愛雨
雨が降るいつもの日、彼女は決まって僕の前に現れる。
彼女はいつも朧気で、しかし触れてしまえば崩れてしまう玻璃のような緊迫した空気が彼女にはあった。瞳は物憂げで、まるで水面に雫が落ちたかのように澄んだ黒目が揺れていた。
僕は生まれた頃から彼女が視えていた。だからそれが特別不思議なことだと知る由もなかったのだ。それだけに自然だった。彼女の存在が。彼女のその眼差しが。そしていつしか当然のように雨が作り出す、一種のオブジェクトだと受け入れていた。
そんな僕にも恋人が出来た。そして恋人が僕の視線の先について話をしたとき、初めてそれが異常であることを知ったのだ。
とは言っても、僕はこれまでと変わらず彼女を無視し続けた。雨の彼女もまた何もしてこなかった。彼女は変わることなく憂いを帯びた雨の世界で、僕を見つめ続けるだけだった。
ただ、今となっては互いにその関係を望んでいたのかもしれないと思う。きっと物心つく以前に僕は察していたのだ。それは犯してはいけない領域であると、自ずと理解するよりも前に本能が教えてくれていた。きっと、神様の優しく残酷な呪いがそこにはあった。
だがある時、僕はその禁忌を犯した。どうしても確かめたいことがあったのだ。その時今までにない、泣きだしそうな笑みを彼女は浮かべた。胸が痛くなる笑みだった。そして彼女はふっと雨音の中に消えていった。季節は春で、四月最後の雨だった。
それからわだかまりと寂しさを感じつつ、幾年が過ぎた。付き合っていた恋人と僕はその後結ばれ、子供を授かった。平凡で当たり前、それでいて最高の幸せを手に入れた。その折に僕はある占い師と出会うことになる。占い師はイメージ通りの喪服に、黒のベールで顔を隠し、僕にある不思議なことを口走った。
「貴方はずいぶんと愛されていたのですね」
僕はその質問の意図が分からず聞き返していた。
「どうしてそう思いになるのですか?」
「貴方からある女性の慈愛を感じるのですよ。恋愛とは別のね」
僕には痛いほど心あたりがあったから、占い師に思い切って雨の日の彼女について尋ねた。すると占い師は視線を落としながら「…そう」と呟き、ある話をしてくれた。
その日家に帰らなかった。家内には友人の家でお世話になると伝えた。僕は一人、宿を借り、ひたすら泣いた。押しとどめていた愛情を知ってしまったから。
親になれば僕らは愛情を与える存在になる。それはひとつの義務のようなもので、子供は親の愛を食べ、愛の味を知り、それを子へと与えるのだ。
だから僕は本当の意味で親にはなれないと思っていた。だけどそうじゃなかった。言葉はなかった。温もりはなかった。でも僕は確かに愛されていた。
その日、僕の耳元には静かで優しい雨音がいつまでも降り続いていた。
どうも、初めての方は初めまして。
高等遊民こと、貴族院遊々です。
前回雨の短編小説書いたのに、また懲りずに雨の短編小説です。
ただ今回は前回のダークな感じではなく、しっとり系です。
ちょうどいま梅雨時なので、しっとりされたい方に読んで頂けたらいいなと思って書きました。
でも僕の小説なんて基本思いつきです。日によってダークやら、しっとり系やら、ギャグやら色々変化するので、この系統だという保証が出来ません。すいません(泣)
次回は雨題材じゃない小説書くつもりです。いえ書きます(笑)
それでは次回の投稿でまたお会いしましょう〜
追記:前回の作品『ライフ』。あれから友人にも見てもらって表現のおかしかったところ訂正しました。気になる方がいらっしゃれば一読して頂けると幸いです。また読んで頂いた読者の方々に感謝!!
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