第三十七話 スティーアとイェーアト
美味しいご飯を食べ終わり、お腹が少し持たれていた俺は、程よいまどろみに襲われていた。このまま寝てしまうのも悪くない。そう思って枕に頭を沈めると、なぜかユミスがベッドの横に椅子を持ってきて笑顔で座り込む。
まさか、昨晩に続いてまた無理難題を押し付けるつもりなのか?!
恐る恐るユミスの顔を見上げると、はたしてキラキラした瞳をこちらに向けてきた。
「ん、じゃあカトルは寝ながら魔法の勉強ね」
「いいっ?! 今日はゆっくり休むんじゃなかったの?」
「こんな機会じゃないと、ゆっくり魔法の話なんて出来ないでしょ?」
「いや、これから毎日講義をやるんじゃ……」
「あ、私は興味あるからお願い」
「なっ……?!」
人が起きれないのを良い事に、ユミスは嬉々として魔法の講義を始める。ナーサは興味深そうに相槌を打ってるけど、ベッドで休んでいる時まで魔法の話なんてたまったもんじゃない。だが、どうやら俺に拒否権はないようだ。
「とりあえずカトルが苦手な収納魔法と空間魔法の話からね」
「とか言いつつ、四属性の話なんだよね?」
「ん、そんなの当たり前。四属性を理解しなきゃ、空間魔法なんて出来るはずないもん」
「だよな、はは。……はぁ」
そのユミスの言葉に心底げんなりしながら俺はため息をつく。
結局興味のある話も、ユミスにかかると、やれ系統はどうだの起源はどうだのと小難しい話を続けられるので、どうしても眠くなっちゃうんだ。
……てか、今ナーサがダメな子を軽蔑するような目で俺を見たけど、後でどうなっても知らないからな。
そう。何しろ今日の俺の重要なタスクは寝て休むことにある。
つまりユミスの話を聞きながら大っぴらに寝ることが出来て、かつ起こされることもないのだ。これはもう完全勝利なのではないだろうか。
……いや、そんなことはないな。後でどうやってユミスを宥めるか今のうちに考えとこう。
そんなわけで結局本編の空間魔法の話に行きつく前に寝入ってしまったわけだが、起きるとユミスがショックを受けていてちょっと気まずかった。俺が寝るのは想定してただろうけど、あれだけ意気込んでいたナーサまで寝てしまうのは予想してなかったんだろう(俺もうとうとするくらいだと思っていた)。何だか自分がやらかしたわけでもないのにいたたまれない気持ちになる。ナーサもベッドで横になりながら聞いてたので仕方ないとは思うけど、興味あるとか言ってユミスを煽った以上、起きたら責任もってユミスの機嫌を直してほしい。
ちなみに寝てる間に戻って来たマリーまでナーサの横で豪快に寝落ちしていたのには思わず吹き出してしまった。ユミスに白い目で睨まれたけど、そんなん姉妹揃って寝てたら笑うって。
「……む」
俺が笑っていたら、マリーとナーサの二人が揃って目を覚ました。二人ともちょっと寝ぐせが付いていて面白い髪型になっている。
「ユミスの理論は凄すぎる。恥ずかしながら、上位複合魔法と高位魔法のくだりで理解が追い付けなくなってな」
バツが悪そうにマリーは弁明してるけど、ただの言い訳にしか聞こえない。
「姉さん、それは戻って来た時にユミスが説明していた話では……?」
「むう。マリーもカトルと同じ」
ユミスにジトッとした視線を向けられ、マリーがあわあわしている。そりゃあ、話を聞き始めて早々ベッドに突っ伏したなら愕然とするわな。
「なっ……酷いぞ、ユミス。あれだけぐっすり寝ていたカトルと同じ扱いにしないでくれ」
「今日の俺は寝るのが仕事だからいいの」
「それなら私とて頑張ったんだぞ。皇子に話を付ける為、一癖も二癖もある側近に囲まれて……本当に大変だったんだ」
「それは……お疲れ様。で、結局どうなったの?」
「ヴェルンがあのように絡んで来たことは皇子も問題視していた。今後、講義と関係の無い私闘は護衛が代わって良いという言質を取ったので安心してくれ」
「おお!」
それはつまり誰かに模擬戦を吹っ掛けられてもナーサが代わりに戦ってくれるという事だ。話を聞いたナーサは少し顔を引きつらせていたけど、俺としては心強い限りである。カルミネ城門で見せた彼女の力があればどんな相手でも問題ない。
ただ、俺が安堵の色を見せたのとは裏腹にマリーの顔色はすぐれなかった。どうやらヴェルンの思惑の部分でメロヴィクスの側近と揉めたらしい。
「ベリサリウスは今回のゴートニアの行動に魔法講義を妨害する意図があったと仄めかしていたのだが、私にはどうにも解せなくてな」
マリーはそう言って眉をひそめる。
ユミスの講義で魔力が飛躍的に向上すれば、魔力に長けた者が多いゴートニアの強みが失われる為、形振り構わず動いた、というのがベリサリウスの見解だそうだ。
