第七十六話 天魔降臨
1月7日誤字脱字等修正しました。
すぐさま俺は走ろうとして、急ぐと消失魔法が解けてしまうことに思い当たり、ユミスの方を見る。
「えっ?」
思わず驚いた先にいたのは消失魔法を解いたユミスとナーサの姿であった。
ユミスはすぐに空間魔法を展開すると、俺にヴァルハルティを差し出してくる。
「これって……」
「早く! もし私が思ってたとおりなら、この先にいるのは――!」
ユミスの表情に全く余裕が感じられない。
それを見た俺は頭の中に渦巻いていた疑問を払いのけ、ヴァルハルティを受け取って即座に前へと走り出した。
魔力を切りさくことしか出来ないヴァルハルティは弓矢が飛び交う戦いの場においては使い勝手が悪い。
それでもユミスがヴァルハルティを差し出してきたのならば、考えられることは一つしかない。
「――天魔だ!!」
過ぎ行く街道沿いの木々の隙間から、おびただしい数の黒い影が空に浮かびあがっているのが垣間見える。さらにその先にも地下で見た緑色の醜悪な天魔に、見覚えのない水色のぶよぶよした生物、そして生き物を模った土くれの異形が、所狭しと地上を蠢いていた。
「ひぃ、ひぃっ!」
「助け、助けて――!!」
悲鳴が絶叫が大地をこだまする。
鎧を着込んだ兵士も黒のローブに灰色のフードを被った魔道士も、皆、天魔からの攻撃に太刀打ち出来ず蹂躙されるのみ――。
武器は効かず、魔法を繰り出すも大した効果はない。逆に空から降り注ぐ黒の魔法を前に皮膚が焼け爛れ、足に浴びようものなら歩く事もかなわず地面に這い蹲ることしか出来ない。
「あ……、あ……」
それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
千を越える威容を誇ったシュテフェンの軍勢は見る影もなく、わずかに盾を構え立ち向かおうとする者が残るのみ。その者たちにも異形どもが我も我もと群がってくる。
異形どもは、魔力を吸い取っていた。
攻撃により致命傷を受け、息も絶え絶えだった人々が、さらに死の間際まで魔力を吸い尽くされ、次々に倒れていく。
その凄惨な光景を俺はまだ夢でも見ているかのように呆然と眺めていた。
それはもはや戦いにさえなっていない。
絶対的な強者による殺戮であった。
その言葉自体は弱肉強食の摂理の中で普通に自然界に存在するのかもしれない。だが目の前で繰り広げられていたのは、まるで違う。
そこに感情はなく、ただただ魔力に群がり機械的に取り込むだけ。
相反するモノへの戸惑いが、どうしようもなく心をかき乱す。
――なぜこんなモノが存在しているんだ?
俺の心の内には『死』への恐怖が常に内在している。
そして目の前で死に行く人々はユミスのいる王都へ攻め込んできた明確な敵であり、俺はその敵からユミスを絶対に守り抜くという信念で剣を振るって来たはずだった。
だが――。
この異形どもはそんな思いを粉々に打ち砕くほどに不快で嫌悪すべき相手であった。
それこそ、全ての感情をかなぐり捨ててでも必ず滅ぼさなくてはならないと思えるほどに、歪でおどろおどろしい存在なのだ。
「はぁあああっ! たぁっ!!」
俺が呆然としている横で、ナーサが刀を手に異形へと飛び込んで行く。
それは戸惑いなど微塵も感じさせない素晴らしい刀捌きであった。思わず目を奪われる。
「おおっ?! すごい……!」
「なんだあの女は?! 俺たちじゃまるで歯が立たなかった奴らをたった一撃で!!」
「あの武器はいったい……? まったく見たことがないぞ!」
戦場を優雅に舞うナーサの一閃に、地面に這い蹲りながら逃げていた兵たちから感嘆の声が上がる。
対して天魔たちは突然現れた強敵に一瞬怯んだものの、土くれの生き物を盾に連携を取ってナーサを囲もうと動き始めた。
「カトルもお願い……! 皆を助けて!」
「ああ。言われなくとも!」
ユミスの言葉に俺はまず相手を知る為、鑑定魔法を展開し始めた。
