第十五話 北の賢者
4月21日誤字脱字等修正しました。
「カトル!!」
「え……、わっ?!」
一目散にこちらに走って来たマリーが、そのままの勢いで飛びついてギュッと抱きしめてくる。そして、まるで子供をあやすように俺を抱え上げくるくる回りだした。
「ちょ、待っ……!」
終焉なき強化を使われたわけでもないのに気付いたらマリーの手の中にあった。リスドに居た頃とは雲泥の動きの良さである。
その後はもう完全にマリーのなすが儘であった。
てか、久しぶりの再会でマリーも気が昂っているのか、全然放してくれる気配がない。
もうなるようになれと思い始めたその時――、不意に不穏な魔力の高まりを感じ背筋が凍りつく。
「はっ……?!」
俺は咄嗟に全力で身をよじると、からくもマリーの圧力から脱出した。だが、息つく暇もなく眼前に薄く透き通る氷の壁が現れ、心の底から震え上がる。
……こんな魔法を繰り出せるのは、ユミス以外にありえない。
「あっぶねっての! いきなり氷魔法はないだろ?」
「うう……カトルのバカ」
ユミスは頬を膨らませ不満そうにこちらを睨んでくる。
仕草は可愛らしいのだが、やってることはえげつない。
「こ、れは一体……?」
ユミスが展開した氷壁魔法に目を白黒させながらマリーが問いかけてきた。氷の壁の向こう側なので表情ははっきりと見えないが、明らかに戸惑っている様子だ。
そりゃあ、ユミスの魔法を初めて見たらびっくりするよな。
しかも下手したら巻き添えになってたわけで、俺ならともかくマリーが食らっていたら寒いくらいじゃ済まされない。
「カトルの他に誰がいるんだ?」
氷壁の向こうからマリーの声が聞こえ、回り込もうとしているのが見えた。だがその動きにナーサがビクリと反応する。
「……っ?! ナーサ!?」
「マリー、姉さん……」
心底びっくりしたような顔で素っ頓狂な声を上げたマリーに対し、ナーサは唇を震わせながら爪が食い込むほど拳を握りしめていた。
マリーに対する思いを聞いていた為、ナーサが及び腰になりそうなところを必死に歯を食いしばって耐えている気持ちが痛いほど伝わって来る。
ナーサからすればマリーに愛想をつかされたと思っているんだ。
だから俺はそっとナーサの後ろへ行き、背中を軽く押す。その行為に一瞬驚いたナーサだったが、意図を察したのか小さく頷くと一歩前へ足を踏み出した。
「……ただいま、姉さん」
それはとてもか細い声だった。けれど、視線はしっかりとマリーへ向けられている。
そんな彼女を見たマリーは相好を崩し優しく頭を撫で始めた。
「カルミネに行ったと聞いた。……二年近くの修行、頑張ったな、ナーサ」
「……っ、姉、さん」
「カルミネは大変な状況だったと聞く。家訓とは言え、立派に戻ってきたんだ。そんな辛そうな顔をするな」
「う……うん……」
その優しい言葉にナーサの涙腺が決壊し大粒の涙が流れ落ちた。それを隠そうとしたナーサをマリーがギュッと抱きしめる。
「痛いよ、姉さん。道着が当たる」
「おお、すまない。まだ修練の途中だったんだ」
マリーが何事か呟くと、着ていた道着がぼんやりと光った。
「これで大丈夫だろう?」
そう言ってマリーはにっこり笑い、もう一度ナーサを力いっぱい抱きしめる。
「はぁ……もう、姉さんたら」
ナーサはため息をつきながらされるがままになっていた。
ただ不満そうな声とは裏腹にちらっと見えた横顔は安心したような穏やかな笑みが浮かんでいる。
あれだけ苦しんでいたマリーへの感情が、たった一言で昇華されていく。
……これで姉妹仲が回復してくれればいいな。
俺はしばらくの間、姉妹の感動の再会を見守り、ひと段落したのを見計らってマリーに問いかけた。
「で、マリーは何でこんなところにいるんだ?」
「何を言ってるんだ、カトル。それは私のセリフだ。何故カトルがアグリッピナに居る? それに隣の女の子は誰だ? まさか、とは思うが……」
マリーの視線がユミスに向かうと、今度はユミスがゆっくりと前へ出る。
