表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

誰でも1日だけ透明人間になる日

作者: 海狼ゆうき
掲載日:2026/03/23


 その日は、朝から妙に静かだった。


 というより——


 “見えない何か”で、ざわついている。


「今日だな」


 スマホを見ながら、隣の席の同僚が言う。


「だな」


 俺も短く返す。


 画面には、ニュースアプリ。


《本日、第一回『透明日』が実施されます》


 正式名称はやたら長かったが、


 誰もそんな呼び方はしない。


 “透明日”。


 そのままだ。


「マジでやるんだな」


「実験らしいけどな。国と企業が共同で」


「いや、意味わからんだろ」


 そう言いながらも、


 誰も止めようとはしない。


 理由は簡単だ。


 一日だけ、透明人間になれる。


 それだけで、


 人間は十分に興奮する。


「お前やる?」


 同僚がニヤつく。


「……どうだろうな」


「絶対やるだろ」


 否定はしない。


 やらない理由が、ない。


 専用のアプリ。


 認証すれば、午前九時から二十四時間。


 自動的に透明になる。


 技術的な説明はよく分からない。


 量子だの光学だの、難しい単語が並んでいたが、


 要するに——


 “見えなくなる”らしい。


「犯罪とか大丈夫なのか?」


「一応、制限あるらしいぞ」


「どういう?」


「重い物は持てないとか、強い衝撃で解除されるとか」


 なるほど。


 完全な無敵ではない。


 でも——


「バレないよな、基本」


 その一言で、空気が少しだけ変わる。


「……まあな」


 誰も否定しない。


 見えない。


 それはつまり、


 見られていない。


 そして——


 証明されない。


「……」


 そのまま時間が過ぎる。


 時計を見る。


 八時五十九分。


 あと一分。


 周囲の空気が、少しだけ張り詰める。


 誰も口にしないけど、


 全員が同じことを考えている。


「やるか」


 スマホを取り出す。


 アプリを開く。


 大きなボタン。


《透明化を開始しますか?》


 [YES]


