記録2
そこは世界とは一線を隔された場所。秋人達が通う教室。
教室の雰囲気はいつもとは違う。昼は学生たちの笑い声が支配し、夜になると静寂の闇が全てを支配する。
今は闇。生き物が元来恐怖し、恐れ敬う筈である場所。昼とは間逆のその世界に人影が3つ。
それぞれが全く違う形でその場所に居る。一人は笑いながら窓辺に腰掛、一人はぶつぶつと呟き期待に飢える赤子の様に両者を見つめている。否、それは観察と表現した方が適切なのかもしれない。
そして最後の一人は教室のドア越しで立ち止まり教室の中を警戒し、他に敵が居ないかを確認する。
窓越しに腰掛けた男が立ち上がる。窓を開け、教室の入り口に立ち止まっている女に声をかける。
「狂科学の一片が消えるにはふさわしい夜だろう。俺かお前どっちが消えるんだろうな。お前はどう思う?」
その声に込められた殺意に女は笑った。
女の名前は源葵。樹の母であり、義母である。
「でも、多分消えるのはお前なんだろうな。」
瞬間-銀を構える。源葵の狂科学『蓮銀』。
彼女の『蓮銀』は右腕の中に植えつけた銀昌を自身の電気信号で増幅し発動する。銀昌の濃度は通常の銀の1000倍の量を凝縮制御している。その銀自体を彼女の身体を動かす筈であろう神経系を駆ける電気信号で支配している。一度制御が外れれば自身を妬き滅ぼす、狂科学。
右腕の中に蓄積されていた銀が膨張し、溢れ出す。
知識としては知りえた情報を目の前にして驚愕する。知識として知りえた現実なんて、目の前の非現実にはあまりにも無力だった。その押し寄せるような銀に、後ずさる事もできず転んでしまう。そんな銀は私に目を向く暇も無く一瞬で彼を飲み込み咲き誇る。
銀製の花は咲き乱れる。咲いた銀の花には赤が混じっていた。その赤はゆっくりと伸びやがて花全体にまで行き渡った。
「命を吸い育つ花。こんな物は使いたくなかったんですが。」
自嘲的に呟き、乱れた前髪を整える。
「さて、この人が誰で一般人のあなたがこんな事してるのか答えてもらいますよ。」
『彼』から私へと向き直る。
腰が抜けて立つこともできない。顔を上げ彼女を見据える。子持ちには見えないほどのスタイルと、美形と言い切れる顔。そして何よりは狂科学『蓮銀』。こんなにも美しいものを生み出す狂科学。こんな物を生み出してしまった狂科学。今日彼女の願いを叶えに来た自分は『彼』の死により失敗したかのように思えた。
その瞬間にも彼女の後ろで咲いている花。その花がゆっくりとしなだれていく。彼女は気づかない。
「答えられないなら、拘束させてもらいます。安心してください。素直に話してくれるなら魔女裁判には掛けないでおきます。」
花はしなだれ銀の輝きを犯し黒く沈んでいく。その光を受け彼女は気付き振り返る。
だが、遅い。そこには花が枯れ落ち束縛から逃れた彼がたたずんでいる。
そして、何をする訳でもなく彼女をじっと見つめている。まるで獲物自身の価値を見定めるように、ゆっくり見る。
瞬間飛び掛かる。
狂科学の産物であろう脚力は音の無い跳躍を可能にさせ、彼女に気づかせること無く背後からの奇襲を可能にした。
それを見越したかのように彼女は腕を伸ばす。銀が伸び彼女を守り彼を貫く。
それでも、腕は彼女に対して腕を伸ばす。力の無い腕がしなだれ伸ばされる。最後の一押しと言わんばかりの銀が超至近距離で炸裂する。
彼を裂く針千本切り刻む。
しな垂れた指が彼の指先が源葵の額に触れた。
銀が弾け、彼が開放される。その姿は旧史のキリストを連想させる。崩れ落ちた彼はゆっくりと立ち上がる。
彼の穴あきの身体は綺麗に直っていく。人間の身体の治り方では無いのは明白で、蝋で穴を埋めるように白いものが身体の穴を埋め彼を形作る。波の色は銀。
