第四十二話 ユミスの一芝居
8月26日誤字脱字等修正しました。
「それでは午後の講義に入る」
昼食後中央棟に着くと、壇上に無精ひげの男が威風堂々とした佇まいで仁王立ちしていた。再会した時のマリーと同じ道着を身につけ、腰にはこれまたマリーと同じ曲剣を携えている。
皆、その男が視界に入るや背筋をピンと真っすぐにして直立不動になった。各領地の一族の者まで同じであることから、どれほど皆に恐れられているのか伝わって来る。年の頃合いは4、50代といったところか。道着の襟元から膨れ上がった僧帽筋がくっきりと見えるのは、日々鍛錬を積み重ねている証拠だろう。
俺もセストの後ろに付き、皆に倣いつつ注意深く様子を伺う。
「ちょうど一月後、武闘大会が始まる」
無精ひげの男は重々しい口調でくいと顎をしゃくりながら話し始めた。
「この場に居る者は全員出場すると聞いている。何人かは軍で見かける者もいるが、大半は初めての経験であろう。知っての通り成績優秀者は軍志望であろうと官吏志望であろうと幹部候補生として大抜擢される。なぜか? それは武闘大会が戦場だからだ。武功を為せば昇進するのは当たり前の事。そしてその戦いの日までたったひと月しかない!」
男のいかつい表情が一層厳しさを増し、否が応にも緊迫感が高まっていく。
その様子に満足したのか男は一つ鼻を鳴らすと、周囲に目配せをして係りの者を配置させる。
「一分たりとも猶予はない。そのことを心に刻みつけろ。そしてまだ甘い考えの者がいるのならば早々に立ち去るがいい」
そう言って男は壇上を降りると皆が整列する眼前へと歩み出る。
「呼ばれた者は前へ。儂の訓練相手になってもらおう。まずはハンマブルクから、ルフ、オーロフ、ラグナル! シルフィングよりヘルヴォル! ハヴァールよりガムレ! スティーアよりアルデュイナ、ヴェンセラス! ゴートニアよりイルデブランド! メディオよりピエトロ! そしてカルミネの客将カトル!」
その瞬間、ざわり、とした空気を感じ、何を言われたのか咄嗟に理解が遅れてしまう。
――なんで俺が呼ばれる?
そう思って集められた面子を見れば、どの者も一角の人物であることが容易に理解できる顔ぶれだった。皆が皆ナーサと同等かそれ以上の雰囲気を持っている。おそらく相当の腕前の持ち主であり、武闘大会でも上位に入賞する可能性が高い者たちなのだろう。
だが、なぜその中に俺が……?
冗談じゃない。今の俺の力では場違いにも程がある。
「お待ち下さい、アンジェロ教官!」
「……マッダレーナか」
その時、中央の建物よりマリーが走り寄って来た。隣にはめちゃくちゃ不機嫌そうなユミスの姿もある。
ってか、近年稀に見るほど怒りのオーラが漂っているんですけど。
もしかして、妖精族の写本を絶賛読み途中に邪魔された、とか?
……それは恐ろしすぎる。
「カトルは実力者ではありますが、現在怪我の治療中の為、我が妹が護衛としてその任に付いておりました。ですが本日その妹も怪我を負った為、急遽私が護衛の任を代行することに相成ったのです」
「ふむ。ならばそこに抱えるもう一人の弱卒はなんとする? マッダレーナの役目はその者の護衛であったはずだ」
「……ん、誰が弱卒だって?」
アンジェロの言葉にユミスの眉がピクリと動く。
「お主に決まっているであろう。剣もまともに扱えない態でこの場に立つなど不届き千万。下がるがいい」
「ふうん……そういう事を言うんだ」
あ、普段はわざと声を低くして格式ばった物言いをしようと頑張っているユミスが、昔のような言葉遣いに戻ってしまった。しかもどんどん魔力が高まっており、おそらく勘の良い者ならばこれがどれほど恐ろしいことか気付くはずだ。
てか、今のユミスに近づくのは自殺行為だ。間違いなくとばっちりを受ける。
「ケッ、アンジェロ教官の言葉を借りるまでもない。護衛が居なければ何も出来ない魔道士風情が、この学区に入り込むなど烏滸がましい。この剣の錆びにしてくれよう」
不意に、ユミスと無精ひげの争いに一人の男が割って入って来た。短く切り揃えられた濃い赤紫の髪に藍色の瞳をしたその男は朱色のマントを羽織っており、その隣にはナーサと同じ貝紫色の制服を身にまとった女性が控えている。おそらくどこかの領地の一族の護衛なのだろう。これほど傍若無人な振る舞いをするくらいだから相当腕に自信があるのだろうが、悪いことは言わない。今のユミスに対峙するのは絶対に止めるべきだ。本気で消し炭にされる。
