第二十六話 挟撃の罠
9月17日誤字脱字等修正しました。
カルミネを出て数時間。激しく降り注いだ雨も止み、のんびりとした行程が続いていた。
幌の中ではユミスだけでなくナーサもすっかり寝入っており、俺は二人を起こさないよう気をつけながら馬を走らせる。
王都とカルミネ第二の都市であるシュテフェンを繋ぐ道だけあって完全に舗装されており、ちょっとやそっとの雨でぬかるんだりせず快適な馬車の度が過ごせていた。おおかた、この心地よい振動がナーサの眠気を誘ったのだろう。何とも暢気なものである。
まあ、この際ナーサにもゆっくり休んで貰って夜営の番をしっかりやってもらいたいところだ。街を出たから熟睡魔法を使ってもいいんだけど、万が一魔道師ギルドの連中に襲撃された時のことを考えると、途中で起きれないのはリスクが高い。
万全のユミスなら魔法で何とかしてくれそうだけど、あれからずっと眠り続けており、このまま夜を迎えるのは若干不安である。
そう考えると近くに宿場町でもあれば安全に過ごせるのだろうが、ここまではのどかな田園風景が続いており、しかもこの先、道は鬱蒼とした樹木と大きな沼が点在する湿地帯に向かっていて、宿泊できる場所はなさそうだった。
とりあえず地図ではこの道を真っすぐ北上した先にあるテーヴェレ川という大きな河川の畔にアヴェルサという町が記されているが、ほんとにたどり着くのか非常に怪しい。
それにこの近くに町があるっていうならすれ違う馬車の一台もあって良いはずだが、道を進んでいるのは後にも先にも俺たちだけ――。カルミネ国内の王都と第二の都市を繋ぐ重要な幹線道路なのか疑いたくなるほど、ただただ辺鄙な所を進んでいるだけであった。
王都とシュテフェンを結ぶ道がこれでは人の行き来も難しいし、お互いの溝はこうした環境下で起こったと考えてもおかしくない。
この道だって舗装するのはさぞかし大変だっただろうに、誰も使わないのでは宝の持ち腐れだ。
まあその分、誰もいないから何の気兼ねもない旅が出来ているわけだけど。
たださきほどから日も陰って大分暗くなってきており、本格的に野営場所を検討する必要がありそうだった。周囲に明かりの気配も全くないし、本当に近くに民家さえ一軒もないようだ。
「何よ、これ。真っ暗じゃない?!」
やっと目が覚めたのかナーサが幌の中から顔を出してくる。
「お、ようやくお目覚めか」
「つい、ユミスの寝顔を見ていたらうとうとと……ね」
「じゃあ、たっぷり寝たわけだし、今日の夜番は任せて大丈夫だな」
「――はい?! 夜番て、あんたこんな所で夜営するつもり!?」
ナーサの声が耳を劈く。
彼女の話によれば、本来アヴェルサの町までは馬車を飛ばせば昼過ぎからでも十分夜までに辿り着くはずの距離だという。
「それがどうしてまだ樹海すら抜けてないのよ」
「しょうがないだろ? ユミスが寝ているのに馬車をかっ飛ばせないって」
「こんなジメジメして虫がいっぱい飛んでそうな場所で野宿する方がよっぽど休めないでしょう!」
「それは、確かに……」
「絶対に嫌よ、私は!」
ナーサの言う事ももっともで、俺だって宿を取って休めるものなら休みたい。だが北へ探知魔法を繰り出しても人っ子一人いないようで、少なくとも10キロ先まではこのまま誰も居ない道を進むことになりそうである。
ただその話をしたら怪訝な顔をされてしまった。
「誰も居ない……? って街道を馬車で進んで誰一人出会わなかったってこと?!」
「農村地帯に入る前に一回馬車とすれ違って、それっきりかな」
「そんな……雨の情報が伝聞石で伝わったから? いえ、それにしたっておかしすぎる……」
ナーサはぶつぶつ一人呟きながら自問自答を繰り返している。
……うーむ。
そうは言っても近くにいるのはカバやワニ、猪や鹿の類だけで、特に誰かが潜んでいる気配はなかった。それに、この場所の動物たちは好んで人に襲い掛かろうとはしないようで、今も馬車の音を響かせるとかえって怯え奥の方に逃げてしまうくらいである。もし誰かが潜んでいれば、間違いなく何かしらの反応を見せるはずだ。
だからこそ馬車を引く二頭の馬も軽快な足取りで進んでいた。今の所、俺たちの進路を妨げるものは何も無い。
ただ、何かしらスッキリしないナーサの気持ちも分かる。
「この道って普段は結構混雑してるの?」
「それなりに商人たちの往来があるって聞いているわ。別にシュテフェンに魔道師ギルドがあるからって、戦争しているわけじゃないんだし」
「ならティロールの戦いで警戒度合いが上がったとか?」
「もし本当にそうならギルドの一階にデカデカと注意書きがされるわよ。この樹海は結構、依頼で傭兵が立ち入るケースも多いんだから」
