうで恐ろしい。
マリーと笑顔で話している様子を見る限りそこまで堅物じゃないっぽいが、油断しないに越したことはない。
『ん、それじゃ“瞑想”の実践に入る。自信のある者から隣の部屋に移って』
ユミスの声に今日の講義がスタートした。
次回は12月中に更新予定です。