第三十八話 派閥
8月10日誤字脱字等修正しました。
「う、うーん」
「あ、やっと起きた」
「……あれ、ユミス?」
目覚めると俺は見慣れない部屋のベッドの上に寝かしつけられていた。傍にはユミスだけしかおらず、座って俺の顔を眺めている。窓の外に目を向けると、空は真っ暗なのに道の脇に設置された外灯が眩し過ぎて、思わず視線を背けてしまう。とりあえず周囲の建物が黄土色なので、学区のスティーア寮内のようだが、さっきまでいた診療室とは違うようだ。
「ここは?」
「私の部屋」
ユミスの部屋と聞いてビクッとした俺は、横になったままもう一度部屋の中を見回した。よく見れば俺の部屋よりさらに一回り広い。俺の部屋も十分凄いと思ったが、重厚なソファーに大きなテーブル、煌びやかな化粧台に意匠の施された書棚、そして散りばめられた高価そうな調度品の数々に圧倒されてしまう。どうやら俺は貴族というものをまだよく理解していなかったらしい。質実剛健を旨とするスティーア家がこれほど贅の限りを尽くした部屋を用意するとは思わなかった。
「ん、カトルが驚いてる」
「いや、凄い部屋だなぁと思って」
「私の為に皇子が用意したんだって。無駄に贅沢」
「はは……」
辛辣なユミスの言葉に苦笑いする。
しかし、なるほど。皇子が用意したなら納得だ。ユミスが使いそうなのは書棚とベッドくらいなものだが、どうやらまだ妖精族の写本はないらしい。もしあれば向こうにある天蓋付きのベッドでゴロゴロしながら夢中で読みふけっているだろう。
「むぅ。なんかカトルが変なこと考えてる」
やばっ。また顔に出ていたか。
「いや、妖精族の写本はないのかなーと思って」
「……ん、ここには基本的な魔法書しかないよ」
「え、まさか書棚の本、全部確認したの?」
「カトルがずっと起きないのが悪い」
ユミスが自室に戻ったのは、俺がさっさと精神力枯渇してしまったせいだった。診療室には暇つぶし出来るものがなく、かと言って俺から離れて何か出来るほど、スティーア家の者を信頼してもいない。だからナーサに頼んで俺を自分の部屋まで運んでもらったそうだ。
ちなみにナーサはその後、土属性の練習でヘトヘトになったので自室で休んでいるらしい。
「えっと……俺、そんなに寝てた?」
「ん、もう0時過ぎだよ」
「はあっ?! そんなに寝てたの、俺!?」
「12時間くらいかな」
そんな言葉を聞いた俺のお腹が急にグルグルなり出した。食事をよこせと主張する音にユミスがクスリと笑みをこぼす。
「はい。夕食の残り」
「……ありがと」
精神力枯渇で倒れていた俺は魔力回復に勤しむべく手渡されたスープをすきっ腹に流し込む。
「へぇ……」
スープ自体は完全に冷え切っているのに、甘みがあって美味しい。たぶん玉ねぎの甘さなんだろうけど、スープは温かいものという概念を打ち砕かれた気分だ。
「少しはお腹の足しになった?」
「美味しかった。けどこれってユミスが?」
「ん……余ったスープに残り物を入れて氷で冷やしただけ」
こくりと頷くユミスの頬が少しだけ赤みを帯びる。
孤島に居る頃から料理担当はユミスの領分だったけれど、ここまで美味しかった記憶はない。
「凄いな、ユミス。こんな美味しいもの作れるなんて」
「ん、作ってないよ。美味しいものを集めて冷やしただけ」
「それでも凄いよ。こういうのを食べると、俺も作れるようになりたいなあって思う」
「じゃあ、氷魔法の練習だね」
「げっ、何でそうなるの」
「だって、適切に冷やすタイミングが美味しさの秘訣だもん。氷魔法を使いこなせないと」
「そんなの絶対無理――」
「何で? カトルの魔力ならとっくに使えるはずなのに、サボってばっかりいたからでしょ? だいたいカトルはいっつもおじい様の話を全然聞いてなくて――」
「なはは……」
まさか料理の話からユミスの説教が始まってしまうとは思わなかった。
