第十六話 “人化の技法”
4月24日誤字脱字等修正しました。
「待っておったぞ、小僧」
老人は小馬鹿にするように笑い、舐めるようにこちらを上から下まで見定めて来た。その心臓を射抜くような視線に俺は口を開くことさえできず、ただ呆然と立ち尽くしてしまう。
目の前に立っているのは、マリーと同じ道着の痩せこけた老人のはずだった。だが全身から溢れんばかりに漂うオーラに圧倒され、その力量に気後れする。
いったい、どうしてこんな老人が存在しうるのか。
まるで本気になったじいちゃんのようだ。
こうやって対峙していてもまったく底が見えない。
「フン、儂が怖いか? 腑抜けた小僧かと思ったが、なるほど、オブスノールが反応するだけの事はある。儂の力を見抜いた事は褒めてやろう」
……なんだか良くわからないが褒められた。
これだけ凄まじい力を持つ上位の存在に認められるのは恐ろしいながらも嬉しさがこみ上げてくる。
だがそんな喜びも束の間、次の瞬間、意識が吹き飛ぶほどの威圧を受け、恐怖で顔が引きつってしまう。
「だが、我が血族へ科した仕打ちは断じて許さん。その身をもって償うがよい」
「いぃ?! 突然、何の話かさっぱりなんだけど」
「んぬ?! ヤムのクソジジイの所の小僧が生意気にも儂に口答えする気か?!」
クソジジイって、何でここでじいちゃんの名前が出てくる?
っていうか、じいちゃんの名前を知っていて、これほどの力の持ち主なら、答えは一つしかない。
――竜族だ。
竜人化の秘法で痩せこけた老人に見せかけてるだけに違いない。
それにしても、まさかじいちゃんをここまで堂々と罵る竜族の同胞が居るとは思わなかった。
マリーやナーサの意味ありげな言動の数々はきっとこの老人の事を仄めかしていたんだろう。
……でも何で会ったばかりの俺にここまで高圧的に接してくる?
「あんたこそ、じいちゃんの悪口を言ってどういうつもりだよ。いつからここにいるのか知らないけど、そんなこと言ってるとラドンの奴みたいに捕まって孤島に連れ戻されるぞ」
……嘘だ。
俺の発言ははったりもいいところで、目の前の老人がラドンと同じであるはずがない。
単純に力の差もあるが、何よりラドンとは格が違いすぎる。
溢れんばかりの魔力。話しかけられただけで身じろぎしてしまうほどの圧迫感。そして全身から漂うオーラは、おそらく竜となったラドンより上だろう。
これだけの力を持つ竜族が、それこそ吹けば消し飛ぶような俺如きの相手をするのはなぜか。多少、挑発してでもその真意を掴まなくてはならない。
「はっ、何を言うかと思えば、ヤムが儂を捕らえるだと? オブスノールの地を汚し、その失態を拭うどころかおめおめと大陸から逃げ出した愚か者がどの面下げてやってくるか!」
「じいちゃんは人族と決別して大陸から手を引き、孤島へ移り住んだって聞いたけど?」
「フン、あのクソジジイの言いそうなことだ」
「それに俺は大陸で同胞に会ったら一度は孤島へ帰れって伝えるようにじいちゃんから言われているだけだ。あんたはじいちゃんに何か言いたいことがありそうだけど、それこそ直接会って話せばいいじゃないか。俺は関係ない」
俺としてはじいちゃんのとばっちりで絡まれているのだと思い、それを素直に表現したつもりだった。
だが俺の言葉に老人はわなわなと震え出し、キッと睨みつけてくる。
「この期に及んでまだそのような逃げ口上をほざくとは……許せん!」
「いや、本当に何のことかわからないんだけど、何が気に障ったんだ?」
老人は噴火寸前の火山の如く怒気を放つ。
……ダメだ。何が逆鱗に触れたのか、俺にはさっぱり分からない。
髪の毛一本一本が逆立ち、文字通り怒髪、天を衝いている。
ああ、もう俺じゃどうしようもない。マリーは大丈夫だって言ってたけど、ちょっと怒らせ過ぎたみたいだ。
そこまで思い至ってふと頭の中に疑問が駆け巡る。
(あれ? 何で俺はこの老人と話し合おうとしたんだっけ?)
