秋月詩織の日常
『行動は迅速にそして結果は完璧に。勿論求める物は高ければ高いほうが良い。』
「その行為を究極にまで犯したのがこの能力か・・・」
自己を開発したであろう狂化学者に対する悪態が絶えない。
今は授業中。ちょうど昼飯の時間を終え、この授業が終われば家に帰される時間となる。いつもなら最後にもう一限あるのだが、連続魔女殺しの事件のせいで暗くなる前に帰れとの事らしい。
そんな話を終え、目の前では正史の授業が続けられている。今は日本とアジアの関係から学ぶべき所を先生が要約している。
もっとも説明している日本に至っては現在存在すらしていない。正確にいうと、海面上昇による陸地の消滅の結果だ。
その代わりの技術として狂科学の『浮き島』技術によって、人の住める面積は元の旧科学時代よりも確実に増えている。
この浮き島も一部の狂科学者が作り出した技術で正確に教師も理解はしていないし、理解するつもりも無いのだろう。
たとえ自分が狂科学の恩恵を受けていようが、この旧国では狂科学は存在すらタブーなのだ。それを誰も争わないし、話にしない。
『進歩を辞めた国か…』
秋人は内心思う。この国が世界から何と呼ばれているか。
世界中で割合を取るとするなら、狂科学サイドに立っている国の比率は約3割。それも近年増加傾向で魔女狩りの数も足らなくなっている筈だ。
『そこで樹の存在だ。』
人手不足の魔女狩りが樹の希望を断る訳が無い。
つまり、遅かれ早かれ葉月秋人は源樹の敵になる。それは源葵を救えなかった秋人の責任。
問題はもう一つの可能性。コレは下手をしたら詩織まで巻きこみかねない問題。
それが昨日源葵の部屋を捜索している時に出てきた。魔女狩り達が個人個人に提供される再生不可能紙の手帳。通称『魔女張』
そこに記されているのは魔女狩りの仕事要項と本人の写真そして自身の制御を担当する指導者。
『魔女張は魔女狩りが仕事を遂行する時には必ず持ち歩く物。それが残っているって事は…。』
源葵に戦う意思は無かったという事だ。少なくとも源葵を呼び出したのは近くで気絶していたあの男で間違いない。
『旧国 魔女狩り指導者第一位 アイシャ・ノーズ 所属『アーカイブ』 滞在歴 10年 年齢18歳』
魔女張に記されていたあまりにもふざけた事実。
何故あの自称『父さん』がこの国を選んだのか良く分かったよ。何度読み込んでも出てくるのは舐めているとしか思えない経歴と順位に半ばめんどくさいと思うのを禁じえていない。
魔女狩りの第一位の指導者がこの街に居た。ある程度は予想していたが想像外すぎる。これなら新型の大量破壊兵器なんかの方がよっぽどましだ。
本来、魔女狩りの指導者第一位から第十位までは完全な秘匿扱いで世間一般では旧国の無数のどの街に居るという事実しか知られていない。それが十一位以降と一線を隔されている理由としては『五人の科学者』に関連する技術をそれぞれのナンバーが受け継ぎ継承しているからとも言われている。
順位が指導者直接の技術力を意味する訳では無いが、それでも一位という数字を持つものは異常に非凡だろう。
その事以前に第一位の指導者が居なければならない程の物がこの街にあるという事。この問題を解決しなければ前に進めない。
更に出てくる問題は樹の狂科学は何時までかかるのかという事だ。最低、一ヶ月と読んでいたがそれもあてにならなくなってきている。
その問題が秋人の思考を僅かにだが曇らせた。だが秋人は忘れない、楽になる事が幸せになる事ではないのだから。
詩織は夢の中女の子に出会う。
女の子は三人居て、それぞれが過去の自分だった。
世界で一番美しいものは何かと聞かれたら彼女はこう答えるだろう。『人形です。』と。
秋月詩織の心の原風景にまで遡るであろうおとぎ話。
秋月詩織は孤児だった。戦場で拾われてきて豊かだったこの街の孤児院で育った。
彼女にとって親は居なかったが、それも大した苦悩だとは思っていなかった。
その環境が彼女に思わせたのは記憶の彼方の望郷の情でも愛情に対する飢えでも無かった。
その感情は『退屈』。この世の中にある出来事は自分の決して知る事ができない場所で起こっていて自分は何もできないとまで彼女に思わせるまでだった。
その後、詩織の人生の転機が3度程訪れる。
一度目は10歳の時に一月だけ同じ孤児院に居た名も無かった少年との出会い。
彼はいつもピエロを演じていた。その事に彼が気付いていたかどうかは分からなかったが、詩織は気付いていた。
彼は引き取られ名を授かった。でも、もう傍には居ない。
その時に自分は空虚じゃない。ただ空っぽだったんだと気付いて初めて心の底から喜んだ。目の前に喜ぶ自分が居る。
