第三十三話 道化と狂犬
10月15日誤字脱字等修正しました。
「今、元帥閣下と枢機卿猊下が共に廊下を歩いていらしたぞ」
「おお! それは真か?」
「なんという巡り会わせでしょう。この幸運、絶対に逃しませんわ」
「おい、どけ。俺様は飯が食いたいんだ」
「グッ……、何様のつもりだ。わしは少将のガイセリックであるぞ!」
「おお! 元帥閣下だけではなく少将閣下もいらっしゃるようだぞ!」
「ふふん、私はさきほどプエシュ中将もお見かけしましたよ」
「あそこに魔道師ギルドの面々、そちらは軍閥貴族か。今日は何かとんでもない発表でもあるのではないか?」
「ううむ。これは商談もさることながらお歴々の動向も注目せねばなりませんな」
中を覗き込めば、華やかな衣装を身に纏った者たちが口々に言葉を交わしていた。
そんな会場の熱気に一歩足を踏み込んだだけで圧倒されてしまう。
到着前に貴族としての心構えをユミスにレクチャーされていたとは言え、なかなかにこれは壮観な光景だった。
目に付くのはそれだけではない。
色取り取りの豪華な食事もさることながら、視線を奪われるのが中央に吊るされた巨大なシャンデリアだ。ロウソクを模した魔石が幾重にも連なり、淡い炎を演出して調和の取れた空間をかもし出している。どういう仕組みかわからなかったが、肌で感じる魔力はかなりのものだ。
「魔石の無駄遣い……」
ユミスも気になったようで俺だけに聞こえる声でポツリと呟く。
魔石は通常、核となる宝石に幾人かの使い手が魔力を込めてようやく完成する代物だ。その魔石を惜しげもなく鑑賞目的で使うのだから、さすが魔道師ギルドのお膝元といったところか。
見渡せば多数の魔道師ギルドのメンバーがそこかしこで談笑していた。奴らはこんな場所でもフードを被っているから簡単に見分けがつく。ただ戦場で見かけた灰色のフードを被っているわけではなく、色彩豊かで様々なデザインのフードというのが面白い。特に女の魔道師が身に着けているフードは手の込んだ装飾が施されていたり、ヴェールを纏って楚々とした印象を与えるものだったりと美しさに磨きが掛かっていた。ドレスに合わせて黒一色の妖艶なムードを作っている女もいるくらいだ。
もちろん貴族と思しきご婦人方も負けてはいない。煌びやかな宝石を縫い付けたご自慢のドレスを靡かせ優雅に振る舞っており、その輪にスッと入り込んでいくしゃれた感じの男連中と話に花を咲かせていた。
ビュッフェパーティではあったが皆、会話に夢中で皿を持っている者は極少数だ。ワインやエールを片手に笑顔を振りまいている。
この喧騒の中なら注目されないだろう。
隅っこの方で影となり美味しそうな料理を食べてしばらく過ごしたい。
途中まではそんな風に考えていたのだが――。
「……え?」
俺がゆっくり歩みを進めると、話に夢中だったはずの者たちの視線が少しずつこちらに向いてきたのだ。
そしてあっという間に会場の雰囲気が変わってしまう。
露骨に舌なめずりしている気色の悪い太った貴族はもとより、扇越しにひそひそ話をしている年配のご婦人、そして敵意むき出しで睨んでくる過剰なまでに華美に着飾った厚化粧の女など、ありとあらゆる方向からの注目が一身に集まって、なんともいたたまれない感じだ。
「皆、カトレーヌ様の美しさに見惚れているのでしょう」
突然ユミスが聞こえよがしに言うと、おおっ、という歓声があがる。
あまりの事に俺はびっくりしてもう少しで叫び声を上げる所だった。
ってか、ユミスが何を考えているのかさっぱりわからない。衆人環視の中、何でそんな事を言うのだろう?
