第二十二話 竜族とスティーア
5月17日誤字脱字等修正しました。
その辛辣な言葉に俺は思わず目を剥いてエディを睨みつける。
確かに結果としてはツィオ爺の言う通りになった。まだ気持ちさえ揺らいでいる自分自身を鑑みれば、言葉遊びと揶揄されても仕方ないかもしれない。
――だが、これは自分の中で一番大事なことなんだ。
昨日今日会ったばかりの爺さんに言われるがまま振る舞うなどありえない。
「エディ兄様。それはカトルに失礼です!」
俺がムッとしているとナーサが間に割って入って来た。どうやら癇に障ったのは俺だけではなかったらしい。
だがエディもまた眉を顰め、不満そうな視線をナーサに向ける。
「黙っているんだナーサ。其方はまだ経験というものが足らぬ。聞けば傭兵ギルドのランクも錫止まりというではないか」
「……っ、そのランクの件で私はカトルに尽力してもらったのです!」
「何を言うかと思えば、錫のタグ如きでそこまで恩義を感じる必要はなかろう? お前の実力であればもっと上を目指せる。妙なこだわりは捨て、さっさと初代様に許しを請うが良い」
エディの言葉にナーサはキュッと唇を噛みしめた。
確かにエディの言う通り、一般的には錫――灰タグになるのは難しくない。現にリスドでは灰タグにランクアップ出来ない傭兵は皆無だった。
だが――。
「あの時のギルドの状況で簡単にランクアップ出来るわけないだろっ!」
俺はどうしても叫ばずにはいられなかった。
あれだけ依頼を独占され一つをこなすのでさえ困難な状況で、ナーサはいつもひたむきに頑張っていた。その努力を真っ向から馬鹿にされたような気がしたんだ。
だがそんな苦労が伝わるはずもない。
案の定、エディは怒りをあらわにしてこちらに食って掛かる。
「それはお前が幼く、世俗に疎い田舎者だからであろう?」
「なっ……! 田舎者とか関係ないだろ!?」
「フン、どうだか。人の世に生きる初代様と異なり、東の果て絶海の孤島で文明も知らず野生の如く生きてきたお前では、社会への適合すら難儀したのではないか? たまたまリスドではランクアップ出来たかもしれないが、歴史あるカルミネや我がラティウム連邦では、全てが吟味される。力を失った今のお前など、このアグリッピナで活動することさえ困難であろうよ」
「ぐっ……」
その視線には明らかに侮蔑の色があった。
確かに孤島の生活は大陸の人族とはかけ離れている。美味しい食事は出てこないし、魔石で彩られた便利な道具なども皆無だ。
だが、それをもって野生の如くとは言い掛かりも甚だしい。
「ん……その言葉は許せない!」
「抑えてユミス!」
気付けばユミスの全身から魔力が溢れ出ようとしていた。彼女にしては珍しく魔力を制御出来ていない。いや、最初からする気がないのだろう。
ナーサが必死に宥めているが、孤島を馬鹿にされたのだからその気持ちはとても良くわかる。
ただ、目の前の人物は仮にもマリーやナーサの兄に当たる男だ。ここでユミスが感情に任せて暴発でもしたら目も当てられない。何しろカルミネの宮廷におけるやらかしで“氷の魔女”という異名が付いたわけで、その気になればこの場を氷で埋め尽くす事くらい造作もないはずだ。
どうやらこの男はタガの外れかけたユミスの魔力に気付いてないようだが、知らないというのは幸せなことだ。いまだ脳裏に焼き付く宮廷の惨状を思い返すだけで、怒りに熱くなった頭がスッと冷えていく。
「まあ、確かに孤島のメシは大陸に比べるとまずいかな」
俺がこのタイミングで孤島を卑下したことにユミスは目を大きく見開き、そして物凄く不満そうにこちらを睨んで来た。
……わあ、怒ってる怒ってる。これは後がかなり怖いな。
でもさすがにここでその負の感情のまま魔力を溢れさせるのはまずい。
エディから感じられる魔力はナーサ以下だし、剣の腕前も漂う雰囲気から察すればマリーに遠く及ばないだろう。
そんな奴にユミスの全力がぶつかれば無事で済むわけがない。
俺は何かいい方法はないかと考えて、はたと気付いた。
「そういやあんたも俺が竜族だって知っちゃったんだよな。だったらナーサと一緒にじいちゃんに会って、ついでに孤島がどんなところか見てもらうか。そうすれば孤島の事がよくわかると思うし」
我ながら名案じゃね? と思っていると、今まで胡散臭いものを見る目つきだったエディの眼がギョッと瞬く。
まさか自分が竜族の長に面会する羽目になるとは思っていなかったらしい。口をあわあわさせて何事か呟いているが、まるで言葉になっていない。
ちょっといい気味だ。
だが、そんな俺の言葉にマリーが申し訳なさそうに異を唱えてくる。
