第三十一話 レベル1からはじまる地道な特訓
7月1日誤字脱字等修正しました。
「何か、途方もない話なんだけど……」
ナーサは困惑の色を隠せず少し目が泳いでいる。
それはそうだろう。いきなり“世界”とか言われたって正直あんぐりだ。
「ほら、系統の説明を省くから話が繋がらなくなる。……ん、カトルのせい」
「俺のせい!?」
「だいたいカトルはおじい様の授業で習ったでしょ? 龍脈を使う魔法も似たようなものだし」
……龍脈を使う魔法って言うと、あれか。石造りの輪の魔法。
龍脈を通じることで境界島と孤島の距離さえ行き来できる凄い魔法だが、じいちゃんもレヴィアも軽々使いこなしていたからあまり気にしてなかった。
言われてみれば“世界”を体験するようなもんだ。
どうやら俺が考えていた以上にとんでもない魔法だったらしい。
「そもそも龍脈とユミスの言う“世界”が繋がってなかった」
「だから軽はずみに龍脈の中で鑑定魔法を使っちゃったのね」
「うっ……、それはもういいだろ」
絶対さっきの意趣返しだな、これ。
でもユミスの魔法話を終わらせるにはちょうどいいや。
「それよりリハビリの具合で筋力がどの程度上がるか調べられるなら、おおよその見通しが分かるんじゃない?」
「ん……それは、もちろん」
「じゃあ、もうちょい続けるから傾向と対策をよろしく」
俺は強引にユミスとの会話を打ち切ると、再び平行棒に両手を乗せながらゆっくり両足に力を入れ始めた。
明らかに話し足りてなさそうなユミスは少々ムッとしていたが、俺が頑張り出すと神妙な面持ちでじっとこちらを見てくれる。
よし、もう少し力を入れよう。
そう思い、手すりから手を離し両足だけで踏ん張ろうとした瞬間――、先ほどとは桁違いの重さに俺は慌てふためく。
「なっ……」
ヤバイ、このままじゃ倒れる――!
俺は咄嗟に右手を差し出すと、何とか棒を握りしめ危うく転倒を免れた。
「大丈夫?! カトル!」
「あ……うん、なんとか」
ただ、これでは手すり無しに立ち上がるのは到底無理だ。とにかく足に力が入らないことにはどうしようもない。
まるでさっきまでとは別空間に入り込んだかのように身体が重く感じられる。
俺は何度か力を込めようと試みるが結局足は動かず、最後は息も絶え絶えで腕にも力が入らなくなり、そのまま床に倒れ込んでしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ちょっと、あんた大丈夫? 最初から飛ばしすぎじゃない?」
ナーサがこちらを心配そうに見つめてくる。
「はぁ、はぁ、いや、……ぐっ、これくらい、大丈夫……って、思ったんだけど……」
「とりあえずカトルは休憩だ。ユミス、カトルの容態は?」
「ん……ちょっと頑張りすぎ。耐久がかなり落ち込んでるから、とりあえず回復魔法を掛ける」
マリーの指示に頷くと、ユミスはすぐに魔法を展開し始めた。
「大きな魔力の放出は控えてくれ」
「ん、わかってる。今のカトルなら普通の回復魔法で十分」
その言葉通り、ユミスから感じられる魔力はたいしたことないものだったけど、それでも回復魔法としては十分であった。
ああ、生き返る……。
これならすぐに起き上がれそうだ。
こうやって無理してもユミスが魔法を掛けてくれるならもうちょい頑張ろうかな。そんな風に考えていたら、ユミスが満面の笑みでこちらを覗き込んでくる。
「カトル。分かっているとは思うけど、回復魔法はあくまで一時的なものだから、今日はもう無理したら絶対ダメ」
「う……わ、分かってるって」
よく見ればじっと覗き込んでくる目が全く笑ってなくてちょっと怖い。
そういえば回復魔法だと表面的には回復しても疲労は抜けないんだっけ。
まあ今日からリハビリを始めたわけだし、初日はこんなもんか。
そんな感じで俺が納得していたら、横でマリーが難しい顔になる。
「うーむ、まさか立つだけでカトルがこんな状態になるとは思っていなかった。学区での事を考えると魔法の見通しが立たないのはまずいな」
「ん、大丈夫。魔法の練習なら倒れたままでも出来る」
「はい?」
え……っと、何の話?
俺が困惑しているのをよそに、ユミスは再び能力供与の魔法を展開し始めた。
「これで、少しは楽になったでしょ? 魔力は若干余裕あるから小石魔法ならギリギリ制御出来るはずだよ」
「ちょっ……まさか、こんな寝そべったままで練習するの?!」
「ん、その姿勢の方が集中できるでしょ」
……いや、そういうことじゃないよね?!