そうこうしているうちに数人の男どもが群がるように押し寄せてきた。
「はじめましてお嬢さん。私はヴェラチーニ侯爵の家系に連なる者でラニエロと申し上げるが、今日はどなたのお招きでいらっしゃったのかな?」
「おっと、抜け駆けとは貴公らしくもない。私はリナルド=ソルデッロ。そのドレスは繊細で美しいあなたにピッタリだね」
「出会えて嬉しいよ、君。私はダニオ。家名なんて気にする必要ない。この出会いこそ運命だ」
「お初にお目にかかります。私は宝石商を営むポーロ商会のマッフェーオと申します。貴女ほど煌びやかな宝石に彩られたドレスの似合うお方にお目にかかったことはございません。ぜひ一度我が商会に足をお運び下さい」
なんというか、全員がさっきのアホ……もといテーラに見えるほど押しが強い。
この街の男はみんなこんな感じなのか? よく言えば情熱的なのかもしれないが、俺には鬱陶しさしか感じないんだけど。
だが、そんな男ども相手にもユミスは顔色一つ変えていなかった。
内心どうあれ、よく平然と応対できるもんだと感心してしまう。
「皆々様ありがとうございます、私はチェスター家に連なる侍女です。主カトレーヌお嬢様に成り代わりご説明致しますと、本日はテーラ様のお招きに預かり参上いたしました」
「なっ……」
「くうぅ、またしてもあやつか」
「そんなことは関係ない。運命は今まさに祝福をしている」
「なるほど、左様でございましたか」
「まずはテーラ様にご挨拶させて頂き、また本日この場を提供下さったジャンルカ様にも御礼申し上げさせて頂けないでしょうか?」
「いやいや。ジャンルカ殿はともかくテーラの名前で引き下がったとあってはヴェラチーニ家の名折れ」
「右に同じだ。あの遊び人に遅れを取るわけにはいかん」
「確かに挨拶は重要であるな。よし、私が後で代わりに行っておくから今は将来について話し合おう」
「私どもの店は港の近くにございます。ご来店お待ちしておりますのでよしなに」
ポーロ商会の小粋な男だけはにこやかな笑みを残し去っていったが、他の三人はテーラの名前にも引く気配はなかった。いや、それどころかより一層触発され押しが強くなってきた気がする。
その攻勢にはさすがのユミスも若干動揺を隠せなくなっていたが、かといって俺が下手に会話しようものなら全てが台無しになる可能性が高い。
うーむ。
こういう時、フアンがどういう風にあしらわれていたのかもっと良く見ておくべきだった……のか?
とその時であった。
「フッ、身の程も弁えず私が招いた美しきシニョリーナたちを惑わせないでくれたまえ」
廊下側から陽気な足取りでテーラが颯爽と現れたのである。先程会った時よりめかし込んでおり、細かく刺繍の施された深緑のマントに縫い付けられた宝石がシャンデリアの灯りに反射して眩く光っている。
その場の空気を変えるには十分な演出だった。
彼の登場に強引なまでの勢いだった三人も若干及び腰になる。
「う……テーラ殿か」
「けっ、この万年発情好色男が」
「わけのわからない呼び名を広めないでくれ。私にはすでに堂々たる二つ名があるのだからな」
「出会いは私が遅かったのかもしれない。だが、運命の光は確実にこちらを示している」
「ダニオか。……美の探求者と呼ばれる私だが、お前のその感性だけはよくわからん」
「フフ。それは名前負けしているということだよ、テーラ。何しろ美とは誰もが持つ究極の輝きなのだからね」
「おお! 確かにその通りだ……が、むうう、お前とはいずれどこかで決着をつけねばなるまい」
うーむ。
ミイラ取りがミイラになるとでも言おうか、類が友を呼ぶとでも言おうか。
結果的に三人組が四人組に変わっただけのようにしか思えないな。こいつら。
「それではお嬢様、控え室に参りましょう」
若干呆れ声で話したユミスが廊下へ先導していってくれる。
「フッフッフッ、残念だったな、諸君。彼女たちはこの私が招いたのだ。――特にリナルド! 貴様のような美を理解しない輩は手出ししてくれるな」
「何を言うか。アホ丸出しの貴公に付き従う方がよほど時間の無駄であろう」
「なんだと?!」
「何を?!」
今にも額同士で小突きあいが始まりそうなくらいの近さで言い合う二人を尻目に俺たちは会場を後にした。
「ん?! ま、待ってくれ、シニョリーナ!」
「行かせるか! 袖にされるのはともかく貴公だけが好い目を見るのは納得できんからな」
「はは、本当にリナルドとテーラは仲良しだね」
「何でそうなる、ラニエロ! なぜ私がこのような人を見る目の無い男と仲良く見えるのだ?」
「それは私のセリフだ! というよりラニエロ。貴公もテーラを止めよ」
