第十二話 洞窟の闇に潜みしモノ
5月24日誤字脱字等修正しました。
「ふー、生き返る……」
「キミも覚えなさい。これはもはや命令ね」
雨でずぶ濡れになった俺たちは、レヴィアの洗浄魔法と乾燥魔法で風呂上りのようなさっぱりとした心地良さを味わう事が出来た。
この洗浄魔法は水属性と土属性、そして乾燥魔法は火属性と風属性をあわせた複合魔法だ。大陸全土で広く認知されているのだが、いざ使いこなすとなると結構難しい。
厄介なのは洗浄魔法だけ使えても旅路の途中ですぐに服や身体を乾かすのは難しいし、乾燥魔法だけ使えても汚れや臭いが残ってしまうことだ。両方となると四元素全ての属性が使えなくてはならず、それを応用する技術も必要になってくる。
ただ旅先で手軽に綺麗になれるとあって片方だけでも習得していると非常に重宝された。特に女性の場合はパーティーメンバーを選ぶ基準の中でも重要な決め手になるとはマリーの言葉だ。
一度でも長期間風呂に入れない苦しみを味わうと、考え方が180度変わるらしい。
「私も死に物狂いで練習したぞ。その甲斐あって何とか乾燥魔法は使えるようになった」
マリーの風属性の魔法レベルが2なのはもっぱら乾燥魔法の練習の成果だそうだ。両方使えるレヴィアがいかに貴重な存在かがわかる。
しかもレヴィアの凄いところは単なる洗浄魔法ではないことだった。普通の洗浄魔法は土属性による塩成分の掛け合わせだが、彼女は空間魔法でわざわざ動物性植物性それぞれの油脂を出してきて混ぜる為まるで石鹸で身体を洗ったかのような爽快感を生み出せるのだ。
そんなことが出来るのは当然レヴィアだけなので、マリーが執拗に付回すのも頷ける。
「いやあ、俺もう一生ついて行くっす!」
また一人、その魅力の虜に――いや、フアンの場合はもともとか。まあ、その気持ちはわからないでもないが。
というより、この二つの魔法は便利とかそういう以前に絶対に必要な気がする。トイレのお供、水洗魔法並に重要だ。清潔さに欠けると変な病気とかにもなりそうだし。何より自分が嫌だ。
なんか、どんどん課題が増えていくなあ……。
ただ、四元素の基礎で大きく躓いている今の俺にすぐの習得は難しいだろう。それでもユミスに会いに行くまでには何とかしたいところだが。
「さて、やっと落ち着けたな。それで、これからだが」
マリーは先ほどまでレヴィアの洗浄魔法の快適さに蕩け切った表情をしていたが、さすがに気合を入れなおし、いつもの凛々しさが戻っていた。
「まず依頼の確認をしよう。この洞窟の奥に行き空洞を探索する。これが主目的となる」
彼女の言葉に皆一様に頷く。
「問題はその中身だ。レヴィとカトルには私から話したが、二人はギルドマスターからどう聞いている?」
「えーと、マグマが湧き出る危険な洞窟の調査、ってとこまでなら」
「ああ、それは俺も聞いたな。あとは、変な化け物を見たってぇ話か」
イェルドの言葉に、フアンの顔色があからさまに変わる。
「ちょ、待て待て待て待て! 俺はそんなの聞いてないぞ」
「お前まさか聞いてなかったのか? 俺らの身長をはるかに超えるとんでもねぇ化け物を見たって話だぞ」
「ブルブルブルブル」
どうやらフアンは化け物の話を聞いていなかったらしい。
ただ、イェルドもドラゴンとは決め付けていないので、明確にドラゴンの存在をほのめかされたのはマリーだけだったようだ。
同族に会えるかも程度に漠然と考えていた俺は、俄かにドラゴンではない巨大生物との対峙という可能性を示されて若干心配になってきた。
さすがに自分の背丈をはるかに超えるような化け物の一撃をくらえば俺もただでは済まない。まだ動きの面でぎこちない俺には難題な気がする。
「あのー。俺、帰っていいっすか?」
フアンがとんでもないことを言い出した。
「お前な。ここまで来て何言ってやがる。報酬見たろ? 高い前金だって受け取ってるはずだぞ」
「うぐ、そうだった。……真面目にマジか」
こいつ、本気で逃げ出すつもりだったのか。イェルドの突っ込みに、両手で頭を抱えて蹲っている。
「命の危険があれば早々に逃げていいと思うが、さすがに何も見ないで帰るというのは私の矜持が許さん」
そう高らかに宣言するマリーはいっそ風格が感じられた。まあ、彼女の場合は最初から竜かどうか確認するべく来たんだから当然と言えば当然か。
「べ、別に何か出たからって倒せってわけじゃないんですよね……?」
