第七十二話 暗躍する超個体
12月22日誤字脱字等修正しました。
広間に出た瞬間、音の濁流に飲み込まれた。
まるで巨大な滝つぼへ誘われたかのように轟音が鳴り響いている。それが壁にぶつかる異形どもによって齎されているのは嫌でもわかった。
異形どもは魔石と朽ち果てながらも確実に壁を削り取っていた。
でも、今来た通路の長さだけ壁が続いてるならそう簡単には崩せないはず――。
そう考えて、ふと視線を前方に向ければ、なぜかこの通路の幅分だけ石畳がある道が延々と真っ直ぐに続いていた。なんだろうと思ったのも束の間、それが以前存在した通路の全貌だと気付き背筋がゾッとする。
もしかしてこいつらは、気の遠くなるような年月を掛けてこの壁を削り続けていたのだろうか?
じいちゃんの封印を打ち壊すために、自らの魔力で出来た身体が崩壊するのも厭わずに――。
「ギ、ギギッ! ギャッ、ギャッ、ギギギャ!」
あまりの光景に通路から身を乗り出して呆然と見ていたら、近くに居た緑の異形に気付かれてしまった。
慌てて通路へ逃げかえるも、追って来たのは十数体だけで、他の異形どもは壁への突撃をやめようとしない。
ならばと俺はヴァルハルティを構え、襲ってくるソレらに向き合った。
「カトル、鑑定魔法は使っちゃダメよ」
「え? ここなら平気じゃないの?」
「カトルは大丈夫でも封印の力が弱まっちゃう」
確かに、通路内に戻ると先ほどの怒涛の如き突撃音は全く聞こえてこない。つまり、この通路はまだ封印圏内ということだ。
龍脈の力はほとんど感じないけど、そう言われては仕方がない。
「なら普通に戦うまで、だけどね」
向かってくるのはさきほどまでと同じ、緑色の皮膚をした醜悪な生き物とユラユラ浮かぶ影だった。
他の異形たちはここまで来れないんだろうか?
となれば、この場にはバレて困る相手もいないし、おぶっているユミスに攻撃が当たらないようにさえ気をつければいいだけだ。
封印の間で戦っているときとは比べ物にならないほど楽である。
そのまま間合いを詰めると、右、左と軽くステップを踏んでヴァルハルティを一閃、まとめて数体を一気に薙ぎ払った。
「わっ……カトル、凄い」
「こんなの、じいちゃんに比べるとまだまだだって」
そうは言ってみたが、ユミスに褒められてちょっと嬉しかった。そのまま気分よくやってくる奴らを駆逐していく。
次々に魔石と化す同胞を見て後方の奴らが慌てて広間へ逃げ戻ろうとするが、もう遅い。
加速して追いつくと、一体も逃さず横一閃、止めを刺していく。
――とその時だった。
パチパチパチパチ……。
不意に、何もない空間から拍手が聞こえたかと思うと、ぼんやりと人影が現れたのである。
その姿に俺はギョッとして目を見張る。
そこに現れたのは誰あろう、下水路へ逃げていったはずのフォルトゥナートだった。
さっきはよくも、という憤りとは裏腹に、俺はなぜか足が竦んで一歩目を踏み出せなかった。それどころか、本能的な恐怖を感じて一歩二歩と後ずさる。
目の前にいるのは今まで出くわした事もない異質な生物であった。
外見だけは確かにフォルトゥナートなのだが、溢れ出す魔力の質がまるで違う。封印の間に居た時も妙な違和感を覚えていたが、今、目の前で対峙して、あの時でさえ巧妙に力を隠していたことがわかる。
――脳裏に最大級の警戒音が鳴り響く。
この生き物は危険だ。
全力で立ち向かってさえ敵わないかもしれない。
「凄いですねぇ。最下級とはいえまさか天魔をああもあっさりと駆逐してしまいますか」
そう言ってフォルトゥナートは目を細め、くっくっくと薄気味悪い笑みを浮かべる。
……最下級? 天魔?
