第四十一話 燻り
8月25日誤字脱字等修正しました。
「セスト!」
突然スティーア家の寮から轟くような怒声が鳴り響いたかと思えば、カッサンドラに右肩を支えられたナーサの姿があった。
一見すると整った髪型に制服姿も決まっていて違和感はなかったが、よく見ると右足に力が入らないのかびっこを引いており、なんとも痛々しい様子が伝わってくる。
「いかがなさいましたか、ナータリアーナ様! そのお怪我は……」
ナーサの声で咄嗟に跪いたセストだったが、彼女の様子に慌てて駆け寄っていく。
「模擬戦での名誉の負傷よ。だから気にしないで」
「し、しかし! まさか、そんな……」
よもやナーサがトリスターノとの戦いで怪我を負うとは思ってもみなかったのだろう、セストの取り乱し方が尋常ではない。
「一人じゃ歩けないのか?」
「大丈夫って言ってるのに周りが大袈裟過ぎるのよ。でも中央棟へ行くのはさすがに厳しいかな。護衛出来なくてごめんなさい」
「護衛はセストがやってくれるから大丈夫。でも、俺たち二人揃って模擬戦で怪我とか、また悪評が立ちそうだね」
「貴様……!」
俺としては冗談のつもりだったのだが、セストに怒りの形相で睨みつけられ肩を竦める。
「カトルの護衛をありがとう、セスト。引き続きお願いするわ」
「はっ、御命令とあらば」
その言葉にセストは恭しく跪く。だが不意にナーサは不満げな表情を見せると、厳しい視線をセストに向ける。
「それにしても、セストは口が軽いわね。……詳しい事は後で話すけれど」
「これは……申し訳ありません」
ナーサが何を怒っているのか俺にはピンと来なかったが、セストは恐縮気味に頭を下げたままだ。
「何の事?」
「後で」
そう言って踵を返すナーサになんとなくモヤモヤするが、黙って従うセストに続いて俺も寮内に入っていく。
「もう大丈夫よ、カッサンドラ。それより部屋で昼食を食べるから三人分用意して」
「畏まりました」
寮に入った途端、ナーサはカッサンドラから離れテキパキと指示を出す。その様子を見ると、確かに言葉通り怪我は大したことなさそうだ。
しかし、三人分って俺とセストも同行しろってことか。別にそれ自体は問題ないけど、規則にうるさいナーサがアルデュイナたちと一緒に食堂で食事を取らないのは驚きだ。
他の者に聞かれたくない何かがあるのだろうか。それか、トリスターノとの模擬戦で怪我したのが尾を引いているのかもしれない。
ちなみにセストはというと、ナーサからの誘いに感動で打ち震えていた。……鬱陶しい限りである。
「よっ、と」
ナーサは片足で身軽に階段の所までいくと、手すりを掴んで器用に上っていった。そして三階に着いた途端、無言で俺の方を見てくる。
……ああ、はいはい。肩を貸せってことね。
「ぐぬぬぬぬ……っ!」
謎のうめき声を上げるセストを無視して部屋までたどり着くと、やっとナーサは落ち着いた様子で、ふぅと大きな溜め息を吐いた。
「それでは私はこれで」
食事の準備を終えたカッサンドラが下がり、扉が完全に閉まるのを見届けると、ナーサはゆっくりセストの方を向く。
「では釈明を聞きましょうか」
ゾクッとする低い声が響き、ナーサの雰囲気が豹変する。
「一介の寮生が他領の一族を語るのは当然控えるべきことよね?」
「そ、それはその通りです。しかしながら他領の者もまたナータリアーナ様やマッダレーナ様の事を悪し様に罵っており――」
「他と比べてどうするの! セストは姉さんのようにラヴェンティーナ師団に入りたいのでしょう? それなら誰かに付け入られる隙を作ってはならないし、ましてや誰の耳に入るとも知れない公道で噂話をするなんて言語道断よ!」
ナーサの強い声にセストはやや項垂れつつ、すぐに謝意を示した。その様子を見て満足したのか、今度はゆっくりと俺に視線を向ける。
「カトルにもちゃんと伝えておくべきだったわね。ごめんなさい」
「俺も一応スティーアの貴族って扱いだもんな。ナーサたちに迷惑が掛からないようにするよ」
「そうしてもらえると助かるわ」
「でも、向こうから散々突っかかって来ておいて、こっちは話題にも出来ないなんて不条理だな。まあ、今のボロボロな俺と手合わせしようだなんて変な奴は放っとくしかないんだろうけど」
「変な奴、ってあんたねえ。……確かにゴートニアの公子が何を考えているのかは私もさっぱりだけれど、でも、あんたの事は皇子が宮廷で散々喧伝していたみたいだから気になる貴族は多いと思うわ」
昨日の夕食の際、わざわざ寮にやって来たエディがナーサたちに散々ぼやいていたらしい。
なるほど。朝っぱらからエディが居たのはそういうことだったのか。
「はぁ……。そんなスキルレベルがちょっと高いくらいで、何で気になるんだろうな。あんなの一つの目安でしかないのに。だいたい、俺はリスドでマリーと模擬戦したけど、互角かそれ以上だと思ったのに実際は――」
「カトル、シーッ! 姉さんの能力の事、話しちゃダメだって」
ナーサが慌てて俺の口を塞いでくる。
そういや選帝侯一族の能力をセストに伝えたらダメなんだっけ。
……そう考えると、ナーサの能力が知れ渡っているのは不条理極まりないな。この際、それを良しとした連中の能力もユミスに頼んで開示しちゃった方がいいんじゃないか?