さすがに0時過ぎと聞いて、この時間からユミスの説教に付き合っていたら、二人して明日に響いてしまう。そんなわけで俺は強引に割り込んでユミスに話を振ってみる。
「結局、昨日今日の精神力枯渇で俺の能力、少しは上がったの?」
「ん……もちろん」
「どれくらい? そろそろ数値くらい、教えてくれてもいいじゃん」
「ん、もう、しょうがないなあ」
ユミスに頼み込むと、渋々空間魔法を通じて精魔石を出してくれた。
名前:【カトル=チェスター】
年齢:【19/45】
誕生:【6/18】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【大陸外孤島】
レベル:【2】
生命力:【63】
体力:【20】
魔力:【104】
精神力:【21】
魔法:【火属7】【水属7】【土属14】【風属8】【特殊19】
スキル:【剣術77】【槍術11】【特殊6】
カルマ:【なし】
「おおっ!」
思った以上に数値が伸びていてびっくりする。
もちろん前みたいに急激に魔力がジャンプアップとまではいかないが、それでも結構上がっていて嬉しい。
なにより体力の上昇が心強い。特に何かしたかと言われれば歩くためのリハビリだけだが、それでこんなに上がるなら今後の上昇も期待出来そうだ。
だがそんな考えにユミスが思いっきり水を差してくる。
「ん……“慣れ”の効果だよ。カトルの身体にはこれまで経験してきた蓄積があるんだから、子供に比べたら最初は元に戻ろうとする力が働きやすいの」
「比べる対象子供かよ」
「だって元の数値は5歳児だもん」
「ちぇ……」
まあ、それでも上がらないよりはマシだ。この調子で上がっていけばナーサが瀕死のような目に合わなくて済むはず。
「問題は精神力ね」
「え?」
「魔法制御もだけど、魔法を展開した回数が重要だから最初はなかなか上昇しないの」
「魔法の回数……」
確かに、さっきも結局小石魔法一回で精神力枯渇になってしまった。いきなり砂粒から小石って無茶をしたから当然かもしれないが、普通の人なら小石魔法で精神力枯渇など有り得ない。
これが俺一人だけなら精神力枯渇して起きたらまた魔法の繰り返しでも問題ないが、マリーやナーサの二人にも影響が出る以上、簡単な話ではない。
今日はたまたまうまい具合に俺が精神力枯渇しただけで済んだが、これから先は護衛の問題が密接に関わって来る以上、何かあれば致命的だ。
「それにおじい様の指導方針でカトルは元々極端に魔法制御が低かったから、“慣れ”の効果もあまり期待出来ないし……。まあ、明日の講義だけなら全く問題ないけど」
「え? どういうこと?」
そう聞いた瞬間、再びユミスの顔に苛立ちが浮かぶのを見て俺は失言に気付く。
「ん! カトルは聞いてなかったの? 明日何をするか」
「え……? いや、ええっ??」
結局、ユミスの説教が終わったのはそれから2時間が経過した後の事だった。
―――
あけて翌朝。
朝もまだ涼しいうちから起床を促す鐘が響き、俺は重い頭でふらつきながら目を擦る。
「はぁ!? まだ6時!?」
「カトル、遅い! 早く準備しないと朝食に間に合わないわよ」
俺が寝床の時計の時刻に驚いていると、バンッと勢いよく扉が開かれナーサが部屋に飛び込んで来る。正直、寝起きで朦朧としている中、彼女の元気な声が頭に響いてめちゃくちゃ辛い。てか竜族より人族の方が睡眠が短くて済むとか、絶対に嘘だ。眠くて眠くて仕方がない。
「あんたは昨日一日中寝てたのに、まだ眠いの?!」
「いや、一度起きたんだけど、ユミスの説教が長引いて」
「そのユミスはとっくに出発したわよ」
「はぁ!? マジで?」
あまりの驚きに俺はベッドから飛び起きた。
だって、ユミスの説教が終わったのは深夜2時を過ぎてたはずだ。俺が自分の部屋に戻ってすぐ休んだとしても、実質3時間くらいしか寝てないことになる。
熟睡魔法と目覚まし魔法の重ね掛けでもしたんだろうけど、いったい何をそんなに焦っているんだ?