「悪いな。お前と俺では相性が悪いんだよ。例えるならそうだな。火を剣でいくら切っても火は消せないだろう。」
勝利を確信したかのような笑みを浮かべ、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「分かったらおとなしく死んでくれるなよ?抵抗しない女を殺すのは犯罪的だが、俺が好むものじゃないんだよ。分かってると思うが俺が殺したいのはお前の狂科学でお前自身じゃないんだよ。」
「待ってくれ。彼女の狂科学を消してくれる約束だろう。彼女を殺す?約束が違うだろう」
声を張り上げる。主張する。しなくてはならない。
「残念だが、こいつは無理だ。お前の話では右腕の銀を取り除いて神経系を元通りに戻せば良い話だったが、実際のこいつの身体はてんで訳が違う。まず肝心なこいつの身体自体が『超銀』の一種で転化されている。」
何を言っているのか分からないという顔をしている教授に向かって言葉を続ける。面倒仕方無いが、仕方無い。協力者の質問に答えるのも俺という狂科学だ。
「これは推察だが、過去に身体の半分以上を失っているな。この馴染み具合から言って数年前か?その時に触媒として、右腕の銀を膨張させて擬似的に身体にしたのか?」
「待て。そんな話は聞いたことが無いぞ。」
「ああ…そういう事か。」
笑いが止まらない。そういうことだ。
秘密を暴かれた女は憎そうに俺を睨みつける。最低な行為でも暴いてしまう。何故なら俺は強者で他者は弱者だから。
「お前を抱いた男の気がしれないな。銀に欲情したのか?」
憤怒で顔を上げ、首を掴み殴り倒される。それでも笑いは止まらない。
「止めるんだ。葵さん。」
教授が女を俺から引き剥がす。
「あー。痛いな。痛覚は消えてないんだから。本当に止めてくれよ。」
頬を擦る。アレ?コレ?顎砕かれてない?なんつう馬鹿力。
「そもそも言わせて貰うと女。お前もう終わってるんだじぇ?」
そういってビシッと指を指す。カッコいい俺。な訳なく決め台詞噛んじゃった。ちゃんと顎直してから言うべきだったな。
そう彼が指を指した瞬間彼女の身体から火が上がる。
オレンジ色の暖かい光。反射的に手を離す。次に耳を裂くような悲鳴。
それは源葵の悲鳴でコートを脱ぎ捨て、打ち払う。火は消えず纏われた炎は他の物に興味が無いかのように彼女のみに付き纏う。
「そんなんじゃあ。女の火は消えないって。そんな事より教授飯食おうぜ。腹減るんだよ。これさぁ。」
カーテンを引き裂き火を払う。火は消えない。払うことすらできない。
「だからぁ。そんなんじゃ無理なんだよ。分からないと思うけどさ。俺がやったのはそもそも物質の破壊じゃないんだよ。云い得て妙だけどエネルギー自体の燃焼なんだよ。だから、そいつはもう死ぬし、それはけっして変わらない。」
「ウルサイ」
怒鳴る。彼女を助けなければ。水を汲めば、助けられるのではないか?安易な考えを呪いたくなるが、水を汲みに廊下に走り出す。
グイッ―
足を掴まれる。見ると源葵は口元を動かし
『タスケテ』
と呟いた。
その一言で自分の中のナにかが音を立てずに崩れ去った。
記憶の中の源葵は泣いていて。彼女の思い出が頭の中を駆け巡って、大した交流も無いくせに思い出だけは鮮明で。街で会うと笑いながら挨拶してくれる理想の人。息子の将来を真剣に考えて、相談してくれた人。相談の最中息子の将来の話がいつの間にか彼女の夢の話になっていた事もあった。
『私はねあの子には魔女狩りなんて物騒な言葉の無い世界を見せてあげたいんですよ。魔女狩りの私が言うのもなんですけどね。』
その時に語った彼女の笑顔が可愛くて可笑しくて。その夢が狂科学に憧れる自分だけを変えてくれたのに、それなのに俺は彼女を救うどころか殺してしまった。
回想と共に私の意識は崩れ去った。