「でも実際、探知魔法で探っても周囲二、三キロ四方には人の気配は全く……、あっ――!」
不意に、探知魔法の範囲に多数の人影が入り込んできた。
しかも前方からだけでなく、後方からもだ。
その数、十や二十ではない。
「やばいっ……! ナーサ、ユミスはまだ寝たままか?」
「えっ?! ちょっと、いきなり何を――んむ!?」
大きな声でしゃべろうとするナーサの口を咄嗟に右手で塞ぐ。俺の行動が唐突だったからかナーサは顔を真っ赤にして眉を吊り上げるが、人差し指を唇に当てる仕草をすると何とか怒りの矛を収めてくれた。
「35、6、7……40か。前に24、後ろがやや遅れて16。完全に囲まれたぞ」
「なっ……!?」
「もう数分で接触する。ユミスはまだ寝てるか?」
俺が囁き声で聞くと、ナーサは幌の中に振り返る。だがすぐに弱々しい声が響いてきた。
「大丈夫……。何とか起きれる」
「ユミス?!」
「何が大丈夫よ! まだふらついてるじゃない」
「だって敵、なんでしょ」
「あのねえ! 精神力枯渇は本人が考えるよりぜんぜん重症なのよ! 病人は大人しく寝てなさい!」
ナーサに怒られてユミスは少し不満そうな、でもどこかしら嬉しそうな顔をしていた。
「まだ敵かどうかわからないんだ。もう少し近づいたら魔法で調べるから、ユミスは待機してて」
「ん……わかった」
「いざって時は馬車を捨ててでも二人を抱えて逃げるから、その時はユミスの身体強化のお陰ってことで」
「何それ……。ふぅ、どうせ精神力枯渇になるならまどろっこしい事をしないで最初からカトルに最上級の身体強化を掛けるんだった……」
さっきの乾燥魔法に干渉して俺の魔法の威力を高めた時の事か――。
いや、いくらユミスの身体強化でも、制御がままならない俺じゃあんなに上手く雨水だけを蒸発させるなんて芸当出来るわけない。
ただナーサの興味はそこではなかったようだ。
「身体強化で精神力枯渇……? それって、どういうこと?」
「それは――」
「ストップ、おしゃべりは後。もう一キロ切った――って、あれ?」
相手との距離が近づいてユミスの言葉を遮ったのだが、その時突然、前方の人影が一斉に散ったのである。道に五人だけが残り、あとの連中は木々の陰にでも身を隠したと思われる。
「何を考えているんだ?」
相手の意図が分からず、俺は思わずぼやいてしまう。そろそろ目視出来そうな場所まで来ているのに、相手はその五人を残して広範囲に散ったままだ。
まさかこの期に及んで友好的な態度で近づいてくるわけでもないだろう。ならばこちらが探知魔法を使って確認していることぐらい予測しているはずだし、圧倒的な人数差があるのだから小細工を弄する必要もない。
……まさか一人も探知魔法の使い手がいなくて、荷馬車の中にたくさん人がいるって勘違いしているとか?
うーん。相手が魔道師ギルドでないならそれもありえるけど、それならいったい誰が俺たちの進路を塞ごうとしているんだ。
「……何だか、偉そうに馬上で踏ん反り返っているのがいるわね」
ナーサの言葉に俺も考え事を止め前方へ目を向ける。
暗がりでぼんやりとではあったが、馬に乗った男と、その周りにいる四人の姿が見えた。
「なんか、どこかで見たような……」
俺の視線に気付くと馬上の男はニヤリと笑い、周囲の者に何事か指示を出していた。よく見ればでっぷりとお腹が出た中年男で、その見た目とは裏腹に到底似合わない白銀の鎧を身に付けており、いささか見苦しい姿をさらしている。
前衛の槍を持った二人の兵士が恭しく頭を下げているのでそれなりの身分なんだろうが、居丈高に振る舞う態度を見ればあまり関わり合いたくない手合いなのは間違いない。
「そこの荷馬車止まれ!」
一人の兵士が問答無用で槍をこちら突き出した。それに驚いた馬が嘶き馬車が大きく揺れ動く。
「うわ、危ないな。馬に当たったら怪我するだろ!」
「控えろ! 平民風情が頭が高いわ」
俺は興奮する馬を宥めながら、気付かれないよう鑑定魔法を掛ける。
名前:【ドゥッチョ=インシンナ】
年齢:【30】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【アヴェルサ】
レベル:【15】
体力:【182】
魔力:【26】
カルマ:【なし】
名前:【ロモロ=アキッリ】
年齢:【34】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【アヴェルサ】
レベル:【17】
体力:【177】
魔力:【47】
カルマ:【なし】