……ああ、そういや今日、妖精族の写本を借りるとか言ってたっけ。
「とにかくあんたも急いで。もうほとんどの学生が食堂に集合してるから!」
「ええ?! なんでこんな朝っぱらから……」
「つべこべ言ってないでとっとと着替える!」
俺はいつもの帽子とマントを着けて無理やり体裁を整えると、ふらつく足取りで二階の食堂に駆け降りていった。
「遅い」
「申し訳ありません、兄様」
そこには腕組みしながらこちらに鋭い視線を向けるエディと、トリスターノを中心とした寮生の面々がズラリと勢ぞろいしていた。
皆一様に表情が硬く、空気が重い。
それだけでも、いかに俺が歓迎されていないかが分かる。
ちょうど中央に位置するエディを挟み左右で多少雰囲気が異なったが、総じてこちらを見下す視線なのに変わりはない。
「……何であいつが?」
「昨日遅くに姉さんと寮に来たみたい」
ナーサとヒソヒソ話をしていると、やがてエドゥアルトがすくっと立ち上がり、学区における心構えのようなものを語り出す。
連邦におけるスティーア家の一員として恥じないよう行動せよ、とか、他の選帝侯領の者に礼を失するな、という至極真っ当な説明が続いたのち、不意に間が空くと、ゆっくりとエドゥアルトが俺たちの方を見据えてきた。
その咎めるような視線に俺は反射的に眉をひそめ、慌てて顔を背ける。
「最後に、模擬戦の約定を反故にしたそうだな、ナーサ」
「それは……」
「言い訳は聞かん。すぐに約定を果たせ。それがスティーア家の一族たる者の義務であり責任である」
「し、しかし兄様! それではカトルの護衛が誰もいなくなってしまいます」
「それこそ不要だ」
「なっ?!」
「腐ってもその者はカルミネの女王の護衛だ。たかが学区に行く程度出来ずして何とする。それに今回の件は模擬戦を反故にしたお前の失態でもある」
「そんな……!」
「問答無用。これ以上、私の手を煩わすな」
そう言い放ったエディは皆に食事をすすめると、さっさと食堂から退出してしまった。後に残ったのは勝ち誇った顔のトリスターノとその取り巻きたち、そしてこちらに蔑んだ視線を向ける中央棟へ赴く面々である。
「どうする? ナーサ。俺も残った方が良いか?」
「駄目に決まっているでしょう!? カトルが居なければ必ずユミスは講義をすっぽかすわよ」
うーむ。
今日に関しては妖精族の写本の件もあるし、五分五分くらいだと思うけど。
「大丈夫よ。なるべく早くケリを付けて私も中央棟に向かうから」
「これはこれは、さすがナータリアーナ様。余裕のお言葉ですな」
「……っ! リンブルク」
突如後ろから響いた声に振り返ると、俺たちの会話を盗み聞きしていたトリスターノの取り巻きの一人が薄笑いを浮かべていた。
確か前もトリスターノの隣に居た狐顔のくすんだ金髪男だ。
「しかし発言には気を付けた方が宜しいのでは? ナータリアーナ様は今、ギルドの一傭兵に過ぎないわけですし」
「……何が言いたいわけ?」
「いやなに、いくら一族とは言え、あなたはエドゥアルト様に叱責されたという事実をあまり深くとらえていないようなので、僭越ながら状況をご説明させて頂いた次第ですよ」
リンブルクと呼ばれた狐顔は、口元を歪ませてせせら笑う。
だが、その態度はどう考えても主筋であるナーサに対するものではない。身分差が激しいと聞いていたのにもの凄い違和感だ。
