第十三話 “誓願眷愛”
4月2日誤字脱字等修正しました
「ドラゴン!!」
マリーが身動きの取れない俺を庇い火竜の前に出た。剣を構える愚考をしなかったのは幸いだったがその呼び方は非常にまずい。
『そうだ、いと小さきものよ。だが覚えておけ。我にその名を呼んで生きている者は数少ないとな』
「……!! 失礼した。本当にすまない、竜族の賢者よ」
……えっ?!
マリーの口から出た言葉に耳を疑う。
彼女の家系は竜殺しではなかったのか。竜族のことを賢者と呼ぶのは最高の讃辞のはず。
ただその言葉に驚いたのは俺だけではなかったみたいだ。
『ふむう。その呼び名で語る者を殺してしまったとあれば賢者たる資格はないな。先の発言は許そう』
「ありがとうございます」
マリーは方膝をついて頭をたれる。曲剣を左側に置き、右手を恭しく左胸の上に置く姿は従順さを示すには十分だろう。
ただ、俺は全然納得していなかった。当然だ。こんなところまで叩き落されたんだからな。
『なんだ。不満そうだな。赤子と呼ばれたのがそんなに気に入らなかったか? 小僧』
「赤子の次は小僧か。突き落としておいて良く言うよ」
「お、おいカトル! やめよ。失礼だろう?」
マリーが狼狽気味に話してくる。
人族と竜族ならば立場が違うのかもしれないが、理由もわからずこれだけのことをされて頭を下げるなど俺には出来なかった。
『おぬしは考え違いをしているようだな、カトル=チェスター。わしの領域に勝手に入ってきたのは貴様たちが先だ。どちらが無礼を働いているか自明の理であろう』
「だからと言って問答無用で殺すのか? 俺はここに竜族が住んでいるなんて知らなかったんだ」
『殺してなどいない。現におぬしは生きているではないか。そもそも、あの程度の高さから落ちたくらいでおぬしは死なんだろう?』
「一歩間違えば死んでたっての。助かったのはマリーの身体強化のお陰だ。大体、今、身体に力が入らなくて全然動けないんだからな」
本当に良く死ななかったもんだ。マリーの身体強化が凄まじい威力だったのが幸いした。以前、ユミスにかけてもらった時よりはるかに強力だった気がする。
これこそがマリーの奥の手なんだろう。この力を模擬戦で使われてたらきっと俺は太刀打ち出来なかったはずだ。
『口の減らないガキめ』
いよいよガキ扱いされてしまった。だが、さすがに落としたのはやり過ぎたと思っているのか、若干冷静さを失っている気がする。
『いずれにせよ、わしがいるこの領域を侵した罪は拭いきれまい。おぬしも死にたくなければもっと口の利き方に気をつけよ』
うーん。完全に平行線だ。
だが、いくら理不尽に思えても俺がこの体たらくではどうすることも出来ない。守ろうとしてくれているマリーにまで迷惑をかける事になる。
俺が憮然として何も言わないでいると、火竜は満足したように目を細めた。
『ほう、もう終わりか。わしも生まれたばかりの同胞を殺したくはないのでな。命は助けてやるから立ち去るが良い』
「えっ……? どう、ほう?」
なっ……!!
このバ火竜――あっさりとバラしやがった!!!
「カトル。同胞とはどういうことだ? この火竜は何を言っているんだ?!」
マリーがうろたえて俺の方を見る。
そんな訝しげな表情をしないでくれ。
『なんだ、小僧。この小さきものに伝えていなかったのか』
火竜は楽しいおもちゃが手に入ったようにニヤリとほくそ笑んだ。
『そこにいる小僧は竜人だ。人族ではない。ほれ、竜族はな。このようにお前たちと同じ姿を取る事が出来るぞ』
そう言って、みるみるうちに小さくなった火竜は、俺より多少背が高いくらいの痩せ型で神経質そうな男へと変貌した。その状況にマリーは大きな瞳をさらに大きくして固まっている。
「はっはっは。そのような驚いた顔をするな、女。非常に愉しくなってしまうではないか」
このバ火竜、いい性格してやがるな。
――だが今はそれどころではない。長老のいいつけを守れなかったんだ。俺から漏らさなかったとは言え、結果的に知られてしまっては同じだろう。
そうなると――えっ?
俺の大陸の旅もこれで終わり?
……待ってくれ。冗談じゃない! まだ来て4、5日しか経ってないんだぞ。のんびり旅行に来たわけじゃないんだ。
ユミスを守るどころか会ってさえもいないのにこんなところで終われるわけないだろ!
