第十八話 銀髪の皇子
5月7日誤字脱字等修正しました。
「査察だ。神妙にせよ」
修練場を埋めつくす勢いで全身鎧の兵士たちが入ってくると、部屋の中央に居た俺たちを取り囲むように間断なく整列していく。
槍こそ構えていないものの、俺たちが逃げるそぶりを見せれば躊躇なく攻撃を仕掛けてくるに違いない。
いくらこの場所が誰にでも開放されているとはいえ、こんな暴挙が許されるのか。俺はこの状況に一人ふつふつと怒りを覚えていたのだが、そんな思いとは裏腹に、マリーは厳しい表情こそ崩していなかったものの特に狼狽えることなくじっと兵たちの様子を伺っているだけだ。
「ん……大丈夫なの?」
「姉さんが対応すると言った以上、信頼するだけよ」
ユミスとナーサの二人が人の頭の上でボソボソ話している。
もちろんマリーを信頼するのは当然の事だけど、それしか出来ない自分の身体がなんとももどかしい。
ただそれでも、心のどこかでまだ余裕があった。
あの爺さんが、俺はともかく血族であるマリーたちを放って自分だけ逃げるなんてありえないからだ。何か考えがあるのか、それとも何も起こらないという確信があるのか。いずれにせよ、このままむざむざと相手のなすがままって事にはならないだろう。
中へ入って来た兵士たちは皆、槍の穂先を上に向け石突を下ろして直立不動の体勢を取っていた。どうやらすぐに襲い掛かって来るわけではないらしい。とはいえ大勢の全身鎧の集団に囲まれるという異様な光景に、自然と喉がゴクリと鳴ってしまう。
そんなただならぬ緊張感の中、兵士たちの態勢が整うとついに扉が大きく開け放たれた。そして何重にもフリルの重なった袖や襟が特徴的なゴワゴワとした服を纏った男たちがふんぞり返って入って来る。
「ケルッケリンク公爵……!」
先頭を歩く男の姿が見えた途端ナーサは目を大きく見開く。
ケルッケリンク公爵と言えば、確かこの首都アグリッピナのすぐ傍にある東部最大の都市ミミゲルンを領する大貴族だったはずだ。
カルミネで見た貴族もなんだか動きにくそうなコテコテの衣装だったが、連邦の貴族も例に漏れず剣を振るうのに一苦労しそうな装いでなんとも印象が悪い。
でっぷりと太った腹を隠すには都合が良さそう、といった感じだ。
その後ろに続く者たちも似たような体型と服装で、虎の威を借る狐の如く下卑た笑いを浮かべている。類は友を呼ぶとはまさにこのことを指すのだろう。
――だが、最後に入ってきた五人目の男だけは全く様相を異にしていた。
すらっとした純白の上下にちょっとした金の意匠を飾り付けただけのシンプルな装いは、見た目の若さも手伝って清廉な印象を受ける。
目元近くまである銀の前髪が颯爽と靡き、それを右手でかき上げる姿は整った目鼻立ちも相まって巷の女性を虜にしそうな見目麗しい青年であった。
その男はマリーの方を見ると一瞬、悪戯っぽい笑みを浮かべる。だが、すぐに表情を戻すとゆっくりとした足取りで公爵より前に進み出た。
「久しぶりだね、マッダレーナ」
「つい昨日、宮廷でお会いしたはずですが? メロヴィクス皇子」
……っ! 皇子ってマジか?!
なんで連邦の皇族がこんな時間にここに来る?
