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十二月二十四日

作者: 涼夜

 クリスマスイブの夜、いつもより早く帰ってきた父さんは、綺麗にラッピングされプレゼントと、ケーキの箱を抱えていた。  

居間ではストーブの火が静かに燃えていた。私はストーブをソファーのぎりぎりのところまで寄せて、奥のほうで燃えている、青い炎を見つめていた。上機嫌の父さんは居間に入ってくると、たった今焼きあがったばかりのチキンをテーブルに並べている母さんにケーキの箱を手渡すと、ソファーの上で団子のようになっている私を呼んで、腕の中の包みを手渡した。

「開けてごらん。」という父さんの声に導かれるままにリボンをはずすと、中から人間の赤ん坊ほどの大きさのテディベアが顔を出した。淡い栗色の、ふわふわした身体をしたそれは、深い青い色の目で私を見ていた。

父さんと母さんは、にこにこ笑って私の反応を待っていた。私にはそれが痛いくらいにわかった。でも、私の心は二人の希望とは反対に重く沈んでいて、手にしているテディイベアも全然かわいいとは思えなかった。それどころか、この栗色のもふもふも、青色のつぶらな目も、媚びるような口元も、私にはなんとなく汚ならしいものにしか見えなかった。

それでも二人の目を見ていたら、なんだか無性に腹がたってきて、私は手にしていたテディベアを床に投げ捨てた。

「こんなもの、欲しくない」

と言って。

 それからのことは、あまり覚えていない。「お父さんに謝りなさい」と叫ぶ母さんの悲しみと怒りが混ざった声と、そんな母さんをなだめる父さんの寂しそうな笑顔。そうして、床に打ち捨てられたテディベアのつぶらな目。確か父さんの買ってきたケーキを食べた筈だけど、その味も感触も、全然思い出せなかった。


父さんも母さんも寝てしまったあと、ひとりぼっちで私は眠った。一人になって思い出すのは、体育の時間に私を突き飛ばした女の子のこと、土にまみれた体操着をこっそりと自分で洗ったときの水の冷たさ、机の落書きを消しているときの鉛筆の匂い、給食の時間に机を離されたときの、みんなの視線、そしてそんな私に全然気づかない、父さんと母さんの笑顔。

そこまで考えたとき、私の頭をふっと父さんの顔が過った。

ごめんな、と寂しそうな笑顔を浮かべる父さんの顔を思い出したとき、頬を涙が伝った。私は二人の愛情を裏切ってしまったのだ。そう考えるだけで、取り返しがつかないことをしてしまったことに対する激しい後悔が襲ってきた。

なんであんなことをしてしまったんだろう。父さんが私のことを想ってあのプレゼントを買ってきてくれたのに。

頭でそう理解していても、私の心はやっぱりテディベアを受け取る気持ちにはなれなかった。じゃあ私は何が欲しいんだろう。父さんや母さんに何をして欲しかったんだろう。わからない。わからない。そう考えるうちに私の身体はどんどん冷えていって、

それから私のところにサンタは来ない。当然だ。私は悪い子なんだから。





目を覚ますと、時計はもう11時を回っていた。

身体を起こそうとすると、こめかみの辺りにずきりと鈍い痛みが走った。テーブルの上には、昨日飲んだビールの缶が山積みになっている。私はその惨状を目にして、ああ、また飲みすぎてしまったな、と頭を抱え、13時からはじまるアルバイトにこんな最悪な体調で出なくてはならないことを思って憂鬱な気持ちになった。

今日は十二月二十四日。私にとっては二十回目のクリスマス・イブだ。

身支度もそこそこに部屋を出ると、アパートの駐輪場に停まっている自転車に飛び乗った。私がアルバイトをしているコンビニは、私の家から十分ほど行った、駅の近くにあった。真っ赤な自転車は、やがて住宅街を抜け、駅前の大通りに出た。色とりどりに飾り付けられた街は、いつもに増して華やかで胡散臭くて、それはまるで砂糖菓子の人工的な鮮やかさに良く似ていた。