「小僧も威勢が良かったのは最初だけか。何を呆けておる」
「……っ! お前のせいだ、こんのバ火竜がぁ!」
「なっ!!!」
そうだ。全部このバカが悪い!
長老の言いつけを守らなかったのはこいつだ。
こいつのせいにしてしまおう。きっとレヴィアも賛成してくれる。
「長老は決して竜族であることを漏らしてはダメだと言った。俺は約束を破ってないぞ。破ったのはお前だからな。責任もって叱られに帰れ!」
「なぁあああ?! な、な、何を抜かすか小僧!」
長老の名前が出た途端、火竜の顔がわかりやすく青ざめた。元がやや赤みを帯びていただけに豹変具合が凄い。
「そうそう。長老から同胞に会ったら孤島に必ず一度は戻るよう伝えることも厳命されたんだ。俺はあんたに会って伝えたからな。すぐに帰らないとどうなるか知らないぞ」
「わ、わ、わしは長老など怖くないぞ。べ、別に怖いからというわけではないが、そろそろ一度は孤島の様子を見に帰るのも悪くないとは思っていたところだ」
わかりやすく目が泳いでいる。……絶対に嘘だな。竜の姿ならいざ知らず、人の姿だとバレバレだ。
「だいたい、この火山が竜族の領域なんて長老からは一言も聞いてないぞ。あ、だったら俺も年に一回は孤島に帰らなきゃいけないから、その時に聞いてみるよ。長老は相互不可侵を誓ったって言ってたけど、人族の町から5日もしない山の洞窟に竜族の領域があるんだねって」
「だぁあああああ。待て待て待て。それだけは止めるんだ! 長老の逆鱗に触れる!」
ついに火竜の方から折れたきた。長老がなんて言うかは知らないが、これで俺の責任はそれなりに減るだろう。謝って済む問題じゃないかもしれないけど、謝りまくるしかない。
それにしても、このバ火竜のせいでとんでもないことになってきた。本当にどうしてくれようか。
文句の一つも言わなきゃやってられないよ。
「大体、お前はこんな所で何してるんだよ? 俺らが来る羽目になったのだって、お前の姿が人族の目に触れたのが原因なんだからな」
「それは、だな。わしも普段なら竜の姿は目立ちすぎるから気をつけているんだが、あの時は退屈で仕方なかったんだ。そんな時に、ふとやってきた男を脅かせばきっと興味深い顔を見ることが出来るのではないかと思ってな」
「あんた、マジで何してくれてんだ!」
「わしが後ろで竜人化を解いて真上から見下ろしたときの顔が、それはもう最高だった。あれを身の毛もよだつ姿というのだな」
本当に何をやってるんだ、このバ火竜は。ご満悦そうな顔でしょうもないことを語っている。
「一応、理由もあるぞ。ここは我が研究の実験場だからな。誰も近づかせたくなかったのだ。竜の姿を見れば退散するだろうと思ったのだが、かえっておぬしのような竜人を連れてくるとはな」
「そりゃあ竜の姿を見れば獣じゃないんだから逃げて終わりってなるか!」
「そこで、おぬしなら死なんだろうと見せしめに突き落としてやったんだ。まさか竜族なのに飛べないとは思わなかったがな」
「悪かったな、竜の姿になれない出来損ないで!」
俺はそんな理由で死に掛けたのか。……理不尽過ぎる。
「あれ、でもレヴィアも居たんだが、そっちは気付かなかったのか? 俺だけ突き落としたら、きっと怒ってここへ怒鳴り込んでくると思うが」
「……えっ?」
あれ? このバ火竜、さっきよりもうろたえ始めたぞ。
「レヴィアとは、まさかレヴィア=ラハブのことか?」
「そうだよ」
「…………」
火竜の表情が固まった。そして何事かぶつぶつ呟いている。
「うおおおお。本当にいるのか!? こちらに猛スピードで向かってきているではないか!! こうしちゃおれん。わしは行くぞ。そのうち会えたら会おう。さきほどの件、長老には内緒で頼んだぞ。では!」
うおおおおと奇声を上げながら火竜はあっという間に奥へ走っていってしまった。後には身動き取れずに寝たままの俺と、まだ呆然としているマリーの二人が残される。
何と言うか、非常に微妙な空気だ。どうしようか悩んでいると、意を決したようにマリーが話し始めた。
「カトルは竜族、なのか?」
「ああ、そうだ」
「そうか」
短い言葉だったが、それだけ聞いてマリーは満足したらしく笑顔を向けてきた。
「私はカトルの事は誰にも言わないぞ。だから安心してくれ」
「……えっ?」
