死神のおしごと
ピコン。
携帯の通知音が鳴る。
「えっと、今日の仕事は…っと。」
死神は携帯に届いた「業務スケジュール表」に目を通した。
死神と言っても、本職は死神ではない。あくまでバイトだ。人間でいう大学生が学校の片手間に居酒屋で働くようなものだろう。
「今日は火災が一件と交通事故が二件かぁ。楽勝だなっ。」
死神はにこっと目を細めて微笑んだ。
これくらいの仕事量がちょうどいい。
正社員の死神を何人も見てきたが、あれは到底一生の仕事にするようなものではない。1日のノルマがかなりきついし、人が嫌がることしてお金を稼ぐっていうのはやはり気分が良いものではない。精神を病んで鬱になる死神もいっぱいいる。
その分、稼ぎはいいらしいが僕はそこまでしてこの仕事をやりたいとは思わない。
「よっ!」
ふいに後ろから声をかけられ、ぼくは背中に氷を入れられたかのように、ビクッと全身がのけ反った。それと同時に「うひゃぁ!」というなんとも情けない声が出た。
「お前、今日の仕事そんだけ?余裕だなっ。」
振り返るといつも仲良くしてくれる先輩の死神がいた。
「先輩びっくりさせないでくださいよぉ〜」
「ははっ。すまんすまん。」
先輩はイタズラ好きだが優しい。いつも自分のことを気にかけてくれる。死神のくせにまるで天使のような人だ。
「先輩は今日も朝から晩まで仕事三昧ですか?」
「そうだな。今日は8件業務があるな。でも、お前だって3件とはいえ、いつも大変だよな。」
先輩は天使のような微笑みでそうぼくをねぎらってくれた。ほんとに優しい死神だ。
「先輩に比べたら全然ですよ!てか、先輩ってなんで正社員で働いてんすか?やっぱお金ですか?お金以外でこの業界で働くメリットってないっすよね笑」
……。
ほんのコンマ数秒だが一瞬静寂の間ができた。
死神は半分冗談で言ったつもりだったが、(やばい、さすがに今のは失礼だったか…‼︎)とコンマ数秒の間に後悔と反省が一気に脳内を駆け回った。
「す、すみません先輩。今のはいい過ぎました、、、」
「ははっ。別にいいさ。でもな、オレはお金のためだけにこの仕事をしてるんじゃないのさ。」
「じゃあ、先輩はなんのために…」
「色々あるのさ。お前もそのうち分かる。死神って簡単な仕事じゃないよ。」
先輩は優しい微笑みを崩すことはなかった。しかし、どこか悲しげな表情にも見えた。
「じゃあ、ぼくそろそろ行きますね!」
「おうっ。気をつけてな。ほい!これ今日の業務表!」
「ありがとうございます!」
「バイトだからって気を抜くなよ!」
「分かってますって!」
そう言って死神は小走りで駆け出した。
数メートル進んだところで業務表を開いた。
「えっと、住所は◯◯県△△市8-68 205号室っと。わりと近いな。」
そう呟きながら背中の小さな黒い羽を広げ、ふわりと浮いた。飛んだ方が楽だし走るより速い。
死神の仕事は単純明快だ。人間の人生というのは大きな目で見ればすべてプラスマイナスゼロになるらしい。それを調整するのが死神の仕事だ。
例えば、懸賞で一等を当てたのならおみくじでは凶を引かせる。野球でヒットを一本打ったのならエラーを一回させるといった具合だ。
そのために日々、死神は全国各地を飛び回っている。
10分ほど飛んだのち、目的地に到着した。死神は羽を折りたたみ、緩やかに地上へと降り立った。
一件目の現場は古びたアパートの二階だ。
死神は再び業務表を開いた。
「えっと。ここで、9時32分にタバコの火の不始末を起こして、軽く和室が焦げるぐらいのボヤを起こす。っと。余裕だな。」
バイトの死神に与えられる仕事なんてせいぜいこの程度だ。もっと大きな爆発事故なんかは正社員の死神しかやらない。
死神はアパートの金属製の土色に錆びついた階段を登り、205号室のドアをすり抜けた。
「うわっ。くさっ。」
部屋の中は雑誌やコンビニの袋で溢れ返り、キッチンには生ゴミとしばらく洗ってないであろう食器が無造作に散らばっていた。
「最悪。ゴミ屋敷かよ。」
そう呟きながら、廊下の突き当たりを右に曲がり、ボロボロに破れた和室の襖をゆっくりと開けた。
襖を開くと、そこには灰色のジャージ姿で、黒縁メガネをかけた小太りの中年の男が「ぐおぉ」と大きないびきをたてながら寝ていた。
「ちっ。汚いおっさん。」
死神は男を起こさないように忍び足で男の腹を跨ぎ、灰皿の前に座り込んだ。
灰皿の中を確認すると、火がわずかに消えていない不始末のタバコが一本あった。
(あとは、このタバコの火にちょっと息を吹きかけて畳に火を移すだけだな。)
時刻は9時28分。
死神は息を押し殺しながら、9時32分になるまでその場に待機することにした。
(それにしても、むかつくな。臭いし、いびきはうるさいし、あと4分が10年くらいに感じる。)
死神は部屋に充満する生ゴミの匂いと、男の熊のような重低音のいびきにイライラを募らせながらその時を待った。
「しかし、こんなにくさい部屋、近隣の住民も迷惑だろう。いっそ全部燃やした方が世のためではなかろうか。」
そんな考えが頭をよぎった。
ふと、携帯の時計を見る。9時32分だ。
「よしっ。そろそろだな。キッチンが1番臭いからキッチンも燃えるぐらいの火力にしてやれ。」
死神は待機していた間の鬱憤を晴らすかの如く灰皿のタバコにふぅー!!っと強く息を吹きかけた。
