第三十七話 逃走の果てに
10月25日誤字脱字等修正し、かつ大幅改稿しました。
「とにかく急ごう、シニョリーナたち! グズグズしていると連中が大挙して押し寄せてくる」
俺たちはテーラの言葉に従い、いったん北へと進路を向けた。傍から見れば逃げるように馬を駆ける俺たちの行動は明らかに怪しかったが、先頭を行くテーラの姿に、誰に咎められるわけでもなく皆が道を譲ってくれる。
中には苦笑している顔もあったので、もしかするとテーラにとっては逃げ出す事自体が日常茶飯事なのかもしれない。
そのままシュテフェンの街を後にして街道を駆ける事数分、西へと続く分かれ道が見えて来たところでテーラは手綱を緩めた。
「西へ行くならここでお別れだが、もうすでに連中の手が回っているかもしれない。それでもシニョリーナたちは本当に行くのかい?」
「ん……」
ユミスが小さく頷くとテーラは芝居がかった態度で額を抑えながら大きな溜め息を吐いた。そして急に真面目な顔つきになる。
「憚りながら我が父オドアクレは未だゼノン王の死を嘆き、恐れ多くも陛下を呪う日々を送っています。おそらく今回の事件も全て陛下の御業とされるでしょう」
「ん……それは覚悟してる」
「私はシニョリーナたちとこれっきりだとは思いたくない――! 必ずまた会えると信じて……、アッリヴェデールラ!」
テーラは馬上で深々と頭を下げると、優雅に微笑みながら北へと去って行った。
その姿はこの地を治めるに相応しい貴族然としたものであり、俺は思わず後ろ姿を見送ってしまう。
だがそれも束の間、すぐに南から喚声が上がると、ドドドドっという地鳴りが響いてくる。
「ユミス、このままじゃ――」
「体力回復魔法!」
「……え?」
「精神回復魔法! 疲労軽減魔法!」
俺の心配をよそにユミスは次々と魔法を馬へ展開していく。そんなに走らせたわけでもないのにこの重ね掛けはあまりに過剰だ。馬たちは嬉しそうに嘶いているが、どう考えても次への布石だろう。
「馬に掛けるくらいなら俺に掛け――」
「無理」
最後まで言う前に断られてしまった。取り付く島もない。
「え、何?」
「はぁ……。ナーサも覚悟しといた方がいいよ」
「えっ……と、何を?」
「何を、って」
「身体強化! ……敏捷強化!」
「っ!? まさか!」
ユミスの魔力が凝縮し、魔法が馬の黒鹿毛に溶け込んでいく。その瞬間、馬たちは驚いて一斉に後脚立ちしたかと思えば、激しく憤りそのまま西を目指して突進し始めた。
「わっ……! ちょ、待っ……!」
「喋ると舌噛むぞ!」
「ん」
突如暴れ馬と化した馬をなんとか手綱で制御しつつ、あっという間にテーヴェレ川の沿岸に出た俺たちは一路街道を西へと突き進んでいく。
ふと街へ視線を向ければ、宵闇を煌々と照らす魔石が溢れる中、フードを付けた連中が辺り一帯を駆けずり回っていた。だが、その挙動は遠目からでも整合性が取れているようには見えない。ユミスが魔法を連発した時点で俺たちの居場所はバレててもおかしくないはずなのに、全く把握出来ていない様子だ。
もしかしたらニースたちが逃げる際に何かしたのかもしれない。
いずれにせよ、ここまで来れば探知出来る範囲はとっくに超えている。
それに、街では灯りの多さで気付かなかったが、もはや先を見通すのも難しいほど外は暗くなっており、このまま見つからず逃げ遂せそうだ。
馬たちはユミスの身体強化で視力も向上しているようで、暗がりの中でも動じることなく先へ先へとひたすら走っていた。この調子なら馬なりでも大丈夫そうなので、俺は万が一の襲撃に備え周囲への警戒に勤しむことにする。
それにしてもまさか身体強化に加えて敏捷強化まで重ね掛けするとは思わなかった。同系統の魔法を他者に違和感なく重ねるなんて離れ業もいいとこだ。それをあっさりやってのけるのだから、孤島を出てからもユミスはずっと魔法の鍛錬を欠かさずやっていたに違いない。
(ユミスの魔法はやっぱり凄いなあ……。これ、もしかして行きの船より早くマンフレドーニアに着くんじゃね?)