この槍を持った二人の男、兵士のようだが結構レベルが高い。しかも二人とも出身は俺たちが目指している町、アヴェルサだ。
名前:【ロジータ=アンメンドラ】
年齢:【28】
種族:【人族】
性別:【女】
出身:【マンフレドーニア】
レベル:【14】
体力:【94】
魔力:【71】
カルマ:【なし】
名前:【シビッラ=ペドリーニ】
年齢:【25】
種族:【人族】
性別:【女】
出身:【クーネオ】
レベル:【12】
体力:【88】
魔力:【84】
カルマ:【なし】
後衛の女性二人はなかなかの魔力持ちであった。杖に魔石がはまっている事から、魔法の使い手なのだろう。魔石で増幅した魔法を食らうと厄介そうだ。
ただ物語に出てくる魔女ような黒いとんがり帽子を被っていたので、魔道師ギルドの連中ではないことがわかり安心する。
矜持か規則か分からないけど、奴らは総じてフードを被っているので見分けが付くんだ。
名前:【ヴァスコ=ダ=アヴェルサ】
年齢:【53】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【アヴェルサ】
レベル:【11】
体力:【103】
魔力:【46】
カルマ:【なし】
真ん中の馬に乗った男は名前に地名を冠していた。ということは領主かその一族の者、つまり貴族ってことになる。
……そうか。事ここに至ってようやく思い出した。
こいつは謁見の間が氷付けにされた時、文句を言っていた貴族のうちの一人だ。華美な貴族の礼服を身に纏っているとそれなりだったのに、馬に乗って鎧を着こむ姿はなんとも痛々しい。せめてキラキラ光る鎧をやめればいいものをもはや存在そのものが滑稽であった。
レベルが11もあるという事はそれなりに若い頃武芸に励んでいたのかもしれないが、今は見栄を張って出張っているだけの哀れな道化にしか見えない。
「おお、その顔よぉく覚えているぞ! 平民風情が王宮ではよくも散々恥をかかせてくれたな」
「いや、お前が勝手にターニャの言葉に突っかかっただけだろ?」
「黙れ下郎! 口の利き方に気をつけい。傭兵如きが粋がりおって。わしを誰だと思っておるか」
「まだ名前聞いてないし」
「きっさまぁあああ!」
よほど、普段から貴族としてちやほやされているんだろう。少し煽っただけで烈火の如く怒り始めた。だが、俺にも思うところはある。
「王宮に居たって事は俺たちがターニャの依頼で動いているのを知ってるわけだ。それを邪魔するなら、後でちゃんと報告するぞ」
「ぬあっ?!」
王宮からの依頼を俺たちが請け負う事にどれだけ不満か知らないけれど、一度ユミスが下した決定にこうもあからさまに反抗するのは、そもそも女王として敬意を払う気持ちがないってことだ。
そんな奴に礼儀を尽くす必要なんかない。
俺は敵意むき出しで噛み付く気満々であった。
ただ俺の言葉を聞いて、男の後ろに居た二人の女たちがうろたえ始める。
「ちょっと待って下さい。聞いていた依頼内容と全く違うのですが」
「そうよ。その子が口にしたのって、あの麗しのタルクウィニア様の事でしょ!?」
「う、うう、うるさいっ! 依頼内容に間違いなどない! 詳しい事は後で伯爵様にお聞きせい!」
伯爵――?
まさか……!
「とにかく奴を捕らえよ! 殺しても構わん。さっさと行けっ!」
「いや、そう仰られても」
「では先に伯爵様よりお話を伺うことをお許し下さい」
「ふざけるなっ! 奴らに逃げられるではないか!」
「いや、俺ならそこのお姉さんが納得するまで待ってるよ」
「ぬあっにぃ?!」
俺の思わぬ横槍にヴァスコは馬上で大げさによろめいた。なんとそのまま落っこちそうになり、慌てた兵士たちにどうにか支えられている。
……何をやっているんだか。
ただ、俺の言葉で明らかに二人の態度が一変した。さらに周りのあちこちから困惑したようなざわめきが聞こえ始める。
「うぬぬぬぬ。契約を守らんとはそれでも傭兵かっ!」
「だからあの子が待つと言っているのですから、内容を確認するくらい構わないでしょう?」
「これでは作戦が台無しではないかっ!」
盛大に揉め出した相手を俺は冷ややかに一瞥すると、後ろから迫り来る者たちに意識を切り替えた。
もはやその存在を隠そうともせず、大地を蹴る馬蹄の音が幾重にも連なって聞こえる。どうやら後ろから来る連中は全員馬に乗っているようだ。
そして、その先頭には忘れもしないその顔が馬上にあった。
「遅くなったね、アヴェルサ卿」
肩まで伸びた金髪を颯爽とたなびかせ琥珀色のマントをことさら大きくはためかせている男――フォルトゥナートである。
次回は11月15日までに更新予定です。