バチバチバチィ、メラメラ…。火は瞬く間に広がった。
「うわっ!あちぃっっ!!!」
男が目を覚ました。ジャージに燃え移った火を手で振り払いながら、必死に叫んでいる。
「あちぃっ!あちぃっ!」
さっきまで安らかに大いびきでねていたのが嘘のように男は汗を撒き散らしながら部屋を飛び出していった。
火はキッチンどころか隣のリビングまであっという間に燃え広がった。
「やべえ。ちょっとやりすぎたかな。」
死神は少し焦りながらもゆっくりと立ち上がると、和室の窓をスーッとすり抜けて外に出た。
「ちょっとやりすぎたな。早く消防こないかな。」
そう少し罪悪感が残りつつも、
「まぁ、ゴミ屋敷を掃除してあげたってことで。」
そう自分に言い聞かせながら死神は飛び立ち、次の現場へ向かった。
ーー。
次の日、死神は布団の上で目を覚ました。
「ふわぁ〜。今日も仕事かぁ。だる。」
携帯に手をかける。
「はっ?」
「え?なに?」
携帯を観ると先輩から何十件もの着信があった。
掛け直すか一瞬悩んだが、いつも優しい先輩がこんなに電話をかけてきている。こんなことは初めてだ。何かあったに違いない。
恐る恐る通話ボタンを押す。
「もしもし…」
「お前昨日何した⁉︎今すぐ来い‼︎場所は◯◯病院‼︎」
「え、どういうことですか…」
「いいから、今すぐこい!」
(何かやらかしたんだ。。。)死神は自宅の窓を開け、羽を広げた。なんだかいつもより羽が重く感じた。
病院に着くと待合室に先輩がいた。
「先輩…ぼく何かしましたか…?」
「…ついてこい」
電話の時の勢いとは打って変わって、落ち着いた声で先輩は言った。
(ドクン、ドクン)
病院の静かな待合室に響き渡るほどぼくの心臓の鼓動は音を立てて波打っていた。
病院の廊下を進んでいくと、先輩が立ち止まった。
「ここだ。」
スーッ
ドアをすり抜けるとそこには、ベッドが一台置いてあり、隣には見知らぬ女性が座っていた。座っていたというよりベッドにうなだれるように覆い被さっていた。
ベッドにも誰かいるみたいだ。
死神はベッドを覗き込んだ。
そこには、顔や身体の大部分を包帯で巻かれたおそらく小学校低学年くらいであろう子がいた。
「お前が昨日火をつけた205号室の隣の子だ。」
先輩の言葉で死神はすべてを察した。205号室の火が隣の部屋にうつり、この子が巻き込まれたのだと。そして、隣にいる見知らぬ女性はこの子の母親なのだと。
「全身に大火傷だ。命に別状はないらしいが、おそらく一生やけどの跡は残るだろうな。」
死神は言葉が出なかった。
包帯の隙間から見える小さな指先だけが、かすかに動いていた。
その指を見た瞬間、昨日自分が吹きかけた火の音が頭の中で蘇った。
――バチバチバチィ。
思わず耳を塞ぎたくなった。
「そんな…。だって、ぼくはほんのちょっと火力を上げただけ…。ほんのちょっと…。」
死神は消え入りそうな細く震えた声でつぶやいた。
「ほんのちょっと、か。」
先輩は怒鳴らなかった。
それが逆に怖かった。
「お前は勘違いしている。
死神の仕事はな、〝不幸を作ること”じゃない。」
先輩はベッドの子供を見つめたまま言った。
「世界の帳尻を合わせることだ。」
「お前は昨日、“調整”じゃなく“罰”を与えた。オレたちの仕事は絶対に感情で動いたらダメなんだ。」
その瞬間、死神の喉がぎゅっと締まった。
初めて、自分が取り返しのつかないことをしたのだと理解した。
「これからどうするのかはお前が決めろ。じゃあな。」
先輩は病室の窓からそっと姿を消した。
病室には機械音と母親のすすり泣く音だけが響く。
一瞬母親がこちらを睨んだ気がした。
絶対見えてはいないはずなのに。
ピコン。
携帯の通知音が鳴る
【本日の業務スケジュール表】
11時30分〜
◯◯県△△市4-12
土砂崩れで、シルバーの車一台を巻き込む。車両ナンバー56-25
死神はしばらく画面を見つめていた。
やがて、小さな包帯の手から目を逸らすように病室を後にした。
ーー数年後。
「えっと、今日の仕事は……っと。」
死神は携帯に届いた業務スケジュール表を見た。
転倒事故二件。
交通事故三件。
渋滞発生一件。
以前の自分なら「多いなぁ」と文句を言っていただろう。
だが、今は違う。
「お、今日も忙しそうだな。」
後ろから声がした。
振り返ると先輩が缶コーヒーを片手に立っていた。
「まぁ、正社員ですから。」
死神がそう言うと、先輩は少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「慣れたか?」
「全然。」
死神は苦笑した。
「今でもほんとに嫌ですよ。この仕事。」
それは本音だった。
誰かの人生を狂わせる。
誰かを傷つける。
その重さに慣れる日は、多分一生来ない。
「でも。」
死神は小さく息を吐いた。
「適当にやる奴が一番ダメだって、分かったんで。」
「そうか。死神らしくなったな。」
先輩は少し嬉しそうに笑っていた。
「じゃ、行ってきます。」
死神は背中の黒い羽を広げた。
以前と同じ羽。
なのに、不思議とあの日より軽かった。
飛び立つ瞬間、ふと病院で見た小さな包帯の手が頭をよぎる。
忘れることは、多分一生ない。
だからこそ。もう二度と間違えないように。
死神は今日も空へと飛び立った。