行き交う人々の間をすり抜けながら、私は去年のクリスマスのことを思った。去年のクリスマス、私はこの駅前のケーキ屋で恋人とクリスマスケーキを買った。その後、彼の家でケーキを食べながら、「二人でワンホールのケーキを食べるなんて、ちょっと多いねぇ。」なんて言って笑いあったのだった。そんな彼と、私は三週間前大喧嘩をした。それから、彼とは一度も連絡をとっていない。喧嘩の原因がなんだったのか、今では思い出せない。けれど、取るに足らないくらい些細なことだったことだけは確かだ。私は何度か彼に謝ろうとしたけれど、どうしても発信ボタンを押すことができなかった。そんなもやもやした気持ちをかき消すためにクリスマスは両方ともバイトをいれたのだけれど、やっぱりこの気持ちは晴れなくて、仕方が無いからお酒を飲んだ。私の胸の中黒い雲は、クリスマスが近づくたびにより重く垂れ込むようになり、それに従ってお酒の量は増えていった。

こんなとき、私は決まって十年前のことを思い出す。父のプレゼントを投げ捨てた、あのクリスマス・イブの夜のことを。 

そういえば、今日の風の冷たさは、あの夜の寒さに良く似ている。二日酔いの重く沈んだ頭痛を感じながら、私は自転車を走らせた。




十三時のコンビニは、いつもと変わらない時を刻んでいた。昼食を買う客もピークを過ぎた店内は、昼食時の戦争のような状態を抜け出して、少しゆったりとした雰囲気が戻りつつあった。店内はサンタやクリスマスツリーの装飾で一杯だったが、訪れる人たちはあの浮かれきった気分とは縁遠いように見えた。機械的にレジを操作しながら、先ほど私のレジで弁当を買っていった、会社員風の男性の顔を思い浮かべた。年の頃は四十歳くらいだろうか。私は彼の疲れのこびり付いた顔に親しみを覚えた。頭痛はまだ治まる気配は無い。それでも必死に意識を保とうとしたが、ふとした瞬間に緊張が解けて、混濁した意識の底へ引きずりこまれそうになる。店内は暖房がついているはずなのに、自動人形のようになってしまった体は相変わらず冷え切っていて、それがまた私の頭の中をかき乱していた。

「おい!聞いてんのか?!」

突然の怒号に私はハッとした。目の前の中年の男は先ほど私が差し出した煙草の箱をレジに放り出したまま、目を吊り上げて私を睨んでいた。

「オレは十七番を寄越せっつったんだよ!これ違うじゃねえか!」

馬鹿にしやがって、と男はレジの台を拳で強く打った。申し訳ございません、といって十七番の煙草を取り出して男に差し出した。男はふん、と鼻を鳴らして何も言わずに帰っていった。

 男の後姿を見送りながら、この理不尽な仕打ちに対してやり場の無い怒りを覚えたが、それは急に襲ってきた寂しさに覆いかぶさられて掻き消えた。この世界に一人で放り出されたような気持ちになって、かきむしられるような心細さに襲われた。その刹那、また十年前のあの記憶が頭を掠めた。私はこぼれそうになる涙をぐっとこらえた。

 どうやら今年も、私のところにサンタは来てくれないらしい。私は向かいの棚においてあるサンタの人形をぎっと睨み付けた。




バイトを終えて家路につくころには、日はもう沈みかけていた。西の空では、冬の疲れた太陽が遥か向こうの地平線を照らしていた。

 私はその薄いオレンジ色の光に包まれた公園のなかで、帰り際に買った肉まんを食べていた。夕暮れ時の大気はぴりりとした寒さではりつめていて、ベンチに座ったている私を刺した。私はマフラーに顔を埋めてじっとその狂暴なまでの寒さに耐えながら、うっすらと白い湯気が立ち上る肉まんにかじりついた。それは舌を焦がさんばかりに熱かったけど、冷えきった私の体にはとても優しいものに思えた。

 膝の上には赤や緑のクリスマスカラーで彩られた白い箱が載っている。これは、店長が「売れ残りそうだから」と私に寄越したものだった。

「さおりちゃん、彼氏いるんでしょう?じゃあ余裕で食べられるって」

そういったときの店長のにやにやした顔が頭を過る。お節介な中年特有の、あの笑顔。大きなお世話だと吐き捨てそうになったのを私はぐっとこらえた。彼は私が奴と喧嘩をしたことなんて全然知らないのだ。 彼が悪いわけではない。私はそう自分を落ち着かせたけれど、やはり頭のなかでは喧嘩をした奴の顔がちらつくのだった。今ごろ彼は何をしているのだろうか。私のことなんて忘れて何事もなかったかのように過ごしているのだろうか。そう考えると、胸をかきむしられるような虚無感に襲われた。