「ん……私はユミスネリア」
「なんと……! ん、んんっ、失礼した。お初にお目にかかります。私はマッダレーナ=スティーア。連邦西第一大隊所属の軍人です」
マリーは驚きに目を見開くのも束の間、すっと跪いて恭しく頭を下げた。
その優雅な動きに俺の視線は釘付けとなるが、ユミスはやや呆れた様子でそれを制す。
「ん、私はただのユミスネリア。あなたに跪かれる覚えはない」
「……そうでしたね。では友人として我が家へ赴かれたことを歓迎いたしましょう」
「ただの友人に普通そんな敬語は使わない。それに私は氷魔法であなたを牽制したんだけど」
その言葉にマリーはすくっと立ち上がって笑みを浮かべた。
「ああ、ならば私も普通に話そう。しかしあの魔法が牽制とは驚きだ。私に当てるつもりはなかったみたいだが、カトルはもう少しで結構なダメージを受けていたのではないか?」
「ん、カトルならあれくらい大丈夫」
「いや、大丈夫じゃないって。まともに受けたらめっちゃ冷たいんだぞ」
「ははっ、さすがカトルだ。あれほどの高位魔法を冷たいで済ませられるのはお前くらいだぞ」
「う……まあ、そりゃあ、ね」
この場にいるのは皆、俺が竜族だって知っている者ばかりなので本当に心強くて自然と笑みがこぼれる。
だがマリーはハッとして、急にそわそわしながら俺に目配せしてきた。どうやらナーサに俺の事がばれないか心配してくれているみたいだ。
「大丈夫。ナーサも知ってるから」
「――はぁ?!」
「あ、でもどこから漏れるか不安だし、話したいこともあるんだ」
そうマリーに伝えてユミスを見る。出来れば静寂魔法を掛けて欲しいと思ったのだが、ユミスは不満そうに口をすぼめ、ゆっくりと頭を振った。
「ん……話は後。私はお腹が空いた。ナーサが落ち着いたなら、戦闘狂っぽい人は放っといてさっさと食事にして欲しい」
「なっ……戦闘狂とは私の事か?!」
見るからにショックを受けて呆然としているマリーに俺は苦笑してしまう。
リスドで別れた前日、夜を徹した戦いを繰り広げた挙句、再戦まで口にしたマリーは、もはや立派な戦闘狂だと思うが、まさか本人に自覚が無かったなんて。
「あ、あの……姉さん。その、ユミスに他意は無いわ。ここに来る道中、ヒヴァの町でハンマブルク公爵の衛兵に囲まれて、食事を取る暇もなく逃げて来たの」
ナーサがぎこちなくマリーに話しかける。まだおっかなびっくりといった感じだが、発言の真意は伝わったようでピクリと反応したマリーの表情が途端に険しくなった。
「ハンマブルク公爵か。それはまた嫌なタイミングで嫌な相手が出てきたものだ」
「どうやって調べたのかわからないけれど、私たちが詐称していると言及してきたの。だから――」
「ん! 話は後! 先にごはん!」
明らかに話が長くなりそうな気配を感じたユミスがすぐさま会話に割り込んで来た。その様子に目を丸くしたマリーの口から笑みが零れ落ちる。
「すぐに食事の用意はさせよう。だが、せめて状況だけでも聞かせてくれないか? ハンマブルク公爵の名が出たとあっては安心して食事も喉を通らないぞ」
「ん……どうせ狙いは私だから」
「えっ……?」
詐称の事しか頭になかった俺は、そうポツリと呟いたユミスの発言の意図が分からず絶句する。
そんな俺にユミスは困ったような顔をして空の星々に視線を逸らした。その表情からは諦めにも似た感情さえ垣間見える。
「狙いがユミスって、それ、ユミスは連邦に来ちゃダメだったってことか?」
「そんなわけないでしょう! むしろ公的にはスティーア家の客人としてユミスを招いているのよ!? アルテヴェルデ辺境伯にもそう伝えたし、それでもハンマブルク公爵が敵対してきたって事は、その告発した白タグの傭兵がよほど信頼のおける人物だったとしか思えないわ」
「じゃあ、やっぱり詐称魔法の件で捕まえに来るってこと?」