 指を置く。


 一瞬だけ迷う。


 でも——


 押した。


 九時。


「……」


 何も起きない。


 特に変化はない。


 手を見る。


 普通に見える。


「なんだよ、嘘か?」


 そう思った瞬間。


「おい」


 同僚の声。


 顔を上げる。


 その瞬間、


 息が止まった。


「……え」


 そこにいるはずの同僚が、


 いない。


 椅子だけがある。


「おい、ここだよ」


 声はする。


 すぐ近くから。


 でも、姿がない。


「……マジか」


 手を伸ばす。


 空中に触れる。


「うわ、触んなよ」


 確かに、そこにいる。


 でも——


 見えない。


「……」


 ゆっくりと、自分の手を見る。


 さっきまで普通だった。


 でも今は——


 輪郭が、消えている。


 ぼやけて、


 背景と混ざっていく。


 やがて、


 完全に見えなくなった。


「……」


 息を呑む。


 現実だ。


 嘘じゃない。


 透明になっている。


「やべえなこれ!」


 誰かの声。


 あちこちで同じような反応が起きている。


 椅子だけが動く。


 ドアが勝手に開く。


 物が浮く。


 笑い声。


 驚き。


 興奮。


 オフィスが、一気に“非現実”になる。


「……」


 立ち上がる。


 歩く。


 足音だけが響く。


 誰もこちらを見ない。


 見えないから。


「……」


 妙な感覚だった。


 自由。


 でも、


 少しだけ不安。


 誰からも見られていない。


 それは——


 思ったよりも、


 軽くない。


 外に出る。


 街。


 人が減っている。


 いや、


 見えないだけだ。


 音はする。


 足音。


 笑い声。


 でも、


 誰もいないように見える。


「……」


 非現実。


 映画みたいな光景。


 その中で、


 人々は好き勝手に動いている。


 ぶつかる。


 笑う。


叫ぶ。


 そして——


 誰も謝らない。


「……」


 気づく。


 見えないから。


 誰がぶつかったか、


 分からない。


 つまり——


 責任が発生しない。


「……」


 コンビニに入る。


 レジ。


 商品が、


 勝手に消えていく。


 誰かが取っている。


 でも、


 誰も止めない。


 止められない。


「……」


 店員が困った顔で立っている。


 でも、どうしようもない。


 誰が持っていったのか、


 分からないから。


「……」


 外に出る。


 空を見る。


 青い。


 何も変わらない。


 でも——


 世界は、確実に変わっている。


「……」


 ポケットのスマホが震える。


 通知。


《透明日、開始から一時間》


 その下に、小さく書かれていた。


《現在、軽微なトラブルが報告されています》


「軽微、ね」


 思わず笑う。


 これはまだ、


 “軽い方”だ。


 誰もが分かっている。


 この状況が続けば、


 もっと大きなことが起きる。


 でも——


 誰も止めない。


 止められない。


 だって今日は、


 透明だから。


「……」


 そのとき、


 遠くで悲鳴が聞こえた。


 振り向く。


 でも、


 何も見えない。


 ただ、


 音だけが響く。


「……」


 少しだけ、


 嫌な予感がした。


 でも、


 まだ誰も、それを“問題”とは思っていない。


 これはただのイベント。


 実験。


 一日だけの非日常。


 明日になれば、


 全部元に戻る。


 誰もが、


 そう思っていた。


 その時までは。



 最初にそれが“事件”として扱われたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 スマホの通知。


《透明日中のトラブルについて》


 さっきと同じような文面。


 でも、少しだけ違う。


《一部地域において、重大な事案が発生しています》


「……重大、ね」


 軽く呟く。


 でも、


 その言葉の意味は、すぐに理解することになる。


 街の空気が、変わっていた。


 さっきまでの“お祭り”とは違う。


 ざわつき。


 苛立ち。


 そして——


 恐怖。


「……」


 人の姿は見えない。


 でも、分かる。


 何かが起きている。


 足早に歩く音。


 怒鳴り声。


 誰かを探すような声。


 そして、


 遠くでまた悲鳴が上がる。


「……」


 近くの交差点。


 人が集まっている“気配”。


 でも、見えない。


 ただ、


 円を描くように、


 誰もいない空間ができている。


「何があった?」


 誰かの声。


「……分からない」


 別の声。


「倒れてる……誰か……」


 その言葉で、


 空気が一気に冷える。


「救急車呼べ!」


「呼んでる!」


「誰だよ、やったの!」


 誰も答えない。


 答えられない。


 見えていないから。


「……」


 少しだけ近づく。


 地面に、


 何かが倒れている。


 輪郭だけ。


 ぼやけた“影”のようなもの。


 それが人間だと分かるのに、


 はっきりとは見えない。


「……」


 その瞬間、


 理解する。


 これは——


 誰かが“何かをした”結果だ。


 でも、


 誰がやったのか、


 分からない。


 証明できない。


 目撃者がいない。


 正確には——


 全員が目撃しているのに、誰も見ていない。


「……」


 その場を離れる。


 足が速くなる。


 心臓がうるさい。


「……やばいな」


 呟く。


 これはもう、


 ただのイベントじゃない。


 ルールが壊れている。


 社会の前提が。


 見えること。


 認識されること。


 それが、


 全部なくなっている。