なぜかいつもより魔力を吸い取られるような感覚に陥る。
名前:【ロックエレメンタル】
年齢:【0】
種族:【地精】
性別:【――】
出身:【カルミネ】
レベル:【3】
体力:【288】
魔力:【64】
カルマ:【物理耐性・魔法耐性】
……なんだ、こいつは。
物理耐性も魔法耐性も兼ね備え、体力もめちゃくちゃ高い。
ナーサも他の天魔は一刀両断だったのに、こいつだけは二度三度と攻撃を当てないと倒しきれないようだ。
「ナーサ、気をつけろ。その土くれの化け物は剣にも魔法にも耐性を持ってる」
「はぁあああっ……! 大丈夫! 動きは緩慢だし、何回か攻撃を与えれば倒せるわ!」
「ヴァルハルティなら……!」
俺はナーサを助けるべく、ヴァルハルティをロックエレメンタルに突き刺した。だが、鈍い衝撃と共に弾かれ、土を多少抉ることは出来ても粉砕するところまでは行きつかない。
どうやら魔法への耐性の方がはるかに高いみたいだ。
壁役としては非常に厄介な相手である。
「私がこの塊を相手にして、他をカトルに任せたほうがいいみたいね」
「ごめん。ヴァルハルティだと相性が悪そうだ」
俺はいったん回り込むと、ロックエレメンタルの後ろから隙をうかがっていた奴らを相手にヴァルハルティを構える。
名前:【ゴブリン】
年齢:【0】
種族:【小鬼】
性別:【男】
出身:【カルミネ】
レベル:【4】
体力:【126】
魔力:【63】
カルマ:【物理耐性・耐性強化】
名前:【スライム】
年齢:【0】
種族:【無機物】
性別:【――】
出身:【カルミネ】
レベル:【3】
体力:【8】
魔力:【174】
魔法:【24】
カルマ:【物理無効・魔法耐性】
……えっ?! まさか、今のでレベルが上がった? 最近鑑定魔法はあまり使ってなかったのに?!
でも間違いない。【魔法】なんてくくりは見ることが出来なかったはず……。
――いや、今は後回しだ。
早くナーサの援護に回らないと、天魔の数が多すぎて対処しきれなくなる。
俺は体力の少ないスライムを優先し攻撃を繰り出していった。
スライムは素早くゴブリンの陰に隠れ魔法を放ってくるが、それをゴブリンごとまとめてヴァルハルティで薙ぎ払う。
同じ魔法耐性持ちでもロックエレメンタルとは雲泥の差で、スライムはかすっただけであっさりと消滅し魔石へと変化していった。
「ギギ……!? ギャギャギャ!!」
そんなヴァルハルティの威力にギョッとしたゴブリンどもが、威嚇するようにこちらへ敵意を向けてくる。だが動きは緩慢そのもので、俺はその間隙を縫ってゴブリンの後ろに回りこむと、次々にスライムどもを一掃していく。
「カトル、上! 気をつけて!」
その声にハッとして上空を見上げると、封印の間でも見た黒い影が連続的に魔法を放ってきた。魔法の速度自体は大したことないが、尋常じゃない数だ。百どころの騒ぎじゃない。
いくらヴァルハルティでも豪雨のように降り注ぐ凄まじい数の魔法を全て打ち払うなんて無理だ。俺は転がり込みながらなんとかその場を退避していく。
名前:【シャドー】
年齢:【0】
種族:【霊魔】
性別:【男】
出身:【カルミネ】
レベル:【7】
体力:【31】
魔力:【494】
魔法:【33】
カルマ:【物理無効】
たいしたレベルでもないのにとんでもない魔力と魔法レベルだ。
しかも上空をふよふよ浮いているのでヴァルハルティも届かない。
動き自体は緩慢だが、連続して黒の魔法を繰り出してくるのは厄介だ。無視するわけにもいかない。
「炎の矢!」
どうしようか悩んでいた時だった。後方から炎の翼を纏った一筋の轍が空を駆け抜け、影の身体に突き刺さる。
するとシャドーは水が蒸発するかのように跡形もなく消滅し、後には小さな魔石が転がっていくのが見えた。
「やったぁ! やっぱり、魔法なら効くみたい」
ユミスの得意気な声が戦場を響くと、そのまま矢継ぎ早に魔法を放ち、次々とシャドーを打ち落として行く。