「それより、いろいろと納得できたというか、さらに疑問が増えたというべきか。――あっ、そんなことよりもだ」
マリーはちょっと頬を染めながらしゃがみこみ、俺を見つめた。
「ありがとう。カトル。お前のおかげで助かった。カトルは命の恩人だな」
そう言ってマリーは俺の頬にやさしくキスをする。
俺も何か伝えたかったはずなんだけど、頭が真っ白で思い出せない。
――顔が熱い。
「はは。竜にキスをするなんて物語のお姫様にでもなった気分だな」
そう言ってマリーはにこやかに微笑む。
だがそれも一瞬の事だった。
「それにしてもだ。カトル!」
突如として厳しい声が俺の耳に突き刺さる。
「演習場では完全に手を抜いていたんだな! なんだあの図抜けた跳躍力は! どおりで全く攻撃してこないはずだ。カトルがちょっと本気を出せば、私などものの数秒で打ち倒せていたのではないか」
マリーは物凄い剣幕で模擬戦のことをまくし立ててくる。
「いや、そんなことしたら人族でないってあっさりバレちゃうだろ。それを言ったらマリーのあのとんでもない身体強化は何だ。あれを使わないマリーと剣術勝負したって意味ないじゃん」
「むうう。ならばこの場で勝負するか?」
「いや何でそうなる。俺全然動けないんだけど」
「ああ、それは終焉なき強化の影響だ。まだ私は未熟でな。限界を超えた力を出せる反面、使い切ると身体がしばらく動かせなくなる」
おお。そういうことだったのか。どおりで身体が動かないのにしゃべることは出来るわけだ。あまり痛みも感じないしな。
痛覚とかが全部ダメになっていたらどうしようかと思ってたけどその心配はなさそうだ。
「そう。その話もだ。カトルの能力はどうなってるんだ。いくら終焉なき強化とはいえ、あの高さから叩きつけられたら私ならどうなっていたかわからん。私より体力の数値の低いお前が、なぜピンピンしている」
「それはね、マリー。ギルドでは私に能力供与していたからよ」
「レヴィ!」
火竜が最後に呟いていた通り、レヴィアが物凄い早さでやってきた。もはやマリーに隠し立てをするつもりはないらしい。明らかにその瞬発力は超越した能力だ。
「あれ、二人は?」
「あの二人は途中で疲れて突っ伏していたよ。私一人になったから全力を出せたというわけ」
「そんなことよりレヴィ、能力供与とはどういうことだ」
「文字通り、私がカトルの能力を一時的に受け取っていたということ。【カルマ】に【善行】と表示されていたでしょう?」
「なっ?! あの表示にはそんな意味があったのか」
「さすがに鉄石で本当の能力を晒したら大変なことになっていたからね。……それにしてもキミ」
そう言ってレヴィアは俺に咎める様な視線を投げてくる。
「マリーの剣幕でわかったよ。よりにもよってマリーにバレるなんて」
「いや俺じゃないって。あのバ火竜がニヤニヤしながら暴露したんだ」
「バ……火竜?」
「ああ。レヴィアの名前を出したらあっという間にいなくなっちゃったけど。研究がどうのって言ってた」
俺が懸命になって弁解するとレヴィアは呆れたように溜息をついた。
「はぁああ。ラドンね。こんなところに居たわけか」
「なんだ、やっぱり知り合いだったのか」
「当たり前でしょう。キミは私を何だと思っているの。大陸と孤島を繋ぐ橋渡し役を長老から言い付かっているのよ」
そこまで言ってレヴィアはマリーの方を向き、そして深く頭を下げた。
「盟友マッダレーナ=スティーア。私はあなたに隠し事をしていた。竜族であることを今まで伝えられずすまない。あなたさえ良ければ、これからも変わらず友人で居てくれると嬉しい」
それを聞いたマリーは顔を綻ばせてレヴィアの手を取った。
「本っ当にレヴィはひどいぞ。私がそんなことでレヴィの親友を止めるわけないじゃないか」
「マリー、ありがとう」
レヴィアも顔を上げ、そしてしっかりと手を握り返す。
「ただ、私は親友とまでは言っていなかったが」
「なぁっ! ひどいぞ、レヴィ!」
マリーの悲痛な叫びが響き渡る。
「ぷっ……、あははっ」
その声があまりにも真に迫っていたので、俺は耐え切れず笑ってしまった。
「ふっ、ふふっ」
「……はは」
俺だけではない。レヴィアも、そしてマリーも。
俺たち三人はしばらくの間、相好を崩して心の底から笑い合った。
次回は1月12日深夜までに投稿予定です。