こんなヘトヘトなのに練習だなんて、ユミスは魔法の事になると急に手厳しくなるから困る。
確かに能力供与で楽になったけど、うーん……。小石魔法かぁ。
まあシャドー相手に雨あられとぶつけまくったから四属性の中ではそれなりに自信があるけど、そもそも土属性全般苦手だからなあ。
「だってカトルが四属性でまともに制御出来そうなのって小石魔法しかないんだもん。なんで中位魔法や複合魔法の方がうまく使えるのかさっぱり分かんない」
「なはは……」
「でも今のカトルだと四属性以外の魔法は魔力的にムリだから、小石魔法が使えて良かった。無かったら本当に打つ手なしだったよ」
はは、あぶね。
あの戦いが無かったら、詰んでいたのか。
「でも魔力だけじゃなく制御力も百分の一になっているから油断しないでね。今ここで精神力枯渇になると対処に困るから」
そう言ってユミスは俺ではなくマリーとナーサを見る。
……そうだ。俺が精神力枯渇になって実害を被るのは“誓願眷愛”で支える立場の二人だった。
「本当に不徳の致すところだが、私はカトルの魔力不足を補えるほど魔力が高くない。この前カトルが鑑定魔法を使った時もユミスの能力供与のお陰でなんとか精神力枯渇にならずに済んだのだ」
「うわっ、そうだったのか」
それ、めちゃくちゃまずいじゃん。
俺が魔法の制御に失敗したら強制的に精神力枯渇で倒れるなんて、二人にしてみれば支障を来すどころの話じゃない。
「ん、だから、そうならない為に練習するの。魔法全体の魔力制御はどんな魔法でもそれなりに上昇するから、出来る限り魔力を使わず同じ魔法を繰り返して」
「出来る限り魔力を使わない……」
それはじいちゃんがこれまで俺に課してきたものとは真逆の練習方法だった。でも俺自身ではかなり制御出来ると思っていた鑑定魔法でさえ、マリーはユミスのカバーがなければ精神力枯渇で倒れていたわけで、いずれにせよ選択の余地はなさそうだ。
「了解。まあ小石魔法なら大して魔力を使わないし、大丈夫だよね?」
「ん、違う! 出来る限り魔力を抑えて! それこそ石じゃなくて砂粒をイメージして、手のひらじゃなく指先からちょっと出す感覚で」
「えっ、そんなに?」
「それでも危ないの!」
ユミスの語気の強さに、俺は唖然として目を白黒させる。
小石じゃなくて砂って、正直何のために魔法を使うのか分からないレベルなんだけど……。でも、やれと言われれば仕方がない。孤島に居た頃は毎日海岸で遊びまくっていたので、砂ならば目をつぶっていても思い浮かべることが出来る。
俺は感覚を研ぎ澄まし、右手の人差し指と親指の間で砂粒を擦る感じでゆっくりと魔力を展開し始めた。
……うん、思ったより良い感じだ。魔力が簡単に指先に集まってくる。
鑑定魔法の時は瞑想してもなかなか魔力が集まらなかったけど、さすがに砂粒程度なら大して問題なさそうだ。
そう、思った時だった。
「うっ……!」
「えっ?」
順調だと思っていたのも束の間、呻き声とともにマリーが崩れ落ちたのである。
「カトル、集中!! そして砂は一粒だけ!」
「う……了解」
動揺しそうになった心をユミスの声が引き戻してくれた。そしてそのまま指先への集中を終え、何とか小石魔法を完成させる。
「くっ……はぁ、はぁ……」
「大丈夫か? マリー!」
「ああ、済まない。急激に魔力を吸い取られる感覚は二度目なのに、カトルの集中を乱してしまった。不覚だ……」
「いや、まさか小石魔法なんかで影響させちゃうなんて、俺の方こそごめん」
「ん、そう。今のは完全にカトルのせい。小石一つよりたくさんの砂粒の方が魔力を使うのに、イメージしやすいからって油断したでしょ」
……うぐっ、辛辣だが返す言葉もない。
でも、まさか思い通りに魔法を展開しているつもりだったのに、魔力が足りないなんて思わなかった。鑑定魔法の時も思ったが、俺の魔力が足りなくてマリーたちから供給されるというより、三人の合計魔力をそのまま俺が扱っているような感覚だ。だから途中まで何も問題ないように思えて、実は精神力枯渇でしたっていう状況になってしまう。
これは思った以上に厄介かもしれない。
「これ以上は危険だから今日はここまでね」
「え? でも学区で魔法が使えないのはまずいんでしょ? 俺的にはまだ出来そうだけど」
「ダメなものはダメ! それに今のだけでも小石魔法の制御力は倍増したからとりあえず安心して」
「えっ?! 倍増って、マジで?」
「とは言っても1が2に上がっただけだけど」
……って、それ1しか上がってないじゃん!!
