第四十話 予期せぬ苦行
8月21日誤字脱字等修正しました。
係りの者に合格を言い渡された者たちが続々と中央棟の地下施設へと入っていく。それを先導するのは東部の中心であるケルッケリンク公爵領の黄色のマントとハンマブルク公爵領の赤色のマントだ。
「赤が目立つね」
元々の色合いのせいもあるが、何より数が圧倒的に違っていた。黄色のマントが10人前後なのに対して赤のマントは倍以上居る。
「イェーアト族しかいないがな」
スティーア家にとってはあまり好ましい事ではないからだろう、セストが隣で苦々しい顔つきになる。
赤色のマントと同じくらいの数なのはスティーアの他だと緑色と青緑色のマントしかない。
「ハヴァールとゴートニアだ。どちらも妖精族と近しい領地なだけに、精神力枯渇で魔力が上がることを知っていたとしか思えん」
「妖精族と近しい……って、そういやシェラン島には、妖精族が住んでいるんだよね?」
「そうだ。シェラン島は連邦で唯一、妖精族との共存が許された場所だ。それゆえハヴァール公爵領の者は妖精族の知識を享受し、魔法に長けた者を常に輩出している。だが、ゴートニアは違う。アルヴヘイムと国境を接していても両国によって通行は禁じられており、なぜか魔力に優れる者が多いものの、それを隠すが如く、かの地の者はとかく剣術を重視してきた。それが、まさか律儀に今回の課題をこなして来ようとはな」
信じられん、とセストは呟いているけど、俺としてはあのヴェルンのユミスに対する眼差しを見れば、至極当然と思えてしまう。
純粋な魔力への憧憬なのか、“氷の魔女”への偶像崇拝なのか。
どうやらゴートニア自体は魔力の多さを隠そうとしていたみたいだけど、いずれにせよ、ユミスの講義を受けないという選択肢はヴェルンの中にはなかったはずだ。
まあ、本当の所あいつが何を考えているのかなんてわからないけどね。用心を続けるに越したことはない。
それはともかく、精神力枯渇で魔力が上がった後からセストの態度がとっつきやすくなってきた。ちょっとした質問でも答えてくれるし、たまに冗談っぽい事を言う時もある。
やはり目に見える実績というのは大きいと痛感する。ユミスへの信用がこのまま継続してくれるなら嬉しい限りだ。
地下施設に到着すると、ちょっとした広さのスペースがあり、いくつかの通路に分かれていた。その正面にある白く巨大な扉が開け放たれ、階段状になっている講義室の一番奥にユミスの姿が見える。真向かいの席にはすでにメロヴィクスとその側近たちが陣取っており、選帝侯の一族とその護衛も領地ごとに分かれて席に着いていた。
「私たちは右の端、アルテヴェルデ辺境伯領の後ろになります」
アルデュイナの指示に従って俺も席に着く。一番右端の通路側だったが、部屋自体が半円形なので奥だからユミスの姿が見えにくいということもない。
それは向こうも同じだったようで、こちらに気付いたユミスの顔から少しだけ笑みがこぼれた。俺も軽く手を振ろうとして、アルデュイナの咳払いに慌てて素知らぬ風を装う。
そういえば今は講義中だった。大人しく座っていよう。
全員が座り終わるのを待って扉が閉められると、ユミスはコホンと一つ咳払いをして講義を始める。
『ん……まず最初に今日の講義の指針から』
そう言ってユミスが説明し出したのは宣言通り“瞑想”についてであった。
体内の魔力を認識すること。
意識的に魔力を動かすこと。
動かした魔力を集めること。
これらを全て自身の体内で完結することが重要だ。魔法の使用に重点を置くとどうしても外に漏れ出てしまうので集中しなければならない。
『いったん、ここまでの実践を行う』
ユミスの言葉に左奥の扉が開かれ、皆が移動を開始する。どうやらすぐ隣の部屋が魔法の演習の為の場所になっているらしい。
「なんだ、たわいもない」
「ふむ。あの“氷の魔女”の講義と身構えていたが、大したことはなさそうだな」
先にユミスやメロヴィクスが演習室に行ってしまったものだから、まだ講義室に居る者たちからそんなヒソヒソ話が聞こえてきた。
どうも拍子抜けだの、看板倒れだのユミスを揶揄する声が多い。