そんな風に馬上で感心していたわけだが、まだ俺はユミスの魔法に対する執着を甘く見すぎていた。
夜も深まり眠気が襲い掛かって来る頃合いになっても、馬は止まる気配もなく軽やかに街道を駆け抜けていく。いくら身体強化で能力が向上しているとはいえ、普通なら疲労困憊で倒れていてもおかしくない。だが馬はより一層力強さを増し、その黒鹿毛がさらに美しく輝いているように見えてしまう。
倍どころではない。十倍、もしくはそれ以上にまで能力が上がっているのではないだろうか。
(孤島に居た頃の比じゃないんですけど)
あの頃は精々三倍くらいが関の山だった。
いったいどれだけユミスの魔法は進化しているのか、空恐ろしくなってくる。
まさか、馬の疲労より先に自分が眠気でぶっ倒れそうになるとは思わなかった。
そういえば今朝は早起きしたんだっけ……。
途中、船でいくらか仮眠を取ったとはいえ、この状況はかなりキツイ。
だが、闇が深まる中、馬たちはマンフレドーニアはおろかクーネオの街も横目に過ぎ去っていく。
今更ながらにユミスの魔法の威力に舌を巻くのだが、視界にアヴェルサの街の灯りが見えてきた以上、ここで自分が倒れるわけには行かない。
ここまで来れば、あとは湿地帯を抜けカルミネに向かうだけだ。明日はボロボロで動けなくたって問題ない。
俺は最後のひと踏ん張りとばかりに気合を入れ直すと、フラフラになりながらも、なんとかアヴェルサの町まで辿り着いたのだった。
さすがにここまで来ると疲れているのは俺だけではないようで、ユミスもナーサも憔悴しきっており、もはや限界とばかりに馬車を預けた宿へと向かっていく。
だが、馬車の周りには深夜にも関わらず何者かが立っていた。まさか先回りされたかと緊張が走るも、どうやらフードを付けている様子はなく魔道師ギルドの者ではなさそうだ。
「……アヴェルサ卿か?」
「陛下、よくぞご無事で」
ユミスの言葉に反応したのは、沈痛な面持ちで立ち尽くすヴァスコであった。
その表情からも何か良くない知らせだとわかる。
「魔道師ギルドはさきほど枢機卿補佐シンマクスの名において陛下による長フェリクスおよび次席ゲラシウスの惨殺を公表しました。大陸中に非道を訴え報復攻撃を辞さない姿勢を打ち出しております」
「……ん」
「そんな?! いくらなんでも早すぎる!!」
別れ際のテーラの言葉である程度予想していたとはいえ、相手の行動は迅速であった。いや、迅速過ぎた。
「ん……私たちは泳がされてただけ、かも」
「……っ」
ユミスの言葉にナーサまでも苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「ともかく陛下は一刻も早く王都に戻り対策を打ち出すべきです。私からも二人を付けましょう」
ヴァスコの進言で俺たちは疲労の色が見え始めた馬を降り、馬車に乗り換えカルミネへと向かうことになった。
御者に座ったのは、最初ヴァスコに会った時、後ろに控えていた魔女っぽい服を着た傭兵――ロジータとシビッラだ。
「あの時のあんたの動きはとんでもなかった。正直鳥肌もんだったわ」
「ほんと、ほんと。それにあの麗しのタルクウィニア様と何で知り合いかと思ったら、まさか陛下の護衛だったなんてもう、なんてゆーか、なんてゆーかって感じよ!」
こんな深夜だってのにテンション高く話しかけてくる二人に若干引き気味ではあったが、ようやく俺たちは馬車の中で一息つく。
ただこの二人が居る所で突っ込んだ話は無理だ。俺がそっとユミスの顔を覗きこむと、視線に気付いた彼女が小さく微笑む。
「カトルはもう寝ないとまずいでしょ?」
ユミスこそ寝たほうがいい――。
俺はその言葉を掛けることが出来なかった。
とっくの昔に限界を超えていたし、睡眠を取らない俺がいかに役立たずかユミスは良く知っている。それでも思い悩んでいるユミスを見ると心配が先に立ってしまい、もどかしさを感じずにはいられない。
「私はもう少し考えていたいから……。それとも睡眠魔法が必要?」
「大丈夫。熟睡魔法を使うから」
「熟睡魔法……。それなら大丈夫ね」
「……ああ」
そんな風に念を押されたら、頷かざるを得ない。
そのまま熟睡魔法と目覚まし魔法で仮眠を取ると、あっという間に三時間が経過していた。目覚めればいつの間にか湿地帯を抜け、薄っすらと東の空が明るくなっている。
「おはよう、カトル」
「ユミス……」
俺の目覚まし魔法に気付いたユミスがニコリと微笑んだ。だがそれも束の間、すぐに視線は闇夜に輝く王宮の水晶へと向いてしまう。