厚手のコートを着込んでいるはずなのに、私の身体は氷のように冷たくていた。その冷たさの前では、先ほど食べた肉まんも役に立たなかった。

 

ぼうっとしていた私の目に、一人の少年がブランコに乗っているのが見えた。日はすっかり傾いて、西の空からは青色の薄暗闇が迫ってきていた。あたりには子供の姿など一人も見えない。それなのに彼は下を向いて、ゆっくりとブランコを漕いでいた。青いジャンパーを着て着ぶくれした彼は、黒い影絵のようにも見え、それがいっそう悲しげに見えた。 私は彼の小さな背中から目が離せずにいた。私はその少年のことについて全く知らなかったが、何故だか他人だとは思えなかった。

 少年はその白い頬を寒さでりんごのように真っ赤にさせながら、じっと身を硬くしていた。丸められた小さな背は、少年がはなをすするのに合わせて小刻みに揺れた。それでも彼は、そのむき出しの可愛らしい手でブランコを吊るしている鎖をしっかりと握りしめていた。私は、彼が握りしめている金属の冷たさが、手袋を突き抜けて直接私の手に伝わってくるような錯覚を覚えた。

私がもう堪らなくなって、少年のもとへ歩み寄ろうとした、その時だ。

少年は弾かれたように立ち上がって、まっすぐに駆け出していった。肩透かしを食らってしまった私は、あっけにとられたまま駆けている少年を追った。

少年が駆け出した先にいたのは、1人の女性だった。少年は両手を広げて待っている女性の胸へ飛び込んでいった。彼女は少年の母親に違いなかった。母親の腕の中の少年は、にこにこと笑っていた。その顔からは、さっきまでのあの寂しげな表情は嘘のように消えていた。

少年はこれを待っていたのだ。彼にとっては母親の腕の中の暖かさに比べたら、こんな寒さなど一瞬で消し飛んでしまうようなものなのだろう。少年は母親と仲良く手を繋ぎながら夕闇の中へ歩を進めた。私は2人の後姿を見送った。黒くのび切った影法師の先にある2人の背中は、大して距離が無いはずなのに、どんどん小さくなっていくように見えた。



ふと気がつくと、私の手の中の、あの鋭い冷たさは、じんわりとした暖かさに変わっていた。それは冬のあの重く垂れ込んだ冬の雲の間から漏れる日差しのように優しいものだった。私はその手が冷めてしまわないように、注意深く両手を合わせた。手の中は陽だまりのなかにあるように何時までも冷めなかった。薄暗く冷え切った私の胸に、小さな明かりがともったような気がした。





 家路につく頃には、太陽は完全に西の空に沈みきっていた。太陽の光を失って、群青に澄み切った空は宝石のように冴え冴えと澄んでいて、黄色に輝く下弦の月と絶妙なコントラストを作り出していた。


自転車を引きながら、私は空を見上げていた。こうして空を見上げるのは何年ぶりだろうか。小学校の帰り道、こうして空を眺めたものだった。あのときの私の心は大きな孤独感で満たされていた。私の心はいつも薄暗くて、隙間風が吹いていて、けして晴れることはなかった。私は待っていた。私の心に明かりをつけて、凍えている私をそっと暖めてくれる誰かを。でも、私はそれをどこかで諦めてもいた。諦めることを身につけた私は、身体は子どもなのに、心はびっくりするくらい大人びていた。だが今ではどうだろう。その気持ちを今まで引きずってしま私は、あの頃とは逆に身体は大人になったはずなのに、心だけがあのときのままでいる。不釣合いな「自分」を抱えているせいで、私は多くのものを失ってきたように思う。事実、十年前の今日、私は両親を拒んだ。そんな私の所には、サンタクロースはプレゼントをくれないに違いない。いつもそうだ。私の望むものは、いつも手のひらから零れ落ちてしまう――。

そのとき、上着のポケットの中で何かが振動した。携帯電話だ。私はあわてて振動を続けるそれを取り出した。


画面に映し出された名前に、私は思わず目を見張った。私はしばらく振動を続けるそれを見つめ――受信ボタンを押した。マイクから発せられる声は、少し震えていたけれど、前と同じに優しげでぬくもりを持っていた。私はその声に答えようとしたそのとき、私の中の小学四年生が、かすかに笑ったような気がした。


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