「ん、不満そうな顔してる。でも制御の能力は一度に無理やり上げるものじゃないから仕方ないでしょ。それに1から2に上がったのって能力的には物凄く重要な事なんだから」
「え、どういうこと?」
「そもそもカトルの制御能力は全部1だけど、その1という数値が問題なの」
……ちょ、オール1ってマジですか。
「能力判定魔法じゃ1以下が調べられなくて、実際はもっと低かったり制御不能だったりするのに全部1になってしまうの。だからツィオお爺さんもカトルの鑑定魔法の制御能力を読み違えたのね。でも今ので小石魔法の制御は間違いなく2になったから、次はもっと上手く出来る。……カトルが油断しなければだけど」
「砂粒でさえ危うくマリーを精神力枯渇にしかけたのに油断なんかしないって」
「ん……なら、たぶん次は大丈夫。そうして休み休み練習すれば制御はある程度簡単に上がるから」
「あ、そうなの?」
「あのね、カトル。なんでおじい様が魔力の増幅を優先していたと思ってるの? 魔力を上げるより精神力や魔法制御を上げる方が簡単だからに決まってるでしょ! さんざんおじい様の授業でやったじゃない! だいたいカトルは……」
やばっ!
ユミスの魔法に関しての小言は始まると長くてしつこいんだ。
「ちょ、ちょっと待って」
「待たない! カトルはいっつも都合が悪くなるとそうやって――」
「う……」
結局、その日は寝る直前までユミスのお説教を聞く羽目になった。
能力供与の有無で俺の行動が制限されるんだからどうしようもない。
最後に乾燥魔法と洗浄魔法を掛けてくれたのはありがたかった。
―――
翌朝。
いつも通りユミスに起こされた俺は、意外と寝起きがスッキリしている事に驚く。
7時間は寝てるんだから当然みたいな事をナーサに言われたが、今までの自分を考えると眠くて仕方がなかったはずだ。やっぱり竜族と人族の差かな? これも“人化の技法”の効果だって言うなら、少し得した気分になる。
能力供与を掛けてもらい、皆と一緒に朝食を取ったらリハビリの続きだ。
まだ帰宅していないエディからの情報によると、どうやら明日にも学区でユミスの講義を始められるようメロヴィクスが率先して動いているらしい。つまり今日一日しか猶予がないって事だ。
「ん、私はいつでも構わない」
「俺は構う。せめて魔法無しで歩けるくらいにはならないと」
「それなら、すぐリハビリね、カトル」
「待ってくれ。朝食くらいゆっくり食べようではないか」
「いや、まだ食べてるの、マリーだけだから」
結局、朝食は力の源と言い張るマリーを待ってから、俺たちは修練場へと向かった。
「ん、今日の指針ね。最初は能力供与が有る状態で慣れてから、無しにしてリハビリを――」
「すまない、ユミス。その事なんだが、兄上から屋敷での魔法は禁止だときつく言われてしまってな」
「え……」
「どうやら宮廷で皇子の側近にやんわりと釘を刺されたらしい。ユミスの魔法だと説明しても感知魔法では判別出来ない為、どうしても魔法を使いたいなら学区へ移動するよう促されたそうだ」
「ん、学区ならいくらでも魔法を使えるの?」
「いくらでもとはいかないかもしれないが、ある程度は問題ない、と思う」
「……最大限魔法を活用しないと武闘大会までにカトル、間に合わないよ?」
「すまない。正直、私も昨日の魔法程度なら問題ないと高を括っていたのだが、あれでも宮廷内はピリピリムードだったらしい」
いや、昨日ユミスはほとんど魔法使ってなかったよね?
あの程度でピリピリムードって、そんなにユミスを警戒してるのか。これじゃあ学区に移動したところで本当に大丈夫なのか心配になる。
「その懸念はもっともだ。だが学区で対応できないとなると、な」
そこでマリーは一度話すのを止め、静寂魔法の魔石を出して来た。近くに待機している侍女たちにも聞かせたくない話のようだ。
となると、ツィオ爺絡みの話か。
「じじ様に金剛精鋼の部屋の使用許可を頂こうと思っている」
あ、なるほどね。確かにあの部屋ならどれだけユミスが魔法を使っても早々バレることはないはずだ。
「ただ使用許可を頂けたとしても金剛精鋼を莫大な魔力で覆う必要があるんだ。それを――」
「ん、問題ない。私がする」
「……助かる。ならばすぐにでも伝聞石でラヴェンナに問い合わせておこう。遅くとも今週中には返答が来るはずだ」
「あれ? すぐ連絡つかないの?」
「じじ様は普段ピラトゥス山脈にいらっしゃるからな。どれだけ急いでもニ、三日は掛かる。いずれにせよ学区で講義があるんだ。次の週末まで屋敷に戻ることは無い」
それって、最初の週は全然リハビリ出来ないまま学区の講義を受けろってことだよね?