その速射のスピードたるや俺より同時発射数は劣るのに雲泥の連弾数である。瞬く間に空に浮かぶシャドーの塊が剥がれ落ち、その全てを焼き尽くしていく。
一撃で屠っているあたり、魔道師ギルドの連中ではほぼ効果を感じられなかった魔法攻撃もユミスの魔力なら問題ないようだ。
「俺も負けられない!」
シャドーの脅威がなくなれば、後は突撃するだけだ。
俺はユミスの護衛をナーサに任せ敵の後ろへ回り込むと、スライムに狙いを定める。
スライム自体はかなり素早い動きで逃げ回るのだが、肝心の壁役たるゴブリンが右往左往するだけで俺の動きについて来られない。結果として無防備になったスライムを俺は次々に倒していく。
魔法による攻撃がなくなれば、後は武器を振り回すだけのゴブリンと盾役のロックエレメンタルだけだ――と思っていたら、それもナーサの後ろで連射砲台と化していたユミスがあっという間に一掃してしまった。
「はは、マジか。さっすがユミス」
ヴァルハルティでも貫けなかった相手をあっさり倒すユミスの魔力には舌を巻くしかない。
「な、なんという魔力だ……」
「俺は助かった、のか?」
「あれこそまさに、伝承に出てくる戦乙女たち……!」
だんだんと周囲の喧騒が高まってくる。
それもそのはず、気が付けば周りに蔓延っていた無数の天魔は全て消え去り、城門への道筋が開かれたのだ。
だが、それと同時に悪夢のような光景もまた視界に入って来る。
目の前の大地には、異形どもに蹂躙され壊滅したシュテフェン軍の無残な姿が広がっていた。
中央に掲げられた将帥旗は真っ二つに折れ、周囲に立てる者の姿は無い。
城門を離れ、遠く西南の森あたりに落ち延びていく兵の姿が見えるも、とんでもない数の天魔に追い立てられている。
そして城門には――。
蟻の這い出る隙間もないほど密集し押し寄せる天魔の姿があった。
城門の上では衛兵たちが必死の抵抗を続けるも、一部の魔法しか効果がない。
しかも空から次々に降り注ぐシャドーの魔法にさらされ防戦一方の様子だ。ターニャが魔法を展開してなんとか防いでいたが、もはやどこから崩されてもおかしくない状況になっている。
だが、早く行かないとまずい、と気もそぞろになる俺の前で、ユミスは一度大きく深呼吸したあと周囲を見渡し、手近にいた兵士に状況を尋ね始めた。
「何が起こったのか、教えて! 早く!!」
「あ、ああ……」
その兵士はぺたりと座り込んだまま、虚ろな表情で話し始める。
「枢機卿の命令で運んでいた虹色の魔石から突如として大量の化け物が現れたんだ。あいつらには武器も魔法もまるで効かないし、逃げようにも空から降ってくる黒い魔法に触れた奴から動けなくなってしまって……」
「ん……、やっぱり」
魔石が天魔になった。
それは俺にはとんでもない衝撃の言葉だったのだが、ユミスはまるで予測していたかのように淡々と頷く。
魔石が化け物になるのに、なんでユミスはそんな平静でいられるんだ?
なんとか心を落ち着かせようとするも、どうしても耐え切れず俺はユミスに突っ掛かってしまう。
「やっぱりって、どういうことだよ、ユミス?」
「うん……。私はずっと疑問だったの。何千年もの間、全く問題が起こらなかった封印が、あの程度の魔力で封じられていたことに……」
途中で他人には聞かせられないと話だと気付いたユミスが静寂魔法を展開する。
「封印なんて名前だけで、平凡な魔力しか感じられなかった。むしろ私が施した魔術統治魔法の方が何倍も強固な戒めになってたくらい。……おじい様に比べれば私の魔力なんて赤ん坊のようなものだってことは、カトルが一番よく知ってるでしょ?」
「え、そりゃあ、まあ……」
「でもフォルトゥナートが掲げた魔石を見て、初めてわかった。これがあったからここは封印の間なんてご大層な名前で呼ばれていたんだって」
確かに、あの巨大な竜魔石からはじいちゃんの魔力が感じられた。
あの魔石が封印の間にあったのはおそらく間違いない。
って、あれ……?