「そうだったかい? せっかくのデートのお誘いを君にすげなく振られてから、情緒不安定でなかなか立ち直れなかったんだ。きっとそのせいで物忘れが激しくなってしまったんだよ」
「……今日もお戯れが激しいようで」
げんなりとした表情でマリーがため息をつく。それとは対照的に皇子は嬉しそうに目を細め、次いで俺たちの方へと視線を向けてきた。
……正直、皇子が何を考えているのかわからないけど、この好奇心に満ちた悪戯心満載の瞳に見つめられると嫌な予感しかしてこない。
だが、皇子がさらに言葉を続ける前に後ろで控えていたでっぷり男、もといケルッケリンク公爵が割り込んで来る。
「メロヴィクス皇子に無礼であるぞ、スティーア家の娘。我らの前で跪くがいい」
「これは異なことを。ここは平民にも開放している修練場とは言え我がスティーア家の屋敷の一部。曲がりなりにも公爵家を拝命する我らに無断で兵を動かすという狼藉を働く無礼者に為す礼などない」
「なんだと!? それは皇子に対し反逆の意志を示すということか!」
「何を言う! 私は忠実なる皇帝陛下の剣、ラヴェンティーナ師団准将マッダレーナ=スティーアである。そしてこの地は皇帝陛下より賜りしスティーア家の区画。皇帝陛下に跪きこそすれ、無礼者に礼を尽くす必要などない。早々に立ち去るか、正々堂々尋常に立ち合うがいい」
そしてマリーはゆっくりと身構えた。手にした木刀には魔力が込められ、道着からは薄っすらとオーラが漂う。どうやらあの道着は魔力で覆うことが出来るらしい。さっきナーサが痛がっていた原因もこれだったのだろう、全くもってとんでもない道着である。
そんなマリーの迫力に恐れをなしたケルッケリンク公爵はじりじりと後ずさっていく。
「生意気な小娘め。これだから田舎者は……!」
口ではそんなふうに強がっていても、やはり恐れの方が大きいのだろう。口元は覚束ず、声も心なしか先ほどより小さい。
「おっと、ケルッケリンク公爵。我が愛しきマッダレーナに小娘呼ばわりは頂けないな。もっとも私と彼女が共に歩むことになれば、公爵にとっては最大の障害となるのかもしれないが」
「ははは、これはお戯れを。その時はこのライデン=ケルッケリンク、選帝侯第一位として皇子を力強く支える所存でございます」
「それは頼もしいな。期待しているよ、ケルッケリンク公爵」
メロヴィクスが笑みを浮かべると、マリーは毒気を抜かれたように溜息をついた。それとともに緊迫した場の雰囲気が一掃され、ようやく俺も一息つく。
「うん? マッダレーナの後ろの子は大丈夫かい? さっきから倒れたまま動けないみたいだけれど」
「彼は模擬戦の最中怪我をしたのです。早く安静にさせたいのですが……」
マリーの言葉に皇子が「ん? 彼?」とか呟く声が響く。
……不本意だ。聞こえなかったことにしよう。
「そろそろ与太話はやめて本題に移ってください、皇子」
「本題かい? さっきから伝えているよ。私とマッダレーナが一緒になればそれこそ何の障害もないとね」
「……」
「はは、わかったよ。そんな怖い顔をしないでくれないか、私の愛しき人」
マリーが眉間にしわを寄せ露骨に睨みつけると、皇子は肩を竦め苦笑いを浮かべた。そして一つ咳払いをすると、表情が一変する。
「こんな夜更けに出迎え大儀。皇帝クローディオが長子メロヴィクスである」
まるで芝居がかったようにメロヴィクスが朗々と言葉を紡ぎ始めた。それは血のなせる業なのか、メロヴィクスの声が耳に心地よく響き渡ったかと思うと、その場に居た者が全員即座に跪く。
だが、その中で跪かない者がいた。
一人は倒れたまま起き上がれない俺、そしてもう一人はメロヴィクスを凌駕する覇気を振りまくユミスである。
少しの間、二人は視線を交わし合っていたが、やがてメロヴィクスの方から話を切り出してゆく。
「ハンマブルク公爵からの告発、およびケルッケリンク公爵による弾劾の申し立てがあった。訴えの内容は【カルマ】の詐称疑惑である。東部の意向として皇帝陛下の手を煩わせることなく対処する必要ありとの判断を余は尊重し、この場に出向くことを決めた」
メロヴィクスが右手を上げると、後ろに控えていた貴族らしき男が跪いたまま進み出て、懐より大きめの魔石を取り出し両の手に掲げる。込められた魔力からするとなかなかの力を持った魔石なのは間違いない。それを手に取りメロヴィクスは高らかに宣告する。
「申し開きがあれば述べるがいい。そして余の前で能力を開示せよ」
皇子としての立場を振りかざし厳命するメロヴィクスを前に、ナーサは悔しそうに唇を噛みしめる。
俯いていたのでナーサの表情は周囲にバレていないだろう。だが見掛けは取り繕えても能力の詐称だけは誤魔化しようがない。
不幸中の幸い、“人化の技法”でもはや取り繕う必要がなくなり竜族だとバレる心配はなくなったが、ユミスも俺も先ほどの検問で詐称した能力を調べられている以上、明確な差が出てしまう。
連邦にはアルヴヘイムから流れてきた高性能な魔石がたくさんあるとナーサは言っていた。この期に及んでメロヴィクスの掲げた魔石とユミスの詐称魔法、どっちが上か勝負! なんて危険を冒している場合ではない。