2つ目の転機点15歳の時、詩織が容姿ともに美しく育った時期だった。
『人形のようだ。』
金持ちも腐った豚が詩織を買っていって貪った。
泣いている自分が居る。泣きじゃくってグシャグシャで思い出したくも無いような格好で媚びている。
それからずっと媚びている。いつしか私は不幸だった。
3つ目はいたって単純で葉月秋人との出会い。
出会った最初の秋人はまさに人間のフリをしている人形だった。何も大事な物なんて無くてただ喋っている、動いている。そんな誰かの操り人形。
だから詩織にとって都合が良かった。詩織にとって秋人は自分よりも空っぽで綺麗だったからだ。
でも、それだけじゃなくて最近は秋人を思うだけで胸が熱くなる。
『汚れた私は人形には触る事はできないのに。』
夢が覚める。そう直感させるような内臓が浮くような、何か焦る焦燥感が込み上げてくる。
その焦燥感の正体は夢の中ですら、詩織は幸せでは無かったという漠然とした事実。
窓際からの心地良い秋風で秋月詩織は目を覚ます。
時計を見たら授業中以外と時間が経っていない事に気付いた。
『時間経たなくても夢って見るんだ…。』
心の中で詩織は呟いた。隣の席を見る彼の名前は葉月秋人。
初めて秋君に会って最初に思ったのは『人形』。もっとも嫌っていた筈の義父と同じ考え方をしていた事に気付かされて嫌な気分になった。
それから秋君の事を積極的に見る事になった。秋君は最初は本当に何も知らなかった。本人は知ってると思ってたけど、友達の作り方さえも知らなかった。例えるなら無機質で透明なガラス細工。向こう側を除けば見えてしまうぐらいに秋君は傍目から見たら優等生のガラス玉だった。
そんな秋君に気付けば話かけていた。それから樹も含めた関係が始まった。長い時間もかからずに秋君と呼ぶようになった。
ただそんな時に秋君に話してしまった。家庭の事、義父の事。その時の秋君の顔は今でも覚えている。
『俺が殺してやろうか?』
あんなにも優しく笑った秋君をはじめて見た。それだけで胸がときめいた。だから言葉と表情の矛盾に気づかなかった。
次の日に詩織の義父は殺された。周囲の環境も詩織の事を知っていたから最初は詩織を疑っていた。アリバイは完全すぎるほどに完璧で詩織は直ぐに解放された。
そして次に疑われたのが葉月秋人と源樹。この2人のアリバイもまた完璧だった。警察はこれを『門外法廷』として、魔女狩りに移行要請を申請した。
門外法廷とは起きた事件を実験体または抑止力の犯行と認めることで現在は主に魔女狩りに委託することを意味する。
その中で秋月詩織は『葉月秋人が義父を殺した』という事実に気がついていた。
秋人の横顔を覗き込む。詩織が気づいたのは事実だけではなかった。
秋君の事が好き。殺してくれたからとかじゃなくて、もう今までとは違う。きっと秋君の事を愛している。だから、気づいて欲しい。
それでも秋人は詩織の好意を理解できない。それはまだ秋人が人間になりきっていないから。詩織も理解している。だから見守る。悪い虫が秋人に付かないように傷つけないようにずっとずっと。
「大丈夫か?」
秋君が心配そうにこちらを見ている。艶のある黒髪と綺麗な黒い瞳が詩織を見ている。それだけで胸の鼓動が早くなる。
でも、私から触れちゃいけない。だって汚れた物に触れる事ができるのは綺麗な物の特権だから。汚い物が綺麗な物に触れたら可愛そうでしょ。
秋人の手が触れ、詩織の頬をなぞる。
「もう一度聞くけど大丈夫か?」
「大丈夫だよ。それより秋君の着けている指輪何?」
「婚約指輪」
『嘘』
思わず叫んでしまった。担任教師兼正史教師が睨みつけてくる。自分の単直な行動が恨めしい。
『嘘だよ。』
秋君がノートを取り出し、書き出す。そして狭くは無い机の幅での筆談が始まった。
『秋君ノート買ってたんだ。』
内心そう思わずにはいられなかった。
『その指輪何?』
さっき頬をなぞったときに気付いた疑問を率直に書き出す。
『証らしいよ。俺を守っている証拠。これを見るたびに思い出させるのが目的らしい。』
『それって女の子から?』
『まさか。年上の男からだよ。』
『それって…気持ち悪くない?』
『凜子なら泣いて喜ぶだろ?』
確かにそうかも。凜子ちゃんはそういうの大好きだしね。でも、秋君にはノーマルで…って何いってるんだろう。
『それより覚悟しといた方が良いぞ。』
『何を?』
「放課後掃除くらいはな。」
最後は筆談では無く小声で秋人は詩織を見て呟いた。担任教師兼正史教師を見ると気だるそうに『じゃあ放課後掃除でもしてろ。』と投げやりだった。