そんな俺の疑問を前に、ナーサはリンブルクの顔を一瞥し、はぁと小さく溜め息を吐く。
「結構よ」
「……は?」
「聞こえたでしょう? リンブルクの気遣いは不要」
「なぁっ!?」
「プッ……」
「な、なにがおかしい?! アルデュイナ!」
ナーサにバッサリ切り捨てられたリンブルクの顔が苛立ちで歪むと、反対側からコケにするような笑い声が漏れた。見れば、マリーよりも特徴的な濃い青髪の女の子が口元を抑えてほくそ笑んでいる。
「フフッ、だってリンブルク如きが、今は賤しき傭兵の身分とはいえナータリアーナ様に向かって偉そうに注釈を並べるなど滑稽極まりないと思って」
「ふざけるな! 知行も少ない貧乏貴族が少し魔力があるからと思って調子に乗るなよ」
「図星を指されて頭がおかしくなったのかしら? 学区では武こそ全て。家格や知行に左右されるなんて、弱さを喧伝しているようなものでしょう?」
俺たちを挟んでリンブルクとアルデュイナの二人の言い争いがエスカレートしていく。
他の者たちも特に止める様子もなく後ろで牽制し合っていた。どうやら派閥と言っても差し支えないギスギスとした関係のようで、あっという間に殺伐とした雰囲気になり、どんどん空気がよどんでいく。
そんな二人に挟まれた格好の俺たちは食事どころではない。
「はぁ……。アルデュイナもそれくらいにして」
「何を仰せですか、ナータリアーナ様。武を軽んじる男などこの学区から追い出してしまうべきです」
「フン、魔力が無ければ剣で立ち向かえもしないカワセミ女がよくもまあ大言壮語を吐くものだ。だからゴートニアなぞに負けて恥をかく」
「なっ、それは私と関係ないでしょう!?」
「中央棟から流れ出た話なのだから連帯責任だろう? 一合も打ち合えず負けるなど言語道断。その場に我らが居たならばすぐさま再戦を申し込み一矢報いたであろうよ」
険悪なムードにナーサは溜め息まじりで額に手をやりながら、頭を左右に揺らす。二人の言い争いもあってか、周囲の視線がより一層厳しさを増してくる。
……とりあえず、昨日の俺の負けがとんでもなく悪印象だったということは嫌でも分かった。
悔しいけど何も言い返せない。
今の俺に出来ることとすれば、何もトラブルを起こすことなく、地道にリハビリを続けることくらいだ。
「……ほんの少しだけ同情してやる」
「え?」
不意に掛けてきた声の主を見れば今日も大きめの軍服姿に身を包んだセストであった。
どちらかと言えば中央棟に向かう者は思い思いの服に身を包み、その上からマントを羽織っているので、セストだけ浮いている。
「ナータリアーナ様が護衛を出来ないのであれば、致し方あるまい。我らが恥をかかない為にも、今日の所はこの私がお前を助けてやる」
「……ありがとう」
「っ!? か、勘違いするな! これはいずれ軍人となる者の責務だ。私はナータリアーナ様の為に仕方なく動くだけだからな」
照れたようにそっぽを向くセストの姿に、俺は少しだけ安堵を覚えた。やっぱり話が通じる相手がいるというのはホッとする。
中央棟に向かう者たちの中にはいまだ何名か苦々しい表情を浮かべる者もあったが、味方が一人でもいるのは何とも心強い。
俺はそっぽを向いたままのセストに、スティーアの礼に従って深々と頭を下げた。
次回は5月28日までに更新予定です。