全く眠らなかったのだろう、目を腫らしながら王宮を見つめるユミスの心境がどんなものか推し量る事は出来そうにない。
振り返れば孤島に居た時から、俺は本音の部分でユミスが何を考えているのかわかっていなかった。あの時、大陸に行くと聞かされ戸惑うことしか出来なかった俺は、今またこれだけ近くにいるはずなのに、ユミスがさらに遠くへ行ってしまったかのような錯覚にとらわれる。
「ユミスネリア様。ご無事でなによりや」
城門にはユミスと同じように目を腫れぼったくして待つターニャの姿があった。ロジータとシビッラの二人は予期せぬ公女の登場に歓喜の声を上げていたが、その労をねぎらう暇もなくターニャは馬に乗り自身の前にユミスを跨がせる。
「うちらはすぐに王宮へ戻る。またギルドに連絡するから今日の所はゆっくりしてな」
そう言って二人は未明の王都を一目散に駆けて行った。
ユミスがこちらを見て手をふりつつ、寂しげな笑みを浮かべていたのがとても印象的で、一抹の不安に胸が締め付けられる。
「じゃあ、私たちも行くよ」
「じゃね、カトルちゃんナーサちゃん。明日ギルドに居たら声掛けるよー」
ロジータとシビッラの二人はテンション高く早朝の王都に消えていった。
「いやー、この依頼どうなるかと思ったけどこんな簡単に終わってラッキーだね」という和気あいあいとした声が遠くから響いてくるが、そんなテンションの高い二人がいなくなると、後には俺とナーサの二人だけがぽつんと残される。
「ふう……、とりあえず今回の依頼はこれで終わりね」
「あ、ああ……そうだな」
ユミスが居なくなり、ナーサの言葉で現実に引き戻された。
そうだよな。これって強制ミッションだったんだ。
なんだかいろんなことがありすぎて、いまいち実感がわかない。
「ナーサもお疲れ。これで茶タグ脱出まで残り一つか」
「何だか、あんまり達成感みたいなものはないけどね。でも、あと一つか。……私も一人前になってきたのかな?」
ナーサは自分の手のひらを見つめながら感慨に浸っているようだ。
「とりあえずサーニャの所に帰ろう。ゆっくり寝たい」
「ったく、人の感動を無視してくれちゃって」
「いやいや、依頼達成して嬉しいのはわかるけどあと一つ残ってるだろ。それに今回の依頼だってギルドに報告しなきゃいけないんだし」
「フンだ。黒タグのあんたに私のこの気持ちは一生理解出来ないわよ。まあ、いいけどね。私も仮眠取るし」
ナーサは頬を膨らませながら、不機嫌そうにずんずん先を歩き出す。
そんな様子に俺は苦笑いするしかない。これ以上ナーサの機嫌を損ねないようゆっくりと後に付いて行くのだった。
―――
城門をくぐる前に洗浄魔法と乾燥魔法だけ掛けておいたので、挨拶もそこそこに俺たちはそれぞれの自室に戻っていく。
熟睡魔法で仮眠を取ったとはいえ、身体の疲労はあまり抜けていない。このまま一日ずっと寝ていようかとも思ったが、お風呂にゆっくりつかりたかったのでサーニャに言付けを残してからベッドに入った。
そしてあっという間に意識が遠くなったと思ったら、もう扉の向こうでドンドン叩く音が聞こえてくる。
なんで眠い時はあっという間に時間が過ぎるんだろう?
もうちょっとだけ寝たい、そう思ってたらサーニャがずかずかと部屋に入ってきた。
「ほらほら、カトル起きて。お風呂温めておいたわよ」
「う……うーん」
「それとも先に食事する?」
「……あるの?」
「今日だけ特別。昨日は大変だったみたいだしね。ナーサちゃんから聞いたわ」
そう言ってサーニャは部屋の中に食事を運んでくれる。少し冷めていたが、サーニャの作る鳥の串焼きは時間が経っても柔らかくて肉汁タップリだから美味しい。
「寝起きなのにいきなり肉なんて若いわね~」
「サーニャだって十分若いだろ」
「あら? 嬉しいこと言ってくれるじゃない、カトル。いつからそんなお世辞言えるようになったの? でも、はい。先にスープから飲みなさい」
俺はサーニャにすすめられた通りスープを飲む。この季節に相応しい、ジャガイモと玉ねぎの冷たいポタージュスープだ。
「やっぱ、サーニャの作る料理は美味しいね」
「残念。これは母さんの手作り」
「うぐっ……」
「じゃあ、私はそろそろ下に戻るけど、二度寝しない?」
「メシ食ってるのに寝ないって」
「ははっ、それもそうね。ごゆっくり~」
笑顔でサーニャは戻っていく。
時計を見たら11時を過ぎていた。暇が出来たらってお願いしてたけど、この時間までずっと忙しかったんだろう。それなのに風呂の準備に食事まで作ってくれて、本当に感謝だ。
充分に食事を堪能し、少し休んだら食器を持って一階に下りる。