そんな不穏当な事を考えていたのが顔に出たのだろう、ナーサが眉を寄せて文句を言って来る。
「何を考えているのか知らないけれど、あんたは全然問題の本質を理解してないようね」
「問題の本質……?」
「以前は高レベルの魔道士でさえ体力と魔力くらいしか調べられなかったのに、三年前鉄石が大量に出回ってからは誰しもが強さを数値で判断できるようになったのよ。これがどれくらい大変な事か、あんたには分からない?!」
「そりゃあ、まあ……」
理屈はともかく能力が数字で分かるってのは極めて重要な指標だ。レヴィアも鑑定魔法の熟練度がそのまま成長度合いに直結するとはっきり言っていた。何が足りなくてどこを鍛えれば良いか一目瞭然であり、不足を補ったり長所を伸ばしたりすることで効率的に成長出来るようになる。
だが、その捉え方はナーサの意図するものではなかったらしい。ナーサは目をパチクリさせた後、肩をガクッと落として大きな溜め息をつく。
「それはユミスくらい鑑定魔法のレベルが高い場合の話でしょう?! 鉄石で分かるのなんて魔法とスキルのレベルくらいなんだから!」
「ああ、そういやそうだった」
ナーサがイラっとした様子でこちらをきつく睨んで来る。
どうやら俺の答えが相当お気に召さなかったらしい。
「ええと、魔法レベルとスキルレベルが分かるようになったんだよな。ってことは……修業の成果が数値で分かって嬉しい、とか?」
「……はぁっ」
なんかまたしても盛大に溜息を吐かれてしまった。
「あんたって、ほんっとうに自分本位なのね。ある意味羨ましいわ」
「自分本位って、なんでそうなるんだよ」
「普通は能力を見たら他人と比べたくなるものでしょう? どちらが上か数値でハッキリ示されるんだから」
「なっ……?!」
他人と能力の数値を比べて優劣を競う――。
そんな事に鑑定魔法を使うなんて考えてもみなかった。
たとえるならばなんだろう? 食材の鮮度を見極めるようなものか? どっちの食材を使えばより料理がおいしくなるのか、みたいな。
……いやいや、食材と強さじゃ全然話が違うか。
やっぱり能力の数値だけで優劣が決まることじゃない。経験とか、攻め方とか、間の取り方とか、数値以外の所でも差は各段に出るものだ。じゃなきゃマリーとの模擬戦は俺が圧倒してないとおかしいってことになるし、戦いの後にマリーのスキルレベルが大幅に上がったのも謎になる。
あ、でも魔法についてはある程度正しいのかもな。
鑑定魔法のレベルが上がる事で、確認できる項目が増えるのは事実だ。
ただ魔法レベルがどれだけ高かろうと、正確性や制御力、それにここぞって時を見極める判断力なんかが備わってないと強さには直結しない。
だから俺の魔力がどれだけ高くても、ユミスと魔法だけで争ったらこれっぽっちも勝てる要素はないわけだ。
「やっぱり、スキルレベルは一つの目安でしかないって結論になるな」
「あんたや姉さんみたいに自分の実力を割り切って考えられる人が多かったら、もっと世界は平和だったんでしょうけど……現実は違うのよ」
ナーサは若干拗ねた様子で三度目の溜息を吐く。どうやら俺を納得させるのは諦めたらしい。今度はあまり感情的にならず淡々と話し始める。
「昔からスキルレベルが高い人の存在自体は知られていて、物語の世界などではよく強さの指標に使われているわ。でも実際には人族の中で高レベルの鑑定魔法が使える者は皆無で、ごく稀に連邦へやって来るもの好きな妖精族に頼るくらいしか能力を確認できなかったの」
そういや昔の英雄はスキルレベルが高かったって話を聞いたな。
「そんな状況では妖精族の言う能力が本当に正しいかどうかなんて、その妖精族以外誰も判断出来ない。だから皆これまでは疑いの目で見てきたの。大昔の皇帝の中には、自身の能力の数値が低くて恥をかいたと激高した挙句、アルヴヘイムとの国交を断絶した者も居たくらいよ」
