第七十四話 王宮の崩落
12月31日誤字脱字等修正しました。
「消失魔法!」
背中にいたユミスが魔法を展開し始めたことで、一気に現実に引き戻された。
そういえば敵陣の真っ只中なんだっけ。
まだ目が眩んでいて周りも見えない。このままではまずいと俺は慌てて探知魔法を展開する。
「……近くには誰もいないか」
幸いにして周囲500メートル範囲内に人影はなかった。もし誰か居たら危うく狙い撃ちにされてるところだ。
少しホッとした後、さらに状況を探るべく探知魔法の範囲を広げようとすると、静寂魔法が展開され、つんけんとしたユミスの声が聞こえてくる。
「カトル、調べるのが遅い」
「ごめん。逃げるので手一杯になってたよ」
「……ん、大丈夫だったからいいけど。あと、調べるなら東だけね」
「え、なんで?」
「今、カルミネの城壁を取り囲んでいるのは敵の本隊でしょ。万が一でも感付かれたらダメなの!」
「……了解」
俺はユミスの指示に従い、そのまま東側だけ索敵範囲を広げて行く。
そして、だいたい1キロほど離れた辺りだろうか、百近い反応を見つけた。その周辺を数個の影がゆっくり巡回しているので、おそらくこれが洞窟への侵入を任された後方部隊なのだろう。
「カトルの魔力でも気付かれないのね。感知魔法の使い手がいないのかな……」
ユミスが微妙に失礼な事を呟いている。
確かに俺は魔力制御が下手だから感知魔法に引っ掛かりやすいんだろうけど、そこまで言われると少し複雑だ。
「俺だって鑑定魔法なら、もう少し気付かれずに出来るよ」
「戦いになったら効果的ね」
ささやかな抵抗を示したのだが、すげなくユミスに流されてしまう。
若干、心が痛い。
……まあ、いいさ。
魔力制御についてはじいちゃんにもう一回ちゃんとやり方を聞いて練習するつもりだし。
そうこうしているうちに、ようやく目も慣れ周囲を伺えるようになってきた。
どうやらここは湿地帯に入る前の草原地帯の一角のようだ。若干くぼ地になっており、木々が植えられカモフラージュされている。
くぼ地から出れば、すぐ南側に広大な畑群が広がっており、その向こうにチラホラと民家が立ち並んでいた。ただ探知魔法による反応はなく、戦争の気配に皆逃げてしまったものと思われる。
対して北側は一転して深い森になっており、鬱蒼と草木が茂って人が通るのも難しそうだ。北なら良いだろうと、ちょっとだけ魔力を飛ばしてみたけど、人どころか大型の生き物の気配すらしない。まあ、人が大勢動く気配を感じて森の奥に逃げていても不思議じゃないか。
それで問題の東側だが、若干木々が邪魔になって見通しが悪いものの、ちょっと行った先から様相が変わり、湿地帯特有の水はけの悪い泥地が広がっていた。
その木々の間から幕舎が見え隠れしている。おそらくあれがマリアの言っていた湿地帯に作られた前線基地なのだろう。
「うーん、下がぬかるんでて戦いづらそうだな……」
歩くだけでも靴が泥でびちゃびちゃになりそうだ。
ほんとここを舗装して道路を引いた人の苦労がしのばれる。
そんな感じで、どうやって戦うか俺が頭を悩ませ始めた時であった。
「あ……、ああっ!!」
急に後ろからナーサの悲鳴が聞こえ、さらにドドドドッという轟音が響き渡ったのである。
何事かと振り向けば、抜け道が続いているであろう辺りの地面が一直線に陥没して粉塵が舞い上がっていた。
大地に亀裂が走り、草木がバサバサッと凄い音を立てて傾いていく。一律に倒れる木々の陰から王都の城壁が見え隠れしてたのだが、粉塵の前にあっという間に視界が遮られ、何も見えなくなってしまう。
「凄いな。この亀裂、王都までずっと続いているんじゃないか?」
「……は? 亀裂?」
「えっ……?」
あれ?
ナーサと会話がかみ合わない。
「そっちじゃない。上よっ! 上を見て!」
「上?」
ナーサの怒鳴り声に俺は視線を上げると、倒れた木々の上、舞い上がる粉塵の合間に視界が開け、そこから大きな入道雲が見えた。
それは夏の日の風物詩ともいえるなんてことはない雲だ。
だが、その巨大さと南から差し込む日差しのギャップに強烈な違和感を覚える。
……あんな低い位置に雲?
――背筋に冷たいものが走り抜ける。
まさか、あの白くうねりをあげた雲みたいなものは、王都から舞い上がっているのか?!
