薄倖な第1話:不幸の始まり(1)
「まこちゃ〜ん、ちょっと来てぇ」
間延びした少女の声に、美原眞人は呼び出された。
「何かあったのか? 深雪。また何か、発明でも発見でもしたのか?」
華奢で半女性的な外見をした少年は、チョークの粉か何かで襟元を汚した幼馴染に問いかけた。
「そういうコトだよ。まこちゃんがチェスで忙しいのはわかっているけどさ、ボクとまこちゃんの仲じゃない。ね?」
「……はぁ」
近衛深雪という少女はこのような状態になってしまうと、梃でも動かない。それを知っている眞人は目の前のものを片付けながら、了解の返事と諦めの嘆きを乗せて言った。
「間違えるなよ、俺がやっているのは将棋だよ」
深雪が部長を勤めるのは科学部兼化学部。実験嗜好会という二つ名を持つ、噂の絶えない部活動であった。
現在、眞人と深雪の目の前にあったのは、実験室という表札の下に、黒いマジックで‘科(化)学部’と書かれた紙が張ってある、少し大きな教室であった。
「入るよ〜」
深雪は声とともに、ドアを思い切り開け放つ。
部屋の中からは何も音はせず、何年も人の出入りがされていないかの如く、蛻の殻であった。
「誰もいないねぇ」
「そりゃあ、そうだろ。実質お前が部長、俺が副部長みたいなモンなんだから」
「でもね、知己ちゃん入ってるよ」
「知己が?」
深雪の言葉に驚く。
自分の妹である知己が、自分と同じ部活動に入っていたことは眞人は知らなかった。
「俺はそんなこと聞いていなかったけどな。あいつ、よく来るのか?」
「うん」
肯定の返事は二人の後ろから聞こえた。
「本当はね、中で待ってようとも思ったんだけど、ちょっと廊下で友達と話してたら思ったより時間たっててね、さき越されちゃったんだね」
後ろに立っていたのは眞人の一歳違いの兄妹、美原知己であった。
「お前、本当にこれの一員だったのか?」
知己が目の前にかけてきたので、顔を見てもう一度確認する。
「そうだよ。うちの学校、部活の副部長二人だから、あたしだって副部長だしね。それに深雪さんやお兄ちゃんが引退しちゃったら、あたしが部長になるんだよ?」
「でも、お前バレー部のレギュラーだとか。言ってなかったか? そんなやつが掛け持ちなんか出来んのか」
「いいのいいの。あそこはそういうの、気にしないし。ここなら絶対に検査でわからないような薬も手に入るしね。流石は科学部」
「知己ちゃんね、機械いじりに興味があるんだって」
スポーツマン精神に反するような発言をした妹の頭をはたこうとする眞人の手を、深雪は制しながら言う。
「かがくって言っても化け学じゃないほうの、だね。この間もね、ボクに絡繰りとか習いに来ていたんだよ。知己ちゃんが言ったのは冗談だよ」
「そーそー。あたしがドーピングとかすると思った? やるわけないじゃん」
「ならそういうことを言うな。外に聞こえて本気にするやつがいたらどうする?」
「あははは、大丈夫、聞こえてないよ。ところで、深雪さん」
知己は突如として話を切り出した。
「お兄ちゃんに頼みたいこと、あったんでしょ」
「え? そうだね、そろそろ始めようか。まこちゃん、お願いしていいかな」
「内容次第。ってか嫌だって言っても聞かないだろ、お前。だから、やるけどな。なんだよ、頼みって? まだ聞いていないけど」
呆れと諦めの表情で隣の少女に内容を訊く。
「えっとね、新作機械の機動実験! なんだけど……」
眞人は訝しむような表情を浮かべる。
「なぁ、それはお前か知己じゃできないのか?」
「ひっど〜い。お兄ちゃん、あたしを売るの?」
知己は泪をぬぐうような動きをした。
「ボクは細かい作業を外部からしなくちゃいけないし、知己ちゃんじゃ危ないしね」
「なぜ俺なら危なくないと?」
「この前も、またその前も、死ななかったし……」
これまでに眞人は無邪気な幼馴染が作り出す、異形の機械や謎の薬の実験体にされたにもかかわらず、生還してきた。しかし、脱臼・骨折は当たり前、髪や体がいきなり紫色になってしまったこともあった。確かに死んではいないが、何度も死の恐怖を味わったことも事実だった。
「今回は死ぬかもしれないだろうが……」
「大丈夫! もし死んじゃっても、人体甦生薬(男性用)ならここにあるから」
「世話になりたくないっての…… 何の機械なんだよ今回は?」
「新しい全身マッサージ器。確実に体から凝りをなくす優れもの。その名も‘こっくりさん’!」
「名前は兎も角、まともに動いてくれれば性能はすごいな。そうなってくれることを信じるしか、ないか」
「それじゃあ、お願いねぇ〜」
眞人が動く前に、女子二人は実験用の小部屋に彼を押しこめる。
「おいっ、押すなって。……ったく。やりますよ。やらせていただきますよ」
しぶしぶ了解すると、今度は自分の意思で小部屋へ入った。