「竜魔石は前王が地下水路に穴を開けて運びだしたんだよな? ならその時に封印なんてとっくに……」
「違うの、カトル! カトルだって封印の間の奥で壁を壊そうとしている異形を見たでしょ? ――本当の封印はあの壁の中にあって、それを抑えているのがカトルが龍脈って呼んでいたあの巨大な空間なんだと思う」
「……っ?!」
「あの奥の広間から通路に来たのはゴブリンとシャドーだけだったし、他のもっと強そうな天魔はこちらを見向きもしなかった。きっと、弱い天魔しか通路を通れないのね」
「ちょっと待って。だったらあいつらみたいな天魔が王宮――いや地下を通ってどこか別の場所に溢れ出てることにならないか?!」
俺の叫びにユミスが冷静に首を横に振る。
「当初封印の間には王族しか入れない魔法が施されていたの。たぶんおじい様が掛けたはずだから、弱い天魔は近づくことさえ出来なかったと思う。……そして、それが弾け飛んだのが三年前のカルミネの大災厄だった。そこから私が王位に付くまでの間に生まれた空白の一ヶ月――。前王の死がどういうものか調べる為、封印の間へ真っ先に訪れたのが魔道師ギルドだったんだけど、きっとそこで何かが起こった。あの場所に突然現れたフォルトゥナートみたいに、魔道師ギルドの中に狂気に取り付かれた者が居たとすれば――!」
「ちょ、待って。話に追いつけない……」
「魔道師ギルドが魔石と融合する研究を始めたのが、私が王位について間もなくの頃。でも肝心の魔石自体、たくさんの魔力を使ってようやく作り出せる貴重品なのに、魔道師ギルドはあっという間に数多くの魔石を取り扱うようになっていた。今思えば……」
ユミスは説明を続け、ナーサもその話にのめり込んでいる。
だが、俺の脳裏には冷やりとするモノが過ぎっていた。
それは魔道士という者に対する不信感であり、龍脈の奥の通路に突如現れたフォルトゥナートに端を発する忌避感である。
“フォルトゥナートと同じような狂気に取り付かれた魔道士”というユミスの言葉で、すぐ思い出したのはファウストだった。あいつはたった一人でリスドを窮地に陥れるほどの魔力を持っていた。ラドンが居なければ今頃リスドはどうなっていたかわからない。
そのファウストは魔道師ギルドの幹部であり、確かカルミネの王宮にももう一人幹部が居たとアエティウスが言っていたはず――。
「……っ」
そう思った瞬間、俺は即座に全力で魔力を捻出し探知魔法を展開し始めた。
なぜそうしたのか自分でもはっきりとは分からない。
ただ直感めいたものが心の奥底から追い立てて来たんだ。
そしてそれが正しかったと気付いた時には、すでにユミスのすぐ側に見えない影が猛然と差し迫っていたのである。
「ユミ――」
天魔を倒すのに魔力を消費し、今は静寂魔法を展開して話に夢中になっているユミスは、近付いてくる影に全く気付いた素振りを見せない。
まさか、探知魔法も感知魔法も掛けてない――?!
それを確認する暇などなかった。
魔法で対応するのは無理――。
ならばもう全力で動くしかない。
「くっ――!」
俺は左手で直剣を抜き取るや否や右のヴァルハルティと交差させて、文字通り飛翔した。人族の括りなど全て無視し、ユミスの側へ急行する――!
「え、何――」
ユミスもナーサも唖然とする中、俺は二本の剣を左右に突き出しながら、ユミスの背中へ身体を滑り込ませた。
キン、という鈍い音が響き、さらには天魔に相対した時とは比べ物にならない、ザクリとした手ごたえがヴァルハルティ越しに及んでくる。
「ば……かな……」
空間から声が響き、消失魔法が解け、現れたのはローブもフードも黒で固めた魔道士の姿であった。左胸に突き刺さるヴァルハルティからは、本来ならおびただしく流れる出るはずの血潮に代わって、妖しく虹色に光る魔石が浮かび上がり、ふしゅーという音を立てて溶け出している。
名前:【キルカ=キュリロス】
年齢:【37】
種族:【人】
性別:【男】
出身:【シュテフェン】
レベル:【49】
体力:【213】
魔力:【421】
魔法:【46】
スキル:【26】
カルマ:【物理耐性・魔法耐性・魔石融合・魔石強化】
「キルカ=キュリロス……?!」
「お、のれ……。あと少し、あと少しで忌々しい小娘を……!」
ヴァルハルティが突き刺さっているにも関わらず、逃げようと後ずさる。そこを俺は容赦なく直剣で首を薙ぎ払った。
即死したはずの男の目が一瞬俺を睨み付けたような気がした。
だが、その後キュリロスの身体はまるで天魔のように崩れ落ち、ドロドロに溶けてなくなったのである。
次回は6月29日までに更新予定です。