「いや、それも違うぞ、カトル。ハンマブルク公爵が絡んでいる以上、スティーアとハンマブルクのいざこざなのは間違いない。もしそこにユミスネリアさんが関係するなら、それは――」
そんな風にマリーの感情が高ぶった時だった。突如として何の違和感もなく声が脳裏に響き渡ってきたのである。
『マリー。闖入者を一喝するのにどれだけ時間を掛けておるか!』
「っ?!」
その声にびっくりした俺は咄嗟に辺りを見回して、全く姿かたちさえ見えない状況に戸惑い、そして戦慄する。
それはユミスも同じであったらしい。
ついぞ見たことがないくらい狼狽した表情で俺と顔を見合わせたかと思うと、すぐに何らかの魔法を展開するべく魔力を練り始めた。
だが――。
「――っ!?」
次の瞬間、見えない何かにユミスの身体が大きく弾き飛ばされていた。慌てて優しく受け止めようとするも勢いは止まらず、支える俺自身の身体ごと持っていかれそうになる。
「グッ……うぉおおおおおぉっ――!!」
そこまで追い込まれてようやくそれが魔力であることに気付いた俺は、対抗するべく体内の魔力を凝縮し渾身の一撃を解き放った。
途端にバァン! という衝撃音が響き、ユミスを取り巻く魔力がかき消される。
どうやらかろうじてその場に押し留まることに成功したらしい。
だが、あまりの衝撃に俺は片膝をつき、力を使い果たしたユミスはガクガク身体を震わせ、まるで恐ろしいものでも見るかのように修練場へと視線を向けていた。
――あの一瞬で魔力の9割方を持っていかれた。おそらくユミスはもっとだろう。まさに魂を根源から寒からしめる一撃だ。
しかもまだ実際には何が起きたのかほとんど理解できないでいる。
「すまないが、三人とも私と修練場まで来てくれ」
そんな茫然自失の俺に、マリーは申し訳なさそうに跪いて声をかけてきた。俺たちに比べあまり動揺した素振りを見せていない彼女は、この状況がどういうことなのか把握しているのだろう。
「どうなってんの? これ」
「……すまないとは思っている。ただ今は、私の為だと思って黙ってついて来てくれないか? カトル」
俺の為にじいちゃんに会いに行ってくれたマリーにそこまで言われたら断るすべはない。
ただ、俺は良くてもユミスは違う。腰砕けで力が入らず魔力もゼロに近い。意識はありそうなので精神力枯渇には至ってないが、それでも危険な状況なのは間違いない。
そんな俺の危惧を見計らったのか、マリーはさらに言葉を紡ぐ。
「ユミスネリア殿の安全は絶対に保証する。私の名にかけて誓おう」
マリーの目に偽りはなかった。それはリスドに居た短い間だけでも十分に分かっていたし、何よりあのじいちゃんが信頼した人だ。
俺は腕の中で身じろぎもせず黙って聞いていたユミスに目を向ける。ユミスもまた俺の意図を察してくれたのかそのまま頷くと、ゆっくりマリーを見やった。
「ユミス、でいい。私もあなたの事はマリーって呼ぶから」
「……ああ。ありがとう、ユミス。私を信頼してくれて心より感謝する」
「ん……それに、どうせ今の私とカトルじゃ相手にならないだろうし、ね? ナーサ」
「――!? ……そう、ね。と言うより、私は最初から会って欲しくて、二人をラヴェンナに招待したんだから! まさかアグリッピナに来てるなんて夢にも思わなかったけれど」
突然話を振られ戸惑いを見せたナーサだったが、最後は力強く頷いた。どうやら中で待っているのはナーサが俺たちに会わせたいと思っていた人物のようだ。
『話はついたか? 早う来い、小僧。手ぐすね引いて待っておるぞ』
再び俺の脳裏にあの声が響いてくる。
だが今度は周りを見渡しても訝しげな表情か不思議そうな顔しか見当たらない。
……今のは俺にだけ話し掛けて来たんだ。
それがわかった瞬間、だいぶ心が楽になった。ユミスに危険はない。あるとすれば俺だけだ。
綺麗に敷き詰められた石畳の上を早足で駆け抜け、修練場の扉をガラリと開く。
そして――。
そこで待っていたのは、白髪で皺だらけの痩せこけた老人であった。
次回は12月24日までに更新予定です。