「では私はこの隙に、運命の赴くままに」
「ふざけるなっ!」
何か後ろで喚く声が聞こえるがあの四人の同類に見られたくないので、さっさと控え室に向かうべく先を急いだ。
ちなみに会場を出る時、ユミスがスカートの裾をもってちょこんと挨拶していた。なんだかんだであの手の男たちの扱いに馴れている気がする。
「巧言令色は貴族の嗜みだから、あえて無視する」
「あんたねえ……。まあ、間違っちゃいないけどさ」
だから今そういう会話をしなくても。
俺が冷や汗をかいているのをよそにナーサとユミスは控え室に着くまで周囲の様子などまるで気にせず話し続けるのだった。
―――
「おお、シニョリーナたち! よく来てくれたね」
控え室で一息つくのも束の間、勢い込んでテーラがやって来る。どうやら残りの三人は振り切ったようだ。少し声が枯れているのは怒鳴りあいでもしていたのだろうか。
「本日はお招き頂きありがとうございます」
俺が拙い愛想笑いを浮かべながらユミスの真似をしてスカートの裾を少し上げると、テーラは目を見開いて鼻息荒く近づいてくる。
それを遮るのがナーサの役目で、横槍はユミスの役目だ。
「まさか、あのような場所でのお約束で本当に歓待して頂けるとは、お嬢様に代わり御礼申し上げます」
「当たり前ではないか。この私が美しい女性との約束を違えるような愚かな真似をするわけがない! ああ、しかし私の目に狂いは無かった。艶やかなドレスを纏う貴女は最高に美しい……!」
そわそわして落ち着かなさそうにしながらテーラは満面の笑みを向けてくる。
――出来れば会いたくなかった。歯の浮くようなセリフを聞いて顔がひきつる。
このままこいつの言葉を聴き続けているなんて、悪夢以外のなにものでもない。ただ会場でユミスがああ言った手前それを表情に出すわけにもいかない。
じいちゃんの無茶苦茶な修行の方が楽に思えるくらいだ。
どうやってこの場を切り抜けよう……?
そんな事を考えていたら、突然バンっという衝撃音と共に扉が開かれた。
見ればごわごわした鎧姿にいかつい黒一色のマントを身に纏った中年男が仁王立ちでテーラを睨みつけている。
「この極つぶしが! フェリクス殿も来ている中、下らん事で場を騒がせおって!」
「……っ、それこそ勝手だろっ? 親父!」
「親父ではない! 元帥閣下と呼べ」
元帥?!
こんな狂犬のような奴がシュテフェンの最高権力者オドアクレだってのか?
……にわかには信じ難い話だ。
ただでさえ人相の悪い顔に口ひげや顎ひげをたっぷりと蓄えた姿は、無骨な体格と相まって粗野で横暴な印象しか受けない。
正直、テーラとは似ても似つかぬ風貌だ。
それにこの男がテーラへ向ける視線は感じた事があった。
――孤島で暮らしていた時に、同族と認めない青年竜たちが俺を見下してきたのと同じなんだ。
じいちゃんの通達で表面上は何も言って来なかったが、明らかに俺を忌み嫌っていた竜たち――。
あの時の感覚がよみがえって来る。
この男も同様であった。
肉親の情というものが一切感じられない。
心の底から蔑んだ目つきで罪人でも見届けるかのようにテーラを見据えている。
ただそれに少し気圧されながらも、テーラは視線を背けることなくじっと元帥を正視していた。
――重い空気が流れる。
あまり味わいたくない雰囲気だ。
ナーサもまた憮然とした表情で二人の様子を眺めている。
そしてユミスは――。
なぜか俯いたまま、まるで何かに怯えるように顔を背け続けていた。
「あっ……!」
思わず声が漏れ出てしまい、俺は慌てて口を噤む。
それを不審そうな目つきで元帥が睨んで来た。
――さっきまでの俺ならそれに盾突いていたかもしれない。
だが、その視線に対抗することなく俺は優雅に微笑んだ。
「はじめまして。私はカトレーヌ=チェスターと申します」
その言葉に元帥は呆気に取られたように目を剥く。
俺たちのことなど、テーラが連れてきた街娘程度に思っていたのかもしれない。はじめて視線がかち合い、元帥の表情に驚きと卑俗な感情が浮かび上がる。
だが、もはやその程度の事では及び腰にならなかった。
この男は曲がりなりにも同じカルミネを国家として仰ぐ都市の最高権力者なんだから、ユミスの顔を見知っていてもおかしくない。
――だから、ここは俺が何とかするしかないんだ。
「私がおりましたせいで場を乱して申し訳ありません」
一度、覚悟が決まればやれることをやるだけ。
ユミスの為に突き進むのみだ。
「私よりフェリクス様にお詫びをさせて頂けないでしょうか? 元帥閣下」
次回は12月9日までに更新予定です。