「王宮が崩落……したのね」
ユミスが力なく呟き、それを聞いた俺は絶句してしまう。
この角度で王都を見上げれば、その象徴たるクリスタルで彩られた王宮が陽光に反射して煌びやかに輝いているはずだった。
だが今そこには、白い雲の如き凄まじい量の粉塵が舞う光景しかない。
それはまるでカルミネの終わりを示すかのように王都の空を覆い尽くそうとしている。
「行こう。……予想はしていたから」
「ユミス……」
「王宮がこんな風になって、もう戦争なんてしている場合じゃないんだから」
あくまでユミスは淡々と話し、静寂魔法を解いて先に進み始めた。
「ユミ――」
「ナーサ、静寂魔法はもう掛かっていないって」
「う、ううぅ……!」
ナーサがユミスにくって掛かろうとしたので、慌てて抑え気味の声で注意をする。だが、あまり納得がいってなさそうだ。うめき声がしたかと思えば、消失魔法で見えないはずの肩の辺りを掴まれ思いっきり揺さぶられる。
「ちょっ、落ち着けってナーサ」
「あんたはなんでそんな平然としていられるのよっ!」
「いや、動揺はしてるって」
「それなら――!」
「ユミスが一番辛いに決まってる」
「……っ」
「そのユミスが行くって言ってるんだ。俺はユミスを守る。今はそれだけだ」
「……はぁ、分かったわ。それで、消失魔法で姿が見えないのはどうするのよ?」
「俺がおぶって行けば問題ないだろ?」
「え……?」
「ほら早くしろ。今、肩を掴んでるんだから、胸当ての位置とかもわかるだろ?」
「う、うん……」
さっきまでの勢いはどこへやら、ナーサはそっと俺の首に腕を巻きつけるとゆっくり背中におぶさってきた。
ユミスとは違った、すがすがしいミントの香りに少しだけ癒される。
「じゃ行くぞ」
俺はナーサに一声掛けると先に行ったユミスの後を追いかけ始めた。
消失魔法をしているとはいえ、草木を踏み潰せば音もするし見た目ですぐ不審がられる。
それを考えればユミスの歩みは危なっかしくてしょうがなかった。
だが真っ直ぐに走って追えば、さすがに巡回の兵士に怪しまれるので、迂回しながら土の上をそっと進むしかない。
なんとか追いつく頃には、もう幕舎がすぐ目の前に見えるくらい敵陣奥深くに近付いていた。
「カトル、遅い」
俺が追いついたのがわかったのか、ユミスが静寂魔法を展開して話しかけてくる。
「遅くない。草を踏みつけながら進んだら、見た目でバレるだろ」
「……気付かれなかったから、いい」
「あのね」
ユミスは悪びれもせず、そう言い放つ。
ただ少し声が強張っていたから、気付いてなかっただけかもしれない。
「まあ、いっか。それでどんな感じ?」
「ん……、見張りが数人いるけど、そんなに真剣じゃなさそう」
「ここからじゃ、木が邪魔してあんまり周辺の状況わかんないもんな」
「そういう問題じゃないでしょう? 普通は探索系の魔法を駆使するし、そうでなくても斥候を増やして様子を探るのが常道よ。これじゃ、まるでこちらを誘っているみたいじゃない!」
ナーサの憤りの声を上げるも、それに対したユミスの返答は驚くべきものだった。
「まるで、じゃなくて本当に来るのを待っているのかもしれない」
「……は?」
「見張りは全てアヴェルサ兵だった。だから後方を任されて――いえ、前線を任せられなかった部隊が後方にまとめられたんだと思う」
「じゃあ、ここには魔道師ギルドの連中はいないってこと?」
「ん……」
ユミスがコクリと頷き賛同の意を示す。
だとすれば、ここにシュテフェンの連中がいる可能性は極めて低い。
そして、いるのはおそらくあのヴァスコだ。
あの男ならシュテフェンから帰ってきた時も歓迎してくれたし、ロジータとシビッラの二人を護衛に付けてくれた。
「なあ、ヴァスコだけなら、他の奴らより話が通じるんじゃないか?」
「……え?」
「まさか、カトル。会って話をするなんて言わないわよね?」
「いや、だってアエティウスの作戦は地下水路が崩落したんだからどっちにしても無理だろ? だったら、今の状況を伝えて――」
「あんたね。敵に裏切った相手の所へのこのこ会いに行く馬鹿がどこにいるのよ!」
「いや、でも……!」
「アヴェルサは王たるユミスを裏切った。これは貴族としては取り返しの付かない重罪なの! もしそれを許して認めれば、カルミネという国自体が信用を失いかねないわ」
信用、って地下であんなわけの分からないのが蠢いているのにそんな事を言ってる場合じゃない……!
