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130円の冷たい良心

 少し蒸し暑い夜は、特に冷たいものが食べたくなる。お風呂上りに髪を乾かしながら、私は急にアイスが食べたい衝動に駆られた。時刻は22時半過ぎ、最寄りのスーパーはもう閉店してしまっている。

 近所のコンビニに行くか、と菜々子さんに注意されそうなくらいちょっと乱暴にドライヤーを扱いながら思い至った。木犀荘に一番近いコンビニは徒歩数分の近さだし、この辺りは治安も良い。もう補導される年齢でも身分でもないだろうから、深夜に一人で出歩いても誰にも文句は言われないだろうし。――それに、あそこのコンビニにはあの人が居る。

 そうと決めた私は髪を乾かし終えると、部屋着の上に少し大きめのパーカーを羽織ってチャックを首元まで上げ、スマホと小銭入れをポケットに突っ込んだ。音を立てないように気をつけながらサンダルを履いてそっと玄関を出たのが、22時45分。

 少し熱のこもった空気の中、ぽつぽつと灯る街灯の光を頼りに見知った道を歩く。雲の少ない夜の空には、半分ほど欠けた月と、三等星位までの星々。時々遠くで車が走る音がするくらいで、人気はなくとても静かだった。


 夜の世界を独り占めしたような感覚に浸りながら歩いて数分、煌々と光るコンビニにたどり着く。ガラス越しに店内の様子を伺えば、レジカウンターの向こうに見知った人間が立っていた。うわ、何度も欠伸を噛み殺してそうな、眠そうな顔してる。その人以外で店内に居るのは、陳列棚を整理しているもう一人の店員くらいで客は誰もいなかった。

 ほんの少しだけどきどきしながら、何くわぬ顔を装って自動ドアをくぐった。どことなく気の抜けたチャイムが鳴り、いらっしゃいませ、と彼は視線を落としたままおざなりな挨拶を投げかけてくる。やる気がないなぁ。

 私だと気づいてもらえなかったので、ひとりで小さく肩を竦めながらアイスケースを覗き込む。どれにしようかな、と眺めていると、季節限定らしきものが目に止まった。美味しいのかな、ちょっと気になる。数秒考えて、やっぱり一番気になるそれを手に取ってレジに向かった。


「いらっしゃいませ……って、え? 伊織?」

「あは、おつかれさまです、ゆーきさん」


 レジをお願いしたところでようやく私の姿を認めたゆーきさん――私と同じく木犀荘の二号室に住む藤村祐希さんはひどく驚いた。一気に目が覚めてしまったらしいその様子に思わずけらけら笑ってしまう。何となく、いたずらが成功した時のような気分だ。


「こんな夜遅くに何で外に出てるの」

「ちょっと、アイスが食べたくなって」

「だからって、深夜に女の子が外を出歩くもんじゃないだろ。危ないよ」

「だって近いし、それにここ祐希さんが居るから大丈夫かなって」

「それでもだよ。何があるかわからないんだから」


 LINEで伝えてくれればバイト上がりに買ってきたのに、と困ったように眉を下げて呟きながら、それでも祐希さんは淡々とレジを打っていく。130円です、と言われ、150円渡した。レシートと一緒に返ってきたのは十円玉二枚。


「あ、伊織、ちょっと待ってて」


 じゃあ木犀荘で、と言おうとする前に祐希さんに止められる。首を傾げて見上げると、優しげな焦げ茶色の目が存外近くにあって、とくりと心臓が跳ねた気がした。


「な、なんでしょう?」

「一緒に帰ろう。俺、もう上がりだから」

「え、でも私、一人で帰れますよ?」

「そんな寂しいこと言わないでよ。俺は伊織と一緒に帰りたいんだけどなぁー?」


 ふにゃり、と効果音のつきそうな感じで裕希さんは気の抜けた笑みを見せる。犬の笑顔みたいだなと思いながら、私は自分の心臓が少し跳ねた音をさせるのを聞いた。そんな顔でお願いされたら、応えるしかないじゃないか。


「いいですよ。適当に雑誌読みながら待ってるから、早めに出てきてくださいね。私のアイスが溶ける前にお願いします」

「ありがとう。アイスが溶けたら、お詫びに新しいの買ってやるから」


 私の言葉に裕希さんは嬉しそうに頷いて。ぽん、と不意に頭に暖かい手が乗せられる。撫でられているのだ、と理解するのと同時に羞恥で顔に熱が集まる。


「だから、頭撫でないでって言ってるでしょ!」


 思わず敬語を忘れて声を荒げてしまった私に、彼はまた気の抜けた笑顔で仕返しだ、と笑った。……全く、この人は、私の気持ちをどれだけ弄んでくれるんだろうか!

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