……うん。それは確かにおかしいな。
あの時のヴェルンの恍惚とした顔は、とてもユミスを忌み嫌う者がする表情ではなかった。むしろ崇拝とか畏敬とかそっちの感覚に近い。
それだけに別の意味で脅威を感じるわけだけど……。あの射抜くような視線は忘れようにも忘れられない。
「三年前よりアルヴヘイムから数多くの妖精族がここアグリッピナに派遣され、魔法指導に当たっている。今更ユミスの講義を妨害したところで、この潮流を変えることなど出来ん。すでに冬の極寒を凌ぐ為の研究において、魔力の向上により魔石の効能が上がったという結果も出ているわけだしな。そもそも皇子があれだけ乗り気なのは北部ホールファグレの苦悩が透けて見えると兄上も言っていた」
「でも姉さん。同じ北部でも妖精族との交流があるハヴァールは、妖精族の起用に消極的と聞きましたが」
「いや、そこは北部間で話が付いたそうだ。むしろ魔石の消費量が抑えられ、鉱山の採石に影響が出始めたハンマブルクこそ、抵抗勢力の急先鋒になりつつある」
「……そんな事を言えば、あの女が黙ってなさそうですけれど」
「ああ、あのベリサリウスでさえ辟易するほど噛み付いてきたな。だが、主張すべきことは主張せねばならん。それによりたとえ皇子の心証が――」
……なにやら難しい話になってきた。
ユミスが魔法の講義をするだけでいろんな領地の思惑が錯綜するらしい。そしてそれら全てを強行突破して自身の欲望を満たそうとするメロヴィクスはなかなかに良い性格をしているようだ。
そうなると、もはや俺にどうこう出来る問題じゃない。
差し当たっては誰にも絡まれないようにするのが先決だろう。
「とりあえずヴェルンは要注意として、他に注意すべきなのはイェーアト族の白髪の奴か?」
「それは違うぞ、カトル。注意すべきはイェーアト族ではなくハンマブルクだ。ベリサリウスを除いたイェーアト族は正々堂々戦いで白黒つける者たちであり、ゴートニアのように本調子でない相手へ無理やり矛先を向ける卑怯者ではない」
イェーアト族の事を口にしたら、突如マリーが力説し始めた。
……あれ? スティーア家とイェーアト族って犬猿の仲なんだよね? なんだかマリーの物言いだと、擁護しているように聞こえるけど。
「……スティーア家とイェーアト族って仲悪いんだよな?」
「う、む……」
「何でそんなに信じられるの?」
「それは、だな。話すと長くなるのだが……」
俺が突っ込むと途端にマリーの歯切れが悪くなる。
「はぁっ……。ルフとの戦いで友情が芽生えた姉さんは置いておくとして」
「ナーサ!」
「簡単に言うと、スティーア家とイェーアト族はいがみ合っているけれど、お互い武を競い合う間柄でもあるってことね」
言いよどむマリーに代わり説明を始めたナーサによると、スティーア家とイェーアト族の関係は、連邦の長い歴史の中で変遷していったらしい。
もともとツィオ爺が竜殺しの自作自演をしてまで手に入れたピラトゥス山脈は、イェーアト族にとって先祖代々の聖地だったそうだ。その為、イェーアト族はスティーア家から失った聖地を取り戻すべく、連邦と敵対していたと。
……。
ツィオ爺が拘る場所を竜を崇拝するイェーアト族が取り戻そうとするって、なんだかとてもモヤモヤする話だ。
俺が間に立てるなら、双方の見解を聞いて仲裁したいくらいだけど。
「連邦と南部諸侯の争いは、それこそ気が遠くなるほど長く続いたわ。けれど徐々に表面化し始めたオブスノール砂漠の拡大と南部で採掘される鉱石類の枯渇化により、双方とも疲弊。その結果、両者は和睦し、南部諸侯は連邦に恭順することになったの。ただ、聖地奪還を掲げるイェーアト族は講和を拒否し激しい抵抗を続けたものだから、業を煮やした時の皇帝が秘密裏にスティーア家へピラトゥス山脈の割譲を打診してきて」
「ええっ!? そんなのあの……が聞くわけないじゃん」
「そうね。時の御所代様は竜殺しの際に交わされた約束を盾に即却下したそうよ。それで皇帝は匙を投げてイェーアト族の対処をスティーア家に丸投げしてくるし、さらにどこからか皇帝の打診を却下したという情報が漏れて南部との関係は今もって険悪なまま――」
「だが、悪い事ばかりではないぞ。それがきっかけでスティーア家とイェーアト族の交流が始まったからな」
「え?」
唐突に割り込んで来たマリーが感慨深げに語り出す。
「単身乗り込んで来たイェーアト族の代表と御所代様が話し合い、どちらがピラトゥス山脈を守るに相応しいか武で競うことになってな。御所代様が有無を言わさず叩きのめして以来、毎年互いの代表が死力を尽くして戦うようになった」
はいっ?!
叩きのめすって、何やってんだ、あのジジイ!