「ユミス……」
俺は不安に駆られてユミスの顔を見上げ、そして感嘆の息を吐く。
そこにあったのは、挑戦的な瞳でメロヴィクスを見据える気高き女王の姿であった。
「申し開きを望むなら、粛々と答えよう」
ユミスの口から出たのは、最近あまり聞かなくなった威厳を付けようとして無理に低く頑張っている声色だった。
その場にいた者は皆訝しげな表情を浮かべ、ユミスに対して冷ややかな視線を向ける。
見た目は砂漠から歩き通しで薄汚れた格好の女の子が、突如ちぐはぐな言動をし始めたのだから無理もない。
ただ、その声を聴いたメロヴィクスだけはニヤリと笑い、ともすればユミスの無礼を咎めようとした兵たちを制してユミスに続きを促す。
「良かろう。申せ」
「……ん」
メロヴィクスは顎に手を当てユミスの言葉を待つ。だがその答えは簡潔なものであった。
「貴公も皇子たる立場なら、鉄石で能力を知られるわけにはいかないはず。ただそれだけの事だ」
「ほぅ……。確かに余を含めた皇族、並びに皇帝たり得る選帝侯とその直系はみだりに能力を知られてはならぬな」
「私は、ここにいるスティーア公爵令嬢ナータリアーナ=スティーアの招待を受け、こちらに赴いたまで」
「ふむ。それが本当ならば余こそ礼を失したことになる」
メロヴィクスは横で跪くケルッケリンク公爵をギロリと一睨みして、再びユミスへと向き直る。
「不徳の致すところだが、改めて自己紹介させて頂こう。余はラティウム連邦皇帝クローディオが長子メロヴィクスと申す。御身の名をお聞かせ願えぬか?」
「ん……私はユミスネリア=カルミネ」
「おぉ! これは……」
ユミスの言葉に軽く目を見張ったメロヴィクスは即座に居住まいを正した。そして静かに跪こうとして、ユミスに制される。
「待たれよ、メロヴィクス皇子。私は今、女王の地位にはない。従姉たるタルクウィニア=カルミネが現カルミネの女王である」
「……なるほど、では」
メロヴィクスはゆっくりと手を差し伸べ、ユミスをエスコートしようとした。だが、ユミスは軽く首を振ってやんわりとその申し出を拒む。
「疑いが晴れたならば、この物々しい状況を改善するのが先決ではないか?」
「あぁ、確かに。貴女への疑いなど最初から何もない。……そうだな? ケルッケリンク公爵」
メロヴィクスはユミスの言葉に対等な立場をもって賛意を示し、公爵に釘を刺した。だが、このままでは大勢が決すると踏んだ公爵が下卑た笑いの仮面を外し必死の形相で訴え始める。
「お待ち下さい、皇子! そのような薄汚れた女がカルミネの女王など軽々しく信じてはなりません。そもそもかの者たちは能力を詐称していたのですぞ!」
「だが、スティーア公爵令嬢たるナータリアーナ=スティーアが招きし女性だ。それだけでも信じるに値するのではないか?」
「何を仰せか。そもそもあれに控えるスティーア家の次女にも嫌疑は掛けられているのですぞ。そこの不届きにも寝そべったまま起き上がろうとしない愚民もしかり。……ああ、無論皇子のお手を煩わせるわけにはまいりません。ぜひ裁定は私めにお任せ頂きたい。必ずや皇帝陛下の御為に最善を尽くしましょうぞ」
もはや形振り構わず攻撃姿勢を打ち出した公爵に、マリーは不快感を隠そうとしなかった。同じく苛立ちを募らせ公爵を睨みつけるナーサを庇うように立ち上がると、一触即発の雰囲気が漂い始める。
だがその張り詰めた空気の中、メロヴィクスは殊更陽気な声で話し出した。
「よい。ケルッケリンク公爵の気持ちはありがたいが、余はそちらの麗しき女性たちに興味を持った。それにスティーア家の招待で済むような方ではない。ぜひ宮廷に招いて歓迎せねばならぬであろう?」
「なっ……!? そのような危険な真似、万が一の事があったならどうなさるのです!?」
「んん? 選帝侯ともあろうものが忘れたのか? 宮廷にて皇族のみの部屋に招くならば能力の開示はそこまで忌避すべきことではない。仮にこの者たちが其方の考えるような不届き者だったとして、武を尊ぶ強者が居並ぶ宮廷で、“氷の魔女”の異名を持つカルミネの女王陛下ならばいざ知らず、ただ一人を相手に臆する我らではない。何の憂いがある?」
「……っ」
ケルッケリンク公爵は引きつった笑みを浮かべたまま、それ以上反論することなく引き下がっていく。
だがメロヴィクスの発言に顔を引きつらせたのは公爵だけではなかった。
マリーやナーサ、そしてユミスもまた皇子の言葉に目を見開き、唖然としてしまう。
「では夜更けに失礼した。今夜の所はゆっくりとお休み頂き、明日の夕刻前に迎えを送ろう。四人とも楽しみに待っているぞ」
メロヴィクスはそう言い放つと、上機嫌に屋敷を後にしていく。
四人て、いつの間にか俺まで参加が決定してるんですけど。
意気揚々と去っていく皇子の後ろ姿を俺は呆然としたまま見送ることしか出来なかった。
次回は1月8日までに更新予定です。
本年も竜たちの讃歌をお読み頂きありがとうございました。
年内もし間に合えば投稿しますがこのタイミングで。
良いお年を。