そう反論しようと思っていたら、俺が言うより先にユミスが行動し始めた。
慌ててユミスの腕を掴んで止める。
「ちょっ……ユミス、どこへ行くんだ?」
「アヴェルサ卿に会いに行く」
「なあっ……」
ナーサが心底呆れた声を上げた。
まさか俺の言葉ですぐに実行に移すとは思わなかったんだろう。
「なんでそうなるのよ! 私の話を聞いてたの?!」
「アヴェルサ卿の裏切りは私が命じたの。それで敵に回ったのに、何のてらいもなく攻撃を仕掛けられるほど私は傍若無人じゃない」
「ああ、そういやそうだったね」
「それとこれとは話が違うでしょう!?」
「それにアヴェルサ卿の推薦人であるタルデッリ侯爵は今、二の門の牢にいて、意識が戻った後は全てを悟った態度だった。侯爵は貴族の中では話の通じる相手だから、そこから根回しすればいい」
ヴァスコはフォルトゥナートの父親であるタルデッリ侯爵に恩があると言っていた。最悪、侯爵の件を口にすればユミスを無碍には扱わないだろう。
「ったく、普通、戦争でそこまで相手の事を気にしないわよ」
そう言いつつ、ナーサは溜息を付く。ただそれ以上何も言わないところを見ると、納得したのか諦めたのか。
「呆れたのよ」
「あっそ」
まあユミスが一度こうって決めたら折れないからね。
ナーサは不満そうだったが、結局渋々了承したようだ。
「それで、どうやってアヴェルサ卿の居場所を割り出すの?」
「敵陣の中央に三人だけが陣取っている場所がある。きっとそこだと思う」
巡回している兵士以外は、だいたいが十人前後の人数で固まっていたのだが、中央だけ影が三つしかない。そういや、ヴァスコの近くにはそこそこレベルの高かった兵士が二人いたことを思い出す。
「じゃあ、行こう」
ユミスは静寂魔法を解くと、敵陣をスタスタと歩き始めた。
いくら消失魔法で姿が見えないとはいえ、躊躇せず進んで行くユミスに俺は唖然としてしまう。慌てて付いて行くが、気配ですぐバレるんじゃないかと気が気ではない。
だが、そんな懸念を他所に、誰も俺たちに気付くことはなかった。
一応、数名の歩哨がいるのだが、どの者も眠そうな顔つきでボーっと立っているだけなのだ。
不審に思って途中の幕舎を覗き込めば、皆、鎧を脱ぎ布を引いて寝入っている。
……何がどうなっているのかさっぱりだ。
俺たちが決死の覚悟で敵陣に乗り込んだら敵兵は皆寝てましたなんて、なんだか狐につままれたような話だ。
さすがに何か魂胆があるのだろうと勘ぐっていたが、そうこうしているうちに敵陣中央に位置する幕舎までたどり着いてしまった。
「ん……」
到着するとすぐにユミスは幕舎ごと静寂魔法で覆っていく。
これだと幕舎の外には漏れないけど中の三人には聞こえてしまうので、迂闊に話すことは出来ない。
ただ、どうやらユミスには確信があるらしかった。
恐る恐る中に入ってみると、果たしてそこには見覚えのある顔ぶれ――ドゥッチョにロモロ、そしてヴァスコの姿があった。
ヴァスコは床几の上に座りながら、大きな欠伸を繰り返している。髪に寝癖がついているので、今し方起きたばかりのようだ。
どうやら真昼間に寝ているのは意図的なものだったらしい。……夜襲でもするつもりなんだろうか。
そんな感じで様子を探って居たら、ユミスがそのままヴァスコの側に寄っていき普通に話し始める。
「アヴェルサ卿」
「――っ、誰だ?!」
「ユミスネリア、である」
再び以前の低く重々しい声で名乗ったユミスはおもむろに消失魔法を解くと、驚くヴァスコの目前に姿を現した。
「う、うおっ……!? お、おおっ! 陛下!! よくぞご無事で! こ、これ、二人とも! 早く入り口を見張るのだ。誰も通してはならぬぞ」
突如現れたユミスに、ひっくり返りそうになりながらもヴァスコはその場に跪いて臣下の礼を取る。そしてすぐさまドゥッチョとロモロに命じて幕舎の入り口を固めるよう命じた。
次回は6月21日までに更新予定です。