「……あの連中、絶対失敗するな」
「ん、そうなのか? 話だけなら簡単そうに聞こえたが」
セストが胡乱な目でこちらを見てくるけど、あんな舐めた考えの奴らがいきなり出来るようになるほど瞑想は簡単じゃない。何しろ、ユミスでさえ会得するまでにかなりの時間を要したんだ。
「ではまず余から行くぞ」
演習場はかなり広くなっており、全員が入っても魔法を使うのに充分なスペースがあった。その中央にどう話し合いが付いたのかメロヴィクスが嬉々として立っており、隣でユミスが呆れ顔でため息を吐いている。
どうせメロヴィクスの奴がいの一番に試したいと息巻いて聞かなかったのだろう。あの様子だと失敗するのは目に見えているが、ユミスが補佐するなら大丈夫かもしれない。
「よしっ」
皆が注目する中メロヴィクスが気合を入れて魔力を高めると身体がぼんやりと光を帯びていった。これは体外に魔力が少しずつ漏れ出る為に起こる現象だが、この状況が続けば当然魔力は尽きてしまう。そして起こるのは普通とは異なる、危険な精神力枯渇だ。
「お……おおっ?」
メロヴィクスは案の定、魔力の流れを上手く操ることが出来ず途中で魔法を放出しそうになっていた。慣れないと漏れ出る魔力に集中力が削られて制御しきれなくなるからだ。
ただユミスはこの状況を事前に予測していたのだろう、すぐに魔法を展開し、ポンと一回メロヴィクスの背中に触れる。するとメロヴィクスの身体から流れ出ていた光があっという間に消えていったのだった。
「うむ、我ながら上手く出来たぞ」
「さすがはメロヴィクス皇子。見事でございます」
非常に満足げな表情のメロヴィクスに、側近はもとより選帝侯の一族の者たちからも次々と賛辞の言葉が並べられる。まるでユミスの魔法の効果など最初から無かったかのような態度は甚だ痛々しい。
これが貴族の身分差っていうものだろうか。お世辞を言うのも言われるのもなんか微妙だ。
そんな風に考えていたのも隣のセストの発言を聞くまでであった。
「やはり簡単そうではないか」
「……は?」
俺はセストの言葉に思わず絶句してしまう。
もしかしてユミスが補佐したって分からなかったのか?
セストだけではない。
スティーアの者も他領の者もほとんど皆緊張感の欠片もなく、中には小馬鹿にしたような冷笑をユミスに向けている者さえいる始末である。
まさか誰もユミスが補佐したって気付かなかったのか?
もしそれが本当なら大変なことになるぞ。
そしてその懸念はすぐに現実となる。
「えっ……?」
「うわっ!?」
一斉に始まった実践訓練の内容は惨憺たるものだった。
メロヴィクスが簡単にこなした事で皆の脳裏に「これは基礎的な訓練」という共通認識が出来てしまい、慎重さと丁寧さが失われた結果、次々と惨事が引き起こされたのだ。
途中で集中力を欠いて魔法を放出し魔力不足となって膝をつく者や、体内で慣れない量の魔力を動かした為、気分が悪くなり地面に倒れ込む者が続出する。
当然その全員をユミス一人でフォロー出来るはずもなく、さらには最初から魔力を収束させようとして制御に失敗し魔力を暴走させた者が現れた事で、もはや実践訓練は中断を余儀なくされた。
「うぬぬ、なんたることだ。この場に居るのは各領地の中でも特に魔力に優れた者ではなかったのか?! さしずめ余が上手くいった事で油断したのであろう。もうよい。動けぬ者はその場で待機。動ける者だけ講義室に戻れ!」
自身が成功したこともあり、この状況が理解できないと言わんばかりにメロヴィクスは険しい表情で叱責する。
だけど、最初からそんな簡単に出来るくらいなら俺だって好き好んで何年も修業してない。
『ん……もう一度最初から細かく説明する。基礎だからこそとても大事』
講義室の教壇に戻るとユミスはそう言って満面の笑みを浮かべた。淡々と説明していた先ほどまでとは雲泥の差である。
こんな状況なのになんでユミスは嬉しそうなんだろう?
メロヴィクスが成功した体だったから大事にならなかったけど、下手したら講義内容のせいだとか貴族連中に糾弾されかねない事態だったはず。
……。
……って、まさか!?