その思考が脳裏を過った瞬間――世界が歪み始めた。
「うわっ……!?」
「カトル!! 大丈夫?!」
俺の悲鳴とユミスの絶叫が重なり合う。
気づくと腕の中には先ほどより幾分か元気を取り戻したユミスの心配そうな顔があった。そして後ろには両膝を付いて座るマリーとナーサの姿も見える。
「チッ……小娘め。空間魔法で次元に干渉するとは人族のくせにやりおるわ」
「――っ、次元?!」
「ん……カトルは今、別の次元に取り込まれていたの。存在は並列でも精神は一つだから結構危なかったんだよ」
「え……っと、何て?」
正直、ユミスが何を言ってるのかわからず俺はそっと視線を逸らした。
それを見たユミスが呆れたように溜息を吐く。
「ハァ……。カトルもおじい様の授業で習ったでしょ? もう、だからカトルは空間魔法が出来ないのよ! サボってばっかりなんだから」
「今、この状況で説教しなくても……」
「こんな状況だからでしょ?! しょうがないなあ、もう。……いい? 器はどんな次元にもあるけど、精神はその間を行き来してはじめて成り立つの。だからカトルがスティーア家の当主によって高次元へと精神を強制的に連れ去られ――」
「わぁ、ストップストップ!」
いきなり説明されてもこれまでわからなかったことが突然わかるようになるはずがない。
それよりも今、どういう状況なのか知る方が先決だ。
「つまり、俺どうなってたの?」
「カトルは修練場に入ってからずっと呆けていたんだ。御所代様と向き合っているのに、ユミスを支えたまま全く動かなくなったから冷や冷やしたんだぞ」
俺が後ろの二人に視線を動かすと、マリーがユミスに代わって説明してくれた。
御所代様ってのがこの老人の事らしい。
なんとも大層な身分の御仁のようだ。
そんな御大を前にしてユミスを支えたまま全く動かず向かい合っていた、って俺めちゃめちゃ感じ悪いじゃないか。
「これ、マリー。余計な事を言うでない」
「お言葉ですが御所代様、カトルはナーサが招いた客人です。その客人を放っておくことは信義に反します。これは御所代様からご教授頂いた大切な訓戒ではないですか」
「ムムム……」
老人は苦虫を嚙み潰したような顔で唸り声を上げる。ただマリーの言うことは素直に聞くようで、咳払いをすると姿勢を正しこちらに向き直った。
「良かろう。確かに我が屋敷の門をくぐった者を差別する気はない」
「ありがとうございます、御所代様」
そう言ってマリーが頭を下げると、老人の眉が吊り上がり藍色の瞳が細められる。
「勘違いするな。こやつが仕出かした事への処罰は別だ」
「御所代様!? それこそカトルの罪ではないではありませんか。現にカトルは何も知らぬと言っております」
「それは違う。無知こそ罪ぞ。この者の立場では許し難い罪だ」
「御所代様の理屈ならば、私の方がより罪深いではありませんか。であるなら私から罰して下さい」
「儂は血族を守る為に対処するのだ。マリーを罰する必要などない」
「それではあまりに理不尽です。そのようなこと、私には賛同出来かねます」
「むうう……!」
老人とマリーが侃々諤々の言い争いを繰り広げているが、当の本人である俺は完全に置いてけぼりだ。
やっと老人が唸り声をあげて沈黙が訪れたのを幸いに俺はマリーに問いかける。
「なあ、いったい何の話だ? 無知が罪って、俺は何を知ってなきゃダメだったんだ?」
「それは……」
俺が問いかけるとマリーにしては珍しく少しだけ目が泳いだ。若干頬を赤くしてやや俯き加減で、わざとらしく咳払いをする。
「コ、コホン……。それは、モンジベロ火山で髑髏岩の洞窟の奥でカトルが私を助けてくれた時にだな。その……感極まって私から頬に口づけをしただろう?」
「はい?」
「はぁ?!!」
照れながら発したマリーの言葉に理解が追い付かず、思わず疑問形で返してしまう。
驚きの声を上げ、こちらを睨んでくるユミスの視線が痛い。ってか、何で今そんな話になるのかさっぱりなんだけど。
「なんと、カトルはもう忘れてしまったのか!?」