……普通にまずいんじゃないか、それ。
「そう構えるな、カトル。スティーア家の一員として学区と呼ばれる軍の区画で皆と共に訓練に励むだけで、そこまで大変な事ではないぞ」
「いや、十分大変そうなんだけど」
「学区で学ぶのは、正式に軍で採用される前の予備軍人だ。無論、各領地でそれなりに修業を積んで来てはいるであろうが、実戦を経験したことのないひよっこばかりだぞ。カトルなら問題ないだろう?」
「いやいやいやいや。それなりに修業して来た連中と一緒って、そんなの無理だって! 俺、まだ歩けないし、魔法も小石魔法ですら名前負けの砂粒程度だよ? それでどうやって皆と同じように訓練するわけ?」
「そこはナーサを補佐に付ける。というより、ナーサはまだ修行中だから、ギルドの護衛依頼も兼ねる事になるな」
「修行?」
「うちはツィオ爺が決めた家訓で、成人した者は必ず国外で経験を積み、一回り大きく成長して帰らなくてはならないの。具体的には三年もしくは傭兵ギルドで十分にランクを上げるまでね」
あー、なるほど。マリーもやたらランクアップにこだわっていたけど、そういうことだったのか。
「私はまだ二年も経ってないし、ようやく一人前の傭兵になれたばかりだから」
「ランクを見れば、だろ? 実力ならカルミネでトップクラスだったと思うけど」
天魔との戦いではエーヴィやジャンたちと肩を並べて戦っていたんだから、他と比べても全然引けを取っていないはず。
「ありがと。でもそれならなおさら頑張ってもっとランクを上げないとね」
「だったら俺に付き合ってないでギルドで依頼の一つでも」
「何を言っている、カトル。だから学区での補佐を指定依頼にするのだ。学区におけるカトルの体調を管理し、訓練を支え護衛する」
「護衛、って俺よりユミスが先だろ」
「ユミスの護衛は私だ。というよりも、コホン。実は、だな。私も学区で教鞭を取る立場でな」
「はい?」
「明日から私がカトルの先生になる、というわけだ」
「……はぁあああ?!」
マリーが先生?!
それって、剣の指導とかをマリーがやるってことだよな?
俺が歩けるようになった途端、先生と模擬戦だ! とか言って無理やり戦おうとしてきそうなんだけど。
「おお! そんな妙案があったか」
「だから、それをするなって言ってんの!」
「ん、それなら私も先生だから、魔法の講義でカトルが寝たら容赦なく……」
「そんなん無理だ! ってか、本当にユミスの魔法の講義をさせていいのか?! 止めなければ何時間でもずっと話し続けるぞ」
「一応、講義の時間は3時間と区切られている」
「3時間も?!」
「ん、それが皇子の希望だからしょうがない」
ちょっと待ってくれ。
なんだかとんでもない事になりそうなんだけど。
「俺もうすでに嫌になってきた」
「そのあんたを支える私が一番滅入っているんだから、我慢しなさいよね」
「とか言いつつ、ナーサはどこか楽しそうじゃね?」
「ええっ?! ……ふ、ふざけないでよね! 楽しみだなんて、そんなことこれっぽっちも考えてないんだから!」
ああ、何でこんなことになったんだ。
明日から本当に憂鬱なんだけど。
「ん……私の講義が不満?」
「そりゃあ長いし同じような事の繰り返し――」
「全然同じじゃないもん! そう聞こえるのはカトルが話を理解しようとしてないからでしょ! そもそもカトルの魔法制御が低すぎるのだって、おじい様の授業を碌に聞いてなかったから――」
ヤバッ……!
あまりにも憂鬱だったんで、正直に答えてしまった。
変なスイッチが入って、ユミスが完全に暴走モードになっている。
「では私は明日の講義に備えるのでな。後はナーサに任せたぞ」
「ええっ!? じゃ、じゃあ私も瞑想の練習を……」
「ナーサは俺の護衛なんだから、一蓮托生だろ?」
「なんで私まであんたと一緒にお説教を聞かなきゃならないのよっ!」
「昨日は興味深々でユミスの話を聞いてたじゃん」
「魔法の話とあんたのお説教じゃ全然違うでしょう?!」
「カトルは話を聞く!!」
その後ユミスのお説教をたっぷり聞かされた俺は、フラフラになりながらリハビリをする羽目になる。
だが、この時の俺はまだ何も分かっていなかった。
本当の悲劇は学区に着いてから引き起こされることを。
次回は4月4日までに更新予定です。