「……」


 スマホを見る。


 SNS。


 タイムラインが荒れている。


「やられた」


「財布取られた」


「殴られた」


「誰か助けて」


 全部、


 同じ内容。


 そして——


「犯人が分からない」


 当然だ。


 見えないんだから。


「……」


 さらにスクロールする。


 動画が上がっている。


 再生。


 道路。


 突然、


 誰もいないはずの空間で、


 人が吹き飛ぶ。


 倒れる。


 でも——


 誰もいない。


「……」


 コメント欄。


「やばすぎ」


「これもう無理だろ」


「誰も止められない」


「……」


 画面を閉じる。


 分かっている。


 これは止まらない。


 だって、


 バレないから。


「……」


 そのとき、


 後ろからぶつかられる。


「……っ」


 よろける。


 振り向く。


 誰もいない。


「……」


 苛立ちが湧く。


 でも、


 文句を言う相手がいない。


 誰がやったのか分からない。


「……」


 その瞬間、


 頭の中に一つの考えが浮かぶ。


 もし——


 自分が何かをしたとしても、


 バレない。


「……」


 すぐに打ち消す。


 くだらない。


 でも、


 その考えは消えない。


 むしろ、


 じわじわと広がっていく。


「……」


 周りを見る。


 見えない人間たち。


 誰が何をしているのか、


 分からない。


 でも、


 確実に何かが起きている。


 奪われている。


 壊されている。


 そして——


 誰も責任を取らない。


「……」


 コンビニに戻る。


 さっきの店。


 中は、


 めちゃくちゃだった。


 商品が散乱している。


 棚が倒れている。


 店員の声。


「やめてください!」


「やめてって言ってるでしょ!」


 でも、


 誰に言っているのか分からない。


 返事はない。


 ただ、


 物が動く。


 落ちる。


 壊れる。


「……」


 その光景を見て、


 はっきりと思う。


 これは——


 人間の本性だ。


 見られていないとき、


 人はこうなる。


「……」


 そのとき、


 スマホが震える。


 ニュース速報。


《透明日、緊急中断を検討》


「……遅いだろ」


 思わず笑う。


 もう遅い。


 一度壊れたものは、


 簡単には戻らない。


「……」


 外に出る。


 空は変わらない。


 でも、


 地上は違う。


 音だけが増えている。


 怒号。


 悲鳴。


 衝突音。


 そして——


 笑い声。


「……」


 背筋が冷える。


 楽しんでいる。


 この状況を。


 誰にも見られない。


 何をしてもバレない。


 その自由を。


「……」


 そのとき、


 肩を掴まれる。


「……っ!」


 振り払う。


 何もない。


 でも、


 確かに触れられた。


「……」


 息が荒くなる。


 見えない。


 誰がいるのか分からない。


 何をされるか分からない。


「……」


 その瞬間、


 理解する。


 これはもう、


 “自由”じゃない。


 恐怖だ。


「……」


 スマホを見る。


 時間。


 まだ、半日以上残っている。


「……長すぎるだろ」


 呟く。


 この状態が、


 まだ続く。


 誰も止められないまま。


 責任も、


 証明も、


 存在もしないまま。


「……」


 そのとき、


 ふと気づく。


 さっきから、


 妙に静かな場所がある。


 人の気配がない。


 音もない。


「……?」


 近づく。


 そこには——


 何もなかった。


 誰もいない。


 完全な空白。


「……」


 違和感。


 この街に、


 こんな“無音”の場所があるはずがない。


「……」


 一歩、踏み込む。


 その瞬間、


 自分の足音が、


 消えた。


「……え?」


 もう一歩。


 無音。


 完全な静寂。


「……」


 振り返る。


 街の音が、遠くにある。


 でも、ここだけ違う。


 切り取られている。


「……なんだよ、ここ」


 呟く。


 その声すら、


 聞こえない。


「……」


 口は動いている。


 でも、


 音がない。


 世界から、


 切り離されている。


「……」


 嫌な予感がする。


 これは、


 ただの透明じゃない。


 もっと、


 根本的な——


 “消失”に近い。



 音が、ない。


 完全な静寂。


 さっきまで確かにあった街の喧騒が、


 ここには一切届いていない。


「……」


 声を出す。


 出しているはずなのに、


 聞こえない。


 口の動きだけが、自分で分かる。


「……」


 一歩、後ろに下がる。


 戻るはずだった。


 元の場所に。


 でも——


 何も変わらない。


 無音。


 無風。


 無人。


「……なんだよ、これ」


 焦りが一気に押し寄せる。


 走る。


 出口を探す。


 でも、


 どこまで行っても同じだ。


 景色はある。


 建物もある。


 道路もある。


 でも、


 “人間だけが存在しない”。


「……」


 立ち止まる。


 息が荒い。


 でも、その音すら聞こえない。


「……」


 スマホを取り出す。


 画面をタップする。


 反応はある。


 でも——


 音がない。


 通知音も、


 バイブも、


 何も感じない。


「……」


 SNSを開く。


 タイムライン。


 さっきまでの混乱。


 暴力。


 悲鳴。


 それらが、


 一切表示されていない。


「……は?」


 更新する。


 変わらない。


 投稿が、止まっている。


 まるで——