「待ってくれ、カトル。私はこの件でヤム殿にお会いしている。そしてスティーア家の者がじじ様の血を引いた竜族の末裔であるとお伝えし、我が一族内での情報共有については快諾頂いた。だからエディ兄上がヤム殿に会う必要はないんだ」
「は……?!」
「えええ!?」
「ふう、それならば安心だな」
ユミスを落ち着かせようとしていたら、隣からまさかのとんでも発言である。俺は言葉を失い、ユミスもまた目を白黒させている。
一人エディがホッと胸をなでおろしているが、俺の心は全然安らかではない。
すぐ何か言おうとして、だが俺より先に問いかけたのはナーサだった。
「私もその……、長老様に会わなくて良いんですか? マリー姉さん」
ナーサは一瞬、食ってかかる勢いでマリーに近づこうとしたのだが、まだ少し戸惑いがあるのか途中で俯き加減になっていた。そんな妹の不自然さに首を傾げながらもマリーは悠然と返答する。
「何を言っているナーサ。“誓願眷愛”の誓約を打ち立てた者が、ヤム殿に会わずしてなんとする。カトルは竜族なんだぞ。その長にご挨拶するのは当然の事だ」
「はは……やっぱりそう、ですよね」
「心配するな、ナーサ。かの御仁は素晴らしきお方だ。その言葉を耳にするだけでも得るものがある!」
相変わらずのじいちゃんに対する絶賛っぷりだが、俺には食いしん坊二人が意気投合したというイメージしかわいてないんだよな……って、それよりも!!
突っ込み所はそこじゃないっ!
「てか竜族の末裔ってなんだよ?! まさか、スティーア家の者は皆、竜族ってことか!? いや、でも竜族にはずっと長い間新しい子が誕生しなかったってじいちゃん言ってたし……」
わけがわからず頭の中がこんがらがってくる。
マリーやナーサがツィオ爺の血を引く竜族とかいきなり言われても困る。どう接したらいいか分からないし、そもそも人族なのに竜族だなんて間違いなく孤島のものは認めないだろう。竜人の俺でさえ半端者扱いなんだし。
そんな感じでアワアワしていたら、マリーが苦笑しながら小さく首を横に振る。
「その、言葉通りの意味ではあるが……。カトル、少し落ち着いてくれ。私たちスティーア家の者は竜族ではない」
「えっ……?!」
「確かに、スティーア家自体はじじ様が“人化の技法”で人族となり生まれた一族だ。そして、その血筋は今も脈々と受け継がれている。だが、竜族と人族の間に子は生まれない。竜人もまたしかりだ」
そこからマリーによって語られたのはスティーア家の歴史だった。
大陸北部の黎明期、ツィオ爺の愛した人族との間に生まれた子は次代となって連邦におけるスティーア家の地位を確立する。
だが残念ながら竜族としての力は一切引き継がれず、その能力や寿命は普通の人族同士の子と同じであった。
ラヴェンナに拘るツィオ爺にとって、百年に満たない寿命で次々に代替わりする人の世の移ろいは明確な懸念材料であり、それを払拭する為に編み出されたのが“誓願眷愛”である。
これにより当主となる者は必ず“誓願眷愛”の儀式を行い、ラヴェンナの地を守り抜くことをツィオ爺に誓う。その見返りとしてツィオ爺は一族の者を鍛えることで礎を築き、スティーア家を支える。
その関係性によってスティーア家は連邦における選帝侯としての地位を守り続けてきたのだ。
……だったら自分でスティーア家を牛耳ればいいのにと思うが、ツィオ爺はラヴェンナの地を守る以外については一切口出ししなかったという。
この辺俺にはピンと来ないんだけど、じいちゃんといいツィオ爺といい、人族との関係に明確な線引きをしている。
竜族と人族は違う。
その考え方は俺よりもシビアだ。たかだか生まれて十九年ちょっとの俺はまだどこかぼんやりとした認識しかない。
いつの日か俺も理解する日がやってくるのだろうか。
それでも俺とユミスの間は何も変わらないで欲しいけど。
「……というわけだ。“誓願眷愛”は苦肉の策で、たとえ竜族と人族という違いがあろうともじじ様にとってスティーア家の者は血族であり、当主以外の者を“誓願眷愛”で縛ることはなかった。無論、中には爪弾き者もいたそうだが、それらは尽くじじ様に掣肘されスティーア家の障害とはならなかった」
だからこそツィオ爺はマリーとナーサが俺に眷属としての誓約を結んだことに激怒したのである。
血族の者が竜族と関わる――。
それはツィオ爺にとって自らに課した人族との線引きを土足で踏み躙られる行為であり、決して許せるものではない。
……なるほど、やっと爺さんが何で怒ってたのか分かって来たよ。
ただそんなマリーの説明にナーサは不満そうに口をすぼめる。
「でも、私はずっと“誓願眷愛”を竜族の信頼を得る為の重要な儀式だと思ってきたわ。今更違うなんて言われても困る……」