「忘れるわけない! ……って、そうじゃなくて、何でそんな話になる?」
「それは……その、口づけこそ竜族への信頼を示し眷属となる為の神聖な誓いの儀式だからだ」
「なぁっ……!?」
マリーの言葉に俺は絶句してしまう。
ただユミスもまた驚きで目を瞬いているのを見ると、周知の事実というわけではないようだ。
「何驚いてるのよ? あんたは。私がその……“誓願眷愛”の儀式の意味は教えたでしょう? 竜族への偽らない誓いを示し、眷属として信義を貫くものだって」
「……眷属だなんて聞いてないっての」
「人族が竜族と対等でいられるはずがないでしょう? カトルは私に誓約の話をしてくれた。眷属として身を捧げるのはその信頼に応えるためよ」
「……」
俺は何も言えず、口をパクパクする事しか出来なかった。
てか、ナーサは竜族の怒りがどうとか言ってなかったっけ? ……眷属なんてことは一言も口に出して無かったはずだ。
そもそも眷属とは主に仕える従者みたいなものだ。思い出されるのはレヴィアに付き従うオーケアニデス族のネーレウスだが、それってまさに今、ユミスの傍に付いている俺の立場なわけで。
「え……、あ、その……ええ?」
衝撃の事実に俺がいまだ呆然としていると、マリーは苦笑いを浮かべナーサは大きなため息をついた。
いやでも、しょうがないだろ、こんなの。はい、そうですかと簡単に受け入れられることじゃない。
つまり、なにか?
俺はマリーとナーサの主になった、ということなのか?
……いや、どう考えてもそれは違うだろ。
二人は信頼できる仲間だ。
レヴィアとネーレウスみたいな間柄なんて全くイメージできない。
もちろんあの二人の間に信頼関係がないってことじゃないけど、その、なんていうか……そういうことじゃないんだ。
完璧に混乱した俺がしどろもどろになっていたら、そこまで黙りこくっていた老人がカッと目を見開いた。それにビクッとする俺を射抜くような視線で睨みつける。
「ヤムの所の小僧は誓約や儀式の意味すら理解せず、のうのうと我が愛しき血族を貶めていたのか」
「いや、そんなこと言われても」
「しかも今、確認してみればマリーだけではなくナーサまで……!」
……やばい。間違いなくめちゃくちゃ怒っている。
怒りのオーラが背中から見えるのは幻覚じゃない。
「一つ問おう。小僧は誓いについてヤムのジジイから何も聞かされていなかったのか?」
「ああ、それは間違いなく」
「ほぉう。ならば誓いを反故にされても異存はないわけだな」
そう言ってニヤリと笑う老人に背筋がゾッとする。
確かにマリーやナーサが俺に縛られて眷属として生きるというのは想像出来ない。そもそも俺は眷属がどういうものなのかあまり理解できてないくらいだ。
だが、この老人の真意はとてつもなく怖ろしいものだと本能的に察していた。すべてを無にすることさえ厭わない圧倒的な力を前に、俺の心は為すすべもなく圧し潰されてしまう。
そして老人は見下すように冷たく言い放った。
「小僧。お前はまだ竜族としては幼い。そのような者の眷属として生きるなど大事な血族にさせるわけにはいかん。……だが、竜族の誓約は極めて重要なものだ」
誓約に抗うーー。
それは竜族にとっては禁忌だ。
それこそ毎日じいちゃんから絶対にしてはならないと耳にタコができるほど聞かされ続けたのを覚えている。
だが、老人は妖しく藍色の瞳を光らせると驚きの言葉を口にする。
「お前を一時的に竜族ではなく人族にしよう。さすれば眷属としての契約を解き、誓約を無にすることも可能であるからな」
「えっ……?」
「心に疚しいことがなければ受け入れるがよい。我の編み出した技能、“人化の技法”だ」
それは一瞬の出来事だった。
老人の力が俺を覆いつくし、肉体が不思議な力で粉々にされたような錯覚に陥る。そしてその刹那、急激に力が失われ、腕の中のユミスを支えることも出来ず、俺はその場に崩れ落ちていった。
次回は12月28日までに更新予定です。