「交流自体は金剛精鋼の件もあり長く続かなかったが、その後も武闘大会でスティーアの者が負けると、秘密裏にイェーアト族の代表が来訪してきた。無論、最後は御所代様に叩きのめされてしまうのだが、それでも武を競おうとする信念はなかなかに好感が持てるぞ」
……いや、それ無茶苦茶だろ。最後はツィオ爺が自分で戦うとか、最初から譲る気まったくないし。
マリーは好きそうな話だけど。
まあでも、イェーアト族が信用できる理由は分かった。てか聞けば聞くほど同族嫌悪というか、仲良いんじゃないかってさえ思えてくる。
「だからイェーアト族を警戒する必要はない。ベリサリウスを除いてな」
「……何でそんなにベリサリウスを警戒するの?」
「あ奴はイェーアト族の代表が御所代様と戦っている際、我らの目を盗みピラトゥス山脈に潜入してきたのだ。しかもその目的は聖地奪還でも竜信仰の為でもない、ただ金剛精鋼の埋蔵量を確認し、あわよくば奪う為だった。……そんな薄汚い欲望の為に、我らとイェーアト族の間に築かれつつあった信頼関係は再び打ち砕かれてしまったのだ」
マリーは眉を吊り上げて怒りをあらわにする。
なるほど。やたらベリサリウスが毛嫌いされる理由はそういうことだったのか。
しかも戦っている間とは言え、ツィオ爺の目を盗んで潜入って並大抵の事ではない。最大級の警戒をするのも当然だ。
ってか、メロヴィクスが学区でユミスの魔法講義を受けるってことは、ベリサリウスとあの嫌味な女も一緒なのか。……考えるだけで憂鬱になる。
「つまり、ベリサリウスとアントニーナの二人が側近に居るメロヴィクスこそ一番注意すべきってことか」
「うむ。あの二人を注意するのは当然として、皇子自身もカトルのスキルレベルにいたく関心を寄せていた。警戒するに越したことはない」
「でも姉さん、メロヴィクス皇子が学区に居るのはユミスの魔法講義の時だけなんでしょう? それなら午前の授業しか関わらないで済むのでは?」
「あの皇子が、剣術の講義という絶好の機会を逃すものか。護衛の件もわざわざ“講義と関係ない私闘”と括っていたからな。しばらくはカトルの怪我を慮ってくれようが、そのうち我慢出来なくなるに決まっている」
マリーが言うと説得力があるな。皇子をマリーに置き換えれば、簡単にその光景が目に浮かんでくる。
何がそれだけ皇子を剣術に掻き立てるのか分からないが、あの執着ぶりは危険極まりない。
「だからせめてカトルには大怪我を負わない程度の能力になってもらわないと」
「なら、少しでも早くリハビリの再開を――」
「ん、だからカトルは焦っちゃダメ! そんなにリハビリしたいなら魔法の練習をしよう。どうせ寝てるだけだし、精神力枯渇しても同じでしょ?」
「いいっ!?」
「わ、私は、今日の皇子との会合を兄上に報告しなければならんのでな」
「あっ! 姉さん、ずるい! 私だってそろそろ動かないと……」
「ナーサもまだ安静にしてなきゃダメ。ちょうどいいから、ナーサもカトルと同じ小石魔法の練習ね」
「ちょっと、ユミス?! 私が土属性を使えないの知ってるでしょう!」
「瞑想でたくさん魔力を練れば大丈夫。瞑想の上達には四属性全ての会得が必須だってさっき説明したでしょ」
四属性の会得という言葉にマリーが一瞬興味を示したが、すぐにぶんぶん頭を振ると、そのまま部屋を出て行った。後に残されたナーサと俺に突き刺さるユミスの視線が痛い。
……こんなプレッシャーにずっと晒され続けるくらいなら、さっさと精神力枯渇になって寝ちゃった方がマシじゃね?
そう思った俺はまだ文句を言ってるナーサを横目に小石魔法を展開し始める。
昨日やった時は砂粒4回で精神力枯渇だったので、そろそろ普通の大きさでも大丈夫だろう。そんな感じで適当に小石魔法を使ったのだが、予想外に上手くいってしまい、危うく天井に大穴を開けそうになってしまった。すんでの所でユミスの氷壁魔法によって事なきを得たが、天井に当たっていたら大惨事になっていたかもしれない。
何も言わずに魔法を展開したこともあってユミスが耳元近くで怒っているけど、ちょうど魔力を使い果たしたせいで、声がほとんど聞き取れない。無理すれば意識をハッキリさせることも出来そうだったが、怒られるのが分かっている以上、当然そのまま眠りに付く方を選ぶ。
この程度なら“誓願眷愛”でマリーとナーサに負担を掛ける心配もなさそうだしね。
それにしても小石魔法がちゃんと使えて良かった。砂粒だけしか使えないとか、何の役にも立たないもんな。これを繰り返していけば、魔法だけならそれなりに何とかなりそうだ。
急速に意識が遠ざかる中、俺は久しぶりに安心して目を閉じるのだった。
第三十六話「束の間の休息」改稿の影響により、第三十七話として割り込みで投稿しました。