どうやら俺が寝ている間に開かれた血族会議でナーサはツィオ爺に認識の違いを咎められたらしい。姉に対してどうしても強く出れないようだが、それでも素直に納得するつもりはないようだ。
ただナーサの言い分も分かる。
・“誓願眷愛”は眷属となり竜族の為に尽くす誓約である。
・当主になる者はツィオ爺に“誓願眷愛”を示す必要がある。
ツィオ爺の教えはこの二つだけとの事で、確かにこの内容では竜族への献身と捉えてもおかしくない。
ただエディはそんな彼女の繰り言を斬って捨てる。
「なぜそういう認識になるのかわからん。そもそも初代様以外の竜族による大陸への干渉が数千年来行われていない状況で、別の竜族など考える必要はない」
「……っ」
「判断が甘い。そのような事だから初代様に咎められるのだ」
容赦のない言葉にナーサは俯き臍を噛む。だがそれに助け船を出したのはマリーであった。
「待ってくれ、兄上。私も最初にじじ様の説明を聞いたときはナーサと同じような誤解をしたぞ」
「むっ……」
「わざわざじじ様が“誓願眷愛”に言及した時点で、普通は他の竜族の事を考えるのではないか? 実際、大陸に竜族の方々が全くいないわけではないのだ。他の竜族を考えないなど、むしろ兄上が思考の幅を狭めていると思うが」
「なぁっ!?」
マリーがそう言って肩を竦めると、エディは露骨に頭を抱え出した。まさか自分の意見がマリーによって覆されるとは思わなかったらしい。
なるほど、エディの考えの基準はツィオ爺に尽くすところにあるのか。そりゃあ二人とは発想の根本が全然違うよな。
……てか、それ結局あの爺さんがちゃんと説明してないのが悪いんじゃん。
ラヴェンナを守るという自分のこだわりに“誓願眷愛”を求めるのが異常なんであって、それを無理やり誤魔化すからボロが出るんだ。
まあでも、まさか二人が竜族に出くわすなんて思ってなかったんだろうけど、それを解消するべく“人化の技法”を掛けられた俺はとばっちりもいいところだ。
詐称が疑われている今は確かに都合良いんだけどね。
と、そんな話をしていたらユミスの怒りも収まったのか、魔力の垂れ流しが無くなってきた。ただ無表情なので、きっと内心は怒り心頭なんだろう。
「で、能力の件はどうなってるの?」
これ以上ユミスを刺激したくなかった俺は、話を変えるべくこれからの事をエディに促す。
「フン、確かに我らスティーアの話はそのくらいでよかろう。さっさと本題に移るぞ。この後、夕刻に式典に参加するだけの其方らとは違い、私は暇ではないのだ」
そう言ってエディは何事か呟くと、収納魔法から紙が数枚綴られたファイルを取り出し俺に手渡してきた。見れば手書きの議事録のようなもので、箇条書きに細かく事柄が記されている。
どうやら能力の詐称の件とは微妙に違う内容のようだ。
最初のページには首都アグリッピナの事がつらつらと書かれ、次のページからは貴族の状況や施設、宮廷の状況などが事細かに記載されている。言ってみれば今日の式典に参加するにあたっての予備知識みたいなものだ。
こんなもの見せられても俺にはあまり関係ないなあと思いつつ最後のページまでめくり、そこに記された内容に凍り付く。
「これ、俺の能力の上げ方って……」
「初代様がわざわざお前の為に考えられた方策だ。伏して崇めるがいい」
そこに記されていたのは、おおよそ俺がこの数年で行ってきた修行へのダメ出しと、今後行うべき特訓についての考察であった。多岐にわたって説明されているものの、まとめれば魔力制御に重点を置き、最も魔力消費が少ない魔法を繰り返せという命令である。
確かに一つ一つの肉体の負荷の掛け方や魔力制御に関する細かな知識は思わず感嘆するものだったが、それでもじいちゃんやレヴィアのやり方を貶す内容に俺はふつふつとした苛立ちを覚えてしまう。
だがこの場に居た他の面々からすれば至極真っ当な、というか素晴らしい内容であったらしい。
「これは凄い。中央学区で学ぶ内容よりはるかに充実しているぞ。じじ様は血族の私たちよりカトルに甘いのではないか?」
横から覗き込んでいたマリーはその内容に興奮を抑えきれないようであった。ナーサも隣でコクコクと何度も頷いており、ユミスも特に異論はない様子だ。
「この方策を基にお前はさっさと“誓願眷愛”の誓約を解除出来うる身体を作り上げよ。そして二度と面倒ごとを我が家に持ち込むな」
エディはそう言って立ち上がると「はなはだ気乗りしないがまた夕刻に宮廷で会おう」と言い残し、扉を開けてスタスタと去って行く。
俺はその後ろ姿を渋い表情で見送ったのだった。
次回は1月27日までに更新予定です。