「無茶苦茶な話だね」
……ってか、効率よく鑑定魔法のレベルを上げる方法って意外と知られていないのかな? 後でユミスに聞いてみよう。
「それが三年前、鉄石が急速に出回ると、誰もが自身の魔法やスキルのレベルを知ることになったわ。当然貴族たちもこぞって自身の能力を確認し、そして皆スキルレベルの低さに愕然となったの。まさか現代の貴族が英雄とはいえ過去の者に遠く及ばないなんて思いもよらなかったのね。さらには平民の中に高い能力の傭兵や魔道士が現れたことで、武に誇りを持っていた軍閥貴族たちの地位が揺らぎ始めた」
「なるほど。自己満足の鍛錬で『俺は強い』とか思ってたのに、実はそんなでもなくて、焦ってイライラしてるわけだ」
「……身も蓋も無い言い方ありがと。でもカトルは充分に気を付けてよね。今年は武闘大会もあって必然的に平民の傭兵や魔道士とも比べられるから、貴族は皆ピリピリしてるってエディ兄様に言われたわ」
……って、そんな状況でスキルレベルだけ高くて他は貧弱な能力の俺がのうのうと現れたら、そりゃあ誰だっていきり立つわな。完全なとばっちりじゃん、俺。
でも、何でエディの奴はそんな大事な情報を最初から教えてくれなかったんだ? それで俺がボコボコにされたら、マリーとナーサも大怪我したもんで泡食ってすっ飛んできたわけだろ。なーんか納得いかないんだけど。
「だからトリスターノとの模擬戦は絶対にする必要があったの。魔力量の差異で寮内が分断され、そこを他領に付け込まれたら、スティーア家の武の誇りに傷が付いていたかもしれない。……でも、そのせいでカトルの護衛が出来なくなってごめんなさい」
急にナーサが神妙な顔つきで頭を下げて来たので、俺はびっくりして何となく抱えていたちょっとした不満もエディへのイライラも全部吹き飛んでしまった。
「怪我なら仕方ないって。それよりあいつ、そんなに強かったのか?」
「ええ。さすがスティーアの貴族ね。二年前よりもさらに強くなっていたわ」
「……なんか怪我した割に嬉しそうだな」
「ナータリアーナ様。御身を愚弄した者の肩を持つのはおやめください。一族の名に傷が付きます」
顔を綻ばせるナーサに疑問を持ったのは俺だけではなかったようだ。それまで黙っていたセストが耐え切れず言葉を挟むと、ナーサはため息交じりに愚痴をこぼす。
「それ、きっと向こうもそう思っていそうね」
「は? どういうこと?」
「トリスターノたち――エディ兄様に信服する者たちは異国の地で傭兵として修行する事自体忌み嫌っているのよ。そう思う気持ちは分からなくもないけど」
「ええっ? そんなの――」
ツィオ爺の命令じゃん。そう言いかけて俺は慌てて口を閉じた。
やっばー。セストの前で危うく爺さんの名前を出すところだった。そんなヘマをしたら後で何されるか分からない。
ただ急に黙ったものだからめっちゃ怪訝そうな顔でセストがこちらを見ていた。……もはや笑って誤魔化すしかない。
「いずれにしてもカトルは午後の講義は特に気を付けて。姉さんに至急で連絡を入れたから大丈夫だと思うけれど」
「え、何で?」
「あれ、言ってなかった? 午後の講義は剣術よ」
「……剣術?!」
ちょっと待て。そんなの聞いてない。
今の体調で剣術なんかしたらどう考えても前回の二の舞じゃないか。
そういや魔法以外の講義があって、でもリハビリじゃダメみたいなことを言われたような……。
「ゴートニアの公子の先走りである程度抑制されると思いたいけれど、誰がどんな行動に出るか予想出来ないわ。だから絶対にあんたはこの前のような無茶をしないで。他領の一族の者が近くに来たら最大限警戒して」
「ご安心ください、ナータリアーナ様。私がサポート致しますゆえ」
「頼んだわよ」
「はい!」
ナーサの言葉を受けてやたらいい笑顔で答えるセストに、俺は一抹の不安を感じずにはいられなかった。
次回は6月30日までに更新予定です。