 世界が止まっているみたいに。


「……」


 違う。


 止まっているんじゃない。


 切り離されている。


 自分だけが。


「……」


 その考えが、頭に浮かぶ。


 そして——


 否定できない。


「……」


 歩く。


 街を抜ける。


 どこまでも、


 同じ空間。


 人がいない世界。


 音がない世界。


 自分だけが、


 ここにいる。


「……ふざけんなよ」


 口を動かす。


 でも、


 何も返ってこない。


 怒鳴っても、


 叫んでも、


 世界は反応しない。


「……」


 そのとき、


 ふと気づく。


 影。


 自分の影。


 地面を見る。


「……」


 ない。


 影が、


 ない。


「……は?」


 もう一度見る。


 太陽は出ている。


 光もある。


 なのに——


 自分の影だけが、


 存在していない。


「……」


 理解する。


 これは透明じゃない。


 もっと深い。


 存在のレイヤーから外れている。


「……」


 手を見る。


 見える。


 でも、


 どこか現実感がない。


 輪郭が、


 少しだけ曖昧になっている。


「……」


 怖くなる。


 急に。


 さっきまでの恐怖とは違う。


 もっと根本的な——


 “消える恐怖”。


「……」


 走る。


 出口を探す。


 どこかに戻れるはずだ。


 元の世界に。


 人がいる場所に。


 音がある場所に。


「……」


 どれくらい走ったか分からない。


 時間の感覚も、


 曖昧になっていく。


 そして——


 突然、


 音が戻った。


「……!」


 立ち止まる。


 ざわめき。


 車の音。


 人の声。


 振り返る。


 街。


 いつもの風景。


 人がいる。


 見える。


「……戻った?」


 声を出す。


 聞こえる。


 自分の声が。


「……」


 安堵が一気に広がる。


 戻ってきた。


 元の世界に。


「……はあ……」


 膝に手をつく。


 息を整える。


 助かった。


 そう思った。


 その瞬間。


「すみません」


 後ろから声がする。


 振り向く。


 女性。


 普通の通行人。


「はい?」


 返事をする。


 でも、


 女性は、


 そのまま通り過ぎた。


「……?」


 止まらない。


 こちらを見ない。


 反応しない。


「……おい」


 声をかける。


 聞こえていない。


 完全に無視されている。


「……」


 周りを見る。


 人がいる。


 でも——


 誰一人、


 自分を見ていない。


「……」


 近くの男にぶつかる。


 すり抜ける。


「……え?」


 触れたはずなのに、


 感触がない。


 相手も、


 何も感じていない。


「……」


 心臓が強く打つ。


 呼吸が乱れる。


「……」


 スマホを取り出す。


 画面を見る。


 カメラを起動する。


 自分を映す。


「……」


 何も映っていない。


 背景だけ。


 自分の姿は、


 どこにもない。


「……は?」


 手が震える。


 何度も確認する。


 でも、


 結果は同じ。


 映らない。


 記録されない。


 認識されない。


「……」


 理解する。


 遅すぎるくらい、


 はっきりと。


 透明じゃない。


 “存在していない”。


「……」


 思い出す。


 あの空間。


 音が消えた場所。


 人がいなかった場所。


 あれは、


 “消えた側”の世界だった。


「……」


 じゃあ、


 今の自分は——


 どっちだ。


「……」


 答えは、


 もう出ている。


 誰も反応しない。


 触れられない。


 見えない。


 記録されない。


「……」


 そのとき、


 スマホが震える。


 通知。


 唯一、


 反応するもの。


 画面を見る。


《透明日、終了まで残り一時間》


「……」


 笑う。


 乾いた笑い。


「終わったら、戻るんだろ」


 誰に言うでもなく呟く。


 聞こえる。


 自分には。


 でも、


 それだけだ。


「……」


 ベンチに座る。


 人が通る。


 誰も気づかない。


 時間だけが過ぎていく。


「……」


 そして、


 そのときが来る。


 スマホの表示。


《透明日、終了》


 九時。


 元に戻る時間。


「……」


 息を呑む。


 待つ。


 数秒。


 何も起きない。


「……」


 手を見る。


 変わらない。


 見えないまま。


 触れられないまま。


 誰にも認識されないまま。


「……は?」


 声が震える。


「おい……」


 誰も振り向かない。


「戻れよ……」


 何も変わらない。


「……」


 そのとき、


 スマホの画面に、


 小さな文字が表示される。


《一部ユーザーにおいて、認識エラーが発生しています》


「……」


 指が止まる。


 続き。


《現在、修正対応中です》


「……ふざけんなよ」


 笑う。


 でも、


 声は震えている。


「……」


 周りを見る。


 世界は、いつも通りだ。


 何も変わらない。


 でも、


 自分だけがいない。


「……」


 誰も気づかない。


 誰も覚えていない。


 最初から、


 存在していなかったみたいに。


「……」


 静かに目を閉じる。


 音が遠ざかる。


 いや、


 最初から届いていなかったのかもしれない。


 分からない。


 ただ一つだけ、


 はっきりしている。


 透明になったのは、


 体じゃなかった。


 存在そのものだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