こいつはいったい何を言っているんだ。
侮蔑とも嘲笑とも取れる態度に俺は顔を引きつらせる。
「くっ……、お前は誰だ?!」
「え……カトルは何を言ってるの? あれはフォルトゥナート――」
「くは」
驚くユミスをよそに、フォルトゥナートは大きく目を見開き恍惚とした表情でこちらを見据えた。
「面白い……。くっくっく、あなたは実に面白いっ! その憎き裏切りモノたるドラゴンの血をめぐらせる肉体も、その尋常ならざる精神力を秘めた魔力も、すべてを超越する美しい魂も! 私をここまで滾らせるあなたには、最高の輪廻をお届けしたいものです!」
耳障りな叫び声と共にねっとりとした視線が俺の身体に絡みつく。
竜だとバレたことより、その目つきがとにかくおぞましい。
彼の瞳には意思を感じる事が出来ない――否、雑多な感情が入り乱れ、その全てが負の感情で覆い尽くされており、吐き気さえ覚えるほどだ。
だからなのか、目の前にはこいつ一人しかいないはずなのに、言いようもない圧迫感に押しつぶされそうになる。
動揺を隠せずジリジリ苛立っていく俺を愉悦が混じった表情で舐めまわすように見ながらフォルトゥナートは言葉を続ける。
「さて、私が誰かという質問でしたか……。私はフォルトゥナートで間違いありません」
「嘘つけ! あいつはそんな溢れ出るほどの魔力を持ってなかった」
「これはこれは、溢れ出る魔力などとお褒めに預かり恐悦至極。ただ、そう言われましても、この肉体はフォルトゥナートで、かの意思も確実に内在しておりましてね。そこにいる女王への身を焦がすほどの執着も、全てを支配しようとする強欲も私の糧になっているのですよ。……ああ、だからこそこれほどの高揚感に包まれているのでしょう! この忌まわしき封印を解くのはもう少し先――あと一年ほどは掛かるのでしょうが、この身体が欲した王宮の崩落はもう幾ばくもなく起こるのですからね」
「……崩落!?」
「おや、気付きませんでしたか? くっくっく……。ドラゴンの血が通うあなたが通れば、私たちの痕跡に触れて多少なりとも苦しまれたかと思ったのですがね」
「まさ、か……!」
「何? 何かあるの?! カトル!」
「……あの螺旋階段と、それから封印の間へ行く通路を歩いたときに魔力を吸い取られたんだ」
「ええっ?!」
「俺だけに効く罠だとばかり思っていたんだけど……」
「くは。くはははは! まさかドラゴンだけに効く罠などとは、その発想はありませんでした。ええ、ええ、確かにドラゴンだけが感じる痛みですね、くっくっく……。ただ、あの程度ならどうとでもなるでしょう? それとも私の見込み違いでしたか」
フォルトゥナートは目を細め、愉快そうに俺を見据える。
……こちらを見下した態度にイラッとするが、ここで感情に任せて行動しては奴の術中に嵌まるだけだ。
「それで、どうするのですか? そんな小事はおいてここで私と死力を尽くして戦いますか? 今ならあなたにも勝ち目があるかもしれませんよ。何しろこの場では満足に魔法を使いこなすことさえ出来そうもないですからね」
「ちっ……」
奴の言葉にどんどん怒りの沸点が下がってゆく。
確かにヴァルハルティで奴をたたっ切れば溢れ出る膨大な魔力など関係ない。このまま有無を言わさず倒してしまえるような気もする。
だが、あえてそれを誘う奴の魂胆はなんだ?
ここに俺が居る事で、奴にとって利益になりうること……。
「カトル! 挑発に乗っちゃダメ。本当に螺旋階段や通路に仕掛けがされているなら、すぐに皆を避難させないと」
「フッ、どうやらそちらのお嬢さんはやはり王たる器ではないようだ。まあ、致し方ないでしょう。何しろ、忠誠を誓う貴族より凡百たる平民を救おうとする頭のおかしな王ですからね」
「何を!?」
「……はぁ、興が削がれました。ほらほら、あなたに選択の余地なんてないでしょう? 急がないと王宮の凡愚どもが死出の旅路に出てしまいますよ」
俺はギリギリと歯を食いしばってフォルトゥナートを睨み付けた。だが奴は踵を返すともはや振り返ることなく奥へと行ってしまう。
「カトル、急ごう!」
「ああ……わかってる」
ユミスの促しに俺は頷くと、一転して元の道を戻り始めた。
だが気持ちは鬱々としたままだ。苛立ちに任せて空洞を駆け抜ける。
目の前に突然現れたフォルトゥナートは、とんでもない魔力を有していた。おそらく全力で戦ったとしても太刀打ち出来なかっただろう。力の差を見せ付けられ、俺はやるせない気持ちでいっぱいになる。
「くそっ……」
「カトル……」
思わず苛立ちが口から出てしまった。ユミスの心配そうな声が耳に痛い。
だが、それでも俺は気持ちを抑えきれず、いろいろな感情が頭の中をぐるぐると錯綜する。
相打ち覚悟で奴に特攻すればよかったのだろうか?
いや、そんなことをしたらユミスは誰が守るって言うんだ。
俺の役目はユミスを守ること、そしてユミスを手助けすることだ。
……でも、奴が居る限りカルミネは危機に瀕したままじゃないか。
それならいっそのこと――。
「落ち着いて、カトル」
突然、ユミスが首にギュッとしがみ付いてきたかと思ったら、耳元から優しげな声が脳裏に響く。
「たぶん、精神干渉系の魔法だと思う。持っていた魔石が反応したから」
「……え? 精神干渉って」
「混乱魔法や恐怖魔法、もしくはカトルの言ってた幻覚魔法とか。とにかく、封印の間を出たらすぐに状態回復魔法を使うから、それまでは意識して感情を昂らせないように気をつけて」
魔法、と言われて俺はようやく自分の状況を省みる。
そうか。
やたら苛立ちが収まらないと思ったら、魔法だったのか。
あんな一瞬で魔法に掛かっていたなんて全く気付かなかったよ。
「じゃあ、奴の魔力が溢れ出ていたように感じたのは……」
「そんなふうに見えていたのね。魔力は私と同程度だと思う。ただ、魔法制御や実際に使役する力は向こうの方がはるかに上だった」
ユミスと同じくらいの魔力に、ユミスをはるかに超える魔法制御。
……さっき感じていたほどの絶望感はないけど十分に脅威だ。
「でも私の声がカトルに届いてよかった。あそこで時間を費やしていたら、完全にフォルトゥナートの思惑に嵌まるところだったから」
「奴の思惑?」
「ん……。敵の目的は封印の破壊でしょ? 敵が守ろうとしていたのは壁を破壊する異形たちで、王宮の崩落と言って目を逸らそうとしていたのはシュテフェンからの侵攻に決まってる」
「……あっ」
「私たちのやるべきことは変わらない。シュテフェン軍の裏に出て、後方をかく乱させること」
「で、でも本当に王宮が崩落したら――」
「もちろん避難させるけど……その時は戦争どころじゃなくなる」
ユミスはつとめて冷静に、わずかに震える声でそう答えたのだった。
次回は6月14日までに更新予定です。