さすがにこの時間になると客もまばらなようで、サーニャはフロアの清掃に移っていた。
手を止めるのも悪いので、厨房にいたサーニャの母に食器を託し、そのまま風呂へ向かう。
湯加減はちょっとぬるくなってしまっていたが、のんびりとつかりたい気分だったのでちょうど良かった。そのまま壁に寄りかかりながら、ふぅと大きく息を吐く。
このまま寝ないように気を付けないと、と思っていると、窓の外から陽気な声が響いてくる。
「ふう……。やっと、すっきりしたあ」
「あら、いい飲みっぷりじゃないナーサちゃん」
「女将さんだって」
「仕事の後の一杯は格別でしょ」
「ほんと、そうですね」
まさかと思って外を見れば、酒場の窓が開いており、そこから声が駄々洩れになっていた。
どうやらサーニャとナーサの二人でお酒を飲んでいるらしい。
「なんだかいつもよりご機嫌ね、ナーサちゃん。ちょっと前までは大荒れだったのに」
「そ、そんなことないですよ、女将さん。今日は大変だったけど依頼をこなせたから」
「へぇ、凄いじゃない! この前まであいつはここがダメだ、とか他のメンバーへの不満ばかりだったのに」
「それは……まあ……」
「それで、どうだったの?」
「え? どうって、何がですか?」
「何って、そんなの決まってるじゃない。カトルと一緒に旅したんでしょ? いいわよね。あんな可愛い子と一緒だったら、もうクラクラよね?!」
――なっ、この女将はいったい何を言い出してるんだ?!
思わず聞き耳を立ててたけど、こんな話を聞いてたって知られたら、後で何を言われるかわからない。
この場を離れたい、けど、相手の声が筒抜けってことはこっちの音も聞こえるわけで。
……。
俺は身動きすら出来ず、風呂桶の中で固まってしまう。
「ええっ?! そんな、クラクラって……」
「あの子、可愛いのにカッコいいじゃない? 頼りなさそうに見えて、実はめちゃくちゃ頼りになるし……って、そう思わなかった?」
「依頼任務の最中ですし、それどころじゃなかったですから」
「まーた、そんなこと言って。ナーサちゃんだって、恋の一つや二つしてもいい年頃でしょ?」
「あのですねえ、女将さん。私、カトルにそんな気ないですから」
「そんなこと言っても、最初はあれだけ毛嫌いしていたのに、今も一緒にいるってことは、少しは見方とか変わったんでしょ?」
「それは……見直した部分とかはたくさんありますよ」
「でしょでしょ?」
「だからって、カトルなんか気になりませんて。それにその……ユミスと一緒の方が、カトルも嬉しそうだし」
「ユミスちゃんね。まさか噂の女王様があんな素直で良い子だとは思わなかったわ」
「ほんとに……口下手で、ちょっと意地っ張りですけどね」
ナーサの声が少し愁いを帯びたものに変わる。
「今回の依頼で、ユミスは傷付いていました。その……詳しくは言えないんですけど、上手く行かなくて、なんとか取り繕おうとして、でも失敗して」
「……うん」
「私は本当に何も出来なかったんですよ。その、なんて声を掛けていいのかもわからなくて。だから空元気、じゃないですけど、とにかく前を向こう、後ろ向きな気持ちを出さないようにしようって」
「それは、何も出来なかったってことじゃないわ。ナーサちゃんも頑張ったってことよ」
「……そうですかね?」
「だって、ユミスちゃんが傷付いたってことは大変だったんでしょう? 空元気上等じゃない! 私も毎日酒場で働いていて、大変だ、って思う事もあるけど、お客様の皆が皆祝杯を上げるために来てるわけじゃないから、私が前向きじゃなくてどうする! っていつも自分に活を入れてるの。結局、苦しい現実に立ち向かえるのは自分自身だけだからね」
「……」
「ナーサちゃんは出来る事を一つずつやっていって、それで無事依頼をこなせたんでしょう? だったら、そんなに思いつめた顔しないの。ゆっくり疲れを取って、それで元気になったらまた考えればいいじゃない」
そこまでで二人の会話が終わったのか、声は聞こえなくなった。
だがしばらくの間、俺はその場を離れる事が出来なかった。
まさか、ナーサがそんな事を考えていたなんて思ってもみなかった。
俺は、ユミスの気持ちをどう考えていたんだろう……?
やっとカルミネまで来てユミスに会えて傍で守ることが出来るようになったけど、孤島に居たときみたいには近くなくて、むしろ心は遠くなっている気がする。
「ユミスと話したい……」
俺はそのままのぼせそうになるまで外の景色を呆然と眺めていた。
次回は12月29日までに更新予定です。