「当然だ。さすがの私も戦って勝てるとは思っていないぞ。確認して、危険ならば逃げて報告するのも立派な仕事だからな」
そうまで言われて、臆病風に吹かれていたフアンも覚悟を決めたようだ。
「うぉおおおお! やってやらあ! 男フアン一世一代の大仕事だ。マリーさん。俺はやぁってやるぜ!!」
「おお! その意気だ。頼もしいぞ」
「どう聞いたって眉唾もんの化け物話によくそこまで盛り上がれるな。そんなことより俺はマグマを見たって方がよっぽど気になるぜ。それが本当なら正直これは相当ヤベェ案件だ」
イェルドの言うことももっともだ。もし奥が火山ガスで充満しているなら、そう長くはいられないだろう。
改めて洞窟を見渡せば、入り口自体は広いのだが奥への道は2メートルほどの高さしかない。空気の循環、という意味では全く期待出来そうもない構造である。
この奥から漂ってくる生暖かい空気は、その可能性が高いことを物語っていた。風魔法で新鮮な空気を供給し続けなければ有毒ガスの影響で死んでしまうかもしれない。
考えるだけで憂鬱だ。俺は風魔法も苦手なので出来ればあまり時間をかけずに探索を終わらせたいんだが。
……あ、魔法と言えば。
「マリーの探知魔法で奥を調べられないのか?」
一縷の望みを託してマリーに尋ねてみる。だが彼女は頭を振った。
「残念だが、私の探知魔法は水平か垂直でないと調べられないんだ。この洞窟は結構な角度で下に向かって伸びているから少し先の場所ですら探知できない」
万能そうに見えたマリーの探知魔法もそんな欠点があったのか。
「ああ! だからさっきマリーさんはサーベルタイガーの集団に気付けなかったんだ。登り道だったもんなあ。探知魔法あるのにおかしいなあ、と思ってたんですよ」
「う……む。そうだな」
あ、マリー、フアンの言葉に乗って誤魔化したな。そんな適当な理由でいいのか? あまり登ってなかった気もするんだけど。
ほら、レヴィアが不審そうな目で見ている。バレても知らないからな。
とにかく奥へ進まなければならないことははっきりした。万全を期すべく俺はレヴィアに清浄魔法をかけてもらうことにする。自分でかけると一時間しか持たないからね。
「キミはまだまだやらなければならないことが山積みだね」
耳の痛い言葉がレヴィアの口から発せられる。
でもさすがに今回はなぁ。こんな火山ガスが充満する場所の探索なんて考えてないって。
本当はそう言いたかったけど、俺以外はみんな当たり前のように使っているので何も言えなかった。探索に出向く傭兵としては当然のスキルということか。
「先頭は私が行こう。殿はレヴィに任せた」
「わかったわ」
「お、俺は後ろにいるよ」
「ったく、お前はビビリ過ぎだろ。俺は前衛と後衛のサポートだな。カトルはマリーの姉さんの補佐に付け」
「了解」
俺たちは入り口の広間を抜け、いよいよ洞窟の奥深く進んで行った。
―――
「本当に入り組んでいるな。こんなところをよく探索したものだ」
マリーの感想に俺は素直に頷く。
天井からは岩肌がツララのように幾重にも連なっており、その隙間を掻い潜って進むしか道がない。しかも途中30分ごとに分かれ道が4回もあった。マリーの照明魔法と探知魔法のお陰で迷っていなかったが、最初にここに入った奴は相当のチャレンジャーというか無謀としか思えない。
「こんなところに本当に化け物がいるのか? どんどん胡散臭くなってきたぜ」
「ぜひいないで欲しいね。いや、いるわけない。……ほんとお願いします」
イェルドの巨体だと結構進むのがつらそうだ。天井から少しだけ突き出ている岩にさっきから何回か頭をぶつけて蹲っている。
対してフアンはひょいひょい交わしながら余裕ありそうなんだけど、怖い怖いとぶつぶつ繰り返していた。顔色も悪そうだ。化け物に対して何かトラウマでもあるんだろうか。
「こんな洞窟の奥に本当に巨大な空洞が? うーん……」
レヴィアの表情は険しい。そして周囲への警戒を最大限行っているようだ。
「気をつけろ。少し場所が開ける」
マリーの言葉に前を見ると、上にも下にも吹き抜けになっているかなり広めの空間が見えた。
「うわ、結構深いな……」
下を覗き込むと暖かい風が吹きすさぶ。上を見れば照明魔法でも先が見通せないほど穴が続いていた。もしかすると山間のどこかに繋がっているのかもしれない。
「あそこ! 道がある」
フアンが崖下を指さした。見れば確かに人が歩くには十分な広さの道が見える。
さきほどまでと違って平坦な道のりで、まるで人の手が加わって整備されているかのようだ。