そんな一触即発の状況の中で、朱色のマントの男が剣を構えた瞬間、全く予想外の事態が起こった。ユミスが魔法を繰り出すよりも早く、目にもとまらぬ早業で剣が男の喉元に突き付けられたのである。
そして、その剣を突き付けた者こそ、今の今まで静観していたはずの白金髪のルフであった。
「グッ……、なぜハンマブルクが邪魔立てする!」
「領地など関係ない。この場に居る者全てに害が及ぶのを防いだまでだ」
「なんっ、だと!?」
朱色のマントの男はくわっと目を見開いて怒り心頭のようだったが、眼前に剣があっては何も出来ない。そのままよろよろと二歩三歩下がり、忌々し気にルフを睨みつける。
だがルフはその視線をまるで気にすることなく、今度はユミスの下へ歩み寄っていった。
「朋輩が失礼した。ユミスネリア先生。どうか、その魔力を納めて頂きたい」
「ん……それなら、マリー」
「何だ、ってうわっ!?」
ユミスの手がマリーの額に押し付けられると、眩いばかりに光を放って魔力が身体全体を覆っていった。マリーの瞳が驚きに見開かれ、次第になんとも恍惚とした表情に変わっていく。
「魔法を掛けるなら掛けると言ってくれ。ビックリしたぞ。……ただ、最高の気分だ。今の私ならばカトルにさえ勝てるかもしれない」
恍惚とした表情のままこちらを見てニヤリと笑い掛けてくるマリーに俺は背筋がゾッとして思わずゴクリと唾を飲んだ。その様子を見ていたユミスがクスッと微笑んでいる。……見られていたのは恥ずかしいけど、ちょっと機嫌が回復したっぽくて何よりである。
「フン、南部に仇なす東部の犬めが」
朱色のマントの男は明らかにユミスの放った魔法に気圧されたようで、もはやマリーの方は見向きもせず、この事態を生み出したルフへと噛みついていた。だが、ルフはそれを完全に無視し同僚の二人と何やら話し始めている。
「チッ……」
無視されたことに怒るかと思いきや舌打ちだけで済ますと、今度は俺の方へ視線を向けて来た。
ルフを見る表情とは対照的にあからさまに見下した目つきだ。口元も歪み、せせら笑いながら突っかかって来る。
「フン、これがゴートニアの公子相手に一合と打ち合えず吹っ飛ばされた平民か。クックック、とんだ護衛もいたものだな。スキルレベルがどれほど高いか知らぬが、主を守る事も出来ない無能が醜態を晒し、それを恥とも思わず再びのこのこ現れるなど、私が同じ立場ならば到底耐えられぬ屈辱よ」
「……」
なんとなく突っかかってくるのは予想してたけど、とんでもない言われように唖然となってしまう。
俺だって無自覚じゃない。ユミスの事が無ければこんな所、頼まれたって来ないし、恥とは思わないまでも今の俺じゃ役に立たない事だって十分理解している。
それでも俺は、ユミスが望むのならば喜んでここに居る。そう決めた以上、多少の事は何を言われても我慢するしかない。
俺が黙っていると気をよくしたのか男は赤紫の髪をかき上げながらズンズンとこちらに近づいてきた。ニヤニヤ含み笑いしている顔はちょっとヤバそうな雰囲気だ。一昨日のヴェルンの件もあり、これ以上この手の輩とは関わりあいたくない。そう思っていたら、不意に横から現れた青緑色のマントに俺の視界が遮られる。
「それくらいにしておくがいい、ピエトロ。お主の意見に真っ向から反対する気はないが、その物言いだと我が主を愚弄しているようにも聞こえる」
目の前に立ちはだかったのは精銀の甲冑を纏った背の高い男だった。兜の隙間から見える黒髪と朗らかな声は爽やかそうな印象を持たせるが、俺からは背中のマントしか見えないのでイマイチよく分からない。
「それは気にし過ぎというものだ、イルデブランド。そのような意図はない」
「他領の事は分からぬが、我が領地で公子と剣を交えるのはこの上なく名誉な事だ。たとえ敗れたとしても決して醜態とはならぬ」
どうやらこの青緑のマントはゴートニアの色のようだ。なかなか領地とマントの色が一致しないけど、まさか俺を守るように立ちはだかった貴族がゴートニアの者だとは思わなかった。それに、何となくだけど前回のヴェルンとの模擬戦についても俺を擁護してくれている気がする。
でもなぜだろう?