ユミスの意図に気付いた瞬間、俺はこの場から逃げ出したくなった。
『魔力の認識とは何か。魔法はイメージによる構築度合いによってより精密により威力を増すと一般的に論じられる。だが魔力を理解する場合、その根源についてより深く理解しなければならない……』
ユミスの説明は先ほどより丁寧かつ細やかになった。いや、なり過ぎた。
だがそれは、この場に居る貴族たちの失敗により必然的に正当化されてしまう。
『そもそも魔力の根源については諸説あり、まず大地に根差すとされる力、ここでは仮に龍脈と呼ぶ。そして大気中にあるとされる元素、最後に魔力を宿すもの、生物や鉱石類。この三つについてより深く考察し、その歴史的な意義とともに……』
ユミスのテンションがどんどん上がるにつれ、“瞑想”とは関係のない話がてんこ盛りになっていく。
魔力の根源やその歴史って、どう考えてもユミスが語りたいだけじゃん!
しかもこの魔法談義が講義の終わりまでずっと続くというのは悪夢以外のなにものでもない。
「つ、辛い……」
それから延々二時間半。
ユミスの講義は留まるところを知らず、昼食を告げる鐘の音が鳴り響くまで繰り広げられた。
ユミスの護衛という立場上、真面目な態度を貫かなければならなかった俺は、史上最大の眠気との戦いを終えて腑抜けのようにその場に干からびていた。
中には興味深そうにユミスの話を聞いていた者もいたっぽいが、この場の大多数は俺と同じ感想を持ったことだろう。
さすがのメロヴィクスも顔をかなり引きつらせていたのには溜飲が下がったけど。
『明日は最初から実践を行う。その後、次の段階に進む予定だが、失敗する者が多かった場合は本日の講義内容をさらに深掘りする。以上』
満足そうな笑顔で死刑宣告を行うユミスにほぼ全員の心が一つなった。
絶対に失敗は許されない。
きっと皆寮に戻り次第、死に物狂いで明日の実践練習に励むことだろう。
だが忘れてはならない。
今日の内容は“瞑想”の初歩の初歩でしかないのだ――。
これから苦難の日々が続くことを覚悟した俺はその運命の過酷さにがっくりと肩を落とすのであった。
―――
「……申し訳なかった、カトル。貴様の言う通り、簡単ではなかったようだ」
昼食の為いったん選帝侯の寮に戻る途中、セストが深々と頭を下げてきた。中央棟で無様な真似は出来ず、さりとて寮内ではトリスターノたちの派閥が居る為、こんな道端での謝罪になったという。
「ちょっ、ここじゃなくても」
「なるべく早く謝りたかったからな」
アルデュイナをはじめとした事情の分からない者たちは怪訝そうな顔をしていたが、セストはスッキリしたように人懐っこい笑みを見せてくる。
「これで、ようやく貴様に手本を頼むことが出来るというものだ」
「……はい?」
「だからユミスネリア殿の講義についてだ。その口ぶりだと貴様は問題なく“瞑想”が出来るのであろう?」
それはまさに寝耳に水であった。
確かにやり方は知っているけど、今の身体で出来るかどうかと言われると躊躇してしまう。せめてユミスの側でやるか、ナーサが居ないと危険だ。
「ユミスに直接頼んだ方が……」
「スティーア家の寮内でユミスネリア殿が寝泊まりしているとは言え、他領の手前その恩恵に与るわけには行かん」
「俺ならいいのかよ」
「貴様は建前上、スティーア家の貴族の地位が与えられている。何の問題もあるまい」
……最初は傭兵だの軟弱者だのと散々罵っていたのにえらい変わりようだ。
「とにかく俺の一存じゃ決められないよ。せめてナーサかマリーの許可がないと」
「ならばまずナータリアーナ様に願い出よう。もう連中との模擬戦も終わっている頃合いだ」
そういえばナーサはどうなったのかな。てっきり講義の途中に合流して来るかと思っていたのに、何の音沙汰も無いのは意外だった。
あの連中に負けるとは思わないけど少し心配になる。
「トリスターノは剣術の腕前だけならばかなりの技量を持つが、ナータリアーナ様の目を見張る成長はすでに有力貴族の間で噂になっているほどだ。なぜ傭兵ランクが低いのか分からぬが、早々負けることはあるまい」
どうやら先日の歓迎式典で開示させられたナーサの能力は、あっという間に貴族の間で広がっているらしい。
……ってことは俺の能力の話も伝達されているのだろうか。
そんな感じで気軽に問いかけると、セストは唖然とした様子で俺の顔をまじまじと眺めてくる。
「貴様は何を言っている? 昨日、散々に痛めつけられたというのに呑気なものだ」
「え?」
「ゴートニアの公子がわざわざ貴様と対峙したのは、ひとえにスキルレベルが気になったからに決まっているではないか。まあ、それも一合も打ち合えず敗退という醜態を晒した事で、嘲笑の種になってしまったがな」
次回は6月15日までに更新予定です。