「もしかして、この道を進んで行くとそのうち崖下に出るのか?」
「マリー、どう?」
「おそらく、としか言えないな。ただ下にある道の先はかなりの広さだ。報告にあった空洞があの先にある可能性は高い。もしかすると……」
そこでマリーは言葉を切った。そして俺とレヴィアに若干血走った視線を送ってくる。その様子で何となく、言いたいことがわかった。この吹き抜けを通じて竜が行き来しているんじゃないかってことだろう。
「ねえマリーさん、早く先に進みません? こんなおっそろしいところで立ち止まっていて万が一落ちたらシャレになんないっすよ」
「もう少し調べたい。待っててくれないか」
俺とマリーは下を覗き込んだり上を見たりしながら吹き抜けの状況を細かく調べ始めた。
「俺はあんまり高いところは好きじゃないんでね。行く段になったら呼んでくれ」
「お、俺も……」
イェルドとフアンは今来た通路の方へ戻っていく。
「私はここで見張っているよ」
レヴィアは万が一に備えて待機していた。
「よし、まずは上だな」
マリーは照明魔法でなるべく上の方を照らし始めた。だが、やはりある程度のところまでしか見えず外に繋がっているのかどうかはわからないままだった。今日が晴れていたらある程度わかったかもしれないが、暗闇に遮られその先を追うことは出来そうにない。
ただ、照らされた部分もここと同じくらいの広さがあったので、もしこの吹き抜けが山の中腹にでも繋がっていれば、竜族なら簡単に降りて来られるだろう。
「下はどう?」
今度は照明魔法を崖下に向けて照らし始めた。俺は下を覗き込むべく、少しだけバランスを前に傾ける。
とその時であった。
『覗き見などせずとも参るが良い』
頭に直接、大音量が響き渡り、そのあまりの音の大きさに一瞬方向感覚を見失ってしまう。
「キミ! 下がれ!」
レヴィアの声が聞こえた瞬間、身体が浮かんだような気がした。
「……っ!」
踏ん張ることなど出来やしない。気付いた時には俺の身体はすでに虚空に投げ出されていた。
「うわぁあああああああああ!」
「クッ……、届け! 風の障壁!」
ドンッ! という衝撃が背中に走る。
結構なスピードで落下していたので受身を取る事が出来なかった。ただ、地面に叩きつけられるよりは全然マシだ。
「……レヴィアの魔法!」
優しくない衝撃だったが、何とか体勢を立て直す。だが、空に作られた魔法の壁はものの数秒で霧散してしまった。
その間に俺は状況を把握する。
「マリー!!」
マリーはまだ自由落下の途中であった。彼女の身体が魔法の壁に叩き付けられれば骨折どころでは済まない。だからレヴィアは俺だけに魔法を使ったんだ。
だが、どうする?
このままでは二人とも奈落の底まで落ちてペシャンコだ。
もはや躊躇している場合ではない。まずはマリーが落ちている場所に追いつかなければダメだ。
「行っけえええええええ!」
俺は虚空に残った風の残りカスを思いっきり蹴り飛ばした。竜族の端くれとしての力で加速が加わる。
「くぅううう、届けぇえええええ!」
本当にもっと風属性の魔法を練習しておけば良かった。
今の俺に出来たのはレヴィアの魔法を利用して一瞬だけ踏ん張る壁を作ることだけだ。
――それでも。
「絶対に助ける!!!!」
俺の思いは矢となって、マリーの下へとたどりつかせてくれた。
「カトル!」
「マリー、風魔法だ! 下へ頼む!」
俺はマリーの身体をがっしり抱き締めた。
ある程度の衝撃なら俺が耐え切ってみせる。
「いや、私の風魔法では意味がない! 私が衝撃に耐え切るぞ!」
「なっ……」
何を言ってるんだ、マリーは!?
咄嗟に怒りが込み上げて来て、そして気付いた。
「身体強化なら俺にかけてくれ!」
「えっ? どういう――」
「俺を信じろ! マリー!!」
奈落と思っていた地面が見える。
もうあと数秒の猶予もない。
「早く!!」
「終焉なき強化!!」
ズガァアアアーーーン
まさに隕石落下のような衝撃が洞窟全体に響き渡り、クレーターの如き小さな円形の穴が出来あがる。
俺はマリーを離さなかった。そこは間違いなく自分を褒めてもいい。
――だが。
『赤子のような存在が、庇護を離れて何をしているのかね?』
見下してくる視線を俺は睨み付けることしか出来なかった。
そのすぐ側には赤銅の鱗に覆われた二つの翼を持つ存在、竜が横たわっていたのである。
三連休のラストで投稿すいません。
次回は1月11日までに投稿予定です。