この前ヴェルンの周りに居た連中は須らく俺をコケにしていたはずだ。ゴートニアの中にも違った考えを持つ奴もいるということか。
ただ、いずれにせよ好印象なのは間違いなかった。ゴートニアのイルデブランドか。後でどんな奴かちゃんと顔を確認しておこう。
「ハッ! 敗者が醜態ではない? 何を生ぬるいことを」
俺がそんなことを考えていたのとは対照的に、朱色マントの貴族にはイルデブランドの発言が甚だ不快だったようだ。急に感情を昂らせると、声高に訴え始める。
「我らメディオでは勝利こそ至上であり、正義は常に勝者の下にある! 五小国との間で常に戦火に見えてきた我らとぬるま湯に浸ったままのゴートニアとでは心構えが根底から違うのだ!」
だが、その言葉は貴族の誇りを掻き立てたのか、他領の者たちからも異論が飛び交い始めた。
「フッ、これだから南部の者は物騒で困る。イルデブランドは空気を読めと言っているのだ。戦うことしか能のない無粋な者にはそれが分からぬか?」
「あら、無粋だからこそ空気を読まないのではなくて? いいじゃない、猪突猛進の猪武者。貴方はお嫌い? ガムレ。いざ戦いとなれば誰よりも真っ先に敵陣に突っ込んで、私たちの身代わりとなってくれるありがたい存在よ」
「甘いわね、ヘルヴォル。彼は存外強かよ。『護衛が居なければ何も出来ない魔道士風情』の魔法に気圧されて矛先を変える臨機応変さはただの猪武者には出来ない芸当だわ」
「ぐぬぬぬ……! このスティーアのくされ女が!!」
「止めんかっ!! 見苦しい!」
髭教官の怒声が響き渡り、ようやく丁々発止の様相が収まりを見せる。
「最初に伝えたことをもう忘れたか!? 時間は限られているのだ! お前たちにはこれより模擬戦を行ってもらう」
そう言い放つとアンジェロはついとユミスに向き直った。
「済まなかった、ユミスネリア殿。貴殿を弱卒などと侮ったのは儂の過ちだ。さすが“氷の魔女”の異名を誇るだけの事はある」
「ん……“深緑の死神”と名高いアンジェロ=エラクレーアに認められて光栄」
深々と頭を下げるアンジェロに天使のような微笑みで返すユミス――。
なんだ、これ?
さっきまでお互い一触即発のムードだったのに、もしかして最初からデキレースだったのか?
「なるほど……。そういう事か」
そう考えたのは俺だけではなかったようだ。白金髪のルフが呟くと、アンジェロが取り繕ったように咳払いをする。それだけで場の空気が一変し、他の貴族たちの視線が途端に鋭くなった。
……これってつまり、ユミスや俺の事を他の貴族に認めさせる為に一芝居打ったってことなのか? なんだか余計に注目を浴びてる気がするんだけど。
まあ、とりあえずこれ以上変なのに絡まれなくて何よりと思っておこう。
状況を理解出来ていないのかピエトロだけはキョロキョロと周りを見渡していたが、後ろにいた制服姿の女性に耳を引っ張られ、すごすごと引き下がっていく。
それを何の感慨も無く見据える者。
冷ややかな視線を浴びせる者。
ホッとしたように溜息を吐く者。
見る限り、この三つのグループに分かれていた。
何と言うか、同じ連邦の者なのに敵同士がいがみ合っているようにしか見えない。互いに牽制し、隙あらば蹴落として自分の地位を確立する。貴族の本質がそうだと言われれば納得するしかないが、とても無駄な事に思えて仕方がない。
「ふむ、説明は不要らしいな。では模擬戦を開始する。まずは、せっかくマッダレーナがユミスネリア殿の魔法で強化されたんだ。やる気に溢れたピエトロにどの程度のものか立ち合ってもらおう」
「なぁっ……?!」
……どうやら彼の受難はこれかららしい。
マリーが悪戯っぽく笑うのを見て、ピエトロの顔が凍り付く。
ユミスが極限まで魔力を高めた身体強化の恩恵を受けた相手と戦うんだ。しかも大言壮語した手前、逃げ出すことも出来ない。とんだ罰ゲームもあったものだ。
案の定、マリーの電光石火の一撃の前に、ピエトロは剣を振るうことさえ出来ず敗れ去ったのだった。
次回は7月31日までに更新予定です。